ジャズ・オーディオの雑記帳
by 6041のS

今年のオーディオ始め(2008.1.6)

31日の朝5時30分に起きて、次男とその息子(孫)をセントレアまで送っていったところ、悪天候のため飛行機が欠航となった。妻の実家への帰省を1日延ばした次男に手伝わせ、我がオーディオルームの配置換えを行った。年が明けたら、A7を鳴らし込もうと思っている。明けて2008年元旦朝、再び5時30分に起きて、次男とその息子(孫)をセントレアまで送っていった。今日は飛行機も飛んでいる、それにしても、大晦日と元日の朝早くセントレアに通うのは初めての経験でした。

A7をセットして最初に聞いたのが、マイルス・デイヴィスの「サムディ・マイ・プリンス・ウィル・カム」よりタイトル曲とテオの2曲、続いてスタン・ゲッツの「ボサ&バラード、ロストセッション」よりサンシャワー、そしてズート・シムズの「イフ・アイム・ラッキー」よりユウ・アー・マイ・エブリシングとイッツ・オール・ライト・ウィズ・ミーの2曲、合計5曲を続けて聴きました。A7の羽の生えたような、それでいてスケールの大きい深々とした低音と、少し鋭くスピード感のある中、高音が奏でるジャズは大変ビビットで気持ちの良いものです。
昨年キット屋の大橋さんから入手したベリンガーのチャンネル・デバイダーおよび3way用のネットワークを使ってA7の音がどのように変化するか、色々と試してみようと思っています。
そこでまず手始めに、ネットワークの高音部分(15kHzで分割)を使用して写真にあるように、フォステクスのスーパーツィーターを追加してみました。この効果はクラッシック音楽では大変効果的でした。ピアノ曲ではピアノの音色が深々とした響きに変わり、シンフォニーでは奥行きのある立体的な音となり、まるでコンサートホールのS席に座っているように心地よいものになりました。ジャズでも音の傾向は同じですが、響きが邪魔をしてシンバルをアタックするスピード感が薄れてしまいます。両立はなかなか難しいようです。
まだ表面的に2〜3曲聴いただけですので、断定的なことはいえません。もう少し色々な曲を聞きこんで特徴を掴んで見たいと思っていますが、元日早々から何をやっているんだ、お年賀に出かける時間なのに、という家人の声に促がされて、ここで打ち切りとなりました。





年末のオフ会(2008.1.7)

昨年の暮れも押し迫った12月29日に急遽、我が家でオフ会を開きました、メンバーは例によって第9のIさん、タケさん、デカチョウさん、それから飛び入りでグット・ベイトのマスターです。大橋さんは、年末は超多忙ということで欠席されました。
今回集まったのは、昨年の10月から自分の目指す音に目覚め、精力的にオーディオーの見直しをはかっておられる第9のIさんが、一体どんな音を目指しておいでなのか大変興味があり、本当は直接その音を聞かせてもらうのが早いのですが、アンプの修理中とか、諸般の事情もあり我が家に集まってお話を聞かせてもらうことにしました。
IさんはスピーカーにSPENDOR S3/5という、英国製の小型高級スピーカーをキット屋のVP3000(300Bpp)というパワーアンプでドライブさせています。そこで我が家にたまたまある、音の傾向の異なる小型スピーカー(比較的低価格なものばかり!)を鳴らして、どれが伊藤さんの目指す音に近いなり方をするか、合わせて集まったメンバーの皆さんが、それぞれのスピーカーに対してどんな感想を持たれるのか、そんな期待で準備をしました。用意した8台の小型スピーカーより以下の4台をピックアップして皆で聞きました。
JMラボ CHORUS715
フランス製の明るく元気なスピーカーです。
JBL J216PRO
昔のJBLの香りを残した小型モニタースピーカー。
Kit LS3/5A
ご存知キット屋製の英国モニタースピーカーの音を引き継いだ傑作。
VICTOR アルニコ2Way
大橋さんにアオキシムの音に似ているといわれたスピーカー。

4台のスピーカーの中でIさんが、自分の目指す音に近いとおっしゃったのは、Kit・LS3/5Aでした。今お使いになっているSPENDOR S3/5に近い音のスピーカーです。それからIさんも含めた4人の皆さん全員が、この音はリラックスできますね、といったのはVICTOR・アルニコ2Wayでした。次に、Iさんの用意された音源をCDとiPodで聞き比べてみると、iPodでは一つ一つの楽器の響きが減少して、その分バックが静かになり、見通しの良い音が聞こえてきます。やりすぎると無饗室で聞いているような痩せた音になってしまいます。Iさんはその辺の兼ね合いを探っておられるようでした。
Iさんの説明によると、Iさんは合唱のバスのパートを歌っているが、このパートはメロディを支える歌のベースとなる地味なパートであるが、オーケストラでも同じような役割の楽器がある。音楽を聴くときにそういう地味な役割の部分も、きちっと聞き分け出来るようなそんな再生を目指したいということであった。大変レベルの高いところを目指しておられるようである。だが、あまり根を詰めてやっていると大変疲れます。一方ではVICTOR・アルニコ2Wayのような暖かい音を聞くとリラックスできますね、こういう音も必要ですね、というコメントである。根を詰めすぎずに、楽しみながらやりましょうというのが、メンバーの皆さんからの感想である。
Iさん自身からもっと適切なコメントがブログに書かれています。





ジョージ・セルとクリーブランド管弦楽団(2008.1.8)

昭和57年に新星堂が作ったSHINSEIDO EVER GREEN RECORDSというタイトルの200ページちょっとの大きさのカタログ本がある。新星堂が薦めるLPのリストである。ぼくは何を買うべきか手がかりを得たい時には、この本を多いに活用した。もう20年以上前の話であるが、本は今でも持っている。CDの時代になって目を通さなくなった時期もあったが、最近中古のLPを集めだし、時々引っ張りだしては見ている。
当時、交響曲といえばベートーヴェンが中心であり、ブルーノ・ワルターの指揮するコロンビア交響楽団の運命のLPを買ったときに、シューベルトの未完成交響曲が一緒に録音されていた。シューベルトについては、野ばら、菩提樹、魔王といった歌曲しか知らなかったぼくとしては、さっそく新星堂のカタログを取り出してシューベルトの交響曲に目を通した。そして手に入れたのが晩年のジョージ・セルが指揮するクリーブランド管弦楽団の演奏する「ザ・グレイト」(1970年録音、EMI)である。
セルとクリーブランドの演奏については、吉田秀和さんなどが的確に解説されているが、その楷書の文字のような構成感と、特に弦楽器の精緻なサウンドは、ぼくの感覚にぴたっと来るのである。セルとクリーブランドが演奏する、シューベルトのこの長大な交響曲が、今でも大好きである。これがきっかけでセルとクリーブランドの演奏する作品を色々と聞き出した。
シューベルト 交響曲第9番 (1970年 EMI)
ぼくがセルを聞くきっかけとなったアルバム
モーツァルト 交響曲第40番 (1967年 CBS)
40番といえばワルターと思っていたが、このセルの演奏を聞いて、今ではこちらを聴く方が圧倒的に多い。
ベートーヴェン 交響曲全集 (CBS)
特に良く聞くのが第3番の「英雄」である。セルもこの曲を好んでいたと見えて、1970年にセルが亡くなる前に、最後の指揮をしたのがこの曲である。
ビゼー 組曲「アルルの女」 (CBS)
この華やかな曲を、管楽器でかき消されることなく、弦の音がバランスして演奏されており、しかも大変切れ味が良い。

これ以外にも、今回どんなアルバムを持っているか調べてみると、チャイコフスキーの第5シンフォニーとかドヴォルザークの第8シンフォニー、スラブ舞曲、ブルックナーの第8シンフォニー、マーラーの第6シンフォニー、シベリウスの第2シンフォニーなどを持っていた。だが聞いていないのか、良いとも、悪いとも印象がなく、コメントできないのである。やることがまた一つ出来たが、セルの比較的イン・テンポで弦のアンサンブルを重視した精緻な音楽は、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト辺りの交響曲とかアルルの女、スラブ舞曲のような、切れ味の良い音楽に、よさが発揮できるような気がする。
ぼくにとってセルの音楽はまだまだ発見がありそうである。セルの指揮するクリーブランドは凄い!





オスカー・ピーターソン(2008.1.9)

(2007.12.25-08:37)オスカー・ピーターソ氏死去=ジャズピアニストの「皇帝」
「ニューヨーク24日:時事通信」卓越した技で「鍵盤の皇帝」と呼ばれたジャズピアニストで作曲家のオスカー・ピーターソン氏が23日、腎不全のため、カナダ・オンタリオ州ミシソーガの自宅で死去した。82歳だった。カナダ通信などが24日伝えた。
ケベック州モントリオール生まれ。列車のポーターだった父親の手ほどきでピアノ演奏を学び、1949年にニューヨークのカーネギー・ホールで披露した演奏により一躍名声を博した。以後、ルイ・アームストロング、エラ・フィッツジェラルドら一流のアーティストと競演。93年に脳梗塞で倒れるが、1年を経ずに復活しジャズ会の巨匠として活躍した。特別功労賞を含めグラミー賞を8回受賞。「ナイト・トレイン」(62年)、「カナダ組曲」(64年)といった名盤を残した。
悲報を受け、フランスのサルコジ大統領は「ジャズの灯の一つが消えた」と哀悼の意を表明した。

この報を聞いてから、あらためてオスカー・ピーターソンのアルバムを取り出して聞いている。ぼくの好きなアルバムは、「ナイト・トレイン」、「カナダ組曲」、「プリーズ・リクエスト」、それと何枚かのMPSに残したアルバムである。彼のピアノでアドリブが始まると、ものすごいドライブ感でグイグイと弾きまくり圧倒されるが、毎回同じ目に合わされると、何枚も聞くのは疲れてくる。
オスカー・ピーターソンは色々なジャズメンと競演しており、彼と競演したプレーヤーはみなすばらしい演奏をしている。楽器では、レスター・ヤング、ベン・ウェブスター、ミルト・ジャクソン、ライオネル・ハンプトン、ソニー・スティット、スタン・ゲッツ、ズート、シムズなどがおり、ヴォーカルではビリー・ホリディ、エラ・フィッツジェラルド、アニタ・オディ、サラ・ヴォーンなどがいる。この中でぼくの好きなアルバムを紹介する。
・LESTER YOUNG WITH THE OSCAR PETERSON TRIO
・STAN GETZ AND THE OSCAR PETERSON TRIO
・ZOOT SIMS AND THE GERSHWIN BROTHERS
・ANITA SINGS THE MOST
・ELLA FITZGERALD AT THE OPERA HOUSE
これらのアルバムを聞いていると、あらためてオスカー・ピーターソンの偉大さが再認識される。







コテコテ・デラックス(2008.1.10)

雑誌「ジャズ批評」別冊に原田和典さんが編集された「コテコテ・デラックス」(1995年発行)という、コテコテとしたジャズを特集した本がある。コテコテの定義については、「細胞が細胞膜やゴルジ体で形成されているように、コテコテという単語にもいろんな言葉が含まれている。【ブリブリ】主にサックス奏者のブロウに使われる。同義語にゴリゴリがあるが、ゴリゴリの方が音色としては硬く、音楽の種類も硬派といえる。【ギトギト】主にリズム面に使われる。うねりが多ければ多いほどギトギト度は増す。バーナード・パーディーとジミー・ルイスはギトギト・コンビだ」と解説してある。
本の内容は、ブラック・ミュージックとしてのジャズを「コテコテ」というキーワードで切り取り、ソウル・ジャズ、オルガン・ジャズからブルース、ソウルまでの「ジャズ」とその周辺の濃いところを取り上げたと紹介してあり、そのアルバム1枚1枚を独特の切り口で解説してある。まずどんな奏者が「コテコテ」の演奏をするか順に紹介する。
オルガン奏者
BROTHER JACK McDUFF(コテコテ・オルガンの王者)、JOHNNY HAMMOND SMITH(あふれるソウル・フィーリング)、RICHRD GROOVE HOLMES(波打つ巨体 噴き出るグルーヴ)、JIMMY McGRIFF(灼熱のブルース・オルガン)、BABY FACE WILLETTE(アーシー・オルガンの最高峰)、FREDDIE ROACH(さすらいのゴスペラー)、BIG JOHN PATTON(グルーヴの求道者)、CHARLES KYNARD(プロフェッサー・ソウル)、REUBEN WILSON(ソウル・オルガンの真髄)、CHARLES EARLAND(オルガンの魔術師)、SONNY PHILLIPS(クール・ファンクの達人)、・・・・JIMMY SMITH(ジャズ・オルガンの大親分)、SHIRLEY SCOTT(ソフトなプレイが持ち味)、・・・・まだまだ続く
テナー奏者
GENE AMMONS(ボス・テナーの真髄を聴け)、EDDIE LOCKJAW DAVIS(手加減なしの灼熱ブロウ)、JIMMY FORREST(セントルイスの荒鷲)、・・・・HOUSTON PERSON(ザ・ラスト・ボス・テナー)、STANLEY TURRENTINE(スター)、CHARLES WILLIAMS(コテコテ・ファンの宝)、SONNY STITT(ミスター・サキソフォン)・・・・まだまだ続く
ギター奏者
BILLY BUTLER(華麗なるヴァイオリン奏法)、BOOGALOO JOE JONES(ノリ一発!これがコテコテ・ギターだ)、MELVIN SPARKS(炸裂するギター・ソウル)、JIMMY PONDER(ウォーム&テンダー・ソウル)、TINY GRIMES(4弦ギター・ファイター)・・・まだまだ続く

ぼくは、ここに書き上げたジャズ・メンはテナー奏者を除くと、大部分は知らなかった。この名前とキーワードをもとに、それぞれのアルバムに「この1曲でキメ」という曲が紹介されているので、その曲を集めてみた。とりあえず19曲集まったので、「コテコテ・ジャズ この1曲でキメ」Vol.1、Vol.2の2枚のオリジナルCDを作成し、それを聞いて楽しんでいる。どれもみな個性的で、ブルース感覚が溢れていたり、くどかったり、色々あり面白い。まだまだジャズの世界は広いと思う。

(「コテコテ・デラックス」という本は、ジャズ喫茶「グット・ベイト」にあります)





メトロポリタン美術館(2008.1.11)

2001年の8月(9.11の1ヶ月前)にニューヨークに遊びに出かけた。ビレッジ・ヴァンガードやハーレムのちょっとしたクラブでジャズのライブを聞きたくて出かけたのだ。この時に、ヒルトン・ホテルの2階にあるJTBのツアーデスクでメトロポリタン美術館の見学を申し込むと、ニューヨークの美術学校に留学している日本人の学生さんがやって来て、その人の案内で市バスに乗ってメトロポリタン美術館に行った。メトロポリタンは大変広大な美術館で、1日で見てまわれるような規模ではないが、ガイドの学生さんの専門とする分野を中心にして2時間くらいで全体をガイドしてもらった。
最初に案内されたのは、古代ギリシャのコレクションである。中心をなすのは壷である。その装飾はさまざまのギリシャ神話が描かれている。その中でも印象が強かったのが、写真にあるワインと水を混ぜるためのボールである。戦場で傷ついた青年が横たわり、その横に冥界の王ハデスが、従者を従えて迎えに来ているのである。青年の目をよく見ると、瞼をまさに閉じようとする瞬間が描かれているのである。もうその死が近いことが精緻に表現されているのである。いきなりぼくにとっては衝撃的な世界を見せられて、この先どういうことになるのか、大変期待を膨らませたのである。次が古代ローマ美術で、ポンペイの近くで発掘された貴族の別荘の一室が復元されていた。それから古代エジプト美術。ミイラに関連する多くの展示がある。そしてアメリカに関するさまざまの展示。そして最後が絵画の展示である。東洋美術も多くあるがスキップした。
絵画の説明の最初は、キリスト教のフレスコ画、それが油絵となり、多くの宗教画が描かれた。だんだんと宗教画のみでは飽き足らなくなり、宗教画を語らって人間を描くようになり、多くの宮廷画家が出現した。そしてレンブラント、彼は実に多くの自画像を残した。このことが意味するものは、画家が人のためではなく、自分のために、自己を表現するために初めて絵を書いたのである。近代絵画の始まりである。ガイドの学生さんは、二つのドガの絵を指差してあなたはどちらの絵が良いと思いますかと質問する。そうですね、こちらの絵は写真のようですね。でもこちらは表現したいところを残して後はぼかしてありますね。技法的に新鮮ですね。このような調子で、豊富な知識でもってぼくたちを美術の世界へと、案内してくれたのである。
右の写真はデンドゥール神殿。ローマ皇帝アウグストゥスが紀元前30年ごろ建てた神殿で、アスワンハイダムに沈む場所にあった遺跡で、エジプトから遺跡救済協力をしていたアメリカに寄贈されました。夜になってライトアップされると、当時ジャクリーン夫人が住んでいた部屋より見えるようになっていたとか。
とても印象的なメトロポリタン美術館の一日でした。





鈴懸けの道(2008.1.12)

ロシアに旅した時、サンクトペテルブルグではプラタナス、モスクワでは菩提樹の木があちこちに植えられていた。どの都市も緯度が高くて冬は大変寒い。そういう地域にあった樹木が意識して植えられているのであろう。
ウクライナの首都キエフを訪れた。ここでもまた落葉樹が植えられている。見たこともない木であった。何の木だろうと言っていると、誰かがあれは鈴懸けの木だと言った。なっている実の形が似ているようであるが、明らかに違うとぼくは思った。鈴懸けの木とはプラタナスのことだから。現地のガイドさんに聞いてみるとチェスナットツリーという答えである。栗の木の仲間のようであるが、実は渋くて食べられないと言っていた。もう一度この木を鈴懸けの木と言った人を見てみると、ぼくよりは、はるか年上の、年齢は60歳台の紳士であった。

この人を見ていてぼくは「鈴懸けの道」という和製のスイング・ジャズの曲を思い浮かべていた。この曲のもとは、灰田有紀彦が母校立教大学キャンパスをイメージしつつ、弟勝彦(ハワイアン音楽の歌手)のために作曲した歌謡曲「鈴懸けの道」である。それをクラリネット奏者の鈴木章治が、アメリカのジャズとは違う、つまりコピーではない、ちょっとスウィング調の素晴らしいジャズに仕立て直したものである。
この曲を聞いていると、非常によくスイングするリズムに乗って、鈴木章治のクラリネットが乾いた音で、切なくうたっている。これは乾いた音のクラリネットでないといけない。湿った音では演歌になってしまう。これを聴いているとジャズは哀愁の音楽であると思ってしまう。そんなイメージをこの中年と言うか、初老の紳士と重ねあわしたのである。

プラタナスは街路樹として、日本でも良く見かけるようになったが、たいていは枝を短く剪定してしまっているので、大木というのはない。しかし欧州では大変ポピュラーな木で、ぼくが訪れたことのある、ドイツのデュッセルドルフ、オランダのアムステルダムなどでは見事なほど大きな木が、森のようにたくさん植わっていた。訪れた時は11月のはじめであった。ぼくの感じでは、欧州の秋は日本のように四季の一つとしてあるのではなく、夏と冬をつなぐ通り道のように駆け足でやって来るようであった。プラタナスも黄色く色づいていたが、日本のように全体が黄色くなるのではなく、一本の木の半分くらいの葉は緑を残している。緑と黄色の混じった葉のコントラストがとても新鮮で印象的であった。
キエフで耳にした、鈴懸けの木という言葉でぼくはこんなことを思い出していた。欧州のどの都市も緑が多く、よく手入れされていて、市民一人一人が自然に親しんでいた。日本のほうが木を植えることに少し鈍感なような気がする。
ところでキエフのシンボル、チェスナットツリーについては、名前だけは覚えたが、他の町では見かけたこともなくどんな花を咲かせるのか、どんな風に紅葉するのか、日本にもあるのかなど何もわかっていない。





メネラウスモルフォ(2008.1.13)

アマゾン川流域の熱帯雨林を主な生息地とする蝶にモルフォ蝶がいる。この蝶について奥本大三郎氏は次のように解説している。
「モルフォ蝶は80種が知られている。 金属的な光沢を放つ翅を持つものが多いが、その色は色素によるものではなく、構造色と 呼ばれる。鱗片の複雑な構造が、光を反射させて鮮やかな色を見せているのである。多くの昆虫愛好家を魅了し続けてきたモルフォ蝶であるが、かつては採集するのが難しかった。しかし、このメネラウスモルフォのように、青いモルフォの場合は、同種の蝶か青い物を囮に使って採集する方法が、フランスの大標本商ル・ムールトによって発見される。

私がこのモルフォ蝶の事を知ったのは、帝人と日産自動車が組んで、自動車の内装材に繊維でこのモルフォ蝶の色を再現しようと研究している、と言う数年前の新聞記事によってである。発色の原理は日立の電子顕微鏡による断面写真で判るように、燐片の微細構造による光の干渉である。
日産では新シルビアにこの生地を使ったシートを採用したと報道している。
「モルフォトーンクロスシートの採用;フロントシートのメイン部に、世界で初めてモルフォ蝶の鱗粉の発色原理を応用したモルフォテックスをシートクロスに織り込んだモルフォトーンクロスを採用した。その発色原理は、繊維が光の干渉により発色するもので、濁りのない澄んだ色が得られる。また、見る方向によって光の干渉度が変わり色調が変化する。」

光の干渉により発色させる手法は、自動車の塗装に多く採用されている。マイカ(雲母)片に酸化チタンを薄くコーティングして真珠の輝きを再現させる(パールカラー)とか、紫外線を吸収する性質のあるマイクロチタンを用いたオパールカラーなどがある。しかしいずれもカラー顔料との併用であり、干渉材料単独で発色させた塗料は実用化されていないと思う。もしこういった塗料が実現すれば、本当にモルフォ蝶のような鮮やかなカラーが実現するであろう。





納屋橋饅頭(2008.1.14)

以下は熊本にお住まいの、後藤幹生さんと言う方がインターネット上のホームページに書かれた、納屋橋饅頭についての買い物日記である。

「これは、わたしが最近購入した物品とそのいきさつをみなさんにお示しする、「買い物日記」です。原田宗典氏の「こんなものを買った」の真似ですね。
火曜日、名古屋空港で熊本行きの便を待つわたしの目に、赤地に金色の漢字がびっしり書かれている包装紙が飛び込んできた。納屋橋まんじゅうは、かわは酒蒸しで餡はこしあんという、オーソドックスなまんじゅうであるが、その絶妙なバランスのゆえに、西日本3大饅頭(私案)の1つに数えられている。(あとの2つは、広島のもみじまんじゅうと鹿児島のかるかんまんじゅう)わたしは子どもの頃からこのまんじゅうが大好きで、当時は新幹線の駅とかでは売っていなかったため、祖母に納屋橋まんじゅう本店で買ってもらってきていた。納屋橋とは、名古屋市内の中央を流れる堀川にかかる橋である。おそらくその橋のたもとに本店があるに違いないと思うが。このまんじゅうは、作られてから3日以内に食さないとかわが固くなってくる。しかし、電子レンジでチンしたり、ストーブの上に載せて焼くと、また違った風味が楽しめる。伊勢の赤福もちのように全国区にはなっていないが、名古屋に立ち寄った際は買い求めて悔いのない一品である。」

僕は共立女子大教授の鹿島茂が書いた「衝動買い日記」を読んで、大いに楽しめたので、原田宗典の書いた「こんなものを買った」をブックオフで見つけたときには、すぐ買った。作者に興味を持ったのでそれをキーワードに検索したら、納屋橋饅頭に行きついた。
「こんなものを買った」に登場する商品を紹介すると、憧れのマスクメロン(1万円もするこんな高価なものを自分ためにはなかなか買えない)、増殖する消しゴム(つい買ってしまいいつの間にか増えている)、頑張れターンテーブル(LPレコードの生産は止まっており、ターンテーブルも手に入りにくくなる)、例年通りの能率手帳(毎年のスケジュール帳は決まっている)、当たり障りのない八ツ橋(京都の定番みやげ)など70点以上の買い物が紹介されている。

好きな物の買い物はストレスの発散にも良いと思いませんか。
それと衝動買いもいいですね。(後悔もあります)
それにしても、音楽とオーディオから随分と離れてしまった。早く戻らなくては!




マイルス・デイヴィスの音楽(2008.1.15)

ジャズ界の巨人だったマイルスの音楽について語ると言うことは、モダンジャズの歴史を語ることであり、私のとても出来ることではない。私が聞いている狭い範囲ではあるが、マイルスの時代・時代で変貌していった音楽を代表するアルバムと好きな1曲を紹介する。

Birth Of Cool 1950 Capitol
チャーリー・パーカーの洗礼を受けたマイルスがギル・エヴァンスと出会い、新しいサウンドの可能性を追求したのがこのアルバムであり、歴史的価値があるといわれている。

Miles Davis Vol.1 1954 Blue Note
1. Dear Old Stockholm
1952年当時のマイルスは、ドラッグに手を出し身も心もボロボロであった。そんなマイルスには、仕事もほとんどなかった。この不遇の時代のマイルスに声をかけたのが、ブルーノートのオーナーであるアルフレッド・ライオン。彼は年1回の録音をマイルスに申し出て52年、53年、54年と録音したのが、Miles Davis Vol1および2であり、栄光のブルーノートの1501番と1502番である。
この時のアルフレッド・ライオンの恩義に報いるために、55年にコロンビアと契約して専属となったマイルスが、キャノンボール・アダレイの名義で58年にブルーノートに録音するのがSomethin' Elseである。
スタン・ゲッツがスエーデンの演奏旅行で発掘したのが、Dear Old Stockholmという曲。52年のマイルス絶不調の時の録音であるが、マイルスのバラードプレイはとても知的でリリカルで、ゲッツと共にこの曲の決定的名演の一つである。ソロをとるのはマイルスのほかにJ.J.ジョンソンとジャッキー・マクリーン。

・Miles Davis & The Modern Jazz Giants 1956 Prestige
2. The Man I Love ; take 1
1955年の第2回ニューポート・ジャズ・フェステバルでのセロニアス・モンクのラウンド・アバウト・ミッドナイトの演奏が大変注目され、コロンビア・レコードとの契約が成立。ドラックからも抜け出して、立ち直ったマイルスは、レギュラークインテットを結成する。テナーにジョン・コルトレーン、ピアノにレッド・ガーランド、ドラマーにフィリー・ジョー・ジョーンズ、ベースにポール・チェンバースというメンバーである。

・Round About Midnight 1956 Colombia
3. Round About Midnight
コロンビアに移籍したマイルスがレギュラークインテットで初レコーディングしたのがこのアルバムである。溌剌としたハードバップのジャズがここにはある。


・Cookin' 1956 Prestige
4. My Funny Valentine
プレスティッジへ残した最後の録音であり、いわゆるマラソンセッション4部作の最後を飾るアルバムである。マイルスのリリカルなトランペットが素晴らしい。

・Milestones 1958 Columbia
5. Milestones
モード奏法を導入した初のアルバム。

・Somethin' Else 1958 Blue Note
ブルーノートに入れたキャノンボール・アダレイ名義のマイルスのリーダー作。

・Kind Of Blue 1959 Columbia
6. Blue In Green
ビル・エヴァンスの参加するモード奏法の傑作。

・Sketches Of Spain 1960 Columbia
7. Saeta
マイルスがスパニッシュモードを取り入れて、スペインをうまく表現している。

・Someday My Prince Will Come 1961 Columbia
8. Someday My Prince Will Come
ぼくが個人的にもっとも良く聞くアルバムである。録音も素晴らしい。

・Miles In Berlin 1964 Columbia
9. So What
ウエイン・ショーターの初参加アルバムであるが、トニーのドラミングに注目する1枚。

・At The Plugged Nickel
10. If I Were Bell
喧嘩セッションと呼ばれているアルバム。マイルスが病気のあいだにフフリージャズに影響された他のメンバーとマイルスとの対比が聞き物。

・Bitches Brew 1969 Columbia
11. Spanish Key
8ビートのエレキベースに乗ったファンク・ミュージックが心地よいといえば心地よいが、これをジャズの進化したものというのかどうか。

以上マイルス・デイヴィスの1969年までの代表的アルバム12枚と11曲の息切れしながらの紹介でした。この年代以降のマイルスのアルバムについては断片的にしか聞いていないので、残念ながらうまく紹介できません。








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