キット屋倶楽部
音楽の
すすめ by F高
イラスト
第19話 カルメンの色彩 (2006.7.13)
皆様こんにちは。今日は「カルメン」をご紹介しましょう。今手元にある「カルメン」は下記の通り。
プレートル(カラス)、シッパーズCD(レズニック)、レヴァインLD(バルツア)、デルヴォーLD(ベルガンサ)、クリュイタンス(ミシェル)、ペルティエ(スウォーザウト)、クリュイタンス(ロス・アンヘレス)、ヴェルキOT東京(シミオナート)、カラヤン(プライス)、カラヤン(シミオナート)、ミトロプーロス(スティーブンス)、アバド(ベルガンサ)。
「カルメン」、大変な曲ですね。余りに有名、余りに変幻自在、余りに魅力あふれる曲です。何しろ他と比較すれば、ブリュンヒルデを3回やって獲得する名声を、カルメンは1回で取っちゃうんですし。ノルマ、椿姫、イゾルデ、マルシャリン、これらはいずれも難役で僕は大好きですが、それではカルメンは?と出されたら、そうだった!と考え込んでしまう。「カルメン」は多くの人が承知している曲だし、果たして他の曲に勝算があるのか?と、まあこれくらい有名です。

それにこれはソプラノだけじゃなく、メゾ・ソプラノとも競わなくてはなりません。メゾはしつこいですからね。持っていないけれど、マリリン・ホーンとか、オブラスツオワ、またコソットでさえこれを歌っています。古くはコンチータ・スペルヴィア(アリア集のみ)とかも。ソプラノだってレジーヌ・クレスパン等がいますね。それぞれに聴かせ所を持ち、魅力一杯です。その中から選んだのがプレートルです。最近はロス・アンヘレス盤をよく聴くようになりました。
ああまで有名になってしまうと演出家は大変ですね。どこで差を付けようかと血眼になってしまう。カルメンの登場する場面はどうしよう、薔薇の花はどうやって渡そう、「花の歌」はどのように、等々。本来「カルメン」はパリのオペラ・コミークの為のもの、台詞入りの小さな作品だったのですが、ド・ゴール大統領の肝いりでパリ・ガルニエに移されました。今はまたバスティーユに移りましたが。ガルニエに移ったのはド・ゴールの読んだ通り、それがフランスの栄光を表す所だからでしょう。でも、「カルメン」はフランス語で書かれていますが、あれはスペインのお話。スペインってもっと泥臭い所ですよ。それに「カルメン」は第4幕で大盛装して現れるのを常としていますが、あれはやり過ぎ。もっとこじんまりした盛装でいい。音楽自体が雄弁に語ってくれますよ。

「セギディリヤの歌」は大好きです。しかも先にあった「ハバネラ」と違い、ここでは相手との掛け合いです(例え相手が余り歌わなくても、動作でやはり反応している)。一方的な押しつけではありません。それにしてもアンダルシアの地方色を表す曲は素晴らしいですね。実際メリメの脚本からビゼーはどうしてあの色彩豊かな音楽を作曲できたんでしょうか。本当にトランプで占う場面、「アラゴネーズ」、最後の群集シーンへ向かう場面と流れるところ、堪りません。何というステキな音楽だろうと思います。狂い咲きだとしても、余りに多くの良いシーンがあり、それぞれに印象的なのですから。そう考えれば、ビゼーの「カルメン」以外の曲はつまらないと言っても構わないのでは?

そう考えるとロス・アンヘレスのクリュイタンス盤もいとおしくなります。カラスのは、もっとやりたかったなあ、という貪欲さが見え隠れします。レオンティン・プライスのは、カラヤン指揮ウィーンフィルに支えられた帝国主義的「カルメン」と称した人がいたけれど、あれは最後の所だけ。あとはむしろ小じんまりしています。冒頭なんてあれ?という感じで、むしろ軽く、カラヤンにして節制があったか、と。
これは日本でも古くからやっており、成田絵知子さんとか、春日成子さんとか、舞台で観た覚えがあります。もっとも演出は貧相で、原色の布切れを巻き付けたカルメンで、尤もらしく腰をくねらせていたと記憶しています。海外ではメットのグレース・バンブリーの「カルメン」を見たことがあります。ロス・アンヘレスがその時期、ニュージャージーの州立劇場で「カルメン」を初めて舞台で演じていますが、これは山崎豊子さんの小説「白い巨塔」の中に出てくる場面が、実際とは違うという証拠(「白い巨塔」では、今を盛りとパリで歌っていることになっている)。同じ時期にメットではクレスパンが歌って成功しています。そしてニューヨーク・タイムズには「これは魅力的なカルメン」と評されています。カラスは「カルメン」は全く舞台では歌っていません。それどころか、この曲の価値に疑問符を残しております。「カルメン」って余り好きでないと述べているのですよ。彼女は幼少時代に「カルメン」を覚えたというのに。でも旨い!

シミオナートは思ったほど「カルメン」をやっていないし、コソットはさらに稀です。本当のことを言えばシミオナートの「カルメン」がないのは実に残念だが、冷静に考えると、無理して年を取ってから録音しなくて良かったかな、と思えます。シミオナートの声質には年齢依存性があって、どんどん変って行ったのですよ。若い時分にウィーンでカラヤンと入れたのがありますが、あれは素晴らしい。はっとするほど節制が効いていて、テンポは遅めで控えめ、要するに大人の「カルメン」です。残念ながら全曲でまともな音は聴こえません。また清純な感じのヒルデ・ギューデンがミカエラを務めます。そしてシミオナートは旨い!僕が持っているのはウラニア盤ですが音の悪さには目をつぶらなくてはなりません。それが可能ならば、CD ケースに印刷されたカラヤンと、それと向かい合うシミオナートの幸せな時代を感じられるなら、聴けます!しかも楽しめます。

リーゼ・スティーブンスの「カルメン」もあります。何となく頼りになる大姉御のカルメンって感じです。どこでも早いテンポで歌っていますが、声そのものは前半で魅力が乏しく、後半になってやっと火がつきます。幕切れなんてマリオ・デル・モナコのドン・ホセのそれも火がつくので、なかなかの聴き物ですよ。デル・モナコのホセは前半ではがっかりしますが(特にフランス語)、後半を聴いてから感想を述べるべきだったと反省を迫られます。決して巧くはないのですが、一途さ丸出しの所が魅力!ルシル・アマーラのミカエラは声がやや散漫ですが、カルメンと声の対比は良く取れています。

テレサ・ベルガンサのカルメンというか、アバド指揮の「カルメン」は、やはりオーケストラ指向の指揮者の指向が出ています。ベルガンサは最後まで余り存在感が無い感じです。何よりも問題はドン・ホセ役のプラチード・ドミンゴの声が貧相にオーケストラの奥から聴こえるということでしょうか。これは台詞のあるタイプの楽譜を使用していますが、ドン・ホセももう少し存在感を聴かせて欲しかったな、というのが僕の感想です。これなら上記のシミオナートやスティーブンスのものの方がマシ。

他のキャストではコレルリのドン・ホセというのも、デル・モナコのそれも巧くない!デル・モナコって大当たりする役柄と、全くダメな役柄があるのですね。その原因の一つはフランス語でしょうか、プレートル盤のドン・ホセ、ニコライ・ゲッタは良いと思います。バルツアとつき合っているカレラスはさらにいい。アメリカで鳴らしたスウォーザウトのCDは余り魅力がありません。そしてベルガンサのビデオ。これは困ったものです。そしてデルヴォー指揮のベルガンサ盤は、ベルガンサ最後のスカラ座出演の頃でしょうか。何ともベルガンサの姿がまずいと思うのです。中年丸出しで贅肉が垂れ下がっています。無理してビデオを撮らなくも良かったのになあ、と思ってタメ息をついています。実際あれを見るまでは、ベルガンザに期待していたのに。

チェチーリア・バルトリがカルメンをやったら、とも考えてみたのですが、あれは初めからビデオに向いていない顔ですから無理。残酷ですが、これはオペラの宿命です。声は誤摩化せますが、姿はどうにもならない。バルトリみたいな歌手は、実際の舞台を遠くから観るものなんですね。テレビ・カメラのアップには向かない。その点もう歳をとり過ぎたけれど、かつてのアグネス・バルツアが一番ではないかと思えます。でもビデオを撮るのは普通は功なり名を遂げてからですから、撮る時は既に遅いのですよね。その意味でバルツァが「ホフマン物語」を入れておいてくれたのは感謝ものです。あれはヒーローもヒロイン達も全員が良い。まずカルメンに相応しい役者をつかまえ、何でも良い時期に撮影しておくこと。オブラスツオワのカルメンの画像がありますが、近景すぎてしまい、どう思ったら良いのでしょう?結論として現存のものではバルツアのものが最適でしょう。
カラスの「カルメン」。本人がどう思っていても、現存の中では一番好きです。またプレートルの指揮ぶりもラテンの風を感じて大好きです。畳み込むようなテンポ、フィナーレに持って行く迫力、等々で満足させてくれます。あえてそれ以外を選ぶなら、思い切ってクリュイタンス旧盤かカラヤン盤でしょうか。家内はバルツアのが一番好きと言っています。各自の好みで選びましょう。オーディオ・システムには鮮やかな色彩感が欲しいですね。是非「近い声」でそれを味わって下さい。今はそう思っています。
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