キット屋倶楽部
音楽の
すすめ by F高
イラスト
(2006.6.30)
皆様こんにちは。今日はニューヨークで見聞したコンサートを幾つか抜粋します。コンサート会場といえばカーネギー・ホールですね。初めての時からここへは夫婦で行きました。アンナ・モッフォの独演会。ヴェルディ「ステッフェリオ」のアリア、マスカーニ「イサボー」のアリア等です。すでに高音の衰えが著しく、曲によっては耳を覆うばかりのできばえ。でも薄緑色のドレスに身を包んだモッフォは大変美しく見えました。歌い終わると忠実なファンからの贈り物である数々の花束を、ボーイ達がモッフォに捧げて渡します。でも、今年3月に亡くなりましたね。僕は察するのですが、モッフォは必死になってメットに常時出る一流の演奏家に届こうとあがいたのですね。悲しいかな、それは叶わず(モッフォのメットへの出演は1976年が最後)。だからこそ色々と目立つことをやったのでしょう。映画出演も、さる放送ネットワークのお偉方夫人に収まったのも。Aクラスそこないの、aクラスゆえの悲劇でしょうか。

ニューヨークではコンサートの切符の値段は一般に安く(70年代後半)、だからこそ頻繁に通えたのです。モッフォのコンサートなど一人8ドル程度でした。それで平土間の席ですからオペラに比して格段に安いと思います。それにしばしば直前になってからでも切符は手に入ることが多いのです。ポリーニで8ドルが最高、アシュケナージで12ドル、ラローチャやテバルディは8ドルでした。一番高い部類にルドルフ・ゼルキンの25ドルというのがありました。逆に最低は3〜5ドルです。
ここでラザール・ベルマンのピアノ・リサイタルを聴いたことがあります。一人5ドル程度でした。ベルマンは当時大変な人気を誇り、国連でも演奏したとか。僕が行ったときはクレメンティのソナタ作品40-2、ベートーベンの「悲愴ソナタ」、ショパンのソナタ2番などでしたが、余りの音の大きさに驚きました。でもタッチは乱暴でしたし、ピアニシモは上滑り、総じてデリカシーに欠けた演奏だったと思います。ショパンのソナタ2番なぞ、まるで全曲が葬送曲みたいに物々しく響いたのです。それでもそれをレコード化したものが発売になったので買って聴いてみると、見事にお化粧されていました。つまり巧く聴こえたわけ。この経験からすると実演とレコードでは差があるのかな、と思いました。当時の僕の日記には下記の通りに記されています。
それでも1割の聴衆は立ち上がって喝采していたし、歓声を挙げていたが、それは好き好きだ。妻を促し、生まれて初めてアンコール曲に背を向けてカーネギーホールを去った。ドア奥ではリストがキンキラキンに鳴っていた。帰国後の1980年8月に当夜の実況レコードが2枚組のセットで発売された。どんな御化粧を施して出てくるのだろうかと思っていたら、「レコード芸術」にその録音評が高城氏によって書かれており、『ベルマンのフォルテが濁って聴こえる。このピアニストはレコーディングに向かないのかも知れぬ。』と表現してあった。とんでもない、生の音が既に濁っているのだ。思い出にこのレコードを買って聴いたら、ニューヨークで思ったほどひどいものでは無かったが、それでも生の印象を吹き消すのは難しい。逆に、化粧されたレコードからも欠点を聴き出した高城氏の耳には感心した。
またエッシェンバッバの演奏には何とも言えない寂しさを感じました。モーツアルト弾きとして喧伝され、全く自信を無くしているのが丸見えだったのですよ。謙虚なのはいいけれど、謙虚を通り過ぎてスティール写真みたいに静止してしまい、音楽が弾まないし、お辞儀を先にしてしまう。拍手を待つのが辛いからだと思います。あの心境は痛いほどわかるのですが、大変残念です。ただアンコールにあったスカルラッティの「ソナタL23」だけほっとする仕上がりでした。もう一つのホールであるエイブリー・フィッシャー・ホールでは、ポリーニの独演会も聴きました。ベートーベンの「熱情ソナタ」、リストの「4つの遺品」、そしてポリーニにつきもののブーレーズの2番のソナタ等ですが、意外なほど熱気がありました。町全体の雰囲気では、それほどポリーニは騒がれていなかったように思いました。

一方、アシュケナージのコンサートはジャクリーヌ・デュプレの為の慈善演奏会でしたが、彼自身は白いトックリのセーターを着て現れました。シューマンの「ダヴィッド同盟組曲」、ショパンの「バラード3番」、ベートーベンの「ソナタOp31」等を弾きましたが最後の曲が実に繊細でした。絹をつむぐような、という表現がピッタリです。スービン・メータ指揮ニューヨーク・フィルの定期演奏会にも行き、シューベルトの交響曲3番等のあとにブレンデルをソリストにしたモーツアルトのピアノ協奏曲「K271」と「K491」。これは素晴らしいものでした。でも僕の職場でも確かめたのですが、不思議なことにブレンデルは一般に不人気だと聞きました。ただ後年再度ブレンデルは良いと思うんだが、と言ったところ、自分もそう思うようになったと前言を訂正されました。またニューヨークに居る間に訪問して来た日本人の中に、大学のN教授がおられましたが、ご希望のオペラは切符が入手できず(ドニゼッティの「ドン・パスクアーレ」しか無かったのです。僕はビヴァリー・シルズのファンではないので、無かったと報告してしまいました)、代わりにカーネギー・ホールでのクラウディオ・アラウの切符を一枚差し上げました。

PBSテレビ放送は、常に寄付金を求めます。そして寄付に応じた人の名前を延々と並べるのです。外部指向の強い米国ではこれが実際うけております。Mr. and Mrs. ○○ ×××ドル、あなたの寄付はこのように役立っています、なんて言われるとクラッとするのでしょうか。それでもアリス・タリー・ホールで経験したことなどは実状を伝える意味があるかも知れません。つまりはサクラの募集も多いのです。
事件的遭遇としては、ついにホロヴィッツを生で聴くチャンスを得たことを言わなくてはなりません。ある晩、FM放送を聴いていたら何とホロヴィッツが演奏会を突然開く事になったと聞こえました。翌日米国人の同僚Hにどうせダメだよ、と言われましたが、1枚でも手に入れたいと思い、さっそくボックス・オッフィスに出掛けると、すでにオフィスは閉まっており、売り切れた所には斜線が引いてあります。そうこうしていると偶然にも、後ろを、そこにあったレストランのウエイトレスが通りかかり、聴きたいのかというのです。自分の席は良い席だ、よかったら譲ると言う。僕は2枚欲しいが、と言ったところ1枚しか持っていない、という答え。決心が付いたら呼んでくれ、と言われ妻と額を揃えて悩みましたが、結局35ドルで1枚を入手しました。それが翌日再度行ってみると、25ドルの券が1枚追加して買えたのです。万歳これで夫婦でホロヴィッツを聴くことができる、と大喜びしました。

ホロヴィッツがエイブリー・フィッシャー・ホールでコンサートを開くのはこれが初めてだと言います。それまでは全てカーネギー・ホールだったから。満員の席で、我々夫婦も別々の席に座りました。クレメンティ作品33のソナタ、シューマンの「フモレスケ」、「メフィスト・ワルツ」などを弾きましたが、最強音はピアノも壊れよ、といわんばかりでした。初めてスタンディング・オベイションを経験。実はこの時、日本の僕の上司がニューヨークに来ていたのですが、如何に上司と言えども、ホロヴィッツの券は渡せません。何か切符を(呉れ)、と言われましたが、しらばっくれて翌日のバレエ「胡桃割り人形」の切符を上げました。従ってバレエの方は家内の鑑賞機会が減りましたけれど。これもCDになっていますが、今それを聴いても、あまり当時を思い出せないのです。録音は何か遠くにマイクを置いたような設定です。何となくホロヴィッツのCDは、聴き方が悪いのか、音の芯が抜けているような気がします。
色々と聴いたあと、最後はカーネギー・ホールでのフィラデルフィア管弦楽団のオープニング公演でした。オーマンディは始め、くるっと客席の方向を向いたので、何事かと思ったら米国国歌の斉唱だったのです。この時はアンドレ・ワッツによるラフマニノフの「ピアノ協奏曲2番」という、いかにもアメリカ的構成でした。オーケストラが太って厚く、それがピアノを押しつぶしてしまう。ワッツもまた透明感のない演奏でしたし、グラマラスな分厚い音でしたが、何と言ってもここはアメリカ!あれほど多数回行ったのに、カーネギー・ホールについてオーディオ的な検討を全くしなかったのは残念です。あれ、響きが良いと喧伝されていますが、どうでしょうか。時々外を走るパトカーのサイレン等も聞こえてくるのですよ。このホールで聴いた最後の演奏会はオルフェウス室内合奏団の演奏ですが、その響きも僕の記録に残されていません。ピアノ等での記録はありますが、全体としての印象記に過ぎません。今思えば何と残念な!

またニューヨークそのものではありませんが、モントリオールで開かれたニューヨーク産の人がメインの会合での様子も日記にありました。僕の親しかった友人の故Wの業績を称える会で色々言われていた例を紹介します(当時付けていた日記による)。
KNはWが飛行機嫌いで、いつかブラジルに出張するのにニューヨークから鉄道で行こうとした件を披露した。その話は18年前にYYY機関のKに聞いたことがある。タクシーで行かせては、という提案もあったがXXX省にはガソリンを買う金がなくて諦め、結局Wをだまして飛行機に乗せたという。続いてワシントンXXX省を代表してS女史が面白く、半分称え、半分けなす演説をする。Wの功績と罪業を並べる必要があるというのである。彼はいつもどこにいるか分からない。ニューヨークに電話するとワシントンにいると言われ、ワシントンに電話するとニューヨークの筈と言われる。真実は如何にと悩んでいると本人がタワーレコードの買物袋をぶら下げて現われる、と暴露した。そうだ、それは僕のせいだ!僕も以前グリニッチ・ヴィレッジのタワーレコードにWと一緒に行って2時間も油を売ったことがあるんだ。

Wは上機嫌で、飲みに行こうと誘ってくれた。ジャルダン・コンプレのラウンジをぐるり回っていたらYYY機関のKN、IF女史、ニューヨーク大学のH夫人、テキサス大学のG夫妻が飲んでいるところに出くわした。我々もそこに合流し、あとでドイツのReも合流。両女傑は赤ワインを飲み、あとのメンバーはカナダ産ビール。知り合いばかりだから、ようやく音楽の話が弾む。Wは僕にブルックナーの9番のシンフォニーを聴けという。彼によればブルックナーとマーラーはシューベルトの延長上にあるという。さんざんブルックナーを褒め称え、スタインバーク指揮のレコードがいいという。彼は依然としてLP派だ。そして僕が聴いたこともないシューベルトの第10シンフォニーを知っているかという。断片だけあって素晴らしいのだそうだ。日本に帰ったら是非聴いてみて感想をXmasカードに書いてこいと言う。H夫人は相変らずモーツアルト・ファンなのを再確認したが、ショーソンの音楽も好きだという。IF女史は見るたびに太っていくが、YYY機関を辞めたPがよくテープに音楽を編集して聴かせてくれるという。
このような話が出来たのは幸運だと思っています。W氏に限らずとも、色々な人が音楽を語る上でヒーローになり得たのですから。こういう雰囲気の中では録音とか、映像という話は余り出ませんでした。上記のW氏は後に日本の僕のオフィスにも現れました。飛行機嫌いというのはどこへやら。今では故人です。
<<第10話へ イラスト 第12話へ>>
<<「音楽のすすめ」表紙へ
キット屋倶楽部のトップへ戻る