キット屋倶楽部
音楽の
すすめ by F高
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第18話 薔薇の騎士の豪奢 (2006.7.13)
皆様こんにちは。今日は「薔薇の騎士」をご紹介します。大体リヒャルト・シュトラウスという作曲家にはいぶかし気な視線を向けていた経験があります。あの砂糖菓子みたいというのがかつてのモーツアルトに対する評価だったとすると、R.シュトラウスは砂糖そのものだという感じでした。ところが歳をとった時、これが大層楽しい音楽だと再評価することになったのです。第3作「薔薇の騎士」を聴いていると、何か後ろめたいような気持になることもありますが、でもその魅力には抗し難い。特にあの初演時のことを考えるとR.シュトラウスという人の、社会と対決しても、という覇気が感じられるではありませんか。ウィーンで作曲されながら、ウィーンでは上演が許されず、それならドレスデンで行こうという判断!そして「薔薇の騎士」号と名付けた特別列車が続々とドレスデンに集結して行ったという話。

初演でどういう評判だったかは推して知るべしですね。官憲の判断と民衆の判断に差があることを証明したようなもの。あんなイヤらしい曲、という前者の判断と、何だっていいじゃないか楽しければ、という民衆の判断。結局は民衆の勝利でした。今ではウィーンの売り物の一つ。だいたいウィーンってそういう所があるのですよ。そもそもはハプスブルク家を追い出しておきながら、その遺産を観光資源にして稼いでいますし。稼げるなら何でも可となるのです!これこそヨハン・シュトラウスのこうもりの世界であり、R.シュトラウスの考えた世界そのものです。シュトラウスは上演中の出し物がどれくらいはやっているかと言う点に神経を尖らしていたという伝説があります。でも構わないのです、僕は。それはワーグナーという作曲家は嫌いだけどワーグナーの作品は大好き、というのと合致します。でも不道徳かも知れませんね。
華も最終段階にあるヴェルデンベルク侯爵夫人(32歳位の大公妃、元帥夫人)とその親戚のロフラーノ伯爵(17歳、オクタヴィアン)は一夜を夫人の寝室で明かす(侯爵は留守)が、翌朝侯爵夫人の親戚のオックス男爵の訪問を受ける。オックス男爵は近く新興貴族ファーニナルの娘ゾフィーと結婚するので、儀式として花嫁に薔薇を渡す「薔薇の騎士」役の適任者を推薦して欲しいと言って来たのである。侯爵夫人は即座にオクタヴィアンを推薦。オクタヴィアンは女中に化けていたが、男爵は早速手を出す。薔薇の儀式を無事にすませたが、ゾフィーとオクタヴィアンは互いに一目惚れ。その現場を捕らえた男爵にオクタヴィアンは剣を抜いて相手をキズ付けてしまう。騒ぐ男爵だが、ワインを飲ませ、朝逢ったばかりの女中との逢い引きを臭わせるとご機嫌になる。酒場では女中が実はオクタヴィアンであることが分かり、その現場にゾフィーと父親のファーニナルが現れ、もう結婚しないと言い出す。大混乱になった酒場。またそこに侯爵夫人が自ら現れ、候爵夫人は全てをゾフィーとオクタヴィアンに譲って静かに退出する、というストーリー。

その「薔薇の騎士」が好きなあまり、僕自身の結婚式のBGMに採用しました。あの第3幕の3重唱を選び、それに合わせてゆっくりと歩み、3重唱の終わりで到着するという、冷や汗もののタイム・スケジュールでした。僕が29歳の時です。これに一夏かけてレコード選びをやりました。何でも良いとは限らないからです。そしてエーリッヒ・クライバー指揮のレコードから、マリア・ライニングの元帥夫人、セーナ・ユリナッチのオクタヴィアン、ヒルデ・ギューデンのゾフィーというトリオ、それにウィーンフィルの録音を利用することにしました。

今持っているのは次の通り。映像付きのものが多い。E.クライバー(ライニング)、バーンスタインLP(ルートヴィヒ)、ヘーガー(レーマン)、ショルティLD(テ・カナワ)、カラヤンLD(シュワルツコップ)、カラヤン(デラ・カーザ)、C.クライバーLD(トモワ・シントワ)、ヴァルヴィーゾ抜粋LP(クレスパン)、カラヤンCD(トモワ・シントワ)

米国人の友人には「薔薇の騎士」は長過ぎるという人がいます。僕があれはエンターテインメントだよと言いますと、だからこそもっと短ければ、と答えたのです。そもそも彼はモーツアルトのピアノ協奏曲しか興味がないという人だから、あとは推して知るべし。でも僕はめげずに「薔薇の騎士」のメットの切符を彼にプレゼントしました。
第1幕の開幕のベッドシーンは素晴らしい。これは演出家の領域でしょうが、やりがいがあります。どの程度部屋を装飾するか、とか色々頭を悩ませるでしょう。そしてオックス男爵との会話、それと対峙するマルシャリンの表情。これを考えると、やはりシュワルツコップは偉大だと思うのですよ。あれだったら視覚的にも耐えるし、最上のマルシャリン(元帥夫人)ですね。視覚に限れば、キリ・テ・カナワも美しい。ミュンヘンで観たジョーンズも良かったけれどジョーンズはもう少し庶民的です。ギネス・ジョーンズは結果的に僕が最も多数回聴いた人です。イゾルデ、ブリュンヒルデ、ジークリンデ、トウーランドット、そしてマルシャリンと5つの主役を聴いています。まず声の大きい人だし、見てくれも良い人です。しかも、僕の個人的な印象ですが、人当たりの良いソプラノだと思っておりますから。

そして第2幕の胸ときめくような音楽。あそこで夢見る少女を具現できなければ、ゾフィーとしてダメでしょう。実際ゾフィーの音楽は全てが夢みたいで、あまりに夢幻的、あまりに刹那的、または先を考えない音楽、と言えます。オクタヴィアンとの2重唱の素晴らしさはその中にあると思います。あそこで現実的なゾフィーだったら、全く夢がなく、それではつまらない。オックス男爵の振る舞いは粗野そのものですが、その音楽は最上。オックス男爵のワルツがそれ。

そして第3幕はこれらの総まとめの意味がありますが、もはやハチャメチャな世界を描く、ハチャメチャに楽しい音楽です。子供達が現れ、パパ!、パパ!と叫んだり、代金を請求する色々な者たち。それをまとめて「さあ、行くぞ!」と号令を掛けるオックス男爵。あれは素晴らしい音楽だと思います。この時、男爵はマルシャリンとオクタヴィアンの秘密を悟っていたと思います。でもそこは、貴族。決してそれを漏らさない。これは漏らしてはならないことなんです。それを守った貴族の血。タメ息が出るようなシーンです。

その後に残されたゾフィーとオクタヴィアンの両人。もう隠せません。全てをさとったゾフィーの堪え難いような苦痛と、それを和らげようとするオクタヴィアンの必死の努力。そして元帥夫人の苦痛をぐっとこらえた言葉、「さあ、あちらで待っていますわ」、とオクタヴィアンをゾフィーに押しやるその努力。人生そのものを描きます。「薔薇の騎士」はかくもすばらしいエンターテインメントだと思います。それも最上の。
最近いいと思うのはベーム指揮のものでゼーフリートがオクタヴィアンを歌うものです。ここでは早目のベームのテンポが、実にこの場面に相応しく思えます。エンターテインメントを楽しみましょう。まだ御聴きになっていない方々には特にお勧めします。聴かず嫌いではもったいないですよ。とにかくお試しあれ。

「遠い音」と「近い音」、その問題がR.シュトラウスのオペラに付きまといます。ベームの指揮を聴いていると、案外「近い音」で聴くのもいいな、って気になります。もちろんカラヤン/シュワルツコップが標準ということを前提にそう申しております。その再生は豪奢さを出すこと。音をケチってはなりません。絢爛豪華な音の洪水を楽しみましょう。それには原則「遠い声」用の機器で聴くのも悪くないでしょう。その方がゆったりと落ち着いて聴けます。終わったら明かりを付けて、さて何を食べようか、ってことになりそうです。それで良いのです。大公妃だって、オクタヴィアンだって、恐らくは後日談があるに違いありません。偉大なエンターテインメント!
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