キット屋倶楽部
音楽の
すすめ by F高
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第7話 音楽の分類のしかた (2006.6.16)
皆様こんにちは。音楽雑誌を見ると交響曲、協奏曲、独奏曲とあって終わりの方にオペラ、声楽、宗教曲などが登場しますが、実はこれを見るたびに苦笑してしまいます。自分が好きだからそう思うのかもしれないけれど、音楽の基本は声楽ですよ。また交響曲というのは最後に登場すべきデリケートな音楽ではないでしょうか。あらゆる根源には歌があり、それをもとに重唱があり、器楽と組み合わせて何があり、ではないかと思うのです。乱暴を承知で独断すれば、あの順番を逆にすればいいと思うのです。どこでも、楽器が無くても、合わせる人が居なくてもできる音楽、それは歌ですよね。あとになってから、デリケートさを表現する為にピアノやオーケストラ曲が出て来たというのが自説(多分自分勝手な)です。いや、あの雑誌の分類は別に音楽の価値を表すものではない、という反論もあるでしょうが、あの分類が与えた誤解と偏見は大きいな、と感じています。
一つの楽器で表現力が最も広いのは何か、という問いを考えると、ピアノを挙げるのもいいけれど、またそれは素晴らしい楽器だけれど、最も幅広い合意が得られるのは声楽だと思います。ちょっとした鼻声とか、あそこで息を吸ったとか、メチャメチャに気が嵩じているとか、全然乗っていない、とか全部分かってしまうのですよね。それだけ我々は人間の声に親しんでいるからです。あらゆる生活経験が反映される恐ろしい楽器です。だからこそオーディオのいい尺度になるのでは、と思います。人工的な音が主流を占めるポップスとか、シンセサイザーとかは別かもしれないけど。声楽家の声は訓練された声であり、通常の声とは違う、と言われそうですが、声質の差を突き抜けて、歌い手の様々な生理条件を反映していることは確実です。

という訳で、僕はオーディオ機器を選択する際は、声楽を基準にして選ぶことにしています。かつてはピアノでした。ポリーニの弾く大理石みたいなショパン練習曲集です。これは素晴らしいと思いました。まさにイタリアの大理石で作った大伽藍です。これは参ったと正直思いました。これを一度聴くと他のピアニストでは満足できなくなってしまったのです。ひたすらポリーニ、ポリーニでした。ところが、次に出た彼のショパン前奏曲集であれっと思ったのですよ。何か足りないものがある、何か分からないけれど、どこかに理由があると直感しました。そして矢継ぎ早出て来た彼のポロネーズ集は全く興味が持てませんでした。この直感的なものは、多分、自分にとって本当なのでしょう。なぜか説明できないけれど、本質的なものだろうと思います。

そしてアルゲリッチの前奏曲集を買って聴いたところ、猛烈にスピードが早い。16番など58秒です。ルビンシュタインなぞ1分2秒、ホロヴィッツでも1分程度。ちょっとこれはどうかな、と迷ったのですが、今では前奏曲といえばアルゲリッチです。女性ピアニストだからひいきして聴くのかもしれませんが、あの気迫には圧倒されます。アルゲリッチではラフマニノフの3番の協奏曲の生を聴いたことがありますが、独奏曲を弾かなくなっていた当時だけに、アンコールをどうするのかな、と思っていたら最終楽章全部をもう一度弾いたのです。疲れなんて微塵にも見せずに!

アルゲリッチの弾くショパン・ピアノソナタ2番、3番のレコードも、何と情熱的なんだろうと思った次第。前奏曲のような曲は早さで競うものではありませんし、別の詩情あふれるようなコルトーやリパッティのひらめきもありますが、今はアルゲリッチが一番だと勝手に考えております。かつてアルゲリッチとポリーニが同一のコンクールに出たことが一度あるのですが、優勝者はアルゲリッチでした(ただし男女別とかで、ポリーニが2位だった)。コンクールはコンクールに過ぎず、若い時代に努力を競った結果にすぎませんが、意味深長です。ピアノ奏者は、ショパンを中心的レパートリーにする人と、ベートーベンを中心とする人と、フランスものを中心とする人に分類できるようです。なお僕自身、ベートーベンの偉大な点等少しは分かりますが、良く知っていると針小棒大なことを申すつもりはありません。だからアルゲリッチかポリーニかという点に絞っても、自分が比較できそうなのはショパン等の分野を弾いた場合だけです。ベートーベンを弾いた場合の評価は難しい。大体、作品111のソナタ等の複雑な表現を本当に楽しんでいるのかどうか、僕自身分かっていません。ところでピアニストは毎日練習でしょう?あれは苦しいはず。声楽家だって同じでしょうけれど、マルチタレントなんて曲芸に近いんだろうな、と思う次第です。昔オペラ歌手に転向したヴァイオリニストが居たけれど、今はどうなっているんでしょうか。

ピアノは演奏するピアニストによって好みが分れますし、またそれをどう録音するかはエンジニアの腕にもよります。私にすればホロヴィッツの録音した音、リパッティの古い音等はどうも気に入らないんです。いま一つ、何かが欠けている、あるいは余計なものが付け加わっているような気がします(これは妄言かも知れません)。最近はアルゲリッチの録音された音にもややもの足りなさを感じ始めてきます。一時的な迷いかも知れません。でも古い録音のものをどう評価したらいいのかを考える時、最後はその演奏は本当に捨て難いかどうか、に掛かってくると思います。どんなに古くてもいいものはやはりいいのです。そういうことは良く聴きこむと自ずと分かってきますよね。そしてリファレンスから外れたり、新しく付け加わったり、または一度捨てたものに再会することになるのです。決してこれが真実、これで一生不変だなんて不遜なことは思ってはいけないと思います。
ピアノを基準とすることが約10年間続き、僕本人が不惑の歳を越えた頃、声楽こそリファレンスに相応しいんじゃなかろかと思うに至りました。実際オペラのレコードが多かったので、その方が実用上便利だったのですが。オペラと一口に言ってもモーツアルトを聴くのとワーグナーを聴くのでは違うし、ヴェルディを聴く場合とドニゼッティを聴く場合は全く違います。その多様性が、レファレンス選びにある意味でぴったり適していたのです。「オテロ」を聴くのに相応しいシステムで、モーツアルトを聴いたらうるさいですよ。オテロの唾は幾ら飛んで来ても歓迎ですが、スザンナやマルシャリンの場合は、唾のあることを示唆されるのもイヤなのです。モンサルバート城の荘厳な音が、ルチアのつぶやきと同じはずがないのです。スピーカーだって、唾が飛んでくるスピーカーも欲しいし、一方でデンと構えて泰然自若型のスピーカーもまた欲しい。自分はこの作曲家しか聴かない、とかこの曲とあの曲さえ聴ければ良い、という場合だったら楽ですが。

音色のバランスという大きな問題があります。低い音と、高い音のどちらに優先権があると思いますか?打楽器系の分解能がいいことと、弦楽器の音のつながりとどちらを重視されます?試験問題じゃあるまいし、正解なんて無いのですが、僕自身は低音は分厚く、弦楽器系は全体をボーッと包み込むように広がるのを一応歓迎(この構成の方が、声楽家のソリストのパワーを評価し易いからそう選んだのですが、強い声のベルカント・オペラはこの基準では少し不都合が起きますね。他方ピアノを含め、打楽器系は今の僕にとって、しばしお休み中です。従って基準レコードから外してあります)します。どこかで割り切らなければなりません。さも無ければ、性格の正反対の機器を両方とも用意することです。
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