キット屋倶楽部
音楽の
すすめ by F高
イラスト
第16話 トリスタンとイゾルデの超越 (2006.7.13)
皆様こんにちは。今日は「トリスタンとイゾルデ」をご紹介しましょう。あの序曲を聴くだけで唯事で無い音楽がこれから始まるのだ、と背骨がまっすぐになります。こういう曲を聴いたり観たりするのに、古い時代のご婦人方みたいに、音楽よりもおしゃべりの方が優先というのは全く解せません。あのゆっくりした旋律を聴かされると本当に猫にマタタビです。18歳の冬の暗い季節の夕方、大学のトイレに行った時、暗かったし、もう人は居ないだろうと思って、安心して「トリスタン - 」の序曲を口笛で吹いて小用を足しました。途中で音楽を止めたら、何と暗闇の奥にあったボックスの中から口笛が聞こえ、僕の口笛のあとを継いで吹かれたのです!どこの世にも、好きな人はいるものですね。

今日車で買物に出掛ける時、iPodに入れた音楽をFM放送経由で流していたのですが、その音楽はピアノ曲ばかり。そして出て来たのはピアノにアレンジした「トリスタンとイゾルデ」でした。ホロヴィッツの最後の録音に含まれていたもの。これを聴いて思ったのですが、やはり「トリスタン - 」はオーケストラで聴かなくちゃな、ということです。ピアノでは旋律が途切れがちになるし、高揚する音楽を荒らさずには88鍵では任せきれない、と思います。それにピアノでは押しの強さ、粘り強さ、限りない悲哀という「トリスタン - 」のエッセンスを伝え難いのではないか、と思うからです。
時代は10世紀前、舞台はケルト民族の活躍したところ。コンウオールの騎士トリスタンはアイルランドに攻め入ったが、体に刀キズを受けて一人漂流します。それをアイルランドの王女イゾルデが拾い、看病して全快させます。繰り返し、繰り返し例を言う騎士は自らをタントリスと名乗り、去って行きます。そのあと、コンウオール王であるマルケの使いとして、再度アイルランドにやって来て、イゾルデをぜひ王の妃にと所望し、祝福されて帰国の途に。ここまでがオペラに無い箇所です。船の中でイゾルデは口もきかず、黙っていましたが一転して爆発。トリスタンを呼びつけ、一緒に毒杯を飲もうと迫ります。すでにイゾルデはこの騎士に恋していました。それ故にこそ、年寄りのマルケ王なんかに嫁ぐのはイヤで仕方が無かったのですね。それは侍女ブランゲーネが毒薬を媚薬とすり替えて飲ませたから、もはや隠す衣は消え、恋の炎に燃えます。夜、両人は密会して幸福の絶頂を楽しみますが、マルケ王一行に露見してしまう。わざと自らを傷つけたトリスタンはブルターニュに運ばれます。そのキズを直す為に、イゾルデと、全てを知ったマルケ王一行が到着しますが、間にあわず。トリスタンとイゾルデはそこで死んでしまう。これが全体のプロットです。

古今東西の指揮者達の個性がこれほど表れる曲も珍しいと思います。テンポの設定とか、強弱の取り方とか、間の取り方、アッチェレランドの取り方、等々、「トリスタン - 」を実際に上演する時は気が狂いそうになるのではないでしょうか。ドイツの指揮者Kは「トリスタン - 」の第2幕を終えてから、心臓マヒで倒れました。全く勝手な表現ですが、これで良かったのではないでしょうか(済みません。本当にこういう言い方をして)。「トリスタン - 」を指揮する最中に倒れるなんて!

かつて銀座で「トリスタンをイメージすると」、という題の画展が開かれたことがありました。新聞広告を観て銀座に出掛けたのですが、どこだか全く分からない。交番で尋ねたらお巡りさん曰く「ここは銀座だよ、軽く見ても200店もの画廊があるんだよ」。やっとたどり着いたら、予想したのと少し異なり、全面一色の構成の油絵群でした。なるほど、と思った次第です。それが許されるのが「トリスタン - 」なんですね。真っ青も可、真っ白も可、もちろん真っ赤も可。はたしてトリスタンに最も相応しいのはどれでしょう?

ヴィーラント・ワーグナーの演出した「トリスタン - 」はあれで正解だと思います。あまりゴテゴテと小道具が出ない方がいい。バイロイトではヴァルナイ、メードル、またはニルソンとヴイントガッセンらの競演でしたが、それも昔話になりました。あれ以上大道具が増えると演出の邪魔になりそうですね。僕はやはりヴィーラントは天才だったと思います。それにバイロイトの演出も常に更新されています。決してヴィーラントが怠け者ではなかった証拠です。
あの1幕でイゾルデは何を考えていたのでしょう。彼女はひたすらトリスタンのことを想っていたが、それは考えるという行為を超越したものだったのではないでしょうか。恋しいトリスタン、でも憎むべきトリスタン、今自分をマルケ王のもとへ運ぼうとしているトリスタン、これらがごしゃごしゃと前半部を覆って、じっと我慢していたのでしょう。それが1幕後半に爆発するのです。彼女がブランゲーネに伝える形で歌う復讐の歌!ブランゲーネなんて問題じゃないです。イゾルデの視界からは消えています。ああそれなのに、復讐!、死!と叫ぶのはヒステリーの限界を越えた時です。トリスタンだって同様です。男性の弱味としてトリスタンは叔父マルケのもとへ連れて行かなければ、と自分の義務を考えますが、それでも本質的にイゾルデと同じ想いでいました。

ブランゲーネが両人に飲ませた媚薬なんて、単に両人のかねてからの想いを自己規制から解放するために役立った程度。ですからコンウオールに到着してもどこに着いたかさえ分からない。万歳、万歳という男達の歓声も耳に入らない。これこそ恋の骨頂ですね。僕は初めて聴いたときからこの何とも言えない重い空気に呪詛され、いったいこれは何だろう、と思いました。「トリスタン - 」を一生に一度も聴かないで過ごした人、これからも聴きそうも無い人は可哀想です。恋の何かを知らないで過ごすなんて考えられません。

ですからこの1幕の音楽はじっと我慢の音楽です。いつか爆発するであろう歓喜の瞬間を待っているのです。このような形は「若きウエルテルの悩み」の世界ですね。僕が18歳で聴いたのは天の配慮と言わざるを得ません。フルトヴェングラーが12歳で、ワルターが13歳で、ベームが14歳で「トリスタン - 」の洗礼を受けたと聞きますが、僕の場合は音楽家になるには遅すぎたのですね。もっともこれはワーグナーの仕掛けたワナにかかったという事ですから、ワーグナーという怪物仕掛人を想えば、憎たらしいものです。だるく、せつなく、身の置きどころがないあの感覚!

初めて「トリスタン - 」に接した18歳の初秋からしばらくはこれが続きました。しかも年末恒例だったバイロイト実況放送は、たまたま「トリスタン - 」のある年。あらゆる障害を予め取り除き、寝転がって手製のラジオでイヤホーンでじっと対訳を見つつ全曲を聴きました。もう少しするとあのイゾルデの法悦が待っているぞ、と叱咤激励して。ニルソンは素晴らしく若々しい声を飛ばします。途中で席を立ったのはトイレタイムだけで、殆ど身じろぎもせず。翌19歳のときはこの対訳本を持って葉山海岸まで海水浴に出掛けました。電車が混んだので立ち詰めでしたが、その中で僕が本に夢中になっているのを見て、友人達はせせら笑っていました。

そして暴力的とも言えるあの第2幕の音楽導入部に!そしてそれに続くあの2重唱に僕はイカレタのです。グラディス・クフタとハンス・バイラー。決して第1級品ではなかったかも知れない。しかし問題外でしょう、この場合。刻々と迫る朝の暁にむけて必死で余韻を楽しむ2人!その彼等に向けて必死のブランゲーネの嘆願。この背後に流れる音楽はまさに天国ですよ!いや天国なんて言葉では表せない、もっと媚薬的なものだ。半音階的な音の上昇。クレッシェンド、また歌手達の、諸々のコンプレックスを吹き飛ばす勢い、熱気、そして爆発へ向けての音楽のエネルギー!思い出すだけで興奮してしまいます。CDではマルタ・メードルが素晴らしい。

ここでは声の透明感なんて忘れてしまう。透明な声を北欧の海に擬して讃えたのは、諸先輩の影響ですが、40年を経て、ようやくそれから脱却できました。今欲しいのはそういうものでなく、情熱です。実際声なんかどうでも良いのです。大事なのはその使い方です。透明さだけ追いかけると情熱が消えてしまいます!欲しいのは人間の血の匂いです。メードルにはそれがあります。たぎるような人の血の匂い。メードルは、フラグスタートよりも、ヴァルナイよりも、そしてもちろんニルソンやシーリアよりも確実に情熱を感じさせます。今更メードルに魅力を感じるのは僕だけでしょうか?また僕はメードルとヴィントガッセンの対話は素晴らしい緊迫感を与えていると信じます。それにしてもメードルやヴァルナイが並立した時代は今では夢物語ですね。滅び行くもの、皆うつくし。

これをあとで購入したフルトヴェングラー盤を聴くと、“ブランゲーネの警告”のバックに鳴っているヴァイオリンの音の巧みさに驚きを覚えます。そしてバイロイトでは370個の明かりを点滅させて雰囲気を出していますね。あれも大好きです。実は僕自身の引退記念パーティをやった時、BGMに「トリスタン - 」を使いたいと思い、色々試みましたが、帯に短し襷に長しでした。やはりフルトヴェングラー盤が一番に違いないのですが、あれ少し音がグルーミーですよね。全く聴いたことの無い人にもはっと驚く音楽を、なんで余計なスケベ心を起こしたので苦労しました。バーンスタイン指揮のCDは第2幕の各フレーズの先頭にアクセントを付けて音楽を進めています。でもこれ、キャストが弱い!ペーター・ホフマンのトリスタンが全く魅力が無いのです。もっと古い1952年のバイロイト実況のカラヤン指揮のもの、これは音が貧弱ですが、全体的な抵抗感はありません。カラヤン/メードルのCDには惹かれますが、これが後で録音したヘルガ・デルネシュによるイゾルデのCDになるとつまらない。まるでセロリのサラダ。昔クリスタ・ルートヴィッヒと一緒に録音するという噂がありましたが、今思えばやめて良かったと思います。カラヤンが若い日に求めたのはメードルだったし、その方が遥かに魅力があります。

そして第3幕。あきらめを意味するオーボエの響きに、涙が浮かぼうと言うもの。これが分からなくてどうして「トリスタン - 」が好きなんて言えるだろう、と今は思っています。色々あったけれど、イゾルデは来るかもしれないが、それよりまずトリスタンの耳を捕らえたのは、子供の頃から聴き慣れた古いブルターニュの歌でした。故郷ですよね。人間歳を取ってくるとやたらと故郷を意識します。それです。オーボエは、はかな気に鳴りますが、その中でトリスタンは自分のことを延々と述べます。これを聴くと慰められ、うなずくのみ。僕は50歳を過ぎたころから、この部分が大好きになりました。それまでの第2幕の感激はそういうこともあるけれど、と注釈して。最後のイゾルデとの再会はもうどうでもいいのです。音楽的には「愛の死」があるから、そこも聴かせどころなんですが、もう聴き手にとってはそういうこともあるな、というところ。

今手元にあるCDは下記の通り。フルトヴェングラー(フラグスタート)、ベーム(ニルソン)、C.クライバー(M.プライス)、バーンスタイン(ベーレンス)、カラヤン(メードル)、ヨッフム(ヴァルナイ)、ライナーLP(フラグスタート)、ベーム=オランジェLD(ニルソン、ヴイントガッセン)、バレンボイムLD(マイヤー)、シュタインOT(リゲンツア)、クナッパーツブッシュ抜粋LP(ニルソン)、ライトナー抜粋LP(ヴァルナイ)、ロジンスキー抜粋LP(トロウベル)、ローター抜粋(メードル)。
ニューヨークでは下記のようなトリスタンがらみの事件がありました。
大晦日にあった「トリスタンとイゾルデ」(ジェス・トーマスだけがプロのソリストとして出る予定で、他は学生のはずだったが、実際は逆にトリスタンが学生でイゾルデとしてベリット・リントホルムが出たらしい。)。女性の指揮者(サラ・コードウェル)だったが、とどのつまりはトレーナーだったとニューヨーク・タイムズは評した。この大晦日はC夫妻のパーティに呼ばれていたので「トリスタン」を見送ったわけ。
なおこのコードウェル女史は今年3月23日に亡くなりました。

また下記のような記事を僕の古い日記に見つけました。
11月末にあったシンポジウムにはウィーンで長く生活しているNW氏も来ていて、その晩のパーティで夫人の姿を初めて拝見した。ウィーン育ちの人でイゾルデという名を持つオーストリア人である。僕はさっそく紹介して貰い、そのイゾルデという名に敬意を表した。「母がつけましたの。とっても"トリスタンとイゾルデ"が好きでしたのよ。さしずめ夫はトリスタンかしら?」とニコニコ笑う。続いて「ばらの騎士」が話題になり、僕は色々なレコードの中ではエーリッヒ・クライバー指揮のもの、つまりマリア・ライニング/セナ・ユリナッチ/ヒルデ・ギューデンのトリオによるものが最も好きだと述べたところ、自分もそれがベストだと思う、と同意してくれた。

またこの曲を日本で観たときの記録も古い日記(下記)に乗っています。
ホルライザー指揮 エバーディンク演出、ギネス・ジョーンズのイゾルデ、ゲルト・ブレンアイスのトリスタン、テオ・アダムのマルケ王、トルエリーゼ・シュミットのブランゲーネという構成。ジョーンズのイゾルデは赤い衣装だったが、髪まで赤毛に見えたのはまずい。素直にたらした髪ならうなずけても、アフロヘアが伸びたように波打った大きな束は王妃としての気品を損なう。ジョーンズは顎がはずれるような、口の中が全部飛び出すような実に巨大な声で歌った。こんな大きな声は聞いたことがない。ニルソンより大きい。
「トリスタンとイゾルデ」で僕が最もこだわる箇所は下記の部分です。すなわち第2幕中頃、“ブランゲーネの警告”の場面です。下の楽譜参照。
譜面
  <<訳詩>>
  私の注意に目を覚まされませ。
  眠りの中にも悪い予感がします。
  どうか目を覚まされませ。


ここでahnt (予感がする)と言っている所に太い線が弾いてありますが、コレは僕が勝手に引いたものですが、ここの背後ではヴァイオリンのすすり泣きが聴こえます。僕はこれが良く聴こえることを「良いトリスタン演奏」の条件としていますが、フルトヴェングラー盤が唯一、満足すべきものでした。ベーム盤等では全然泣いておりません。
「トリスタンとイゾルデ」、生きている間に一度は聴いておいて欲しい曲ですね。これは「遠い声」で御聴き下さい。その方がいいと思います。あまりクローズアップして鑑賞しないこともお勧めします。だってトリスタンはまだ少年、イゾルデはまだ少女なんですよ。余り中年の脂肪で守られた姿は見たくないですからね。バイロイトのように明かりを点滅したものを見る時だけ、あのLDをご覧になることをお勧めします。そして聴くべきは、第一にフルトヴェングラー指揮のCD、またカラヤン/メードルのCD、そしてベーム指揮のバイロイト録音盤でしょうか。ベーム盤のブランゲーネ(クリスタ・ルートヴィヒ)だけ、少し強過ぎますが。トリスタンとイゾルデ、最高の音楽の楽しみを与えてくれます!是非、是非御聴き下さい!
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