キット屋倶楽部
音楽の
すすめ by F高
イラスト
(2006.8.1)
皆様こんにちは。先回は「トリスタンとイゾルデ」、「ノルマ」が出て来て、僕が大好きな曲の紹介の山場の一つを越えることが出来ました。一息つきたい気分。特に旧盆の季節も近づきましたし、読者諸賢は快適な夏休みを過ごされますよう!僕の方は、書く方に気を取られて留守がちだった、音楽自体をよく聴いて、再発見を楽しむ作業をしようと思っております。

今回は「アルジェのイタリア女」だけをご紹介しましょう。まずメゾ・ソプラノをめぐる特殊な環境を考えたいと思います。「ミニヨン」、「ウェルテル」、「サムソンとデリラ」という一群のフランス物。そしてロッシーニを中心とするイタリア産のオペラ群、すなわち「セヴィリアの理髪師」、「アルジェのイタリア女」、「チェネレントラ(シンデレラ)」。また本来ソプラノなんだか、メゾ・ソプラノなんだか分からないような一連の曲、つまり「カヴァレリア・ルスティカーナ」とか「カルメン」。主要なものだけでもコレだけあります。しかもフランスでは伝統的にメゾを高く評価する癖がありますね。古くはコルブランまで遡れます。どういう訳か、フランス人はメゾが好きなんです。

通常オペラの主役はソプラノであり、メゾはそれを補完する役割しかなかったのですが、今日では優れたメゾ・ソプラノならソプラノを食うことも可能です。ジュリエッタ・シミオナートの時代のあと、フィオレンツア・コソット、テレサ・ベルガンサ、グレース・バンブリー、シャーリー・ヴァーレットの時代が続き、マリリン・ホーンや、アグネス・バルツアや、フレデリカ・フォン・シュターデが(かつて)仕切っていましたが、今ではチェチーリア・バルトリがいます。彼女達は決して補完的地位に満足せず、堂々と主役を要求しますし、そして出来ます!

そもそもメゾ・ソプラノという範疇は存在しなかったのです。「ノルマ」の初演の時、今日ではメゾが引き受けることの多いアダルジーザ役はグリシでした。それが後になるとグリシは主役の方(「清教徒」のエルヴィラ:ソプラノ)をやっています。もともと楽譜をみれば明らかな様に、殆ど音域的には差がありません。伝統的にそうなのです。例の「ノルマ」のCDでコソットは自らのもつ高音域を聴かせるため、主役たるスリオティスと同じ音域を、スリオティスより強く歌っています(この競争心がコソットのイヤな所なんですが。通常カーテン・コールではソプラノ、メゾ・ソプラノと声の高い順番で、歩く順番が決まっていますよね。でも藤原歌劇団の「トロヴァトーレ」の舞台で、コソットはにこやかに笑顔を振りまきながらも、日本人ソプラノより15cm前に出ようとしてたのですよ)。逆に言うとノルマとアダルジーザは両方とも本質的にソプラノなんです。カラヤンが生前最後に計画だけしたように、フレーニとリッチャレルリという組み合せも、まったく正当なんです。
さて「アルジェのイタリア女」は、そのようなメゾに主役を設定したロッシーニのごく若い時代、21歳の時の、若書きの作品です。この若さというのが大切です。「セヴィリアの理髪師」だって26歳の時の作品です。それで成功したら、今度はオペラハウスの方からお願いにやって来ます。これ痛快!だって駆け出し時代は出版社が相手にしてくれなかったのが、ひとたびこの人だったら稼げる!と思われたら立場は逆転します。ビジネス・ポリティックス。そして「チェネレントラ」だって負けずに素晴らしい曲だということを保証します!あの「チェネレントラ」は実際聴いてみるとあらゆる点で素晴らしい。ちょっとだけ長過ぎるのが問題かもしれませんが。いろいろ考えた結果、この「アルジェのイタリア女」を代表曲に選びました。「セヴィリアの理髪師」だって構わないのですが、若書きの曲を選んだ次第です。実際これはロッシーニを代表する曲だと信じます。

この「アルジェのイタリア女」の舞台はアルジェ、時は17世紀、大守ムスターファの妃エルヴィーラはコロラトウーラ・ソプラノに割り当てられますが、主役ではありません。あくまで主役は海賊に捕まったチャキチャキのイタリア娘のメゾ・ソプラノのイサベラです。そしてズルマという妃の侍女はもう一つ声の低いアルトです。この3人の女声陣に対し、男声の主役はトルコの大守ムスターファです。イサベラの恋人リンドーロはテノールですから通常なら主役に準ずるのですが、ここではあくまで脇役。あくまで男の主役はムスターファです。あと海賊船船長ハーリとイタリア人タッデオがいますが、共にバリトン。あらかじめムスターファに捕まっていたリンドーロが、新たに捕まったイサベラと再会しますが、ムスターファは妃エルヴィーラに飽きてイサベラに大関心を寄せる、ということ。騙しながら逃走を図るイサベラ。そのためには食べたいだけ食べ、その間外部からの話しかけには全く応じない、と言うパッパタチという儀式を捏造したりした結果、まんまと成功して逃げ出すというお話。ストーリーは他愛無いものですが、ロッシーニではストーリーはこのようにハチャメチャな方が楽しいんです。
1950年代始めのシミオナートの「アルジェのイタリア女」のレコードは活気にあふれています。唯一の弱点はモノーラル録音だってことでしょうか。さいわいベルガンサがステレオで後続の吹き込みをしました。あれもいい。しかもうんと若い時代のベルガンサですからね。あまり手練手管で聴かせちゃいけません。素直に歌いましょう。カラスではオーバーになりかねない。実際カラスは同じロッシーニの「アルミーダ」をフィレンツエで、また「セヴィリアの理髪師」と「イタリアのトルコ人」の2曲をスカラ座で歌いましたが、後2度と歌っていません。ああいう軽いロッシーニにはそれなりの歌い方があるのですが、カラスはそれはダメ(あるいはイヤ)と直感的に感じ取ったものと思います。レコードのシミオナートは旨いけれどやや老けた声だったかも知れない。とすると、ベルガンサはうってつけ。

この「アルジェのイタリア女」全曲をバルトリに歌って欲しいと思うのは僕だけじゃないと思います。それもアリア集でなく全曲盤を。ただもはや舞台では無理でしょう。バルトリってトリルはずば抜けて巧いけれど、一息吸ってから、やや構えて歌う癖が問題かも知れません。それが鼻につくなら、やはり一番良い時代にCDに録ったベルガンサかな。またはマリリン・ホーンも巧い。巧すぎるくらい巧い。最も声のあるメゾ・ソプラノでしょう。もっとも妻はマリリン・ホーンの声はぞっとするって言っています。その胸声は男みたいに逞しい。

僕はこの曲をメットで観ましたが、そのパッパタチの場面に、イタリアのスパゲッティを食べる場面を挿入するとか、さんざん演出家は遊んでいました。でも楽しかったですよ。さすがニューヨークにイタリア人は多いですから、そういう演出はすぐ分かるのでしょう(僕のアパートの家主がイタリア人でしたし、最初にいろいろ買物に連れて行ってくれたのも別のイタリア人でした。イタリア人って一度慣れると実に親切なんですよ。我々が車を持っていないのを知って、帰国時に車で送ってくれたのも彼等です。日本にまで子供たちのネグリジェを送ってくれたし。どこかマフィアの匂いがあったかも知れませんが)。日本でも一度観たことがあります。いつもワーグナーじゃなくて、こういう曲を時々混ぜると体が休まります。
今手元にあるのは次のものです。ジュリーニ(シミオナート)、ヴァルヴィーゾ(ベルガンサ)、ワイケルトLD(ゾッフェル)、アバド抜粋(バルツア)、レッシーニョVHS(ベルガンサ)。

このLDはドイツのシュビティンゲン音楽祭の実況ですが、これが素晴らしい。主役のゾッフェルという人は余り有名でないのですが、あれだけコロコロと声を転がせたら文句ありません。そして周辺のキャストも素晴らしい。舟がゆれるところを、水夫たちが一斉に背の高い旗を少し傾けたり、また逆方向にも傾けて表すなど絶品です!そしてロッシーニ特有のアンサンブル、「もう理性が吹っ飛んでしまい、頭がフラフラ、何が何だか分からない」という場面の6重唱で素晴らしいアンサンブルを聴かせます。メットの100周年記念演奏会ではエッダ・モーザー、セスト・ブルスカンティーニ等のアンサンブルがやったのですが、それも素晴らしかったと思います。またVHSで残っているベルガンサの若い日の記録(1957年)は、アテレコらしい感じがします。ベルガンサのメークアップも今みると随分野生的なイサベラだな、と思わせます。まるでジプシー。これは別録音だからでしょうが、何となく学芸会風と言えばお分かりでしょうか。やはり一般的に言えますが、実況録音、実況録画の方がスタジオ録音より緊張感があって良いと思います。
上記「アルジェのイタリア女」、そして「セヴィリアの理髪師」、「チェネレントラ」はいずれも名品だと書きましたが、音楽の流れもそっくりです。上段に書いたような、「もう理性が吹っ飛んでしまい、頭がフラフラ、何が何だか分からない」なんてセリフは、「セヴィリアの理髪師」のアルマヴィーヴァ伯爵にも出て来ますね?そういう風なプロットの繰り返し、自作からの旋律の借用というのもロッシーニには多いのです。また多くたって構わないと僕は思います。聴き手をしてウキウキとさせて呉れる音楽だからです。逆にロッシーニの諸作品の中で最もつまらないのは、最後の、喜劇ではない「ウイリアム・テル」じゃないかと思いますが、これはたまたま面白くない演出だったから、僕が勝手に思い込んだだけかも知れません。

同じカテゴリーだからついでに「セヴィリアの理髪師」等も比較しちゃいましょうか。シミオナートのロジーナは2種類あって、古い方のチェトラ録音のLP盤はエコーが過剰に掛かっていて楽しめません。より新しいデッカ録音のCD盤の方はずっとマシです。これはロジーナの一種のスタンダードと言うべき品。カラスのはお上品でびっくりします。何か英国の午後のお茶に呼ばれて行ったらカラスがこの曲をやっていた、という感じです。それだけ熱が低い。ロス・アンヘレスのはおばさん風ロジーナ。その積もりで聴かないと最後まで付いて行けないかも。またバルツアはもっと歌わせてよ、という感じです。彼女はもっとトリルを歌いたくてフラストレーションを感じているかも知れません。もう一つロバータ・ピータースのものがあります。「セヴィリアの理髪師」にはメゾ版とコロラトウーラ版の2つありますが、彼女は完全なコロラトウーラ・ソプラノとして歌っていますから、通常聴かない装飾音を聴けます。余り深く考えないでひたすら声を楽しむ分にはこれでいいのでしょう。またマリリン・ホーンのは相変わらず巧いのですが、彼女の低声は好きずき。でもホーンのトリルの切れ方は抜群です。

「セヴィリアの理髪師」はボーマルシェの戯曲に基づく話ですが、むしろこの後日談たる「フィガロの結婚」が有名ですね。あの伯爵夫人は、この「セヴィリアの理髪師」におけるロジーナの、しばらく後の姿。「フィガロの結婚」はロジーナに飽きた伯爵の物語。残りの役柄の多くも両方のオペラで共通。「セヴィリアの理髪師」のLD では若き日の伯爵役のテノール、それも軽薄とも思えるような声のテノールが歌います。そのテノールは余りテクニックが無く、バルトリの方はトリルが切れに切れるため、テノールは気の毒なくらい。うんと若い時代のバルトリはそうでした。ただ、バルトリはあっと言う間に典型的なイタリア女に姿を変えてしまいました。

同年作曲された「チェネレントラ」はおとぎ話「シンデレラ」に基づきますが、必ずしもおとぎ話のストーリー展開ではありません。例えば、継父が悪玉として描かれます。でもそこでは本当にここまで?と言いたくなるほど、面白く、おかしく出来ています。ただしそれが明らかになるかどうかは演出によります。その点、LDになっている「チェネレントラ」(ポンネル演出)は万全でした。素晴らしい。特に王子の従者ダンディーニを演じるバリトン、クラウディオ・デズデーリが素晴らしい。おかしく見えることを全然気にしていないようですが、そう思わせたという点だけでも合格です。また本来順当と思われたテレサ・ベルガンサの代わりに、フレデリカ・フォン・シュターデを起用したのも正解だと思います。歌う技術とは別の基準になりますが、画像付きではやはりこれ!画像ぬき(演技は想像力まかせ)の場合と、画像付き(演技に関する想像力を一部制限される)との比較ですよ。また「チェネレントラ」はDVDも出ていますが、バルトリを主役にしたDVDは少し減点されます。失礼ですが、あの御面相では尻込みしたくなるのでは?と思います。まるで田舎のコゼット(「ああ無情」)?

「チェネレントラ」を耳だけで聴く場合、僕自身はヴァレンティーニが好きです。見てくれは悪くてもCDで聴く限り、最も美しいロッシーニだろうと思います。バルツアのは言わば大姉御を拝聴するみたいです。例のチェチーリア・バルトリは良く切れますが、少し離れて芸術鑑賞をしようか、って聴き方をする時に向きます。あれ少し離れて歌っているみたいでしょう?トリルが効くのは音量を抑えている時だけでしょうか。ヴァレンティーニの方はそれほど芸術展示会をしていません。でもこれは聴き手の気分次第ですね。
フランス人がメゾ・ソプラノを好むって書きましたが、一体なぜなんでしょう?メゾって独特のキャラクタを与えられます。ソプラノがひたすら美しいお姫様だとすると、メゾはもっと世間知恵に長けた人というイメージ。家庭教師とか、知恵袋とか、眼鏡をかけた老嬢のイメージ(失礼!)。何となくインテリジェンスを匂わせます。そのインテリジェンスが醸し出す雰囲気をフランス人は好むのでしょう。デリラなぞは明らかに知恵者ですが、シンデレラもそうだとすると…少し解釈を変えなくちゃいけないかも知れませんね。ところで「セヴィリアの理髪師」にメゾ版だけでなく、コロラトウーラ・ソプラノ版もあるという話をしましたね。コロラトウーラ・ソプラノって、一般に少しお脳の弱いマリリン・モンローのような感じ(実は僕はモンローの大ファン)で受け取られますが、メゾ・ソプラノは全然イメージが異なり、お腹の中に一物を抱えたエヴァ・ガードナーのイメージ。この辺りにヒントがあるかも知れません。

これらのアンサンブルの再現には、個人技鑑賞が中心だったら「近い声」を主張するところですが、必ずしも鑑賞時にどっちの耳で聴けとは主張し難い。そのかわり、このようなアンサンブル・オペラに相応しい指揮者がいる必要があります。確固たるテンポを設定でき、それに乗せることが出来る指揮者。必ずしもカラヤンとかベームじゃありません。このようなアンサンブルの巧みさが全体の成功/不成功を決定するのですね。ここで個人技だけずば抜けていてもダメです。再確認しますが、「近い音」と「遠い音」の良いバランスが肝要です。装置の選択で悩みますね。

とにかく一度これを舞台の実演でご覧あれ。ファンになってしまうこと間違いなし。もちろん他の曲(「セヴィリアの理髪師」や「チェネレントラ」)も同様ですよ。旧盆が明けたら、最近見つかったカラス/シミオナートの歌うCDを中心に、「アイーダ」をご紹介しましょう。
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