ジャズ・オーディオの雑記帳
by 6041のS

「意味がなければスイングはない」村上春樹(2008.8.19)

村上春樹と言えば、現代を代表する作家の一人であるが、彼は若い頃から音楽を聞くことと読書にかけては誰にも負けないくらい好きであった。大学を出てからは、自分に物を書く才能があるとは思っていなかった彼は、好きな音楽の関係と言うことでジャズ喫茶を始めたのである。しかし他人の作品を紹介するという受身的な仕事に疑問を感じ、ジャズ喫茶をやめて作家に転向したのである。
それ以降、音楽はもっぱら趣味としてきたが、ここに来て音楽について何か書いてみたいと思い、書き上げたのが「意味がなければスイングはない」と言うタイトルの本である。2005年の出版である。このタイトルは、もちろんデューク・エリントンの名曲「スイングしなければ意味がない」のもじりである。
氏はジャズに限らず、良い音楽は何でも聴くといっているが、この本でもジャズ以外にクラシック、ロック、J-ポップなども取り上げて10編の音楽評論を書き上げている。ぼくが興味を持ったジャズとクラシックの評論のタイトルを並べてみます。
・シダー・ウォルトン
  強靭な文体を持ったマイナー・ポエト
・シューベルト「ピアノ・ソナタ第17番ニ長調」D850
  ソフトな混沌の今日性
・スタン・ゲッツの闇の時代1953-54
・ゼルキンとルービンシュタイン 二人のピアニスト
・ウィントン・マルサリスの音楽は
  なぜ(どのように)退屈なのか?
・日曜日の朝のフランシス・プーランク

等々のタイトルが続く。
ジャズに関する彼の主張は、ぼくにはわりとすんなり受け入れることの出来るものであり、特にスタン・ゲッツの音楽を好む点では、異論はない。今回それ以上にぼくが感銘を受けたのが、シューベルトのピアノ・ソナタに関する記述である。
モーツァルトがピアノ・ソナタを書いたのは生活費を稼ぐためだ。そしてそれが実に美しく、深い内容を持ったものに仕上がった。ベートーベンは近代的芸術家としての野心があって、世間でどのような反響を得るかを考えながら書いた。ではシューベルトはどうか。彼のピアノ・ソナタは、他人に聞かせても長すぎて退屈されるだけだし、家庭で演奏するには難しすぎるし、人々の精神を挑発喚起するような積極性もない。あるとき彼の伝記を読んでこの疑問が解けた。彼はただ単に「そういうものが書きたかったから」書いたのだ。
そういうピアノ・ソナタの中でも特に17番のニ長調が好きだ。この作品に関する15人のピアニストの演奏を取り上げ、評論している。そして、クラシック音楽を聞く喜びの一つは、自分なりのいくつかの名曲を持ち、自分なりの何人かの名演奏家を持つことではないか。それが場合によっては世間の評価と合致しないとしても。・・・ぼくもシューベルトのピアノ・ソナタに改めて興味を持ち、彼の好きな17番を、彼の推薦するヴァルター・クリーンで聞いている。






バック・クレイトンのジャム・セッション(2008.8.20)

バック・クレイトンは1911年生まれのトランペッターで、1930年代の後半から1940年代の前半にかけてカウント・ベイシー楽団に在籍し、スター・ソロイストとして活躍した。1950年代になるとフリーのソロイストとして、ノーマン・グランツのJATPに参加するなどして活躍したが、もう一つの特徴はジャム・セッションというタイトルをつけた演奏を多く録音したことである。彼のスタイルは、中間派と呼ばれるもので、スインギーで楽しい演奏が多い。ぼくも持っているLPとCDを紹介する。

・THE HUCKLE-Buck And Robbins' Nest A Buck Clayton Jam Session(Columbia)1953
・How Hi The Fi A Buck Clayton Jam Session(Columbia)1953-54
 バック・クレイトンはコロンビアに5回のジャムセッションを録音しているが、この2枚のLPはそのうちの2回分から収録したもので、リズム隊はベイシーのバンドメンバーが加わり、ピアノはサー・チャールス・トンプソンとなっている。ジャムセッションと言うだけあって、片面に1曲しか録音されていない。

・Ben & Buck (Sackville)1967
これはジャムセッションではないが、ベン・ウェブスターと共演した珍しい1枚である。

・A Buck Clayton Jam Session Vol1(Chiaroscuro)1974
 コロンビア時代のジャムセッションの成功もあって、バック・クレイトンは1974年から1976年にかけてキアロスキューロに3枚のジャムセッションを録音しているが、これはその最初のもの。ズート・シムズの参加がぼくにはうれしい。

以上バック・クレイトンのジャムセッションでした。






ぼくがクリス・コナーを聞くきっかけ(2008.8.21)

今朝になって、昨日の暑さとは打って変わって、秋の気配を運んでくる涼しい風が吹いている。こうなってくると女性ジャズヴォーカルでも聴いてみようかという気になる。ぼくにジャズの魅力を教えてくれたのは、隣に住んでいるKTさんである。まだぼくが中学生の頃であった。KTさんは独特の情熱的な語り口で、一つ一つのLPを手にとってはどこが素晴らしいか解説してくれた。女性ジャズヴォーカルと言えば、エラ・フィッツジェラルドであった。ぼくはエラを通してジャズヴォーカルの魅力を知ったのである。そして多くのスタンダード曲を覚えた。
そんな昔のある時に、レコード店で曲目を見て手にしたのが、「クリス・コナー、ベスト5」というアトランティックのEP盤であった。ぼくはその時までクリス・コナーの歌を聞いたことがなかったのである。ハレルヤ・アイ・ラブ・ヒム・ソー、チャイナタウン・マイ・チャイナタウン、恋人よ我に帰れ、セニョール・ブルース、ミスティという5曲が収録されており、曲に惹かれて買ったのだ。
クリス・コナーの歌唱暦は1940年代からと、大変長く、歌い方も変化してきている。その特徴を大きく分けると、バードランドの子守唄に代表されるベツレヘム時代、大変チャーミングな歌い方である。1950年代の半ばから1960年代前半のアトランティック時代、この時代には、ぼくの大好きな作品もあるが、ぱっとしないものもあり、千差万別の時代である。それから1980年代以降、ベテランの域に達し、しっとりと歌っている。
そんな中でぼくが最も好きなアルバムが、1959年に録音されたChris In Personという、ビレッジ・バンガードでのライブ・アルバムである。クリスのライブ・アルバムは珍しいが、ここでのクリスは歌っているというよりスイングしているのである。そしてぼくが最初に手にした「クリス・コナー、ベスト5」というアトランティックのEP盤は、このアルバムよりの抜粋であった。ぼくはクリスとのめぐり合わせも良かったと思う。
これ以外のクリスのライブ・アルバムは1963年のChris Connor At The Village Gateと、1981年のスイート・ベイジルでのライブLover Come Back To Me以外は、ぼくは知らない。
Chris In Person以外の、ぼくの好きなアルバムはSings Lullabies Of Birdland、This Is Chris、Chris Connor、Chris Craftといったところである。あと1990年代以降のアルバムは、曲によっては聞きたくなるものがある。






早くも読書の秋か(2008.8.24)

まだ8月だというのに、秋を思わせるような涼しさだ。天候は徐々に変化してくれないと戸惑う。特に、一生懸命に夏野菜を育てている身にはこたえる。暑さを避けるために真昼間は作業をしないで来たが、その必要もないようだ。時間の余裕が出来たので、読書でもしようかという気になる。
そして手に取ったのが、平岩弓枝の御宿かわせみシリーズの傑作選から第3集「千手観音の謎」である。このシリーズは、単行本では「御宿かわせみ上・下」から始まって「浮かれ黄蝶」まで全部で31巻の構成となっている。それと傑作選が3巻あり、全部で34巻ある。それを中古本で集めるのがぼくの一つの楽しみとなっている。それが28巻集まりあと残りは6巻となっている。今日手に取った「千手観音の謎」は第21巻「春の高瀬舟」から第29巻「十三歳の仲人」までの巻より10話が掲載されている。
このシリーズはどんな話かというと、黒舟がやってきて慌ただしくなった江戸時代の後期に、「かわせみ」の女主人るいと、幼馴みの東吾の恋物語を時間軸に展開させながら、かわせみを取り巻く人々が、江戸の町におこる市井の事件を解決していく一話完結の物語である。したがってある程度、巻の順番にこだわらずにも気楽に読める本である。この物語に出てくる話しは、今で言えば新聞の3面記事に載っているような事件を、事件解決の当事者が語っていると言ったところか。
この本を読んでいるとぼくは、まだ家にテレビも無かった、昔の記憶が蘇ってくる。農繁期も終わって寒さが厳しくなってくると、家には火鉢が置いてあって、そこに鉄瓶がかかっていて、いつもお湯がちんちんと沸いていた。そこに座っているのは祖父である。やがて誰かが遊びにやってくると、ゆっくりと目の前で急須と湯飲み茶碗を暖めて、煎茶をいれ、話が始まるのである。話の内容は千差万別で、今年の米の出来とか、戦時中に隣の家の柿木に焼夷弾が落ちて大変だった話とか、どこどこの饅頭は美味いとか、どこどこで祝言があって嫁入り道具が立派だったとか、それこそ市井の出来事が面白おかしく語られていた。ぼくは目を輝かせながら聞き入ったものである。あとであの人は博士と言われていて、何でも知ったかぶりをして話すが、話半分で聞いておけとか言われたものである。それ以外にも祖父の囲碁の仲間が来て、囲碁が始まるとまるで口げんかをしながら打っている、そうかと思えば茶道具の自慢が始まったりもする。実に様々な人が遊びに来て話をしていったのである。
「かわせみ」に出入りする人々の暮らし方が、ぼくには、テレビも無かった幼い頃の我が家と一部ダブルのである。






農文協の本(2008.8.25)

社団法人「農山漁村文化協会」という団体は一般的には知らない方が多いと思います。月刊誌「現代農業」を出版し、農業に関する多くの印刷物が刊行されている。団体そのものについては、ぼくも良く知らないが、元農林水産省の次官を勤めた方が会長をやっている団体のようである。
右にあげた7冊の本は、ぼくが豊田市の農ライフ創生センターで、野菜を中心とした地産地消科の研修のために買った本であるが、いずれも農文協の本である。農文協の本は大型書店でないと、一般書店ではなかなかお目にかかれないが、農業に関しては絶対にはずせない本である。インターネットではアマゾンなどを利用すれば入手は容易である。
ぼくが使っている本について簡単に紹介する。
「農業の基礎」「野菜栽培の基礎」「農家の技術早わかり事典」この3冊の本は農ライフ創生センターより支給された本で、研修時の教科書および参考書として使用しているものである。最初の2冊は農業高校の教科書としても多く用いられているようである。
「病害虫の出方と農薬選び」「家庭菜園の病気と害虫」この2冊は先輩研修生の多くが参考書として使っているもので、ぼくもアマゾンより入手した。
「野菜づくりと施肥」「新野菜の作り方実際 果菜T」この2冊はぼくのニーズで買ったもの。
このような参考書を買い揃えて、いくら勉強してもそれで実際の野菜つくりが上手くいくかというと、そんなことはあり得ないわけで、実際に土を耕して、元肥を入れて、種を蒔いて植物を成長させて、収穫のときを迎えて、どうだったかが決まるのである。そして大抵のものはプロの人に比べると、上手くいっていないのである。その時に何故上手くいかなかったかを分析する時に、知識が有ると、無いとでは次へつながる成果に大きな差が出るということである。最初からは上手くいかない。むしろ最初は失敗した方が長い目で見たときには強みとなる。そう言われているのである。
一つの簡単な例を挙げる。
トマトの病気の一つに尻腐され病というのが有ります。これはトマトの果実が青いうちに黒く腐ってくる病気ですが、カルシウムの欠乏によって起こるものです。原因がカルシウム不足ならば、カルシウムを補給してやれば良いかというと、これがそう単純ではないのである。1)根の発達が十分か。根の発達が不十分だと植物側の吸収能力に問題があるわけである。2)窒素過多になっていないか。土中の窒素が過多になっていると、カルシウムがあっても、窒素が優先的に吸収されてしまい、カルシウムを上手く吸収できない。3)カルシウム不足。以上のようにカルシウム欠乏一つをとっても、それがどこから来ているのかしっかりと原因を突き止めなければ再発防止につながらないのである。知識と実践は車の両輪のようなものである。
今日テレビを見ていたら、ある人が言っていた。努力は賞賛に値するが、成果は報酬につながる。賞賛されても成果につながらないといけない。














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