キット屋倶楽部
音楽の
すすめ by F高
イラスト
(2006.6.30)
皆様こんにちは。今日は「魔笛」の話をしましょう。私はこれを20代後半以降によく聴きました。正直いってもっと若い時は余りモーツアルトのファンではありませんでした。激しさが欠けているとか、砂糖菓子みたいとか、さまざまな理由を持ち出しては、モーツアルトの音楽を避けておりました。ところがある時「ドン・ジョヴァンニ」を聴いたとたん、それまでの僕と全く逆方向に大転換してしまったのです。ベートーベンの音楽は厳つさを感じて、敬して遠ざける雰囲気もあるのですが、それでもベートーベンは一度聴き始めてみれば、もうそんなことは問題外で、ひたすらノってしまいます。一方モーツアルトの音楽には、いつの間に引き込まれています。ホンワリと、包まれるように、乗せられてしまう。この「いつの間にか」というのがモーツアルトの本質ではないでしょうか。

僕は日曜日などに、勉強しながらバックグラウンド・ミュージックのようにこの「魔笛」のレコードをかけました。友人達と一緒に二期会の魔笛を観に行ったのですが、その時はまだ「魔笛」の構造はよく分かっておりませんでした。それなのに説明して呉れというので、楽譜を買って来て勉強し、まるで大昔から知っていたみたいにトクトクとやったのですが、まだまだ「ド」シロウトの説明でした。でも、そのうち音楽に惚れてしまいました。この時の「夜の女王」はベルリンで「マクベス」を歌って評判の人でしたが、マクベス夫人と夜の女王を両立させるなんて凄いな!と思った次第。実際には大したことありませんでした。
最高音Fを含む「夜の女王」を歌うには独特の声と才能が必要です。今を盛りと常に紹介されるエディタ・グルベローヴァも僕が自分の耳を信じるかぎり、アリア集だったら出ているが、全曲盤では最高音F(第1幕に一カ所のみ)が出ていない。これ本当!しかもグルベローヴァは隣り合わせの音を、繋がる音みたいにポルタメントをつけて歌ってしまう。第2幕のアリアでいうと、前打音を3回づつ2度繰り返す所、この3度目の前打音に、わずかながら下品さを感じませんか?どうして人々はこれを見抜けないのか不思議に思っています。おまけに音程が甘い。グルベローヴァに関してはあの素晴らしい「ナクソス島のアリアードネ」で打ちのめされたとはいえ、シュトラウスとモーツアルトを混同してはなりません。あれほど素晴らしかったツエルビネッタも、夜の女王としてはダメだと密かに思って来ました。

それでは誰が最高音に達しているかというと、僕の正直な答えはクリスティーナ・ドイテコムです。最近でこそドイテコムにいちゃもんをつけるのがファッションみたいになっていますが、あれが出た当時は猫も杓子も絶賛していたものです。ドイテコムこそ僕の耳には正当な夜の女王だと思います。彼女の歌は全てがカクカクと四角い階段を昇り降りするみたいだと言われますし、確かにそういうところがあります(彼女のノルマもそうでした)が、夜の女王はああでなくてはならない。なぜドイテコムはダメ?もっと他の人ではどうか、と好奇心を刺激して思い出したのがサザーランド。商業録音したレコード(1幕のアリアだけ入っている)ではサザーランドも最高音に達していません。ただ彼女の実況盤の中に最高音が一瞬だけ聴こえた歌唱がありました。スタジオ録音ではありません。

またザルツブルク名物の人形劇芝居のなかに、「魔笛」を扱うものがあります。実はそれはフリッチャイ指揮のレコードを利用してやっているのですが、その夜の女王はリタ・シュトライヒです。そしてパミーナ/パパゲーノはマリア・スチューダー/エルネスト・ヘフリガーというもの。そしてそのメリットは、パミーナ/パパゲーノの喋りの部分を歌手でなく専門の者を当てていることでしょうか。案外良い工夫かも知れません。あとはカラヤンの若い時分の録音がありますね。ゼーフリートがパミーナを歌い、ウイルマ・リップが夜の女王を担当したもの。台詞の大半がカットされているのはがっかりですが、でもカラヤンの指揮は実に勢いがあって素敵です。キビキビしていて、無駄が無いからです。
今手元にある「魔笛」のリストを以下に示します。ショルティ(ドイテコム)、カラヤン(リップ)、フリッチャイ(シュトライヒ)、クレンペラー(ポップ)、エリクソンLD(ノーディン)、ザヴァリッシュLD(グルベローヴァ)。

ここでエリクソンのは、有名な監督の童話風演出であり、ザヴァリッシュのはミュンヘンでの実況です。これらを比較しても僕にとっては相変わらずショルティ盤がいいと思います。ウィーン少年合唱団を起用したのも当りです。この部分は大人の女声では老けすぎると思います。

少し昔、横浜で観た「魔笛」があります。アームストロングの夜の女王でしたが、この人は別の機会にはワーグナーのメゾを担当していました。当日は生粋のソプラノだと思ったのですが、案外ああいう強い声の持ち主が夜の女王、というのが正解かもしれません。またビデオで見た程度ですが、ルチアーナ・セッラの夜の女王は、良いソプラノだったと思います。あと少し粒が大きければスターになれたのに、と思います。韓国のスミ・ジョーの夜の女王は役作りの段階を紹介する番組で見ましたが、当時はまだだと思いました。でも、あとで日本の某有名ソプラノと一緒に歌う番組で見たら、明らかにジョーの方がスケールが一回り大きかったと思います。
ここでは夜の女王にこだわりましたが、「魔笛」全体としては大切なのはパパゲーノですね。それは分かっております。でも最初に観たのが、かの畑中良輔さんの歌うものだったし、あまり見かけに注意しない時代のものでしたから、避けているのかも知れません。どうしても僕は女声中心になってしまうんですよ。でもパパゲーノを巧く歌うことは凄く大事だし、その目で選ぶ事も大事だと思います。「魔笛」を代表するものとして一曲だけ選べと言われたら、2人の武士の合唱の部分をとりたいとも思っています。またパミーナが一人で嘆く場面(3人の童子たちが加わるところ)もなかなか素晴らしい。男声の登場する場面は音楽は素晴らしいが、ただ何というか、そのプロットに無理があるかな、あまり尤もらしくないプロットだな、というのが正直な印象です。一昨年僕が最後にウィーンに行った時の宿泊先はホテル・ベートーベンだったのですが、その隣にある劇場で「魔笛」は初演されました。あれこれ考えつつ劇場を観るのも楽しいことです。

ニューヨークで「魔笛」を観た時の印象記が当時の日記には下記のとおり記されていました。
メットにモーツァルト「魔笛」を見に行った。指揮はプリッチャード、舞台装置はシャガールが制作したものだそうである。パパゲーノ、タミーノ、夜の女王、弁者の多くが今シーズンがメットへのデビューということだが、出来栄えはまちまち。タミーノ(セス・タッコイ)は唯一のアメリカ人で、やや浅黒い顔だが余り巧くなく、声そのものにも魅力が無い。パパゲーノ(クリスチャン・ベッシュ)はウィーンのフォルクス・オーパーの出身だとかで達者な演技と良い声をしていた。エーリッヒ・クンツを思い出させる。パミーナはレオーナ・ミッチェル。問題はリタ・シェーネの夜の女王だ。全く声の無い人で、第1幕のアリアではとうとう最高音を出せなかった。第2幕のアリアでは硬い声質のコロラトゥーラをこなしてどうやら面目を保ったが、夜の女王を唯一の楽しみにしていたらしい妻はいたく失望したようである。夜の女王は常に物々しい扮装で登場する役だから、その仰々しい衣装やメークアップと釣合うだけの凄味のある歌を聴かせてくれないと拍子抜けになる。聴衆の1割ぐらいはドイツ語が分かるとみえてセリフの場面では笑い声のざわめきがしばしば起きた。今世紀の初めか19世紀の終わりか忘れたが、メットができて間も無いころ、長らくドイツ語だけのシーズンが続いたというくらいだから、ニューヨークのドイツ系は多いのだろう。アリス・タリー・ホールの室内楽の演奏会などは殆どドイツ系の聴衆だそうである。モーツアルトの音楽そのものは実に美しい。3人の童子はボーイソプラノによって歌われたのだが、涙が出るほど美しい。序曲もしかり。
日本のある同僚は、僕が「ドン・ジョヴァンニ」に入れ込んでいると聞いたが、自分は「魔笛」の方だ、と言っていました。先に述べたザルツブルクの有名な人形劇オペラでも彼を見かけたのですが、彼は恥ずかしそうにコソコソと会場から出て行く所だったのです。それを僕の鋭い視線がキャッチしました。なぜ恥ずかしがるの?「魔笛」は素敵な曲ですよ。ただ考えてみると、「魔笛」って少々教訓臭いところがありますね。真面目につき合っていると、ナンだコレ?と思う瞬間もプロットの方々にあります。もう少し笑い飛ばしてくれたらなあ、と無いものねだりをしている僕です。再生装置には「遠い声」と「近い声」の両方が生きれば申し分なし、片方だけなら「遠い声」でしょうか。どちらを選んでも他方を捨てたという不満が残ります。「魔笛」はイタリア・オペラっぽいドイツ・オペラ、と言えばお分かりでしょうか。
<<第12話へ イラスト 第14話へ>>
<<「音楽のすすめ」表紙へ
キット屋倶楽部のトップへ戻る