キット屋倶楽部
音楽の
すすめ by F高
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第32話 弱声のベルカント・オペラ (2006.11.30)
皆様こんにちは。今日はベルカント・オペラのもう一つの側面のお話。ここではあの「ノルマ」と同じ作曲者のベルリーニの作品である「夢遊病の女(ラ・ソナンブラ)」と「清教徒」を取り上げましょう。何か裏哀しい、優雅な旋律に満ちた、弱々しい音楽。決してノルマみたいに逆上するとか、我が子を殺そうとする、という強い心はありません。ただその弱々しい音楽だからこそ、かえって心の琴線に触れることが多々あるわけです。

僕は時々ですが、CDの「夢遊病の女」のフィナーレの部分にあるアミーナ役の歌を好んで掛けます。あれは実にはつらつとした、ノリの良い音楽です。その前部は面白くも何とも無いのですが、フィナーレになると俄然活気づきます。カラスのスタジオ録音は1957年録音で、「夢遊病の女」としては、やや録音が遅かったかな、と思わせます。僕は最後の場面なら、むしろサザーランドがニコラ・モンティと共演したCDで楽しみます。彼女の歌の粘液質ぶりがイヤな人でも、この部分だけは大丈夫という安心感を持てますよ。サザーランドだったら62年のニューヨーク実況も同様に楽しめます。むしろこちらの方が熱気があって本物らしくビンビン響く。サザーランドの、私だってコレくらいやれるわよ!という得意になった顔が目に浮かぶようです。それくらい挑戦的、挑発的です!
ここでは「夢遊病の女」をCD同志で比較してみます。最近買ったアンナ・ネトレプコのアリア集を取りあげます。ネトレプコに対するは、古典的標準であるカラス(C-nと記す)と、もう少し後のサザーランド(S-nと記す)。まずネトレプコを聴きますと、声に影があることに気がつきますが、これは良い事です。つまりソプラノの声に取り憑く影は、そのソプラノが低音も出せる可能性を示すものだからです(僕の私見!)。直後にカラス1957年盤(C-1)を掛けますと、カラスはテンポを守っていますがその分、奔放な声の威力が少々減じているのに気がつきます。所々かすれている。それでは、と1956年盤(C-2)を掛けると、声の威力を発揮し易いテンポを選んでいます。そしてトリルの階段と真面目に取り組み、誤摩化しておりません。本当に見事なコロラトウーラでした。全体としては1956年盤(C-2)が気に入りました。

一方、サザーランドの1962年盤(S-1)の出始めは、眠いのに起こされた、って感じなのです。その布団をはぎ取られ、眠いのを我慢して歌い始めるのですが、最後のカバレッタに至ると突然しゃきっとします。ここから後を聴くと、ボニングも捨てたものじゃない、という印象を持つ次第。さらにレッシーニョ指揮の1961年盤(S-2)を掛けると、テンポがボニングと全く異なって、全体が素晴らしいものになります。これも捨て難い。もう一度ネトレプコを掛けると、問題ありません。ネトレプコを買われた方は、まずそれを楽しんではどうでしょうか?案外良いでしょう?ネトレプコを買った後に、カラスとサザーランドという反対の性格を持った歌手と定期的に比較調整して、アナタの好みや趣味を常時チェックして見ては?

今手元には次のものがあります。
ヴォットー(カラス)、ボニング(サザーランド、チオーニ)、ボニング(サザーランド、パヴァロッティ)、レッシーニョ62年ニューヨーク(サザーランド)
一方、ベルリーニ作曲「清教徒」の方ですが、これは対応する作詞家が、ノルマの時と違う作詞家だったため、ベルリーニは余り気が乗らなかったと言われます。カラス神話を書く時は必ず引用されるのは、1949年にまだカラスがぺーぺーだった頃、「ワルキューレ」をヴェネツイアのフェニーチェ座で歌っていたら電話で呼び出され、「清教徒」のプローベ(舞台試演)をやらされた話。カラスは驚くべきこの話を実行し、無事に「ワルキューレ」と「清教徒」という、重量級代表の曲と軽やかさの代表曲の両方を無事にやり終えられたこと。ここにカラスがなぜ急遽「清教徒」に呼ばれたかという原因を作った人、マルゲリータ・カロージオ(たまたまその晩に病気になったソプラノ)のCDがあります。無難に歌っていて、コレだけしか無ければ存在価値を主張できるでしょうが、カラスを一度聴いてしまうと、カロージオの印象が薄くなっても仕方がないかな、というところ。

ビバリー・シルズ
「清教徒」のエルヴィラを演じるビバリー・シルズ
(メットで購入したメット・カレンダーより)
「清教徒」を僕はルチア・アリベルディの舞台で観ました。この件を京都の外科医K谷さんに話したら、彼はアリベルディを余り高く買っていないようでした。同感ですが、彼女の東京録音のヴェルディ「椿姫」のCDを聴いてみますと、全ての最高音をまともに出しています。欠けていたのは「凄み」ですね。僕は「清教徒」のエルヴィラ役は、カラスの2番目の正規録音(初録音は「ランメルムーアのルチア」)で、初めて全曲を通して聴きました。カラスは全曲盤以前にも、RAI放送のための番組(現在CDなっている)で、「清教徒」のアリア等を盛んに歌っていました。そして僕自身が40数年前、最初に買ったカラスのレコードは、まさにそういうレコードでした。

御陰で彼女の歌うエルヴィラのテンポは身体にしみ込みました。僕の約30年前の古い日記を読むと、新旧両者を比較して、何と円熟したことだろう、と驚愕しております。長い旋律を弱々しい声で糸をつむぐように歌い、特に下降する箇所でこんなにまで、と驚くほど制御された声を聴かせます。大きく弧を描くようなピアニッシモの音の階段です。こんな見事な弱音の階段を聴かせてくれるソプラノはカラスをおいて知りません。まさにテクニックと言う言葉はフル・ヴォイスでなく、ピアニッシモにこそあるという証明。しかも最後にはフル・ヴォイスで最高音をクリアしていますから、そこでスカッとできます。カラスは素晴らしい、とは言っても、サザーランドも決して悪くない。こちらは声の技術よりも声の美しさをイヤと言うほど味わわせて呉れます。「無遊病の女」と同様にネトレプコの「清教徒」も全曲盤はまだありません。フレー二の「清教徒」も持っていますが、結構巧いのに驚かされます。それも弱々しくなく、むしろ強目の声で歌っていますが、最後の音は安全運転で、音を2オクターブ下げています。

今手元には3種類の「清教徒」のCDがあります。セラフィン(カラス)、ボニング(サザーランド、チオーニ)、ムーティ69年ローマ(フレー二)。
ここに示す楽譜は「清教徒」のアリア<君の御声が>というものですが、これこそベルカントっていう感じで、聴くたびにうっとりします。世に言われる「人類の書いた最も美しい旋律」と呼ばれる部分で、僕は大好きです。小学生時代はともかく、中学以降なら学校でも是非聴きたかったな、と思います。そう、オペラって学校では余り教えて呉れないですよね?この楽譜と同じ旋律でありながら、この後に続く部分では伴奏の左手はひたすらスンチャッチャを4拍子で繰り返すのですが、テンポを自由に変えて行くあたり、素晴らしい!
【「清教徒」<君の御声が>より】
「清教徒」<君の御声が>楽譜
BMG Ricordi, S.p.A-cia Mascagni, 160-00199 Romaより
カラスには1957年ダラス公演のリハーサル盤というのがあります。一般にカラスは多くの場合、後で録音したものの方が、彫りが深いのです。チェトラ録音のアリア集(放送録音)と比較しますと、53年全曲盤のカラスの方がずっと彫りが深いし、さらにこの1957年録音のリハーサル盤ではさらにそれが際立ちます。しかも最高音を全力投球して出しています(そのためか、「清教徒」の直前の「椿姫」では最高音を出さずじまいですが、リハーサルだから許しましょう)。カラスのは明らかに声をコントロールしてやろうとする意志を感じます。この「君の御声が」の後半にならないとトリルの洪水を味わえませんが、でもここに示した出だしの部分も、何とも深い味わいがあります。しかもピアノ(弱声)でですよ。たったこれだけで、表現次第で迫って来る音楽、それがベルカントです。
リリー・ポンス
「ランメルムーアのルチア」で<狂乱の場>を演じるリリー・ポンス
(Opera News誌より)
またドニゼッティの「ランメルムーアのルチア」はあの<狂乱の場>のために、高い音が続くと思われがちですが、全体としての音程は低く、最高音より1オクターブ低いB程度でしょうか。エリカ・ケートも「ランメルムーアのルチア」を歌っていますが、その<狂乱の場>の終わり近く、凄く目立つ箇所ですが、最後の大詰めの高音が出ていません。またネトレプコも<狂乱の場>を歌っておりますが、その大半でつつがないものの、やはりケートのつまずいた箇所(最後)と、もう一つ前の幕切れで高音を出さず仕舞い。「ルチア」も難しい曲なんですね。またリリー・ポンスの「ランメルムーアのルチア」のCDも持っていますが、その印象として、ポンスは決して下手ではありませんが、強烈に訴える点がやや乏しい。しかし見栄えの美しいルチア役。

ところでアラ・ソレンコワってご存知でしょうか?1957年に来日した、ソ連(当時)のコロラトウーラ歌手なんですが、そのCDを最近入手しました。ソレンコワの名前だけは42年前から知っていましたが、実際に聴いたのは今回が初めて。このコラムに書くために銀座のレコード屋で獲物を物色していた時、ふと横にあった特別陳列棚を見たら、このCDがあったのです。僕が買ったあとは2枚しか残っていません。聴いてみると、濁りやビブラートの無い、まるでボーイ・ソプラノみたいな声です。その歌曲「うぐいす」は印象的です。ただ正直申しますと、僕自身の好みではありません(僕自身は血のたぎるような声が好き)。あれは人間の声というより、化学だ、と評されたそうですが、彼女の夫も本当の話、化学者だそうです。昔、米国プリンストンに行った時、ロシアからの来客とアルコールを飲みながらオペラ談義に花を咲かせたのですが、ソレンコワという名前に対しては敏感な反応がありました。日本で逢った別のロシア人も同じ反応でした。それだけ有名なソプラノに違いありません。
これらの曲の繊細な味を楽しむには、それなりの装置が必要です。特に人声の高音部が、ヤワでなく、野性的にビンビン響く装置が欲しい。また高音のピアノ(弱声)を煌めかせるためにこそ、分厚い低音の響きの出るオーディオ装置であって欲しいですね。寂しい小さな花でも、それが大地に対してそよぐ姿を愛でるには、やはり茎や根が頑強なことが条件でしょ?満開のしだれ桜、藤、山吹のイメージ。その際、上記がチョットでもお役に立てば望外の幸せです。
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