キット屋倶楽部
音楽の
すすめ by F高
イラスト
第30話 アンナ・ボレーナの塔 (2006.11.14)
皆様こんにちは。今日はドニゼッティの「アンナ・ボレーナ」をご紹介しましょう。アンナ・ボレーナとはヘンリー8世の2人目の妃のアン・ブリンのことですが、その名をイタリア風に直したもの。ともかく、この曲を一度お聴き下さい。最後まで真面目に聴き終えた時、得られる感動は大きいと思いますよ。実は途中で聴く全ての部分の完成度が高いとは言い難い。しかもこれはプリマドンナ・オペラなんです。つまり際立った歌い手が居なければ、つまらない曲になってしまいます。でもそういうデリケートかつ些細な箇所を通り過ぎれば、素晴らしいんだってことに気が付きますよ。これは何と言ってもカラスが1957/58年にスカラ座で歌った影響が大きい。もちろん詳しく調べればスカラ座で無くても見つかりますが、スカラ座を通すことによって、世界中に素晴らしさが広がりました。そして「アンナ・ボレーナ」を初演したのは、またもジュディッタ・パスタです。

カラスを追うようにトルコのレイラ・ジェンサーも歌いましたし、ギリシャのエレーナ・スリオティスも歌いました。もっと時代が下って、豪州のジョーン・サザーランドもこれをレパートリーに加えました。サザーランドはもっと早く入れておけば、と思ったのですが彼女もこれを歌うのは怖かったのでしょう。ジェンサーのアンを聴くと、しゃくり上げるところとか、若干気になる所もありますが、一応のレベルに達しています。でも続けてカラスを聴くと、ジェンサーには気の毒だけれど、ジェンサーはアンナ歌いじゃないな、という感想を持ってしまいます。何かエネルギーが弱いのです。スペインのモンセラ・カバリエもスカラ座で「アンナ・ボレーナ」を歌う予定でしたが、直前にキャンセルして大騒ぎになりました。カラスの親友シミオナートが舞台に立って観客をなだめようとしたのですが火に油をそそぐことに。でも代役のイタリアのチェチーリア・ガスティアは無事に歌ったようです。サザーランドは衰えてからこれを歌い始めたので、もう口をつぐみたい気分。トロントの実況DVDで観ると、やはり舞台物は遠方から見える舞台姿で評価すべき、と考えますし、やはりTVカメラでアップしちゃいけないのかな、と思いました。

そして2年前に亡くなったスリオティス。このスタジオ録音で初めて僕は、ああ衰えが感じられるな、と思いました。声にツヤがないようです。全てではなく、ポツンぽつんと共鳴の欠けた発声が感じられるのです。音楽評論家T氏はそれにも関わらず、スリオティスを素晴らしいと評していますが、僕はここでは敢えてT氏に賛同しないことにします。むしろスリオティスはカーネギー・ホールで歌った演奏会形式の上演の記録の方が良いと思います。もちろんニューヨークですから、メットへの強烈なデモンストレーションに違いありません。自力で売り込むのです。またニューヨークではそれが可能なんです。

やはりニューヨークはこれから世界を相手に戦おうという若い人にとっては、身震いするような、武者震いするような戦場ですからね。これから世界にノシていくぞ、メットでも歌うぞ、という覇気が感じ取れるからです。1960年代の最後の時期ですね。まさに向かうところ敵なし、という感じです。しかしそれは夢に終わり、今日普通の米国人はスリオティスと言っても全く記憶に残っていないのです。メットへの出演が無かったからでしょう。僕がメットの支配人だったら、スリオティスの声の状態から同じ判断をしたかも知れません。本当にスリオティスの全盛期は短かったのです。スカラ座に22歳で「ナブッコ」でデビューしたあの目覚ましい新人の面影はありませんでした。あっと言う間でした。僕のCD棚にはスリオティスが1966年頃に南米ブエノスアイレスのコロン劇場でやったポンキエルリ「ラ・ジョコンダ」の実況盤がありますが、いよいよ次回は北米に打って出る積もりだったに違いありません。
カラスの「アンナ・ボレーナ」全曲はスタジオ録音がありません。あるのはスカラ座でやった時の海賊盤(実況盤)だけです。スタジオ録音で残っているのは「アンナ・ボレーナ」の終曲部分だけを収めた1958年録音のアリア集だけです。僕も当初はアリア集の方だけ聴いていましたし、それでも十分満足いくものでした。しかし1960年代後半に、実は1957年録音の海賊盤の全曲があるぞ、それはもの凄い演奏だぞ、しかも侍女ジョヴァンナ役をジュリエッタ・シミオナートが歌っているぞ、シミオナートは全力投球しているぞ、等のニュース記事が入ってきて、本当にヤキモキというか、イライラしました。お茶の水の有名なレコード店(前述の潰れた店とは別)にそれを見つけたのでお女将に幾ら?と尋ねたら、LP1枚あたり2万円と答えられました。それは高過ぎる、と店を出ました。女将も困ったような、哀れそうな顔で同情して呉れたのですが。そうしていたら1970年代初頭に、MRF盤という余り盤質の良くない海賊盤が日本にも流布してきました。池袋ヤマハのN口さんが窓口になっていましたので、僕はそれに飛びつきました。

リストを見ると何とあの「アンナ・ボレーナ」があるじゃありませんか。LP1枚当たり3000円。それをまず押さえ、次にカラスの「マクベス」、「シチリア島の夕べの祈り」と「タウリスのイフィゲニア」、またテバルディの歌う「フェドーラ」、サザーランドの歌う「ユグノー教徒」等を買いました。この時同行したのは友人のW辺さんでした。善人で素晴らしいピアニストだったW辺氏にはあえて「マクベス」を買わせました。彼は「カソケキ音だったね」と言い残しましたが、今は故人です。
ロンドンに行った時、「アンナ・ボレーナ」は歴史劇だから実地検証も大切、なんて勝手なことを言って、ハンプトンコートまで行ってみました。あの広い宮殿でどこから入って、どこから出るのか分からず、ウロウロした覚えがあります。記憶にあるのは中にあるオランダ庭園というのが実にこじんまりしていたことでしょうか。また薔薇戦争当時からのテニスコートがあったこと。また王妃達の暮らした塔の内部が興味を引きました。なるほどスカラ座の写真で見たカラスとシミオナートがクビをすくめて出てくる通路というのは、ここだったか、等と感心して見ました。ここがヘンリー8世時代の主宮殿であり、ロンドンでは無かったのですね(そもそも当時ロンドンではどこが主宮殿だったんだか。ランベス宮?それともセント・ジェームス宮?)。

アン・ブリンの肖像画(英国ナショナル・ポートレート・ギャラリーより)
現在手元には次のものがあります。ヴァルヴィーゾ(スリオティス)、ガヴァツエーニ(カラス)、ルイスNY(スリオティス)、ボニング(サザーランド)、プラデルリ67年フィレンツエ(ジェンサー)、ガヴアツエーニ1958年スカラ(ジェンサー)、ボニング1984年DVD(サザーランド)。

もし時間が無ければ、最後の所だけでもお聴き下さい。そこならカラスのアリア集にありますし、しかもステレオです。1958年の録音なので声自体がまだ達者です(どうして全曲を録音して呉れなかったんだよ!レコード会社にこう叫びたい気分です)。やや長目ですが、そこに収まっている音楽は極上です。これぞベルカント!って感じです。あの作曲家ビショップと訴訟で争ったというエピソードのある部分、「ホーム・スイート・ホーム」に似た旋律の部分もあり、雰囲気を一気に盛り上げて行きます。そして最後に鐘の音とともにジョヴァンナの即位を知り、狂ってしまうアンナ。トリルを効かせた部分も、オーケストラの迫力で迫る部分も絶対聴き物です!

これを聴くとドニゼッティという名から想像する彼の他の音楽とはチョット別の味わいがあります。但し、少し我慢してき聴かなくちゃならない所もありますよ。でも最終幕部が勝負です。日本人の林康子さんが「アンナ・ボレーナ」(これが日本デビューとか)をやった時は、猛烈に仕事が忙しい時期でしたが、無理して上野に行って観ました。やはり最後のシーンが素晴らしかった。下に僕の古い日記にあったその記事を書きます。
「1982.7.9藤原歌劇団による「アンナ・ボレーナ」日本初演の2日目を上野の大ホールで観た。林康子の日本デビューである。この欧州で脚光を浴びるプリマドンナが「勝手に日本を出ていったソプラノ」として日本国内では締め出された格好だったのは残念だった。二期会に属しながら一度も二期会に招かれないのは高慢だから、とかギャラが高い(1ステージ100万円とか)ためとか、噂話だけ囁かれてきた。その声は「これなら何処に出しても恥ずかしくない声」と思えるもの。ふっくらと膨らみ、ナーヴェより柔らかい音色で暖色系のカラーを持っている。林の演技は単純で、ただ右手をハンドキスを与えるようにつき出すだけ。ナーヴェは細身長身で、しかも首が長いので見栄えがよい。一方、林は言ってみればずんぐりむっくりで、首も短く、上背がないために随分損をしていると思う。やはり真のプリマドンナになるためには見てくれも重要と思った次第。終幕は林の一人舞台であった。すっかり調子を取り戻し、一人君臨するかのように堂々と振る舞い、テクニックはこの上なく切れ、トリルも難なく、フォルテはピシリと決まる。これならニースでこの曲をやった時にスタンディング・オベイションを受けたというのもうなずける。ジョヴァンナとの再婚の鐘がレコードで聴くより長く繰り返されて響きわたる。その直前の「ホーム・スイート・ホーム」に似た部分も巧いアンサンブルだったと思う。男性陣がセーブして全体を盛り上げるのに献身したからである。林の切り込みも鋭く、声質はふとモンセラ・カバリエを思わせた。終幕はゾクゾクするほどのものであり、いい気分で聴き終え、帰途についた。」
この曲はカラス以後有名になりましたが、マリア・カラス・コンクールで優勝した中丸三千絵さんがCDに一部を残しております(と言っても中丸さんはまだ現役です)。但し全体をカバーしておらず、最後の部分が省かれています。日本人が「アンナ・ボレーナ」を歌うとすれば、これはこれで立派なものだと思います。でもどうして最後の部分を省略したの?あの素晴らしい音楽を?

この音楽をどう作っていくかを考える為には、1957年のダラスのコンサートのリハーサル風景を録音したCDが役立ちます。特に指揮者ニコラ・レッシーニョと歌手の関係が良く分かります。つまりこれを聴くと、カラスが全てを創造したものではなく、個別のアクセントの付け方は、かなり指揮者がゴーサインを出したり、ストップを掛けたりしています。もちろんカラスみたいに歌手の喉が優れていればこそ可能なんですが、ここに聴き取れるのはそのコラボレーションです。何回やり直してもめげず、全力投球を繰り返すカラスの姿は感動的でさえあります。しかも1957年ですから、まだスカラ座公演の成功の匂いが残っています。メットとの関係も悪化していても、まだ縁は切れていません。その状態でカラスが如何にして「アンナ・ボレーナ」を作り上げて行ったかを、これを聴いて想像して下さい。ドール・ソリアはカラスを以下の様に評しています:「芸術家としてのカラスは非難のしようがない。彼女は自分の知る限り、最もプロフェッショナルで、最も誠実で、最も一生懸命働く芸術家だった。」
アン・ブリン門
ハンプトンコートのアン・ブリン門。ここでアン・ブリンは1,000日間暮らした。(著者の撮影による)
僕はドイツが好きだとニュルンベルクの節に書きましたが、それ以前はずっと英国だけがご贔屓でした。その始まりは中学生時代まで遡ります。物心がついた1950年代はまだ大英帝国の残照のある時代でした。世界一贅沢な豪華客船クイーン・エリザベス、世界一早い豪華客船クイーン・メリー、世界最初のジェット旅客機コメット、そしてコンピュータから、ペニシリン等の抗生物質まで、とにかく探せば何でも英国にありました。世界地図の大半はピンク色に染まっていましたし(英連邦国家はピンクと決まっていた)、しかも僕の使った最初の三省堂英和辞書は英国式発音が最初に、米国式は次に書いてありました。また父親から貰った大型辞書には最初に英国国歌が書いてありました。その中で、僕が中学校の図書室から2番目に借りた本は坪内逍遥訳の「リチャード3世」でした(最初に借りたのは岩波新書になった別の本)。立て続けに「ヘンリー6世」、「ヘンリー5世」、「リチャード2世」等々を読みあさり、すっかり英国贔屓に。芝居の「リチャード3世」を見るため、出来たての日生劇場へ出掛けたのもその一環。そして25年後に今度は東京グローブ座で再度観ております。それに英国式ビール、ビターも美味しいですね!大好きです。今でも英国が好きですが、それはオーディオにおいては特別です。英国式のオーディオ装置はサイズといい、聴く時に想定される音量といい、全てが中庸をいくものです。彼等は決して米国人のように、特性一本を何処までも追求するようなことをしません。決して巨大なホールを建てなくては本領を発揮しない機器を求めないで、自分の書斎で音楽を楽しむのです。彼等の書斎って、あまり広くありません。多くは10畳程度でしょうか。だから書斎で再生した時に素晴らしい!とならなければ意味がないのです。ホールで聴いた時みたいに大きな音で聴く人もいるかもしれませんが、それは少数でしょう。この点は繰り返して言いたいのですが、僕は五味康祐氏のエッセイに示された意見に賛成です。ステレオとはイルージョン(錯覚)です。決して本物そっくりな再生しようなんて思わないことだ、と自らに言い聞かせています。但しこれは聴衆として音楽を楽しむ場合であって、もし楽器の状態のチェック等に携わるプロだったら話は別だろうと思います。

家で音楽を楽しむために必要な条件は、まず家族に迷惑を掛けないことです。近所に迷惑を掛けないことも大切です。最低限これが保証されないと、僕自身は音楽を楽しめません。毎朝、ゴミの収集車がきますが朝8時半までですから、起きるのもそれに遅れないように起きます。300m先にあるゴミ捨て場にゴミを捨てるのは僕の役割だからです。引退したら時計は捨ててしまいたい!と言いましたが、それは淡い夢でした。毎晩大きな音で長時間音楽を聴くのも考えものかも知れない。ワーグナーの音楽も好きな僕は遠慮しいしい聴いております。近所の耳もありますし、節度を守らなければなりません(幸い、あまり音漏れはしていないようです)。誰にも迷惑を掛けず、掛けられず、を実行するのは案外と面倒なことが多いのですね。単刀直入に言えば小市民的生活ですが、そういうのを小市民的といって侮蔑できる若さを、僕はもう持っておりません。結局は当たり前の常識人らしく生活をする方を選びました。だからこそ、ほどほどの音量、節度ある音量でも魅力のある装置が欲しいのです。バイエルンのルートヴィヒ2世みたいに、自分だけのためにオペラを上演させられる財力があれば別ですが、その場合だって音楽を皆と共有する楽しみを捨てるのですから、別の問題が生じます。僕自身はやはり皆と一緒に楽しみたいのです。今でも真に自由な生活をしたいとは思っていますが、本気で望むなら自ら芸術家になるしかありません。それは見果てぬ夢です。ルートヴィヒの王国も崩壊しましたね。
ノイシュヴァンシュタイン城
ルートヴィヒ2世のノイシュヴァンシュタイン城(著者撮影による)
英国ではQUADとかタンノイとか、あるいはミュージカル・フィデリティとか、あるいはハーベスみたいな小規模のメーカーが多いのが特徴ですね。ハーベスなんて、夫婦でやっているオーディオ・クラブみたいなものでしょうし。これらは米国のガレージ・メーカーとはやり方が少々違うようです。米国のは音質を追求せずにいられない、という人が好み、英国のは音楽を巧く想像してイルージョンを楽しむ、ってところでしょうか。ここでは僕の趣味とやり方を申しましたが、進歩の為には両タイプとも必要なんですよ。
やはり「アンナ・ボレーナ」をあらゆるイクスキュースなしに楽しむには、カラスを聴くしか無いのでしょうか。実際のところ、そう考えたくなります。これを楽しむ機器は分かりますね。そう、「近い声」の機器です。思いっきり耳を集中させて音と表現をチェックして下さい。

また一つ忘れていたことを追記します。それは前々回「メデア」の所で書くべきでしたが、映画「旅情」でキャサリン・ヘップバーンがヴェネツイアのサン・マルコ広場に居るとき、10人位の楽団がやっていたのが、「メデア」序曲だったのを忘れていました。あそこに楽団が常にいるかどうかは不明(僕は紅茶一杯で随分長居したのですが、楽団は現れませんでした)。「メデア」は序曲だけ有名なようです。そこだけ聴くと随分古典的で端正な曲でしょう?ここで「メデア」、「ニュルンベルクの名歌手」、「アンナ・ボレーナ」と並べましたが、いずれも僕のお気に入りです。次回はベルカント特集を組み、「強い声のベルカント」、「弱い声のベルカント」という2つを書く予定です。お楽しみに。
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