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音楽の
すすめ by F高
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第31話 強声のベルカント・オペラ (2006.11.30)
皆様こんにちは。今日はベルカント・オペラについて述べます。人々はなぜかベルカントと聞いただけで、逃げ腰になるような気がするのは、僕の錯覚でしょうか。前にも書きましたが、ベルカント(bel canto)って、美しく歌う、という意味ですよ。何でもベルカントたり得ます。ただベルカント・オペラを歌う人って、なにか脂ぎった顔をして、栄養に満ち足りた肢体を持ち、知性に乏しい、歌う以外に取り柄の乏しそうな人っていうイメージをお持ちなのでは?それは誤解です。世の中と渡り合う才覚にやや乏しいかも知れませんが、良い人達です。僕は「ニュルンベルクの名歌手」の章で述べたように、あのワルター役の振る舞いは「青い」と思いますが、それだけワルターは正直なんですね。さわやかですよ!

そして、もう一回繰り返して申し上げたいことがあります。僕の書きっぷりから、僕はカラス・クレージーの一人と判断されても当然ですが、僕はカラスの歌手としての才能に驚愕しているからです。決してカラス個人の性格や、趣味を論じてはおりません。カラスを家族に持ちたいか?とか、カラスが隣に引っ越してきたら、というような質問にはむしろノーとお答えしましょう。そういう個人的な生活は無視して、歌手としての才能だけを評価したものです。ドール・ソリアの言葉(「アンナ・ボレーナ」の章を参照)をもう一度思い出しましょう:『芸術家としてのカラスは非難のしようがない。彼女は自分の知る限り、最もプロフェッショナルで、最も誠実で、最も一生懸命働く芸術家だった』。
ベルカントはイヤだと仰るアナタ、でもモーツアルトの曲だったら平気で堂々と歌えるでしょう?格調が高いし、万人が認めるから?モーツアルト自身は「なに、僕の格調が高いだって?」と笑い飛ばし、「僕もベルカント仲間に入れて呉れ」と言いそうな気がしますよ。そこで、ここではベルカントの曲を、僕の趣味で色々と並べさせて下さい。「強い声のベルカント」、「弱い声のベルカント」の2種類の曲があります。世に言うコロラトウーラの曲とは、主として後者を指しますが、前者だって素晴らしいものはありますよ。ベルカント=コロラトウーラ=プリマドンナ=わがまま歌手=技術しかない歌手、という誤解が世間にあるようなので、何とかその誤解を解きたいと思います。まずは強い声のベルカントから:

モーツアルト「魔笛」の夜の女王役は、強い声で凄みを感じさせるソプラノです!でも、コロラトウーラは弱い声が多いので、夜の女王役もそうだろうと、よく間違えられます。最近買ったCDのアーノルド・エストマン指揮スウェーデン録音の「魔笛」は、序曲など新鮮さを予測させますが、結果的には学芸会風でした。ここで夜の女王を歌うのは韓国のスミ・ジョー。ジョーは今ではもっと貫禄ある歌を歌っていますが、10数年前にはまだオズオズと歌っています。またマリナー指揮のCDではシェリル・スチューダーが夜の女王を歌い、これは迫力があります。オーケストラのテンポがエストマンよりずっと速い。スチューダーは顕微鏡的に聴くと少し引っかかる所がありますが、声質自体は強い声。またカラヤン指揮のスカラ座実況盤(シュワルツコップのパミーナ)は、全体がイタリア語でやや違和感があり、またリタ・シュトライヒの夜の女王は声質が夜の女王らしくない。ベーム指揮のウィーン録音(ヒルデ・ギューデンのパミーナ)では、ウィルマ・リップが夜の女王ですが、正直言って凄みが足らず。
エディタ・グルベローヴァ(左)とクリスティーナ・ドイテコム
エディタ・グルベローヴァ(左)とクリスティーナ・ドイテコム
(WPCS-21146、及びメットより購入のカレンダーより)
「魔笛」には夜の女王の歌が2つありますが、どちらかと言えば後の方、つまり第2幕の<胸は怒りに燃え立ち>が有名ですね。でも音の高さでは第1幕の<恐れるな若者よ>の方が3度も高いのです。途中ですっかりこれなら行ける!と思わせておいて最後にこの最高音が一つ控えているのです。これを突破するとあとは静かになっちゃうんですけど。これをまともに歌った実演に接したことはありません。録音ではかのクリスティーナ・ドイテコムが正確で、ヒステリックな声で歌っています。他方CDで聴く限り、エディタ・グルベローヴァは、僕の耳にはややフラット気味。但し元同僚のM松さんはウィーンで何度か聴いたけど、彼女には感心するのみ、と賛辞を捧げています。また某ソプラノは超高音でつまずかないように、最初からオーケストラを低めに調弦して、その箇所をクリアしたように見せかけていたので御注意。

最近、銀座のレコード屋で偶然エリカ・ケートを夜の女王とする「魔笛」のレコードを手に入れました。ジョージ・セル指揮、リーザ・デラ・カーザのパミーナ、ワルター・ベリーのパパゲーノというキャスト。問題のケートですが、トリルの階段をしっかりと踏んで居ないような声です。ケートの声はそれなりに魅力的ですし、軽く聴く時はこれも楽しいのですが、さあ聴くぞ!って時は投げやり風に聴こえてしまい、ダメなんです。昔誰かが、あれで今一歩品が良ければなあ、と嘆息していたのを思い出しました。夜の女王らしくない、強い声に分類し難いような夜の女王でした。

少し前にアレッサンドロ・レツイアというイタリアの新人の来日公演(朝日ホール)を聴きに行ったことがあります。いつもくたびれた歌手にばかり接していると、たまには若い、活きの良い歌手に接したくなるもんです。テバルディの再来というふれこみでしたが、印象はむしろ、うんと若い時代のカラスでした。まだ20代ですが、これからの数年間が勝負という感じ。何といっても声が大きい。全身で声を出しますから、これで最高音が出たらなあ、と思ったものです。先頭のヴェルディ「ナブッコ」のアビガイーレ役のアリア<ああ私の発見した運命の書よ>の、最後の最高音は残念ながら出ませんでした。本人は出しているつもりですが、なお4分の1音ほど低い。アビガイーレのアリアってわくわくさせるような感じですよね。さあ、のしてやる、出てこい、ってところ。しかしレツイアは叶わず。出せる人も稀に居て、例えば全盛期のエレーナ・スリオティスはスカラ座を制覇しました。レツイアも大変な逸材だと思うし、何とか高い音が出ないかなあ。あの図太い声で、あの最高音が出れば世界を席巻できる、と踏んだのですが。

さらに一寸後に東京都芸術劇場でのディミトラ・テオドシュウのリサイタルにも行きました。レツイアほどたくましくはありませんでしたが、レツイアを島津亜矢とすればテオドシュウは田川寿美、と言えばお分かり頂けるでしょうか。「マクベス」とか、「アンナ・ボレーナ」とか、「メデア」まで出て来たので、アンコールは「ノルマ」か、と期待しましたが、それは期待のし過ぎでした。その「マクベス」で彼女の呼吸が一瞬乱れたのです。さあ行くぞ!と決心がついた時の呼吸は普通の場合と違うのです。それが直前にへばってしまって、最後の瞬間に無理と悟り、低い音で済ませました。あの音は低い音で済ませても、それで楽譜通りだから、それでもいいのです。ただ期待した人はがっかりしたと思います。それでも最近は彼女の「ノルマ」公演や「アンナ・ボレーナ」の公演の話が予告されています。

「ノルマ」は、実際にはかなり低い音が多く、ただ音が頻繁に上下するからこそ、難曲だと言われるのです。「ノルマ」につき物の難しさを乗り越える技術としては、各音に適切にアクセントを付けて声を出すことではないでしょうか。どうすればアクセントを巧くつけられるかどうか、どの音に付ければ尤もらしく響くか、について虎の巻はありません。ただ「ノルマ」の楽譜をよく勉強しておくしか無いようです。チョット前にアクセントを付けるとか、ぐっと腰を低くしてから飛びかかるように高音をこなすとか、あらゆる方法をトライして下さい。

これが巧いと、ヴェルディの「ナブッコ」におけるアビガイーレ役の歌も効果的になります。具体的には畳み込むように歌うこと!スタートの火ぶたは切ってしまった、さあこれから行くぞ、周りは黙っておれ、ついて来い、と叫ぶのに似た勢いとクレッシェンドです。そしてこれができる者がスターになれるのです!大編成のオーケストラを従えて堂々と歌うこれらの役からは、カタルシスを得られますね!辺りを圧するような圧倒的な存在感。カラスはこれが得意中の得意でしたし、しかも練習をたっぷりしていたと思います。カラスは人目が無くても練習に励んだに違いなく、練習、練習の連続だったに違いない。我々はその出来上がった姿しか見ないから、カラスは天才だから参考にならない、なんて勝手なことを言いますが、本人にとってはトンでもないことです。これは舞台に実際に立つ者だったら誰しも分かるはずです。
ここでヴェルディ「ナブッコ」のプロットを復習しておきましょう。時代はユダヤ人のバビロン虜囚の頃。この時のバビロン王はナブッコドノゾールという名前なんですが、通常ナブッコと呼ばれています。王には2人の娘がいて、長女アビガイーレは常に王の側に侍る勇ましい娘。妹のフェネーナはユダヤ人に同情を寄せています。しかしここに重大な秘密がありました。ある日アビガイーレは自らの出生が奴隷の子、と記した書類を見つけたのです。烈火の如く怒ったアビガイーレ。それなら自らアッシリアの女王になろうと決心します。王の精神状態が曖昧なのを良い事に、フェネーナを捕らえます。そのうち王の精神が正常に戻って、王権は再びナブッコのもとに。ユダヤ人達がバビロンを後にすることを許します。そしてアビガイーレは後悔して毒を飲んで死ぬ、というお話です。

この中の合唱<行けこの想い、黄金の翼に乗って>は統一期のイタリア国歌になぞらえられた曲でした。アッシリアの平原にすっくと立ち、満点の星空の下で繰り出すそのソプラノ・ドラマティコ・ダジリタの声は聴く者にとって実に心地よいものです。恐れを知らず、万物をものにしようという野心の塊がこのアビガイーレ役です。大地を揺るがすような低音から、2オクターブに渡って音程を上下するトリルの洪水。だからこそ、これを歌えるかどうかでプリマドンナかどうかが分かるのです。

エレーナ・スリオティス
アビガイーレ役を歌うエレーナ・スリオティス
(Opera News誌より)
またアリア集ではメゾ・ソプラノのアグネス・バルツアやフィオレンツア・コソットも「ナブッコ」を歌っていますが、やや低血圧。日本人の片岡啓子さんも歌っていますが、その印象はあまりポジティブではありません。最高音は避けているし、ここぞっていう所でテンポをぐっと落としています。ビルギット・ニルソンもアリア集で「ナブッコ」を歌っていますが、「血の通うベルカント」とは若干違う感じ。もう少し体温がないと。また一時一世を風靡したブルガリアのゲーナ・ディミトローヴァは、舞台も観ましたが、音程が散らばってしまい、思ったような効果が出ていませんでした。

高い音は「ナブッコ」の最後の音なんですが、ここは カラスよりスリオティスの方が万全の声を聴かせます。でもこの直前の下降音程はスリオティスでは甘く、そこはカラスの勝ちです。いずれにせよ、この「ナブッコ」という曲はソプラノが本当にソプラノ・ドラマティコ・ダジリタなのかどうかを占える、格好の試金石と言えます。1969年にディミトローヴァがブルガリア語で歌った記録があります。確かに高音部はドラマティコ・ダジリタですが、この最善時の記録をもってしても、最後の高音への跳ね上げは聴けません。2オクターブ低い安全運転。下記は「ナブッコ」の楽譜ですが、2オクターブの音のジャンプあり。
【「ナブッコ」より――2オクターブジャンプ】
「ナブッコ」楽譜
C.F.Peters Corporation, New York, U.S.A.より
また強い声の例として「マクベス」を取り上げましょう。ここでは<日の光が薄らいで>です(下記参照)。まるでアルト。カラスの場合は胸声に落としてから歌います。太い胸声ですから逞しく、アルト歌手みたいな声で歌い出します。やはり低音域がしっかりしていることが、世界的プリマドンナの条件なのですね。音域の広さ、声の突然の2オクターブに達する音のジャンプ、等が求められ、激しく声にヤスリを掛けるような歌手泣かせの曲!血が熱くなり、目が血走りますし、興奮で胸がドキドキします。でもそれが世界制覇を左右するとなれば、頑張らないと!それとも撤退しますか?
【「マクベス」<日の光が薄らいで>より】
「マクベス」楽譜
C.F.Peters Corporation, New York, U.S.A.より
上記のように、低い声が肝心。これで世界を制覇するのは楽しい夢ですね?個人技を検討する場合は、当然、飛びかかるような、血の滴るような生々しい「近い音」の出る機器を鳴らして下さい。これは花に例えれば、スクリーン一杯に巨大な花が次々と現れ、競い合うような音楽ですね。大輪のダリア、ひまわり、牡丹、巨大チューリップのイメージ。
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