キット屋倶楽部
音楽の
すすめ by F高
イラスト
(2006.6.30)
皆様こんにちは。今度は欧州の話をしましょう。広い米国に比すと欧州はいかにも小さく、あと一歩先に歩めばもう言語も文化も異なります。ここで音楽を一般的に論じるのはいささか気が引けそうです。一番魅力的な所をいわれればウィーンです。それはオペラのみならず、かのウィーンフィルの本拠地ムジーク・フェライン・ザールを擁しているからです。ムジーク・フェライン・ザールの音はいいですよ!飛び切り!!

下記は20数年前、僕が初めてウィーンに行った時の日記です。こういうのも何かと役に立ちます。
本日のメイン・イベントはムジークフェラインザール(楽友協会ホール)におけるウィーンフィル・コンサート。なお、ここの切符受け取りは日本から電信送金してあったものの、その受領証を受け取っていなかったので、窓口で払ってあることを口頭で主張しなければなるまい、と覚悟を決めて売り場におもむく。しかし、ウィーン側は電信送金のファイルをすぐ調べて難なく切符を入手。ムジークフェラインザールでは当日券を求める若い人々が列をなしている。大ホールの中はまさに金色堂。キンキラに装飾され、まるで仏壇の中みたいだ。決して大人数を収容できる広さではない。四角い箱のような構造である。小澤征爾が登場したとき、姿を見せただけで拍手が起きた。そしてウィーンフィルの最初の音が出た時(ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲)、笛の音色の豊さに思わず息を呑む。そしてオーケストラが静かに低音を支えた時、背中が鳥肌立ってしまった。ゾーっとするほどの美しさ。こんな美しい音を今まで聴いたことがない。何という美音だろう。ウィーンフィルだから、というよりこの有名なホール特有の響きなのだろう。カーネギー・ホールの音なぞ情けなく思えてくる。ある意味では絶望的な美しさがそこにあった。こんな音を年中聴いているウィーンの聴衆は何と恵まれているのだろう。音楽家の卵たちが日本から大量に(西ドイツに次いで第2位)ウィーン留学をするが、このムジークフェラインザールの音を耳と体に叩き込むだけでも目的の大半は果たせるのだろう。
またシュターツオーパーに初めて行ったときも下記のような日記が残っています。
次は日本から予約の手紙を入れておいたオペラ座の切符を受け取ること。24時間前までに取りに来るように、と指示を書いた返事を貰っていたのだ。実際、こんな裏路地とも言うべき中庭にあるのに、全く知らない人が見つけだすのは至難の技だろう。既に50人を越す行列ができていた。壁に貼ってある切符売れ行き状況によると今週の出し物は全て売り切れ。優先処理で切符を受け取る。夜は国立オペラに行く。お客の服装(天下のウィーン・オペラというので、行くまで気にしていたのだが)は大したことない。恐らく出し物がスメタナの「売られた花嫁」なんて余りポピュラーでないもので、ウィーンっ子は余り行かず、旅行者が闇雲に買った切符でSoldoutになっていたのに違いない。旅行者と思えば納得できる服装だ。桟敷席のため、控えの間があり、そこにコートを掛ける場所があり、化粧用の鏡もベンチも置いてある。ボーイが案内するからチップが要る。

桟敷の中には若い男が一人と、お婆さんが一人いた。二人で英語を喋っていたので今晩はと声を掛けて仲間に入る。アメリカ人かと聞いたら男はカナダ人、お婆さんはウィーンの人。男の方はすぐに打ち解けて、幕間の休憩時間もロビーを一緒に散歩し、ミュンヘンで覚えたシュヴェップスを飲みながら、あれこれ話す。先週ミュンヘンで2本見たと言ったら、お婆さんがくるりと向きを変え、呂律のまわらぬ英語で(歳のせい)、指揮者は誰だったかと聞く。カルロス・クライバーだと言うとカルロスはベストだとモゴモゴつぶやく。お気に入りの歌手は?という話題にアストリード・ヴァルナイだと答えると、お婆さんはヴァルナイはドラマティックだし、声が深いと言う。お婆さんは後の椅子に座っているから、もっと前に出たらどうです、と勧めたがそこでいいという。あとで考えると、席の値段の問題だろうと思う。男の方はちょっと前にヴェネツィアに居たという。実は僕もこれからヴェネツィアへ行くのだがイタリア語を知らないし用が足せるかどうか心配なんだ、と言ったところ、心配無用、ここと同じように十分やっていけるよ、と請け合ってくれた。幕間に好きな作曲家は誰だと尋ねるのでワーグナーとベルリーニだと答えた途端、お婆さんが割って入り、自分もそうだ、と言う。ワーグナーとシュトラウスが大好きなんだが、イタリア物ならベルリーニが良い、「ノルマ」がベストだが「モンテッキとカプレーティ」も素晴らしい、と言っていた(バルツァ/グルベローヴァの公演を見たのか)。おそらく、こういうウィーン住みつきの老婦人はずっと昔からオペラハウスに通っているのだろう。いろいろな上演を見てきたに違いない(帝政時代から?まさか。でもひょっとして!)。
シュターツ・オーパー(ウィーン国立劇場)の切符を入手することは比較的容易です。初めは絶対欲しいと思ったので、日本から手紙を送り何月何日の切符を欲しい、そのために払う切符は何シリングまで、と細かく指示しました。でも慣れるに連れ、そういう心配はまずないことが分かりました。よほど人気者が出るのでなければ、「普通」のスターが出る程度なら入手できます。最も高価な席から、半分以下しか見えないパーシャル・ヴューの席までを経験。最も高価だったのは何と大統領の座る席で、空いていたから売りに出たのです。出し物はドニゼッティの「ロベルト・デブリュー」。女王役はかのエディタ・グルベローヴァでした。実はこれは家内に見せたかったので、無理した次第。ここ以上に良い見通しの場所は無いわけだし。ついでに昔の貴族たちのように、女性のアクセサリー等を鑑賞するのにも便利です(!?)

逆にパーシャル・ビューの席は「トスカ」の時でした。これはマーラ・ザンピエーリとドボルスキーでした。ザンピエーリの声はビンビン響いて来ましたが、姿は殆ど見えませんでした。このボックスに座っていたら、中年の日本人女性が一人いました。聞いてみると昨夜ムジーク・フェライン・ザールでホセ・カレラスのコンサートを聴いたと言います。そして自らをカレラスの「追っかけ」だと白状しました。ドニゼッティ「愛の妙薬」も観ましたが、その時はソプラノのロストが歌っています。
ロンドンのコヴェントガーデンの王立劇場でも色々と見聞きしました。最初に観たのはドニゼッティ「愛の妙薬」だったと思います。ゲラント・エヴァンスの引退公演シリーズでした。その時デビューしたばかりの南米産のテノールの顔を良く覚えております。この劇場では臨時の飛び込み客は絶好のカモらしく、随分払うはめになりました。別の時R.シュトラウス「アラベラ」を観たときにはシェリル・スチューダーを聴きました。彼女の声は滑らかに出て、しかも音色もスムースです。でもその為に一晩で2万数千円も払ったのですよ。僕の手に入れた席は普段は常連客が占めている所らしく、見慣れぬ東洋人の顔を不思議そうな顔をして見ておりました。別の時、コヴェント・ガーデンが塞がっていたとき、それならばとイングリッシュ・ナショナル劇場に行ったことがあります。イングリッシュ・ナショナル劇場というのは小さく、装飾も余り無く、内部は青色と白色で上品に装飾された、いわばニューヨークで言えばステーツ・シアタのようなところですが、ここでロッシーニ「セビリアの理髪師」を観ました。その歌手の名前は忘れましたが、結構まともなコロラトウーラでいいロジーナでした。おすすめ。

ロイヤル・オペラ・ハウスはロビーも通路も狭くて、ふかふかの絨毯が敷き詰められ、まるで家庭の中みたいなムードがあります。観客はミュンヘンより質の良いものを着ているらしい。ミュンヘンでは女性は足をともかく隠さなければいけない、という理由でロングスカートを着ている人が多かったのですが、服地やデザインは必ずしも上等ではなかったのです。ところがロンドンは違って本物の黒絹です(少なくとも当時は)。肩を余り出さず、良い仕立てのイブニング・ドレスです。劇場は決して広くありませんが、あの中央階段を上がり下りする時は、なぜか懐かしくなります。ある時、偶然に同業者に会ってしまったことがあります。参考までに言うと、ここの切符売り場は少し離れたフローラル・ストリートにあります。
またミュンヘンでは「事件」とでも言うべきことがありました。前述したようにアストリード・ヴァルナイの舞台に接することができたのです!ある夕方の当日券売り場に並んでいた時、何をやっているんだろうと尋ねたら、お前は日本人か、それならそこに日本人がいるから聞いたらいいだろう、と答えられました。そこで会ったのが外科医のK谷さんでした。その日はR.シュトラウス「エレクトラ」、その配役表を覗いたら何と、イングリット・ビョーナーがエレクトラで、クリテムネストラがヴァルナイ!早速切符を買いました。その感激は忘れません。聴き終えた時、思わず理性を忘れてしまい、ブラーヴァと叫びました。あとで大学のN教授に書き送ったら、「ヴァルナイをお聴きになったそうですね。思いが通じたのでしょう」と返事がありました。あの時は感激の余り、あちこち歩き回りませんでしたが、目もくらむようなきらびやかな雰囲気に圧倒されました。ミュンヘンって何と凄い所なんだろう!

別の時にはミュンヘンでR,シュトラウス「薔薇の騎士」をカルロス・クライバーの指揮で聴きました。ただうっとりと過ごしましたが、日本人の山路芳久がイタリア人の歌手役で歌って喝采を博していました。良かったです。外科医のK谷さんはこういうオペラに日参しているそうです。日本に奥さんを置いて来て大丈夫かしらん。彼は「オルフェウスとエウリディーチェ」もあるけど、と誘ってくれましたが、その日は予定があったので断った次第。僕は彼がレコードについて質問するで、エーリッヒ・クライバーの「薔薇の騎士」を勧めておきました。あとで奥さんのピアノ・サイタルでアンコール・ピースにオックス男爵のワルツを弾くことになったが、このレコードの何面を聴けばいいのか、と電話で問い合わせがきました。こういうやり取りは楽しいですよ。

西ベルリンでは一度遅刻しそうになりました。「ドン・ジョヴァンニ」です(前出)。ピラール・ローレンガーがドンナ・エルヴィラを歌っていました。遅れそうになったのは友人達との会食が意外に時間をとったため(友人たちは前の日にドビュッシー「ペレアスとメリザンド」を観たそうな)。この「ドン・ジョヴァンニ」は面白かったし、記念グッズにヴァルナイの舞台写真を入手して、僕本人はご機嫌でした。この様に書くと世界中を観ているようですが、まだイタリアで観た事がありません。4年前に友人達はスカラ座に出掛ける機会がありましたが(出し物はベルリオーズの「カルメル派修道女の対話」)、僕自身は健康に難があって、ついに諦めました。ヴェネツイアのラ・フェニーチェ座は少なくともどんな様子かは覚えていますが、実際に聴いたわけではありません。イタリアはまだまだ憧れの国として残っています。このようにイタリアは憧れが強いもので、もう10年間もイタリア語会話の練習をしていますが、行くのはいつになるやら。でも最後のエベレストとして、いつまでも憧れを持って眺めています。一方、シドニーのオペラハウスにも行きましたが、その時観た公演はバレエでした。でもサザーランド伝を買って帰りの飛行機の中で読み始めたので、あまり損とは思いませんでした。その他、逃してしまったオペラ公演はフランクフルトでやっていたプッチーニ「マノン・レスコー」です。惜しいことをしたけれど、ベルリンの用事を急いでいたので諦めました。
そうそう、もう一つ思い出しました。イスラエルではワーグナーは御法度なんですね。ホロコーストのせいなのですが、世の中にはワーグナーを聴きたいというイスラエル人もいるわけです。ある時ロンドンのコヴェント・ガーデンでは「マイスタージンガー」をやっていて、当然僕はそれを聴きに出掛けました。そしたら隣におばあさんが座っていて、イスラエル人なのだが、これを聴く為にわざわざ来たのだといいます。他人の目を避けるためかどうかは知りませんが、終わったら地下鉄コヴェント・ガーデン駅まで送ってくれないか、と言われました。ああいいですよ、と安請け合いしたのですが、終わった時が大変でした。まだ拍手をしている最中におばあさんと僕と2人して、人垣をかき分けて脱出しなければ ならなかったからです。御陰で「マイスタージンガー」のような大好きな音楽の余韻を楽しむこともできませんでした。何て残念な!でも老婦人に対する約束を果たしました。エルサレムが欧州かどうか分かりませんが、ここに行くチャンスが一度ありましたが、事前にある事件が起きて危険地帯に指定され、行けませんでした。予定されていた会議自体も中止されたそうです。
全くお金を掛けなくても楽しむことは可能です。トラファルガー広場の側にあるセント・マーチン・イン・ザ・フィールズ教会という名前を覚えておられますか?例の「四季」の新録音で突然有名になったところですが、僕はあの教会に入って、勝手に合唱を楽しんだことがあります。Donation(寄付金)が必要だったのかも知れません。楽しみの現場では記録をとることより、色々な機会に飛び込んで、楽しむこと自体が重要です。それが出来たのは、大変贅沢なことだったと思います。
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