キット屋倶楽部
音楽の
すすめ by F高
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第28話 メデアの朗唱 (2006.10.24)
皆様こんにちは。今日はケルビーニの「メデア」をご紹介しましょう。なぜか「メデア」って能舞台に乗りそうな気がするのですよ。色々とある能の中には、ここに示されたような恐ろしい人間の業を表すものがありますね。かつて僕はあの「トリスタンとイゾルデ」の最後の場面を能に編集することを夢みました。「能-愛の死」です。きっと巧く行くと思ったのですが、その時はまだ世の中を良く知らない時でしたからね。当時「メデア」はまだ知っていませんでしたが、知っていたらきっと同じことを考えたと思います。
メデアの話はギリシャ神話でおなじみだと思います。黄金羊皮伝説。テッサリアの離婚された王妃は子供たちが後妻に冷たくされているのを知って天に祈ったところ、ゼウスから黄金羊が下されたこと、子供たちはその背中に乗ってコルキス(コーカサス)の地にまで逃げ、そこで黄金羊は皮を剥がされ黄金羊皮として宝物にされたこと、それを守るため竜が不眠不休で監視したこと、黄金羊皮は最後に「牡羊座」となったとか。劇作家が色々いて、同じ素材から別のプロットを得ているのですね。それがオペラのバックグラウンドになっています。元々オペラ「メデア」はフランス語で書かれていました。それが今日イタリア語に訳した「メデア」が流布したので、実際オペラをやる時は殆どこのイタリア語版です。だからそのような翻訳で、ギリシャ悲劇の素材をうまく伝えられるのか、という問題をはらんでいると言えるかも知れません。作曲家のケルビーニは、ベートーベンが最高の劇音楽作曲家、と評した人です。

実は数年前にギリシャから国立劇場が来たときに、この「メデア」をやったので、見に行きました。但し演劇であり、オペラではありません。スジは分かっていても全員がギリシャ語でやるので、細かい所を理解したとは申せません。でも多くの役者達がギリシャ風の衣装をつけて長い列をなして、演じるのを観て受けた衝撃は、逆に日本の歌舞伎をギリシャで上演した時に与える衝撃と似ていなかったでしょうか。ギリシャ悲劇って何だろうという疑問を携えてでもいいし、ギリシャ悲劇をモノしよう、という意気込みを持ってでもいいですから、一度体験するのもお勧めコースと言えます。また、かつてあったパゾリーニ監督のカラス主演の映画「王女メデア」。これは少し違いますね。本質が伝わらないのではないでしょうか。あれは残酷さばかりが印象に残っています。友人達を連れて見に行ったのですが、散々な悪評で、僕自身もハラを立ててしまいました。
演劇としての「メデア」
演劇としての「メデア」(朝日新聞1999年5月20日夕刊)より
そもそもギリシャって埃っぽい、赤土ばかりの痩せた土地です。だからこそ、こういう物語を誕生させたのだと思います。あの紺碧の海とか、白亜の壁とか、オリーブの葉とかも確かに有りますが、それは貧しくも厳しいギリシャを美化するための小道具なんです。「メデア」のストーリーはギリシャ神話やギリシャ悲劇を読めば分かります。話はテッサリアの王権を巡る争いから、王子イアソン(ジャゾーネ)は遺産を相続する代わりにコルキスにある黄金羊皮を求められたこと、そこで史上初の海洋航行の大規模船を開発し、それをアルゴー船と名付けたこと、そこにヘラクレスやオルフェウスも同乗したこと、それで黒海の奥深くまで行き、コルキスでメデアと遭遇したこと、エロス(キューピッド)の矢を受けてメデアはイアソンに恋したこと、そしてメデアは黄金羊皮を入手したが代わりに弟を犠牲にしたこと、イアソンは黄金羊皮とメデアを伴って帰国しコリントに住んだこと、イアソンは気が変ってメデアを疎ましく思うようになったこと、ここまでがオペラ「メデア」に抜けている前文に当たる所です。

オペラ「メデア」はここから始まります。コリントの王女グラウチェと結婚するため、メデアと別れようとすること、怒り狂ったメデアは美しい衣装を子供に持たせてグラウチェに捧げるが、それは毒が仕込まれていて、それをまとったグラウチェは則死ぬこと、メデアは竜に引かれた車に乗ってアテネに逃れ王妃になるとか、あるいはペルシャに逃れてメディア王朝を立てたとか、等々。オペラ「メデア」では、子供を殺した後、竜の引く車に乗ってコリントを飛び去る所までをカバーします。このような雄大なストーリーを背負っていますが、あくまでオペラ「メデア」は、メデアとイアソンの間の激情のやり取りを記述するものと考えて下さい。
現在手元には下記のものがあります。セラフィン(カラス)、バーンスタイン(カラス)、ガルデルリ(ジョーンズ)、フィラッティ68年ヴェネツイア(ジェンサー)、ガルデルリ(シャーシュ)、レッシーニョ58ダラス(カラス)+53ダラス(カラス)付き、シッパーズ61年スカラ(カラス)。

全体を通して感じるのは、「メデア」ならカラスに限るんじゃないかという点です 。その音楽は全編、旋律があるような、無いような感じです。むしろ旋律ではなく叩き付けるような叫びを聴きましょう。メデア初登場の場面からしてそうです。カラスの1958年ダラス盤は悪条件ながら、僕はあえてオーディオの音質を決めるテスト・レコードに採用しています。メデアの血を吐くような叫び声が生々しく響くかどうか、が基準になります。「メデア」って良い録音が残っていません。カラスの録音としては不可思議です。唯一のスタジオ録音(リコルディ社の自主録音)は響きが極めてデッドで、あれでは楽しめません。バーンスタインのスカラ1953年盤や、ダラス1958年盤の方が楽しめます。ただ、エコーの掛かり過ぎたものはダメ。またジェンサーの「メデア」はまだ楽しめますが、ジョーンズやシャーシュの「メデア」は優雅過ぎちゃって別の曲みたいに響きます。ジョーンズは声が優しすぎるのです。もう少しエキセントリックでないと。オペラの原語のフランス語でやった場合、あの残酷さが出るのかどうかは、分かりません。一昔程度前に、グレース・バンブリーがニューヨーク・シティ・オペラで「メデア」を歌ったことがあります。本人は芸術的動機だと言っていますが、Opera News誌にあれでは本人のディナー代にしかならない、と皮肉られました。当時のバンブリーは「メデア」をやりたいとメットに主張しても、メット首脳陣が「メデア」はダメと素っ気なかったのでしょう。当時のバンブリーの声と気性は「メデア」にうってつけだったろうに、と思っております。

メデアには子供たちをいとおしむ歌もありますが、本領は復讐心がたぎったところで発揮されます。メデアはどんどん興奮してくるのですね。コントロールを外れて来ます。自分をコントロールし切れなくなると、女は如何に恐ろしい存在になるか、という見本(!)。最後の場面は劇場によって処理の仕方に違いがあるようです。どれかお好みの版を御選びください。僕の好みならバーンスタイン盤の終幕です。今までメデアを演じた歌手達を並べると、まるで性格女優の羅列だってことに気がつきます。それは「ノルマ」のような人情劇とは違って、本当の激しい悲劇です。
「ノルマ」と「メデア」。どう違うのでしょうか。「ノルマ」は如何に激しくても、そこには美しい旋律があり、美しさが支配します。他方「メデア」は、激しい所はひたすら激しいんです。「ノルマ」では子供達に一度はナイフを振りかざしたものの、結局殺すことはできないで終わりますが、「メデア」では殺してしまいます。「ノルマ」ではポリオーネを結局は許す形で終わりますが、「メデア」ではイアソンを決して許さない。あそこまで行ったら、たとえイアソンが何を約束したって、もはや手遅れ。憎し、の一念しかありません。そして結末において「ノルマ」では壮大な合唱やオーケストラと共に、全体がまるでハッピーエンドみたいに響きます。しかし「メデア」はそう簡単ではありません。もう決して許さない、という決心の確認しかありません。だから合唱もオーケストラも、どうしたら良いのか分からない、という形で終幕を迎えます。これが「ノルマ」と「メデア」の違いです。

この「メデア」というオペラ、決してとっつき易くはありませんが、それでも一度その魔力に取り付かれてみたい方、ぜひお試しあれ。特に「近い声」で聴き、血しぶきを顔面で受け止めて下さい。凄いですよ!

最後に、一生懸命でしたが必ずしも満足な結果を残せなかったメデア、ノルマ、アンナ・ボレーナ達をご紹介します。
シャーシュ・チェルクゥエッティ、バンブリー、ジェンサー
左からシルヴィア・シャーシュ、アニータ・チェルクゥエッティ、グレース・バンブリー、レイラ・ジェンサー
HUNGAROTON HCD11904-05-2、SLOVENIA TKM RECORDS TNS、CDS469/1-2、BELCANTO SOCIETY New York(VHS)より
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