キット屋倶楽部
音楽の
すすめ by F高
イラスト
第33話 フィガロの結婚の演出 (2006.12.19)
テバルディ
「タンホイザー」のエリザベート役を演じるレナータ・テバルディ
(Opera News誌より)
皆様こんにちは。ここで寄り道してワーグナーの作品群で、今まで取り上げていない曲を少し考えてみましょう。「ローエングリン」と「タンホイザー」です。これらに共通するのは、オルトルート役(「ローエングリン」)と、ヴィーナス役(「タンホイザー」)と言ったメゾ・ソプラノ役の存在が如何に重要かということです。もしオルトルートが無くエルザだけだったら、単にソプラノ・リリコが歌う普通のオペラに過ぎません。夫君テルラムント役が決闘に破れた晩、エルザのもとに忍び寄ったオルトルートの囁き、そして会話の勝負に勝利したあとの歌<忘れられた神々よ>の素晴らしさ!頼られるのは何もキリスト教の神様だけじゃないのです。オルトルートは先代王朝の末裔であり、世が世ならオルトルートの頭上に王冠は煌めいたはずです。と言うと誰かを思い出しませんか?そう、レディ・マクベスです!あれと同じ状況です。オルトルートの御陰でエルザはひたすら清純な乙女のイメージを保っていられるのです。

そしてヴィーナスもまたキリスト教と正反対の多神教ギリシャの住民です。これも重要ですよね。僕はこれらのオペラを聞く時は実際オルトルートやヴィーナスを聴くのをとても楽しみにしています。この両者の重要な役柄を誰が歌うかも問題ですね。ケルテス指揮のCDではビルギット・ニルソンが一人二役でエリザベートとヴィーナスを歌っていましたし、バイロイトでもギネス・ジョーンズが二役をこなしていました。しかし僕の正直な感想としては、これは別の人、深い声のメゾ・ソプラノを立てた方が好きです。そして眼を爛々と輝かせ、ドス黒い声で歌って欲しいのです!バイロイト盤で巡礼達が闇の中からパッと現れて歌う最後の合唱の場面は素晴らしい演出だったと思います。国産品の「タンホイザー」も観たことがあるのですが、どういう訳か停電で、照明の無い舞台上でヴィーナスは歌っていました。
さて、今日ご紹介するのは魅力的な「フィガロの結婚」!日本では人気第1位、2位を争う曲でしょう。最もモーツアルト風のオーケストレーションであり、スジの運びもモーツアルト風で、そして全員が実は善人だってことも人気のもと。モーツアルトのオペラの常として、だれが主役とも言えない。下記のCDの括弧の中はスザンナ役の名前だけ記してあります。そりゃ違うんじゃないか、と抗議されそうですが、だからって伯爵夫人でもないでしょうし、フィガロでもないのでは?実はどの役の歌手を取り上げても「フィガロの結婚」らしいのではないでしょうか。個人芸は強く求められておらず、声の音色さえリーズナブルなら、歌は誰が歌っても、ある程度は成功が保証されます。だからこそ余り上演されなくなっちゃった?
今僕の手元には次のものがあります。
E.クライバー(ギューデン)、ジュリーニ(モッフォ)、カラヤン旧盤(ゼーフリート)、プリッチャードLDグラインドボーン(フォン・シュターデ)、グイLP抜粋(スティーブンス)、マリナー抜粋(ヘンドリックス)

極端な言い方をしますと、「フィガロの結婚」は、最近では東京でも、ニューヨークでもウィーンでも余り話題を呼ぶことはないようです。むしろ欧州産の過激な演出でやっとこさ注目を浴びる、ということでしょうか。あの新しい演出というのがくせ者だと思うのですが(これは僕の私見です)。オペラの演出も色々ありますが、音楽に専念したい人にとっては、舞台よりも音楽の再生が優れていることが肝心です。よく(必ずしも技巧が優れていなくでも)歌えていること、特にそのアンサンブルが巧く行っていること、いつもの通り、いつものように成功した、という結末を得ることが大切ではないでしょうか。古臭くったって構わないのです。中にはそういう古い演出があってもいいし、そのカテゴリーのオペラがあっても不思議ではありません。「フィガロの結婚」は僕に取ってはそういう心の安らぎを得られるオペラです。だからこそ「フィガロの結婚」の次の晩には、挑発的な「サロメ」を観に行こうか!って気にもなれるのですよ。
伯爵夫人の最初のアリア<愛の神様みそなわせ>は美しくも寂しく響きます。実はテバルディの引退公演の際に最初に歌ったのがこれだったのです。僕はこれを聴く度にそれを思い出します。あの情熱的だった伯爵の姿はもはや何処にも見当たりません。世の中を諦観した歌。そして伯爵夫人は元々ロッシーニ「セヴィリアの理髪師」ではロジーナでした。そしてもはやロジーナの面影はありません。通り過ぎた青春の日々。フィガロだけが相変わらずの手練手管を見せる役回りを続けています。ここではフィガロに貴族階級に対する反逆者の役割を期待する声も聞こえます。もちろんそういう演出でも構いません。一方「セヴィリアの理髪師」にないキャラクターが「フィガロの結婚」には登場します。それがスザンナであり、ケルビーノですね。チャキチャキとした明るいスザンナですが、なかなか魅力的なキャラクターです。

上記のCD類ではヒルデ・ギューデンのスザンナが最も好きです。彼女の声にあるビロードのような柔らかさ、当たっているけれど当たっていない、という焦点の甘さが耳をくすぐるのです。また、その語尾をフェーディングさせて繋ぐ手法もいいですね。ああいうタイプのソプラノ歌手がどんどん減って行っているような気がしますが、それは残念なことです。そもそもヒルデ・ギューデンって歌手も、他の役柄ではそれほど話題を呼んでいませんね。でも彼女の持つホワッとした発声は、それ自体が宝物だと感じています。モッフォのスザンナも中々チャーミングですが、ゼーフリートのスザンナの方が僕は好きです。一方、フィガロ役では旧カラヤン盤のエーリッヒ・クンツが好きです。
シュワルツコップ
「フィガロの結婚」の伯爵夫人に扮するエリザベート・シュワルツコップ
(Opera News誌より)
伯爵夫人はやはりシュワルツコップではないでしょうか?姿を見ただけでもシュワルツコップは美しい(前出)。あの憂愁を歌い出すにはそれだけの素材が必要です。それにしても旧カラヤン盤におけるキャストというのは、当時ウイーン国立歌劇場の常連だったのですから、その時代の人々は何とうらやましいキャスト群に触れていたのでしょうか。なおケルビーノはカラヤン旧盤ではセナ・ユリナッチ、ジュリーニ盤ではコソットが挑戦しています。そしてE.クライバー盤ではシュザンヌ・ダンコです。それぞれの個性が出ています。

そしてフィガロとスザンナの結婚式の為の行進曲!あれは素晴らしい。今までパーティ等で行進曲を背景に流すならコレにしようと決めていました。しかし、これを上手く録音したものがありません。上手く、というのは、始まりと終わりがこのマーチだけで完結していることです。実は大抵の場合、長すぎてファイル丸ごとでは上手く転写できません。レコードの時代なら問題なかったのですが、ディジタルになってから生じた問題です。もちろん様々な手練手管を用いれば可能でしょうが、そこまでする気はありません。レコード会社にお願いしたいのは、このマーチ、コレだけで完結するようなCDを出して下さい!その値打ちがあります。「フィガロの結婚」はかくも魅惑に満ちております。そして伯爵の負けの形で大団円を迎えますが、これで伯爵が完全に懲りた訳ではなく、いずれ浮気の虫が再発する見込みだってある!でも聴く者は実に幸せな気分でフィナーレを迎えられます。
ボーマルシェの3部作は「セヴィリアの理髪師」、「フィガロの結婚」のあと「罪ある母」へ続きます。伯爵夫人とケルビーノの隠し子が登場します。伯爵は屋敷を処分してパリに移住しようかと考えている、という話なんですが、一体誰にモーツアルトの後続作品を作れるでしょう? と思っていたら、ありましたよ。1991年初演のジョン・コリリアーノ(1938年生まれ)がメットの注文によって作曲したオペラ「ヴェルサイユの幽霊」です。
マリリン・ホーンテレサ・ストラータス
「ヴェルサイユの幽霊」におけるマリリン・ホーン(左)とテレサ・ストラータス
(Opera News誌より)
ここに伯爵、伯爵夫人、フィガロ、スザンナ等も登場し、さらにマリー・アントワネットの幽霊まで登場します。「ヴェルサイユの幽霊」は「罪ある母」のままではなく、何となく「フィガロの結婚」の香りを引きずっている、と言うのが本当の所です。これは実際テレサ・ストラータスやマリリン・ホーンによって上演されています。VHSテープに録ってあったのですが、今は処分してしまい、手元にありません。引っ越しに伴う大処分でしたから、蛮勇を奮って捨てました。全てを保存できるほど経済的、心理的余裕はありませんでした。職業生活からの「引退」と一言に言いますが、生活スタイルが変わるは、住所も変わるは、と僕にとっては大変な変化が続きました。でも、本当に久しぶりに手作りのアンプまで楽しめるようになったのですから、感謝せねば!
この「フィガロの結婚」を再生するオーディオ装置は余り「近くない声」の方が良いのではないでしょうか。むしろ「遠い声」の方が成功します。モーツアルトはあくまでアンサンブルを味わう曲で、個人技を楽しむ世界では無いため。誰かが飛び切り巧く歌うより、全体に溶け込むことの方が重要です。カラスがモーツアルトに余り関心を持たなかったというのも、彼女の性向を考えれば頷けます。だって自分の御陰で成功した、なんてことになりっこないですから。シュワルツコップは賢明にも、このアンサンブルを理解していました。時々僕自身もこのアンサンブルを楽しみます。それも歳を取るにつれ、モーツアルトを聴く機会が増して来ました。この古くて、懐かしいオペラをもっと大切にして行きたいと思います。
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