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2008,01,18, Friday
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皆さん、こんばんは。2時間くらい前からイタリアの方とメールのやり取りをしていたら次第にチャットのようになってしまって、すっかり日記を書くのが遅くなってしまいました。しかし今日も寒いですねえ。遅まきながら私もタイヤをスタッドレスに替えてもらいましたがひょっとしたら雪が降るかも・・・一度くらいは降って欲しいな、なんて気もしています。来週は車で長野方面に一泊出張を予定しておりますので、きっと雪を見ることが出来ると思いますが・・・ちょっと楽しみなんです。
世の塵を降りかくしけり今朝の雪 井上井月 さて早速ですが今日は神奈川のY田さんが試聴室に遊びに来て下さいました。Y田さんは私と同い年。勿論キット屋を通じてお付き合いが始まった訳ですが今は一人の信頼できる友人としてお付き合いさせて頂いています。Y田さんも私と同じでサービス業に従事されているのでお互いの喜びや哀しみがよく分かり、今日もどちらかいうとオーディオの試聴というよりお互いの近況を報告しあう、みたいな感じでした。 ところが今日のY田さん、何だか少し元気がありません。聞くと「オーディオ止めようかと思って暫く悩んだ」とのこと。詳しく伺うとY田さんはリビングオーディオ派。ご家族と一緒にリラックスして良い音で音楽を楽しみたい、という方です。最近は私のような引きこもり系ではなく、こういうリビングオーディオがどんどん増えているのです。真空管アンプが書斎や趣味の部屋だけでなく家族の交流の場に進出して皆さんで楽しんでいらっしゃる訳です。Y田さんもそんな心優しい方で自分なりに球を替えたりセッティングを頑張って良い音に仕上げて下さっていた・・・そんな矢先、中学2年になられるご子息とちょっとした言い合いになってその時「オレはこんなもん全然良いと思ってないよ」と言われてガーンと来た、と仰るのです。正直これはショックですよね。音どうこうではなくてご自身の想いのようなものまで否定されてしまったようなお気持ちになられたのだろうと思いました。私もきっと子供が大きくなったらそういう事の一度や二度は体験するでしょう。事実私も中学2年位の時は何かにつけて反抗し、オヤジに突っ掛かって庭で取っ組み合いの喧嘩をした事も何度もあります。必ずボコボコにされてそれ以来、頭が上がらないという状況ですが、そのような親子の相克あればこそ息子は父に畏れを感じ、父は息子の成長を感じる訳で「どんどんやってガッチリ受け止めてやればいいじゃないですか」と申し上げると「勿論そうなんだけどコッチも頭に来てオーディオ一式仕舞っちゃったんですよ」とのことでした。 事前に頂いていたメールでも何かしら普通でないものを感じていましたが、なるほど・・・そういうことだったかと思いながらY田さんのシステムと全く同じ環境を試聴室で再現してY田さんご持参のピアノ曲を聴いて頂きました。 「部屋が違うから当然なんだけど、全然音が違うねえ」とY田さんは興味深そうにkitLS3/5Aを眺めていらっしゃいます。LSはツイータがソフトドームなので部屋の反射の度合いによって全くと言っていいほど出音が変わります。フローリング床,クロス壁,板天井のようなライブで反射の大きい部屋と私どもの試聴室のようなデッドな環境では当然あるべきセッティングも違いますし音も違います。LSならではのしっとりとした湿度感と厚みを伴った中低域の質感を引き出して、このサイズでは出色の抑制の効いた美意識を感じて頂きたいもの。模範解答的にはEL34,KT88系が合わせやすいのですがドライブ力のある300Bアンプで鳴らすと素晴らしい弦のグラデーションを感じる事が出来ます。まさにドメスティック(「ドメスティック」の意味については根津さんの日記2004/9/14〜15をご参照下さい)・・・普遍性と個性を高い次元で実現したLS3/5AというSPが嘗て持っていたズ抜けた実力の高さを改めて感じました。 アンプをVP-mini300MkIIに替えたり,mini88MkIIに替えたりY田さんのリクエストにお応えしながらそれぞれの音の個性を楽しんでいたらアッと言う間に2時間が過ぎてしまいました。最後に「それで?」と伺うと「やっぱりオーディオやりますよ!」とのこと。いつかご子息も大好きというピアノ曲を一緒にお聴きになる日も近いことでしょう。ホンの少しですがY田さんの背中を押してあげられたのかな・・・そんな気持ちです。 ところで今日、東京のK林さんから素敵な本を頂きました。「存在追憶 限りなき時の中に」という高山辰雄さん(故人)の画文集です。 ![]() "これからの日本画は高山辰雄を軸にして変貌していくだろう" 立原正秋 日本画壇の最高峰、高山辰雄の精神の軌跡を辿る、著者最後の画文集。(帯より抜粋) この本に非常に興味深い一節があります。 図柄がどうだ、題材がこうだという話ではまったくありません。 ちょうど、われわれが森や空を見て「ああ気持ちがいい」というときのようなものです。そういうときは、決して木の枝の一本一本を見ているわけではないし、雲の一片ずつを眺めているのでもない。全体を感じて心を打たれている。それといっしょです。 ところが画家というのは、描き始めると、木の枝を一本一本描くことになる。しかも、いまいった全体の空気を画面に写しとどめなければならない。そこに絵の難しさがある。 描いていて意識することをいえば、空は空の色だし、森は森の色だし、それに葉っぱがいっぱいあって、それから枝があって、ということになっていきます。それでいながら、絵の中には自分の感じた気持ちの良さを、丁寧に、全体を見失わないように描かないわけにはいかないのです。 これを読んだ時、まるで私が日頃皆さんに申し上げているオーディオ観と全く同じ事を仰っていることに驚き、また非常に感動しました。是非ともこの感覚を皆さんにも味わって頂きたいと思います。音楽も芸術も絵画も凡そ芸術は同じもの。そんな気がしてとても力強くまた嬉しく思っています。 |
