ジャズ・オーディオの雑記帳
by 6041のS

書きながら心のリフレッシュをしよう(2008.10.1)


 9月の雑記帳の最後に次のように書きました。
 この雑記帳を読んでくださる方がどのくらいいるかは分かりませんが、ぼくは正直言ってあまりそんなことは意識せずに、自分の楽しみのために書いてきました。しかし1年経って振り返ってみると、少しマンネリ化しているのではないかという気もしています。
このまま続けるべきか、引き際を考えるべきか、考えを巡らせようと思っています。いずれにしてもここで一息入れようと思っています。皆さん1年間お付き合い有難うございました。

 しかし、冷静に考えてみると、この雑記帳を読んでくださる身近な方より色々と直接声をかけてもらいました。
・ぼくもあの本を買って読んでみますよ!
・私も負けないように何かしなくちゃ!
・若々しい詩ですね!
・一度に読まずに一つ一つ読んでいます!
・是非音を聞かせてください!
などなどです。
 雑記帳を書いているときは、読者を意識せずに勝手に書いているのは本当ですが、次に何かを書こうとするときには、こういう声が結構励ましになっています。
 1年経って少しマンネリになっているのではないかと思っているのも本当ですが、休暇を取ったら何か良い知恵が出てくるかというと、これも口実のような気がします。休暇をとらなければ何も考えられない程に、余裕がないということは無いのです。要は真剣に考えていないだけです。

 と、いう訳で、一息入れるのを止めました。書きながら心のリフレッシュをしようと思います。ますます、ジャズとオーディオから離れる部分の多くなる雑記帳になるかも知れませんが、大橋店主にお願いしてもうしばらく書き続けることにします。

君があんまりかわいいので

とうとう雨が降り出してきた。
ぼくが思うには、君があんまりかわいいので
雨が降り出したのだろう。
傘の用意が無い人達が、小走りに道を急いでいるが
ぼくはこの雨に濡れて行こう。
そう、君を思い出しながら
ゆっくりと、時間が過ぎてゆくのが良い。
                 (生野 恭)






LP再生用カートリッジ(2008.10.1)


 ぼくがLPレコードを聞きだして、オーディオを意識して、最初にカートリッジ単独で購入したのがTechnicsの205C-USというMM型のカートリッジである。当時近くに、親しくしていた松下電器の販売店があり、コンポとして最初に買ったスピーカーもテクニクスのSB-6000である。このスピーカーはクラシックを聞くには申し分なかったが、ジャズではぼくには上品に聞こえた。そこでONKYOのM6を追加して買って使い分けていた。
 このカートリッジは、当時のテクニクスの技術を結集しただけのことはあって、音域も広く、バランスの取れた、今聞いても見劣りのしない素晴らしいものであると思うが、最初にこれだったので、しばらく聞くと、もっと良いものはないかと思ったものである。

 より繊細な再生が出来ないかと思い、MC型にあこがれて購入したのがortofonのMC20 MkUである。このカートリッジの音は、繊細で、しっとりとして、音場をうまく表現する。ジャズでは当時流行したチック・コリヤのエレクトリック・ピアノの繊細な音に感心した。しかしジャズを聴くには上品過ぎるような気がした。一番の思い出は、シャルル・ミュンシュとパリ管が演奏した幻想交響曲のLPをこのカートリッジで再生して、その素晴らしい響きに感激した。後からCDを買って再生したが、LPと比較して物足りなさを感じた記憶がある。

 もう少しジャズを聴くには元気なカートリッジが無いかと思い、選択したのがaudio-technicaのAT32それからAT33EというMC型のカートリッジである。当時ぼくはスピーカーにJBL4343Bを用いてジャズを主体に聴いていたが、親しくしていただいていたオーディオ店の方に、YAMAHAのC2Xの、ヤマハ・ビューティといわれていた高音と、ONKYOのパワーアンプ(型番は忘れた)の力強い低音を組み合わせたような音が欲しいと言って相談したら、そんなものは無いと言われたのを覚えている。アンプは結局アキュフェーズにした。
 このカートリッジは高音がきらきらとして、それなりに低音も出て、とにかく元気が良い音がする。当時ぼくが思っていた音に、値段の割りに近い気がして、長い間ジャズを聞くのに使っていた。
 その後ジャズを聴くにはこれだという評判に引かれて購入したのが、SHUREのV15 TypeWというMM型のカートリッジである。このカートリッジは噂に違わず帯域も広く、Technicsの205Cと比較すると、音のフォーカスがすっきりとしていて、オールマイティに使えるカートリッジであると思う。しかし針にばらつきがあるらしく、ぼくも2度交換している。

 その後は、しばらくカートリッジは購入していなかったが(ある時期はもっぱらCDを中心に音楽を聞いていた)、近年になってまたカートリッジに手を出し始めた。
 そして最初に購入したのがDENONのDL-103である。しかし、不幸なことに購入して6ヶ月くらい後に、EP盤をかけようとした時に、誤って針をターンテーブルのゴムマットの上に落とし、アッと言う間にカンチレバーを折ってしまった。そのままになっているので、このカートリッジの正確なイメージはつかんでいない。

 それから雑誌で評判になったBenz MicroのACE-MというMCカートリッジを購入した。このカートリッジの音はとても特徴的である。帯域も広く、特にピークといったものも無いが、ortofonのMC20とは対照的に、音像がぐんぐんと前にせり出すような鳴り方で、大変迫力がる。その分長く聞いていると少し疲れを感じる。体調の良い時とか、元気をもらうときに使うカートリッジである。
 またMMの良さを思い返して、次に購入したのがaudio-technicaのAT150MLXである。このカートリッジもなかなか良いが、総合的にはTechnicsの205Cに及ばないような気がするので、あまり使っていない。
 さらにSHUREのM44Gも購入した。これは帯域はそんなに広くないが、独特のざらざらとした肌合いがあり、ジャズの再生ではとてもよい雰囲気を出せるカートリッジである。限定的に使って、ジャズを時々楽しんでいる。

 最後に購入したのが、ortofonのSPU classic GE MKUである。このカートリッジは専用のシェルが付いており、とても重く使用するアームが限られてくる。しかしこの音にはとても満足しており、今ではぼくのリファレンスとなっている。

 これ以外にもTechnicsやaudio-technica、DENON、SHUREのカートリッジを何本か持っているが、あまり印象がないので省略する。気がついてみると色々なカートリッジを購入しているが、最終的に購入するに当たっては、オーディオ仲間やオーディオ店で音を確認したり、カートリッジを借用して自分で鳴らしてみて確認したり、どんな傾向の音で鳴らしているか分かっているオーディオ仲間の推薦を下に判断している。ただ評判だけで購入したのはBenz MicroのACE-Mだけである。これは身近で誰も使ったことのある人がいなかった。
 最近ではカートリッジも最新の技術を取り入れて、色々な物が発売されているが、高級なものは10万から数十万の値段が付いている。しかしぼくの周りではLPレコードを聞く人はめっきり減ってしまい、そういったカートリッジを身近で聞く機会がなくなってしまった。衝動買いするには高いので、興味を示さないことにしている。

 以上ぼくの使ってきた10種類のカートリッジについて紹介したが、DENONのDL-103を除いては、いずれもまだ現役である。ぼくの経験で言うと、それぞれのカートリッジの再生する音の特徴は、アンプを変えても変わらないが、それでもアンプが変わるとその特徴が強調されたり、抑えられたりする。だから今はちょっとと思うものでも、組み合わせを変えるとこれは良いということもあるので、手放せないでいるのである。







ブックオフで買ったジャズの本(2008.10.2)


 先日ジャズ喫茶グット・ベイトのマスターより、ブックオフに新しいジャズの本が入っているよという情報をもらい、早速出かけていって購入した本を紹介する。
 「ジャズピアノ入門」ジャズ批評ブックス
 このシリーズの本はジャズの情報源として貴重であり、JAZZベースとかリバーサイド・ブックなどを今までにも持っており、迷わず購入した。ほかにもまだ何冊か有ったが、購入はこの1冊だけである。
 「東京大学のアルバート・アイラー」菊池成孔 他
 これは著者たちが東京大学の教養学部でジャズについて講義した講義録。単なるジャズの鑑賞に終わらずに、ジャズの展開とその社会的背景や技術的に専門的な説明まで行っており、コード進行に基づいたジャズとモードジャズの技術的違いとか、コルトレーンのジャイアント・ステップが以下に難しいコード進行を行っており、名手トミー・フラナガンでもてこずったとか、鈴を鳴らし始めるジャズマンは要注意、など大変面白い。
 「戦後日本のジャズ文化」マイク・モラスキー
 著者のマイク・モラスキー氏はミネソタ大学の文学部教授で、日本にも度々滞在し、日本文化を研究している先生で、「その言葉、異議あり!―笑える日米文化批評集」 (中公新書ラクレ 260) 「占領の記憶/記憶の占領―戦後沖縄・日本とアメリカ」など日本語の著書を発表している。ぼくがグット・ベイトにいたときに、丁度彼がマスターにインタビューにやって来た。また新しい日本のジャズ喫茶をテーマに、日本文化の本を書くのだといっていた。彼はこの日も京都、名古屋、新潟と食事もコンビに弁当で済ませながら、精力的にジャズ喫茶を調査していた。
 「イタリア音楽散歩」「正倉院の美術」
 2冊共にオールカラーの美しい本で、これがどれも100円だったので、迷うことなく買った。「イタリア音楽散歩」はイタリアの音楽家にまつわる都市を、カラー写真で紹介したものである。「正倉院の美術」はタイトルどおり宝物をカラー写真で紹介、解説したものである。
 「中村隆全詩集」
 本のオビを見ると、「詩人の矜持と純粋性を、見事なまでに昇華させた類まれな昭和の詩人の鬼才中村隆の全詩集ここに成る。灰谷健次郎」と書いてある。ぼくは中村隆という詩人を知らないが、素人ではなさそうである。本の定価は7000円となっている。もちろん定価では買わないだろうから、今を逃したら二度とこの本とめぐり合わないだろうと思い、買ってしまった。作者の日常に根ざした確かな目で、日常性の意味を汲み取って言葉に置き換えているような詩である。こつこつと読めば作者の人間性が判るような気がする。

 ジャズ本の情報をもらい、出かけていって、それ以外の余分なものも購入してしまったが、それによって、また新たな世界が見えてくるのであれば、それはそれでなかなか楽しいものであると思う。行動するということは大切なことである。






バッハの平均率クラヴィーア曲集(2008.10.3)


 久しぶりに安城のハードオフに出かけた。なぜ行ったかと言うと、もう何ヶ月も行っていなかったからである。あちこちと眺めたが、これといって欲しいものは無かった。手ぶらで帰るのも寂しいと思い、LPのジャンクコーナーでもさばこうかと思ったが、それも億劫だったので、LPのボックスセットだけをチェックしていた。そうしたらMPSという文字が書いてある箱が見つかった。MPSはドイツのレコード会社で、特にピアノの録音の音の良さに定評があり、ジャズではオスカー・ピーターソンとかオイゲン・キケロのアルバムの作品を多く録音している。
 手にとって見ると、フリードリッヒ・グルダの演奏したバッハの平均率クラヴィーア曲集の第2集であった。ということは!と思って捜してみると第1集もあった。これはと思いさらにチェックしたが何も無かった。それでも顔を出した甲斐があった。思いもよらないものを発見できるのもLPを集める楽しみの一つである。
 バッハの平均率クラヴィーア曲集をピアノ演奏したものといえば、グレン・グールドとリヒテルの演奏がまず思い浮かぶと思うが、グルダは何を弾いてもグルダだと思いながら、家に帰ってさっそく聞いてみた。ぼくがボックス物に目をつけるのは、こういうものは全部を何回か聞く人は少なく、レコードが新品同様のものが多いからだ。しかし第1集は前の持ち主が熱心に聴いたと見えて結構スクラッチ・ノイズが入っていた。第2集は予想通りぴかぴかであった。
 大雑把な言い方で、とりあえずの印象をいうと、リヒテルの演奏はピアノの響きに神経を使った、ピアニスティックでスケールの大きい演奏である。またグールドの演奏がノン・ペダルのエクスタシーに浸ったようなグールド節であるとするならば、グルダはそれぞれの曲をハープシコードを連想させたり、オルガンを連想させたりして、グルダ風に自由に弾いた、印象としてはリヒテルとグールドのあいだにあるような演奏である。
 リヒテルの演奏するバッハの平均率クラヴィーア曲集の第1集も、確か同じような出会いで購入したものである。グールドの物は、一時期彼の演奏に夢中になり、かなりの作品をCDで購入したが、その中の1枚である。こんなことがきっかけで、3者の演奏する平均率クラヴィーア曲集を、今日は聞くことが出来た。
 ぼくがLPを今でも集めるのは、こんな楽しみもあるからであるが、ではCDに比べて音はどうかと言うと、これは言い方が大変難しい。ジャズのオリジナル盤のLPであれば、大抵のものがCDより良い音がすると確信を持っていえるが、クラシックではそういう比較をしたことがあまり無い。一部、例えばウエストミンスターのバリリ弦楽四重奏団の演奏は、CDより圧倒的にLPのほうが素晴らしいと思う。それもカートリッジで随分音のイメージも変わるので、自分の装置で良い音だと思って、LPをどこかに持って行って再生したときに、予期したような音で鳴るとは限らないのである。
 ぼくにはこういう失敗例もある。あるオーディオ仲間の集まりで、新しいスピーカーの鳴りっぷりを聞こうというときに、珍しい入手しにくいLP(ぼくの装置ではそれなりに鳴っていた)を持って行って、再生したところ、まったく響きのない平面的な再生音となった。そんな時にタイミングよく、LPのどこが良いですかと質問されると答えようが無い。LP再生するには素性の分かった装置でないと、まったく予期しない音が出る。これもLP再生の楽しみであるが。







ベートーヴェンの交響曲全集(2008.10.4)


 ぼくは今、何年かぶりにベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」のLPを、とっかえ・ひっかえ聞いている。誰でもこの曲を一度は聞いたことがあると思うが、今更という気持ちもあるだろう。ぼくがこの曲を改めて聞く気になったのは、数日前にカール・ベーム指揮するウィーン・フィルハーモニー演奏のベートーヴェン交響曲全集のLPを手に入れたからである。ベートーヴェンの交響曲全集のLPは、1セットは持っていた人が多くて、今までにも色んなのを手に入れた。
・カラヤン指揮/フィルハーモニア(EMI)
・カラヤン指揮/ベルリン・フィル(DG)
・ワルター指揮/コロンビア交響楽団(CBS)
・マズア指揮/ゲバントハウス(Victor)
・スウィトナー指揮/ベルリン・シュターツカペレ(DENON)
・ベーム指揮/ウィーン・フィル(DG)
 この6種類の全集を聞き比べてみようと思ったからである。何を聞くかという事になるが、ぼくは第3番の英雄を選択したのだ。聞いて見ると、指揮者の個性によって音楽の解釈が異なり、それぞれが個性的な演奏になっているのはもちろんであるが、交響楽団により随分と響きが違うことを改めて認識した。中でもウィーン・フィルの柔らかい弦楽器の響きと渋いホルンの音色は独特のものがある。
 やっぱりベートーヴェンの交響曲を聞くとなると、どうしても聞きたくなるのがフルトヴェングラーの演奏であろう。ぼくも20代には彼の演奏を、耳だこのように聞いていた。そこで単品ではあるが彼のLPを捜してみると、7枚ばかり出てきた。第3番、第5番、第6番、第7番、第9番を演奏したものである。
 ここまで英雄を聞いてきたので、ついでに手持ちのCDの全集を引っ張り出して聞くことにした。これらは一時期、LPをやめてCDに置き換えようとしたときに買ったものである。
・ワルター指揮/コロンビア交響楽団(CBS)
・セル指揮/クリーブランド(CBS SONY)
・クレンペラー指揮/フィルハーモニア(EMI)
・クーベリック指揮/ベルリン、ウィーン・フィル、ロンドン、クリーブランドなど(DG)
 お店の陳列棚のようになってしまったが、これがぼくの持っているベートーヴェンの交響曲全集のすべてである。
これ以外に単品のLP、CDはまだ色々とあるが、きりがないのでこの辺で止めよう。確かトスカニーニも有った筈であるが。







「神経症の時代」忘れられない1冊の本(2008.10.5)


 昨今は、占いで日柄が悪いといって修学旅行の日程を強引に変更させる、モンスター・ペアレンツがいたり、生きるのが嫌になったと言って、多くの 人を巻き添えに殺傷したりする、投げやりな生き方(死に方)をする人が、ニュースをにぎわしている。こういうことの起きる時代を予測したような本が、東京工業大学教授で経済学が専門の渡辺利夫氏が1996年に書いた「神経症の時代 わが内なる森田正馬」という本である。ぼくはこの本が刊行された当時、ゼッ不調であった。十二指腸潰瘍が悪化し、精神的にも追い詰められていた。そんな時に出会ったのがこの本である。
 本の内容は、神経症の治療に対して、森田療法の開発者である、森田正馬の生涯と思想を紹介した評伝である。著者はこの本を書く動機について、次のように語っている。
 「職場の近くの古本屋に立ち寄って目に留めたのが、高良武久の「人間の性格」という本であり、これをきっかけに彼の著作全集を手に入れて読み通した。彼は森田正馬の高弟であり、その主張のエッセンスは森田のそれである。人間はすでに存在していたこの自然界に、遅れて参入したので、自然界は人間に都合の良いようには出来ていない。そうであれば、人間は生きている限り、不安や恐怖からは逃れられない。不安や恐怖は人間がよりよく生きていくためには、欠かすことの出来ない心理であるが、しかしそれは人間にとって不快であり、それから逃れようとあまりにこだわると、心の葛藤を生み神経症を引き起こす。
 日本でいち早くこの神経症に取り組み、森田療法を確立したのが森田正馬であり、彼の偉大な足跡を紹介することは、現代のようなストレス社会をどう生きるかということに対して、示唆に富んでいるのではないかと。」と、このような趣旨に書いてありました。
 ぼくは当時、仕事とどう向き合うか悩んでいた時期でもあり、「あるがままに生きる」という森田正馬の主張に強く打たれました。
 例えば、仕事をする時には、目標を掲げて、その目標を達成するように、現状の問題を解析し、問題点を明確にし、その問題を解消するような方策を立て、実行する。そして結果の達成度を評価する。という一連のサイクルを回して進めると思うが、目標があまりに高いと、良い方策が浮かばないこともあり、方策を実行しようとしても様々な困難があり、また結果が予想のように上手く行かないこともあり、このプロセスのサイクルを回そうとしても、あらゆるところでストレスを感じる。その時に大切なことは、自分で納得に行くまでの努力にはこだわるが、手に負えないと思ったことは、こだわらない、ということである。これ以上は手に負えないといって、周囲の助言を仰げば良いのである。
 これが、ぼくがこの本を読んで、「あるがままに生きる」ということを、身をもって実感したことである。不思議なもので、ある意味腹が据わるというか、開き直るというか、そういう心境になると物事が前向きに考えられるようになる。
 ぼくにはこの本に対しては、このような思い出が付いて回っているので、いまだに手放せないでいるのである。







KEFのスピーカーC75を楽しむ(2008.10.6)


 キット屋店主の大橋さんが、真空管アンプについて語るときに、アンプの楽器性ということをよく言われます。
・19Dの外向きで煌びやかな音と86Bの内向きで濃淡のグラデーションで聴かせる音の対比
・「今日は元気で快活な音を聴きたいな」という気分の時はSV-4で外向きの明るい音を楽しんでいます。
・疲れて帰宅した時など「今日は濃厚で甘美な音を聴きたい」場合は300Bシングルで内向きの表現に身を委ねています。
などという言い方で。
 またシステムをトータルで考える時は、スピーカーが楽器で、アンプは演奏者であるという言い方もされます。だからオーディオを始めるならば、まず自分の好きな音、聞きたい音楽は何かを明らかにして、どういうスピーカーを選択するかが一番重要である。次にそのスピーカーを鳴らすにはどんなアンプを選択するかという順番であると。その時にアンプにも楽器性があり、どのアンプを選択するかによってスピーカーの表情を変えることを楽しめるのだと。
 ぼくもその言葉を実感しながら、ジャズについては、スピーカーはアルテックとJBLがあれば十分だと思って、アンプを気分によって選択しながら音楽を楽しんでいます。しかしクラシックを聞くときには、まだ試行錯誤しています。いや、試行錯誤を楽しんでいます。
 最近はアルテックのA7のネットワークを外付けにして、スーパーツィーターを追加して、クラシックを聞いています。キット屋のショウルームにA7が置いてあり、その音を聞いたときに、その上品な鳴り方に、これはA7の音ではなくて大橋サウンドだね、といった覚えがありますが、そんな音に近い鳴り方をしているかなと思います。しかし、そうは言ってもやはり音色は明るいアルテックサウンドです。
 これと対極的な鳴り方をするのが、10羽ひとからげで言うのは乱暴かもしれませんが、ブリテッシュサウンドと呼ばれる英国のスピーカーだと思い ます。ぼくもタンノイ・スターリング、Kit LS3/5Aを使ったり、タンノイオートグラフ、スペンドール、ハーベス、B&Wなどを色々な人から聞かせてもらったりしてきましたが、今回はKEFのC75スピーカーが手元にあります。このスピーカーはわけあり品(スピーカーグリルが壊れている)ということで、通常の中古価格よりかなり安かったので、思わず衝動買いしてしまったものです。
 A7を鳴らしているアンプ、プリにSV-14LB(通常はSV-722を用いているが、今手元にないため)、パワーにSUPER 8Bをつないで音を出してみる。バリリの演奏するベートーヴェンの弦楽四重奏のCDが、まるでLP盤で聞く音のように、深い響きを奏でている。バッハの無伴奏バイオリンのLPを色々聞いて見る。このスピーカーは弦の響きはうっとりするほど美しい。
 次にウィーン・フィルのシュトラウス・ポルカを聞く。ム、ム、ムッ、オーケストラがまるで引っ込んでしまう。次にアート・ペッパーを聞いて見る。何だこれは、ライブハウスのかぶりつきで聞きたいのに、コンサートホールの最後部席で聞いているジャズではないか。これは弦楽器再生専用のスピーカーか。
 頭を冷やして考えてみよう。KEFのスピーカーの実力がこんなものではないはずだ。鳴らし切れていないのではないか。そこでカートリッジを色々替えてみるが、本質的な音の変化なし。やはりアンプを見直すか。
 たまたま、今回SV-14LBを使っているので、このプリのゲインを20dBにあげてみる。これだ、この音だ。まさしくブリテッシュサウンドの奥行きのある、深々とした音だ。これならばオーケストラもジャズもまったくOKだ。
 やはりこのスピーカーもなかなか懐が深そうで、ドライブするアンプで様々な表情が出てくるようだ。このスピーカーと組み合わせて、ベストマッチングするアンプを見つける楽しみがまた一つ増えた。
 まだ慣らし始めて2日しか立っていないので、この位の事しか言えませんが、もう少し聞いてみて、また続きをレポートします。











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