キット屋倶楽部
音楽の
すすめ by F高
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第27話 ラ・ボエームの友情 (2006.10.4)
皆様こんにちは。16年昔にある情報会社の方が「自分のようなディレッタントの楽しみ」という趣旨のオペラ讃歌本を書かれました。僕はその初版本の発売日には出張中でしたが、出張先で一冊買い、帰りの新幹線の中で読み切りました。面白かったですよ。連絡したら早速応答があり、それ以来お付き合いさせて頂いております。僕は、僕自身のオリジナリティを大切にしたいので、余り人の意見に右往左往したくないと思ったのですが、最近読み直してみました。そうしたら、本はその著者の本であるという、当たり前のことを実感しました。やはりその人の個性がにじみ出るからこそ、面白いのですよね。インターネットにあるような沢山の情報も、あれば便利だけれど、さしあたって今は不要では、と割り切りました。という訳で、僕のコラムは100%僕のオリジナルです。インターネットで見ると、不思議とワーグナーに関する情報は佃煮にできるほど多く、ベルカント物は少ないですね。
今日は「ラ・ボエーム」をご紹介します。良い曲です。ドイツでは1位の人気だと言います。イタリア・オペラをフンと鼻であしらうドイツ人って、見栄っ張りなんですね。ドイツも辛気くさいベートーベンの「フィデリオ」ばかりじゃないようです。この曲の存在を初めて知ったのは僕が中学生の時、NHKイタリア・オペラの時のフェルッチョ・タリアビーニによってでした。彼は日本の舞台では最も拍手を多く受けた人として記録が残っています。声自体は弱くて透りませんが、そういうのも良いでしょう?小さなホールで聴くのなら味があると思います。ただ、僕は中学生時代はまだこのオペラに馴染んでいませんでした。

一時期ビーチャム盤、つまりロス・アンヘレスのミミが良いという礼賛が風靡したことがあります。でも、僕には全体としてはやや物足りません。ではカラス?カラスは舞台でミミを歌った経験がありません。録音ではやや引いた表現をしています。それならテバルディ?テバルディのミミは等身大ではありません(全てが大きすぎる)が、そういうCDを楽しんで慣れると、離れられなくなります。後で出た録音群、例えばモンセラ・カバリエのミミとか、もっと後で出たミレルラ・フレーニのミミは、余りに声が小さくて(実際に小さいのではなく、そういうイメージがあるという意味)それだけで遠慮したい気分になります。

テバルディのミミ。メットでテバルディがもっとも多く歌ったのはこのミミでした。ただ注意深く聴くと、声が中音域に留まるかぎり全く申し分ないのですが、中音域でのトリック(!)を使えなくなると、難しくなります。でもあの黄金の中音域とでも称すべきところ、あれで歌われるとコロッとなっちゃうのですね。大柄だし、本来のミミではありませんが、それらしく歌った点でテバルディは偉大だと思います。もっと小さな、何処にでもありそうなサイズのミミはどうかといいますと、ミレルラ・フレーニがそうですが、小さすぎるのですよ、一度でもテバルディみたいな大きなミミに慣れた耳には。リューバ・ヴェリチみたいにムゼッタで評判だった歌手もいます。歴史的にはヴェリチはサロメって感じですが、案外この小役が気に入っていたみたい。

このような色々な若い人の集まりは心温まるもので、ムゼッタみたいな女性も、さらにはアルチンドロみたいな人も、みな善人です。ミミが一番妖しいか。よくよく最初からプロットを読んでみると、ミミ娼婦説もあり得ると思います。如何に、たかがローソクの灯を貰うためとは言え、見ず知らずの人の部屋を訪問したのですから。でも、最後には悲しいけれど幸せな大団円を迎えるという、青春小説。
今まで見た「ラ・ボエーム」の中で最も貧相な演出だったのは、さるサロン会場で上演されたものでしたが、衣装からして皆有り合わせって感じでした。また出演者達の靴が泥のはねた靴だったのですが、実は当日は雨だったのです。しかも第1幕のロドルフォの聴かせ所のアリア「冷たい手」では、最後の高い音が出ないで声が裏返ってしまいました。でもこれは「ラ・ボエーム」、決して豊かな生活を送っている人々を描くのではありませんね。そういうゴチャゴチャした点を強調するのは止めましょう。そう考えて、この「ラ・ボエーム」もしみじみと観ました。第2幕はミミたちがラテン地区に乗り出して飲食する訳ですが、その全体の雰囲気の盛り上げ方が素晴らしい。子供たちの味方、玩具屋のパルピニョール!ムゼッタが縦横無尽の活躍を見せますが、あれ結構良い役ですね。そしてミミの別れを含む幕。ミミが互いの幸せのために、って言っていますが、あれどういう意味なんでしょうか。一人暮らしの方が生活費がかかって来ない?ということは?上段の説の根拠ですね。その前にたまご売りとか、朝市で売る品物を抱えた女たちが集まるところ、あの場面の音楽は実にしみじみとしていて素晴らしいと思います。そして、ミミの別れの歌の素晴らしさ!終幕部で皆がみせる誠意、善意、人類愛の世界!だからこのオペラは僕のお気に入りです。僕は決して人殺しオペラばっかり楽しんでいません。そしてテバルディの最後の「皆行ってしまったの?」の部分。言葉にならない素晴らしさ!

歴代の舞台写真を見ると、テバルディは何と幸せそうにこれを演じているのでしょうか。彼女のメットへカムバックした時もミミでしたね。一方、カラスは前述のように、これを舞台でやったことがありません。あとフレーニとか、カバリエのミミも有名ですが、カバリエの巨体でベッドが壊れたという伝説(失礼!)があります。僕は不思議と「トスカ」で述べたような、隠れた敵意のようなものを「ラ・ボエーム」に対しては全く持っていないのです。単に好きなだけ。フレーニ級の小さ目のミミが「ラ・ボエーム」を演じるのを観るのも良いでしょうが、僕自身はたとえ大き過ぎるミミでも、美しく歌われる歌の方が好きです。フレーニは売り出し当時、テバルディの跡目と言われましたが、実際には違いますね。フレーニはフレーニです。真似ではなく、フレー二自身の発声とまとまった演技。ですからフレー二が好きな人はそれで良いんです。フレー二だけじゃない、ということさえ分かって頂ければ!
今まで女声ばかり批評の対象にして失礼しました。ロドルフォとしてテバルディ盤でのカルロ・ベルゴンツイはなかなか良いなあ、と思います。端正でぴったり。思い出してみると「蝶々夫人」のピンカートン役もベルゴンツイでしたね。でもピンカートンには少し真面目すぎるかも。「ラ・ボエーム」のロス・アンヘレス盤のロドルフォはニコライ・ゲッタですが、あれ少し声が小さいですね。少なくともデル・モナコやドミンゴみたいな英雄的な声は相応しくない。あとヴィントガッセンみたいなワーグナー向きの声や、ヴィッカーズみたいに余り綺麗でない声も避けた方が賢明。

現在手元には以下のものがあります。セラフィン(テバルディ)、エレーデ(テバルディ)、バジーレ62パルマ(テバルディ)、ヴォットーLP(カラス)、ビーチャム(ロス・アンヘレス)、エレーデ抜粋(ローレンガー)。

この間も京都の外科医K谷先生から、初台(国立歌劇場)の「ラ・ボエーム」の切符があるけれど、行きませんか、とお誘いを受けたところです。あいにく具合が悪かったので、逆に我が家にご招待して、「ラ・ボエーム」の方は見送りました。テバルディの優しさが凝縮された、その「近い声」がお勧めです。
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