ジャズ・オーディオの雑記帳
by 6041のS

こんな本を買ってきた(2008.1.16)

久しぶりに刈谷にあるブックオフに行って、100円と500円で数冊の古本を買った。(半額の単行本が500円均一という売出しをしていた)
「ファインマンさんベストエッセイ」 岩波書店
「エレガントな宇宙」ブライアン・グリーン 草思社
「宇宙論のすべて」池内了 新書館

この手の本にはつい手が出てしまう。同じ物理学でも、実験により自然からその法則を教えてもらうといったスタイルのファインマンと、超ひも理論を研究し、物理学における4つの力(重力、電磁力、強い力、弱い力)を統一的に理論付けできる可能性を追求している哲学者のようなグリーンのスタイルは誠に対照的である。池内先生の本は解説書的である。
「浮世絵春画を読む 上、下」 中央公論新社
「東洋の美術」原田実 ビジネス教育出版社
「アメリカ現代美術の25人」木島俊介 集英社

音楽を聴いてその感動を言葉で表わし相手に伝える、それと同じように美術についても、その感動を言葉に表わしたいという願望を持っている。そのためにこういう本に出会うと手が出るのである。
「ありきたりの狂気の物語」チャールス・ブコウスキー 新潮社
ブコウスキーを知ったのは、亡くなった安原顕さんが彼の作品を評価していたのを聞いて、「町でいちばんの美女」という本を読んだ時からである。その後彼の詩集「モノマネ鳥よ、おれの幸運を願え」を読み、彼のアバンギャルドなスタイルに関心を持っている。
「カラスの早起き、スズメの寝坊」柴田敏隆 新潮選書
文化鳥類学の視点から書かれた、さまざまな鳥たちの生態をまとめたエッセイ。こういう本は、自分の知らないことが書かれていると手当たりしだい買ってしまうが、いつも雑学知識を得た程度で終わってしまうので、なかなか身につくことはない。

以上のような本を買いました。それにしても最近のブックオフは少し商売のやり方が変わったような気がします。お客をつなぎとめるために、従来は本を買えば5%、売れば10%のポイント還元があったのが、ポイントの還元%を減らし、残った資金でセールスキャンペーンを実施し、スピードくじなどを導入して盛り上げようとしているようだ。今回は私も3000円の買い物でポイントとは別に400円分のお買い物券が当たった。
常に改善し続けるということは大切なことであるが、そのねらいが「売り手良し、買い手良し、世間良し」というか、現代風に言えば「世のため、人のため、自分たちのため」に、バランスをとって改善しているというふうに理解してもらえるかが大変大切である。





スパコンでブラックホールの内部構造を解明へ(2008.1.17)

1月17日14時54分配信japan.internet.com

高エネルギー加速器研究機構(KEK)と理化学研究所を中心とする研究チームは16日、素粒子の究極理論とされる超弦理論に基づき、ブラックホール内部の状態をスーパーコンピュータによってシミュレーションすることに、世界で初めて成功したことを明らかにした。この計算には、主に KEK のスパコン「日立 SR11000モデル K1」が用いられたという。
ブラックホールは、質量が極度に集中している天体で、重力があまりにも強いために周囲の時間と空間が歪み、光やすべての物質はブラックホールの内部に閉じ込められてしまう。
これに対して、1974年、英国の物理学者である Stephen Hawking 博士は、ブラックホールが光などを放出しながら少しずつ小さくなるという、いわゆるホーキング輻射の存在を理論的に示し、ブラックホールには温度という概念が定義され、ブラックホールが持つエネルギーとの関係が導き出された。
しかし、この温度とエネルギーとの関係をブラックホールの内部構造から説明する試みはこれまで成功していなかった。また、ブラックホールの中心付近では、時空の歪みの大きさがアインシュタインの一般相対性理論の適用限界を超えてしまうため、その内部構造の解明は困難であった。
今回、KEK の西村淳准教授が率いる研究チームは、素粒子の究極理論とされる超弦理論の計算機シミュレーションに成功した。
素粒子の究極理論とされる「超弦理論」においては、すべての素粒子を極めて小さな「弦」の様々な振動のしかたとして表すが、その中には重力を媒介する粒子も含まれ、一般相対性理論を素粒子のスケールまで自然に拡張することができる。
超弦理論の予測するブラックホールの内部構造 を表す概念図(弦の凝縮状態) (KEK提供)
このことから超弦理論を用いればブラックホールの内部構造を解明できると期待されていたが、弦の間に働く相互作用が強いため具体的な計算は難しく、超弦理論の予測を実証できるかどうかについて世界の理論物理学者の注目が集まっていた。
今回の研究成果により、Hawking 博士によって理論的に示されているブラックホールの性質が、超弦理論によって説明可能であることが実証されたことになる。
なお、この研究成果は、米国の科学誌
「Physical Review Letters」オンライン版に1月15日に掲載されている。

上記の記事は、japan.internet.comが配信したものを掲載したものであるが、究極の微小粒子は点ではなく、振動する「ひも」であるという理論は、それを実証することが困難であり、正しいかどうか検証が困難であるといわれていたのが、このような形で日本人により、その有効性が実証されたのは素晴らしいことのように思う。





ヴェルレーヌと遇う(2008.1.18)

よく行く古本屋でとてもうれしい本を入手した。今は亡くなられてしまったが、関西大学でフランス語とかフランス文学を研究しておられた、山村嘉己教授が出版された「土星びとの歌、ヴェルレーヌ評伝」という本である。この本の中で先生はヴェルレーヌの詩集の年代順に、自ら訳詩されて解説しながら、その詩集の成立の背景とか位置づけといったものをヴェルレーヌの生涯と重ね合わせて研究されている。

詩人が詩を創作するという情熱、自分を表現したいという強い衝動は何処から来るのでしょう。美しい自然、神との対話、社会とのかかわり方(価値観)など、人によってさまざまでしょう。以前ぼくも集中的に詩を作ったことがありました。その時は恋をしてみたいと思いました。人を好きになるということは相手を考えるととても複雑な気持ちになります。その強い衝動をしっかりと見つめ、自分の存在を確かめたかったのです。ぼくを含めてアマチュアの人はそこで終わってしまうので、人を突き動かすような、深い表現はなかなか出来ません。

ヴェルレーヌの詩集の位置づけについて、ぼくなりの理解で整理してみると
「土星びとの歌」第1詩集1866年(22歳)
"土星びと"というのは降神術師の占いでいう"呪われた人"という意味であり、最初の詩の成立時からヴェルレーヌは心の弱さ、不安が付きまとっていた。人生を諦観したような「秋の歌」はすでにここで歌われている。
「艶なる宴」第2詩集1869年(25歳)
当時流行の18世紀ロココ的世界を歌いながら、その詩には漠然とした悲哀感が漂っている。
「優しい歌」第3詩集1872年(28歳)
最愛の女性、マチルドとの出会いを優しく歌っている。読んでもっとも入りやすい詩集だ。
「言葉なき恋歌」第4詩集1874年(30歳)
ランボーとの出会いと葛藤、家庭の崩壊等の波乱の中で作られた。ぼくの好きな「巷に雨がふるように」の詩もここに載っている。
「叡智」第5詩集1881年(37歳)
ランボーを傷つけたことによる投獄の中で、絶望と後悔からカトリックに改宗し、このときの敬虔な気持ちから作られた。ヴェルレーヌでもっとも評価されている詩集であるが、理解するのは難解である。
山村先生は、この本の最後に「思えば有名な絶唱「秋の歌」はそのままかれの生涯ではなかったのか」と結んでおられる。
フランスの詩でぼくがよく手にするのは、ボードレール、ヴェルレーヌ、ランボーである。フランス象徴詩を代表する詩人は、マラルメ、ヴェルレーヌ、ランボーの3人といわれているが、その思想的影響の大きさではマラルメ、ランボーに較べてヴェルレーヌは小さいといわれている。しかしぼくにとっては一番親しみやすい。ぼくが詩を強く意識したのは、高校3年の時に手にした「伊藤整編、世界近代詩十人集」河出書房新社を読んでからである。





スコット・ラファロ(2008.1.19)

ジャズのベーシストを話題にする時に、スコット・ラファロの名前は避けて通れないだろう。彼は1936年にニューアークで生まれ、1953年に17歳でR&Bのバンドでプロデビューし、1955年に19歳でジャズのベーシストとなり、カリフォルニアでチェット・ベイカー、バーニー・ケッセル、カル・ジェイダーなどと仕事をした。1959年に23歳でニューヨークに出てベニー・グットマンと仕事をした後にビル・エヴァンスのピアノトリオのレギュラー・メンバーとなり1961年まで活動し、この年に交通事故で25歳の若さで亡くなった。この間ビクター・フェルドマン、ハンプトン・ホーズ、オーネット・コールマン、スタン・ゲッツとも競演しレコーディングをした。米国のJazz THE ROUGH GUIDEという本のScott LaFaroの項の一部を紹介しました。
以上のようにスコット・ラファロが本格的に活動したのは1959年から1961年までのわずか3年間であり、AMGのJazzガイドブックを中心に彼の残したアルバムを調べてみると以下のようになる。
Portrait In Jazz 1959 OJC (Bill Evans)
Explorations 1961 OJC (Bill Evans)
Spring Leaves 1961 Milestone (Bill Evans)
Sunday At The Village Vanguard 1961 OJC (Bill Evans)
Waltz For Debbie 1961 OJC (Bill Evans)
The Legendary Bill Evans Trio 1960 Cool・BLJE(Bill Evans)
Twins 1960 Atlantic (Ornette Coleman)
Free Jazz 1960 Atlantic (Ornette Coleman)
Beauty Is A Rare Thing 1961 Rhino (Ornette Coleman)
Art Of The Improvisers 1961 Atlantic (Ornette Coleman)
Jazzlore 1961 Atlantic (Ornette Coleman)
The Arrival Of Victor Feldman 1958 OJC (Victor Feldman)
Latinsville 1959 Contemporary (Victor Feldman)
Stan Getz With Cal Tjader 1958 OJC (Stan Getz)
Stan Getz 1958 Prestige (Stan Getz)
Stan The Man 1961 Verve
For Real 1958 OJC (Hampton Hawes)
Bird Song 1958 Fantasy (Hampton Hawes)
Live Date! 1958 Verve (Buddy DeFranko)
Jazz Abstraction 1960 Atlantic (John Lewis)
Booker Little 1960 Bainbridge (Booker Little)
Sung Heroes 1959 Sunnyside (Tony Scott)
WEST COAST DAYS 1960 FRESH SOUND (JOE GORDON)
Memories for Scotty 1961 insights(Don Friedman)
GYPSY 1959 ATCO (Herb Geller)
JAZZ AT THE CELLAR 1958 LONE HILL JAZZ (Harold Land)
The Best Of Scott LaFaro 1961 Phoenix

この中で彼が最も高く評価されているのが、何といってもビル・エヴァンス・トリオに残した仕事である。ここでは従来のピアノトリオにおけるベーシストの役割とはまったく異なった、ピアノと同等のソロイストとして演奏しており、その後のピアノトリオに決定的な影響を与えている。その代表作がワルツ・フォー・デビーであろう。しかしぼくが好きなのはこれだけでなく、例えばハンプトン・ホーズと競演したフォー・リアルというアルバムを聞くと、彼は堂々としたウォーキング・ベースを弾いており、その音色は太くて深い、まるでレッド・ミッチェルのベースのようである。(音色が少し異なるが)エヴァンスのトリオを離れるとこういったベース奏法になっている。このようなスコット・ラファロもぼくは好きである。

Scott LaFaroのDiscographyについては、今回のものは完全版にはなっていない。ぼくが興味を持って集めたいものが中心となっている。初期のR&BのBuddy Morrowのものとか、Pat Moranとのもの、Big Bandでの録音、それからStan Getzとの録音も欠けているものがあるように思っている。Discographyを作るのが目的ではないので、当分はこのままであるが、これらのものも聞きたくなったらいつか整理しようと思っている。





チャック・イスラエル(2008.1.20)

寺島靖国さんが書かれた「JAZZリクエスト・ノート」という本の冒頭に、ビル・エヴァンス・トリオの「ムーン・ビームス」 1962年Riversideというアルバムを取り上げて、エヴァンスの中で最も好きなアルバムだと言っておられる。実はこのバラードばかりを集めたアルバムは、1961年にスコット・ラファロが交通事故死した後、しばらく活動を再開できなかったエヴァンスが、ベーシストにチャック・イスラエルを迎えて最初に録音したアルバムなのである。同時にHow My Heart Singsというアルバムも録音している。
チャック・イスラエルはこのアルバムを録音するわずか3日前に、ドン・フリードマンと有名な「サークル・ワルツ」を録音している。そうエヴァンスはフリードマンからイスラエルを引き抜いたのである。実はスコット・ラファロもニューヨークに出てきてフリードマンの世話になっていたのを、エヴァンスが引き抜いたのである。エヴァンスと同じようなスタイルで演奏するフリードマンは優秀なベーシストを二人もエヴァンスに引き抜かれたという因縁めいた話があるのだ。
チャック・イスラエルは1936年ニューヨークに生まれ、米国とパリで音楽の勉強をし、18歳でジャズに興味を持ち、セシル・テイラー、エリック・ドルフィー、ジョージ・ラッセル、などと活動し、1961年から66年までビル・エヴァンス・トリオのレギュラー・メンバーとなる。彼のベースの特徴はその音色にあると思う。大変しっとりとした音色のベースで、濡れた音色といった人もいる。前乗りのエヴァンスに対して後乗りのイスラエルのベースの対比も興味のある所である。以下に彼の録音したアルバムの代表的なところを挙げておく。
Rosemary Clooney Sings Ballades 1985 Concord
Coltrane Time 1958 Blue Note (John Coltrane)
Vintage Dolphy 1963 Enja (Eric Dolphy)
An Evening With Herb Ellis 1995 Jazz Focus (Herb Ellis)
Moon Beams 1962 OJC (Bill Evans)
How My Heart Sings 1962 OJC (Bill Evans)
Bill Evans Trio at Shelly's Manne-Hole 1963 OJC (Bill Evans)
WALTZ FOR DEBBY : MONICA with EVANS 1964 PHILIPS
Trio '65 1965 Verve (Bill Evans)
Bill Evans Trio With Symphony Orchestra 1965 Verve (Bill Evans)
At Town Hall 1966 Verve (Bill Evans)
A Day In The City 1961 OJC (Don Friedman)
Circle Waltz 1962 OJC (Don Friedman)
My Point Of View 1963 Blue Note (Herbie Hancock)
Here And Now 1965 OJC (Hampton Hawes)
Stratusphunk 1960 OJC (George Russell)
上に挙げたアルバムの中でぼくが良く聞くのは、先に取り上げた2枚のアルバム以外に、WALTZ FOR DEBBY:MONIKAZETTERLUND/BILL EVANSがある。モニカがスエーデン語で歌う曲が特に好きであるが、ここでの濡れたベースも素晴らしい。
ベーシストを2人ならべて取り上げた理由はわかってもらえたかと!?





BILL EVANS-STAN GETZ / BUT BEAUTIFUL (2008.1.21)

スタン・ゲッツとビル・エヴァンスが共演したのは、1964年のニューヨークでの「STAN GETZ & BILL EVANS」と1974年の欧州での「BILL EVANS-STAN GETZ / BUT BEAUTIFUL」というライブ録音のアルバムの2回であると思う。1964年のアルバムはジャムセッション風に聞こえるが、1974年のアルバムはライブで盛り上がっており、なかなか素晴らしいと思う。
「BUT BEAUTIFUL」というアルバムは、1〜2曲と9〜10曲が1974年の8月9日のオランダでのライブ録音で、真ん中の3〜8曲が1週間後の8月の16日のベルギーでのライブ録音で構成されている。この構成に何か意味があるのか、そうなのである。
まずオランダのライブであるが、スタン・ゲッツがすべての演奏に参加しているのではなく、一部はビル・エヴァンスのピアノ・トリオのみの演奏となっている。ビル・エヴァンスのトリオにスタン・ゲッツがゲスト出演したのである。したがってゲッツが物足りないと思ったのか、1曲目のGrandfather's Waltzの演奏の後で、2曲目にたぶん予定にないStan's Bluesを演奏しだし、エヴァンスとゴメスが音を探るように演奏を始めるが、エヴァンスが途中でピアノ演奏を中止している。ヘレン・キーンのライナーノーツによれば、エヴァンス激憤ということになったようだ。
3曲目から8曲目までは、1週間後のベルギーでのライブであり、オランダでのぎすぎすした演奏と異なり、ゲッツとエヴァンスがぴったりと息の合った素晴らしい演奏をしており、とてもお勧めである。中でもぼくが驚いたのが7曲目のThe Peacocksである。エヴァンスとのしっとりとしたデュオの演奏であるが、ここでのゲッツのアドリブのスケールの大きいことに驚かされる。そして演奏が終了した後にゲッツがHappy Birthday Bill!と一言いうのである。そうこの日はビル・エヴァンスの誕生日なのである。そして8曲目のYou And The Night And The Musicの冒頭でゲッツがソロでHappy Birthday to You をテナーのアドリブで1分半くらいバースのような形で演奏し、それから曲に入るという演出をしているのである。
こうして盛り上がった後で、9,10とオランダでのトリオの演奏でアルバムを締めくくるという、ドラマのような構成になっているのである。

・STAN GETZ & BILL EVANS   Recorded;NYC,May.5,6.1964
Stan Getz (ts) Bill Evans (p) Ron Carter & Richard Davis (b) Elvin Jones (ds)

・BILL EVANS-STAN GETZ / BUT BEAUTIFUL
Bill Evans (p) Stan Getz (ts) Eddie Gomez (b) Marty Morell (ds)
Recorded;1,2,9,10・・・"Singer Concertzaal", Laren, Holland, August 9, 1974
3-8・・・'Middelheim Jazz Festival', Antwerp, Belgium, August 16, 1974
1.Grandfather's Waltz 2.Stan's Blues 3.But Beautiful 4.Emily 5.Lover Man 6.Funkallero 7.The Peacocks 8.You And The Night And The Music 9.See Saw 10.The Two Lonely People





世界3大花粉症(2008.1.22)

花粉症が世界で初めて「病気」として発見されたのは、約180年前のイギリス。農夫が干し草を扱っているときに突然、くしゃみなどを発症した。鼻水や、眼の充血、ときには喘息のような症状を起こす人もいた。しかし当時は、花粉のアレルギーという考えはなく「枯れた草に触ったため」と思われ「枯草熱」と名づけられた。そして後の1873年、本当の原因がイネ科の牧草の花粉であると立証された。このイネ科花粉症は、世界の3大花粉症のひとつとして、現在も人々を悩ませている。
・イネ科花粉症(主としてヨーロッパ) 家畜の肥料として欠かせないイネ科の牧草カモガヤ(オーチャードグラス)が原因となっている。日本では4〜6月頃、北海道と東北地方で見られる。コレは、お米をとるために作っているイネではなく、牧草や芝草として、日本へ導入された外来種が原因。外来種は在来種に比べ、花粉飛散が多い。空き地や、道端で繁殖し広がった。
・ブタクサ花粉症(主としてアメリカ) 1900年頃から注目されている。アメリカでは5〜15%の人が、かかっていると言われる。日本では9〜10月頃おこる。ブタクサは「マッカーサーの置き土産」と呼ばれ、帰化植物として日本に入ってきた当初、多くの人が悩まされた。しかし土地開発による空き地の激減などで、花粉飛散数の増加もほとんどなくなり、発症率も低くなった。 ブタクサ花粉症の人は、バナナやキウイなどを食べると、口のまわりや、のどがかゆくなったり、目が腫れるなどの食物アレルギーも多い。
・スギ花粉症(日本のみ) 我が国固有の植物・スギの花粉を原因とする、つまり日本にしかないスギ花粉症も、なんと世界三大花粉症にランク・イン!1〜4月にかけて猛威をふるう。花粉症の約8割の原因が「スギ」。日本の花粉症と言えば、スギといってもよいくらいなのだ。

「花粉症発症のメカニズム」提供:日本医科大学耳鼻咽喉科助教授大久保公裕氏より
・複合体の形成 人体にとって異物である物質(たとえば花粉抗原)が体内にはいると、まず異物を認識するマクロファージという細胞と出会います。このマクロファージが得た異物に対する情報がリンパ球の1種類であるT細胞に送られます。このマクロファージにはHLAという異物かどうかを決定する因子があり、たとえば花粉を異物と捉える因子がある場合にT細胞と花粉抗原と結びつき一つの複合体を形成します。また、外からの影響によりこの複合体が作られやすくなる場合があると考えられています。
・アレルギー反応と花粉症 複合体が形成されるとT細胞が花粉抗原の情報を同じリンパ球のB細胞へ送り、花粉抗原と反応するIgE抗体がB細胞(形質細胞)によって体の中で作られます。しかし、この一連の流れで作られたIgE抗体と抗原が反応することにより、身体にとって有害な状態が生じます。これがアレルギー反応です。

こんなことを書くのもみんな花粉症のせいである。





伝記作家小島直記(2008.1.23)

ブックオフに寄った。「沈黙」遠藤周作、「知的創造のヒント」外山慈比古、「読書の方法」外山慈比古、「男と女 変わる力学」鹿嶋敬、「人間における勝負の研究」米長邦雄、以上の5冊を500円で買った。それと「老いに挫けぬ男たち」小島直記、を半額の650円で買った。お金を支払うときに、カウンターでアルバイトの店員が、小島直記の本を見てこれは100円ではないですよと、親切に念を押してくれた。
僕が100円にはならなくとも、小島直記の本を手にとるのは、彼の書いたものがとても面白いと思っているからである。今までに「人間的強さの研究」「スキな人キライな奴」「逆境を愛する男たち」「回り道を選んだ男たち」「出世を急がぬ男たち」などの著作を読んだ。
これらを通して僕が彼に共感を覚えることを整理すると、一つは、人間研究に対する情熱である。それも著者の人間観、人生観に裏付けられた。「世に英雄伝なるものはあふれており、また英雄の出現を待望する声もある。しかし、凡百の英雄伝は、ともすれば、覇業、成功談、位階勲等の、世界に力点がある。英雄的行為の中身は、立身出世主義と肩書きの尊重だ。無名の市井人は、伝記に書かれることもなく、ましてや英雄伝とは無縁の存在とされている。これは私の伝記、英雄伝に対する根本的不信感、不満足感の原因となっていた。」彼のこの言葉が、その態度を表している。二つには、対象に取り上げている人間の多様さである。古今東西を問わず実に多様な人を取り上げている。
その中に佐貫亦男という人の名前が出て来る。小島直記はこの人の書いた「佐貫亦男のチロル日記」「佐貫亦男のアルプ日記」を座右の書としているが、それはこの人間的暖かさに共感したからだと言っている。「この人間的温かみが、土地の人、すれ違いの人、風景、家、道路、乗り物、道具など、すべてのものに周到な目を向けさせる。それが「ドイツ道具の旅」「ドイツの街 道具と心」などのユニークな名著を生んでいるのである。」僕も偶然、佐貫亦男の書いた「ドイツ道具の旅」「ドイツMade In Germanyの旅」という二冊の本をタイトルのみの興味で、ブクオフで買い、そのユニークな視点に感心して読んだのを覚えている。本物のプロの技術者の目でドイツを良く観察している。素晴らしい。
写真は今までに集めた小島直記の単行本。





佐貫亦男の本(2008.1.24)

ブックオフに行って100円の本を捜す時に、旅のエッセイも好きな分野である。それも単なる観光案内ではなく、著者が何らかの目的を持った視点で書かれたものが良い。
「白夜の国に光の夢」石井幹子 照明デザイナーの著者が光の原点であるフィンランドに憧れて旅したもの。
「ヨーロッパ詩とメルヒェンの旅」高橋健二 ドイツ文学者がハイネ、ゲーテ、リルケ、ヘッセの世界を訪ね歩いた文学散歩。
「パリ街角のデザイン」稲葉宏爾 デザイナーがカメラを手にパリの街角を観察して人と物の暮らし方をレポート。

そんなときに出会ったのが、佐貫亦男の「ドイツ道具の旅」「ドイツMade In Germany の旅」の二冊である。
明らかに技術者の視点でなければ書けないような、ドイツのエクステリア、インテリア、そこで使われている道具、特にカメラそしてドイツ人気質について考察している。そして丹念に言いたいことをカメラに収めているのである。「ドイツ人が、与えられた目的に忠実に打ち込む例として、ドイツ国鉄車両の座席前にある小卓を示そう。窓下の壁面にたたんで取り付けた小卓の手かけを引くと、その両側面の溝に沿って、壁から出てくる腕金の先端のローラーが滑り、最後にはパチリと音がして小卓は水平に固定される。その確実な固定方法は、私が両腕で押したくらいではビクともしない。おそらく人間が腰掛けたぐらいでは壊れないだろう。ところが、この小卓の目的はコーヒーカップなどを載せるためである。ここに私がいうドイツ人の愚直さがある」といった書きっぷりである。

佐貫亦男は1908年生まれで、東大を卒業後日本楽器製造(プロペラ設計)で職に就き、ドイツでの研修を経験した技術者である。彼の書いた本は、飛行機に関するもの、カメラを中心としたドイツの道具の本、ドイツを中心とした旅の本、それから恐竜に関するものがある。
写真に示した本は僕が単行本と文庫本で最近集めたものである。彼は「佐貫亦男の旅の回想」という本のあとがきで、「私が旅をすませると、つぎの三種類の記録が残る。日記帳、カラープリント、スクラップブック」といっている。彼の書いた本には、こういう資料が駆使されて、豊富な資料・写真が載っており、眺めるだけでも楽しい。




「哲学を始める年齢」小島直記(2008.1.25)

作家の小島直記は70歳で直腸癌の手術を受け、その後のコバルト照射の治療で大変な苦しみを経験し、「生と死」という問題に直面した時に、自分が今まで生きてきた中で学んだ「哲学」が何の役にも立たないことに思いいたった。病室で「臨済録」を読んでいるうちに、色々な人たちの顔が浮かんできて、こういう人たちの行為によって自分は生かされている、生きているのは生かされているからだ、この感動を体験した後に彼は病気の苦痛を克服した。このように人が生きていくために、自分の心のよりどころとなるものを、彼は「哲学」といい、自分は70歳になってようやく哲学を始めたといっている。
このような体験が「哲学を始める年齢」という本を書く動機となった。この本では彼が関心を持った、内外の著名人13人を取り上げている。取り上げられた人物は、例によって小島流のフィルターにかけられており、たんに出世とか金儲けといった、自分のためといった生き方をした人ははずされ、もしくは批判の対象とされ、世のため人のためといった生き方をした人が取り上げられている。
哲人・伊庭貞剛  住友総理事
悪評・大蔵喜八郎  大蔵商会創立
敬天・森村市左衛門  森村組創立
一燈・高橋是清  大蔵大臣、総理大臣
正義・深井英五  日銀総裁
放浪者・ルソー  哲学者
兆民・中江篤介  思想家
ヘーゲリアン・吉野作造  政論家、法学博士
創意工夫・鮎川義介  日産コンツェルン創始者
コント派・清水幾太郎  社会学者、ジャーナリスト、思想家
縁・石橋湛山  総理大臣
挫折・松永安左エ門  電力の鬼
学会無縁・森 信三  哲学者

これらの人々の生涯と業績を紹介しながら、その生き方を支えている「哲学」は何か、それは何歳から、どんなきっかけで学んだのか、といった観点で書かれている。
本の最後に森信三の残した言葉でビジネスマンのために語られた含蓄ある言葉を紹介している。数例を挙げると。
・人間は進歩か退歩のいずれかであって、その中間はない。現状維持というのは、実は退歩している証拠である。
・上位者にタテつくことをもって快とする程度の人間は、とうてい「大器」にはなれない。そりゃ、まだ、見る世界が狭いってこと。
・「朝の挨拶は人より先に」これを一生続けることは、人としての最低の義務というべし。
・人は退職後の生き方こそ、その人の真価だといってよい。退職後は、在職中の三倍ないし五倍の緊張を持って、晩年の人生と取り組まねばならぬ。








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