キット屋倶楽部
音楽の
すすめ by F高
イラスト
第35話 パルシファルの魔術 (2006.12.19)
皆様こんにちは。ここで少し寄り道してR.シュトラウス「サロメ」、「エレクトラ」を考えましょう。いずれも不可思議な世界を描きますが、それを歌うのも特殊な歌手たち。歴代サロメ歌いと言われた人を思い出すとリューバ・ヴェリチ、クリステル・ゴルツ、インゲ・ボルク、ビルギット・ニルソン等です。もちろんアストリード・ヴァルナイも歌いましたが、彼女とこの役の間にはやや隙間があったような気がします。サロメはまだ少女であり、一途さしか持っておりません。一途さという評価基準からすれば先の3人かな、というところ。でも「さまよえるオランダ人」のところ(第25話)では『ヴァルナイの一途さが良い』と勧めたではないか、という反論も聴こえて来ますが、シュトラウスとワーグナーのヒロインでは少し違う気がします。それに、ヴァルナイと言えばサロメの母親ヘロディアスの役ですよね。ヘロディアスとしてならヴァルナイは絶対お勧めです。サロメ役の一番のお勧めは間違いなくヴェリチです(僕が持っているのは抜粋盤)。甘いような、切羽詰まったような、それでいてドラマティックなソプラノとしてヴェリチはうってつけ。またヴェリチはメットで最も盛大に拍手を受けた歌手という記録を持っていますが、あっと言う間に声を無くしてしまいました。またゴルツやボルクは腰回りに、やや肉が付いて来ました。ここにレオンタイン・プライスがアリア集で歌った例もありますが、これは単にもの珍しさを求めた場合の例。

ギリシャ悲劇に基づく「エレクトラ」の方はニルソンの声の威力を最も感じさせると思います。ブリュンヒルデ役やイゾルデ役ではやや不満があったニルソンですが、エレクトラ役は別。ヴァルナイはカラヤンに好まれて、1964年ザルツブルク音楽祭にエレクトラ役として招かれていますが、その時は既にエレクトラ役としてはヴァルナイの声は限界に近づいていました。でもクリテムネストラ役(メゾ・ソプラノ)としてのヴァルナイを観た(第12話「欧州のオペラハウス」参照)ことがありますが、なかなかのものでした。日本人歌手では緑川まりさんのリサイタルで「エレクトラ」の最後の歌の部分を聴いています(緑川さんは、僕は二期会のワーグナー「ジークフリート」、「神々の黄昏」でも観ました。大きい声だと思ったのですが、ニルソンとかヴァルナイの声(実演でもCDでも)を聴いた後それと比べると、残念ながら、かなり声は小さ目)。また僕は「エレクトラ」とご縁が深く、メットで最初に観たオペラがマステロヴィッチ主演の「エレクトラ」(この時のクリソテミス役がエヴァ・マルトン)でしたし、東京で観たニルソンの公演も「エレクトラ」でした。
f
さて、米国の友人Cは他の多くの米国人同様にワーグナーが嫌いです。どうしてワーグナーなんかを?と問い正されるのですよ。そういう本人はモーツアルトに入れ込んでいます。彼はピアノ協奏曲を買い集めているのですが、その聴き方はまず買ってから考えようという姿勢です。あまり事前に色々と調べてから決めるってことはしません。彼に依ればワーグナーは不健全だ、あれは死に憧れる音楽だって言います。またベートーベンは病気が直って元気に生きることを願っているが、ワーグナーは死ぬことで問題を解決しようとしている、と言って非難します。20年前に彼の自宅に泊まりがけで行った時、またこの議論が出て来たのですが、僕はその時メットの切符をまだ何も買っていませんでした。それが彼の家からの帰り道でメットに寄り、「パルシファル」の切符を一枚買いました。翌朝、何か買った?と聞いてきたので、「パルシファル」を一枚だけ!と答えながら笑い転げた次第。可愛そうに、と憐憫の表情を見せたC君でした。

6年ぶりのメットの「パルシファル」。主役は6年前の前回と同じくジョン・ヴィッカーズ、クンドリー役はクリスタ・ルートヴィヒからレオニー・リザネックに交替していました。リザネックには期待しましたが、実はがっかりしました。他の曲でも巧く行かなかったようで、欧州に戻って少し休みたい、と言って帰ってしまい、しばらくして亡くなりました。僕は個人的にリザネックの笑顔が好きだったので、残念な気がしてなりません。リザネックはR.シュトラウスの「エレクトラ」のタイトル・ロールを引き受けていて、映像を残しています。なにより残念だったのは、肝心のヴィッカーズの歌唱が衰えたことですね。でも6年の間をおいて同一の役で比較できるのは楽しい。バイロイトの常連にとっては、この比べる作業も楽しみなのだろうと想像します。バイロイトなみに、第1幕では拍手しないという習慣は6年前には有効でしたが、今度は開始時には守られたものの(拍手も無く、そっと音楽が開始)、第1幕終了時には盛大な拍手で、伝統は破られてしまいました。
f
この音楽をどう形容したらいいでしょうか。僕は約40年前に初めて聞いた時(1962年クナッパーツブッシュ指揮のバイロイト盤)、ひたすら音楽だけ聴いていたので、歌手の技量に注意を払いませんでした。技量なんて問題じゃ無いと思ったからです。またじっくり聴くと、音楽自体を動かすクナッパーツブッシュの棒の凄さを思い知らされます。もう何も言わなくてもこれを聴いたことのある人だったら、共有するものがあるはずです。余りに忙しい現代人が置き忘れてきたものを呼び戻したい時、御聴きください。決してこれは毎日聴く曲ではありません。しかし持たなくても良いということではありません(断じて)。年に一度は「パルシファル」を聴きましょう。上記C君は5枚組LPの1面だけ聴いて、退屈の余りレコードを返してしまったと言いますが、あと少しの辛抱が欲しかったねえ、と思うのです。

レコード第2面にあるあの<舞台転換の音楽>、それに続くミサの荘厳な響き!ワーグナーの魔術です。魔術だって分かっていても、その魅惑的な音楽の前にはどうにもならないのです。身も心も音楽に心奪われてしまう。第2幕の<クリングゾルの花園の場面>、特に有名な<誘惑の場面>は円卓の騎士の物語でも知られていますが、なぜ誘惑に乗らなかったか、は永遠の謎です。この場面から幾つドクター論文が産まれたことか。定評あるメードルのクンドリー役を聴いてみましたが、クンドリーとしては旨いのかどうかの判断がつきません。ヴァルナイのも持っていますが、やや距離感があるようです。またカラスのクンドリーやフラグスタートのクンドリーも試して見ましたが、いずれも、余りに音が悪くて正当な判断ができません。定評あるレヴァイン指揮でのワルトラウト・マイヤーはまだ持っておりません。でもクナッパーツブッシュ盤のアイリーン・ダリスで十分ではないかと想像します。それに、個々の歌手の技量がどうこう言っても無駄で、指揮者に全権があるような気がするのです。
バイロイト祝祭劇場
バイロイト祝祭劇場(著者の撮影による)
f
今手元には次のものがあります。
クナッパーツブッシュ1962年バイロイト(ダリス)、グイ50年ローマ(カラス)、シュタイン1981年バイロイト(ランドヴア)、ランクル1951年ロンドン抜粋(フラグスタート)、クナッパーツブッシュ1951年バイロイト(メードル)、スティードリーNY1954(ヴァルナイ)

聖杯伝説という、欧州共通のお話でありながら、その舞台はスペイン。つまり、国土回復運動レコンキスタよりずっと以前のスペインですね。一般に言われているように聖杯騎士伝説は8〜10世紀の話ってことですし、場所も北東スペイン、今で言えばバルセロナ辺りでしょうか。そう言えばバルセロナ近くにモンセラート山というのがありますね。モンサルバートとは無関係?少なくとも「パルシファル」の中における、魔法使いクリングゾールの魔法の花園というのは、白人国スペインの山側の乾燥地帯(砂漠)にある庭園に違いありません。つまり、聖杯騎士団の相手方たる魔法使いの国とは、スペインと争うアラブの国ですね。またテンプル騎士団との関係は?等々、いろいろありそう!

しかも「パルシファル」の主人公より一代後には、息子の「ローエングリン」の主人公の時代が来ます。そうするとブラバンド公国というのは….etc。こういう話をダラダラと連想して行くのは楽しいです!要するに「パルシファル」とは、欧州がまだ暗かった時代(アラブより遥かに劣っていた時代)のお話だったのですね。色々な事件を並べてみようと、時間軸合わせをする時、この聖杯伝説とか円卓騎士伝説の時代が8〜10世紀という話が大いに役立ちます。例の「トリスタンとイゾルデ」だってこの時代です。だってトリスタンとパルシファルは同じ円卓の騎士だったんですから。また円卓騎士の都キャメロットの場所探しも、これから解き始めると面白い!
f
そもそも舞台神聖祝典劇「パルシファル」はバイロイトに劇場が出来た後で作曲が終了したのです。当然、バイロイトの劇場の響きを考えて作曲が進められたと考えられます。そして初演した後でワーグナーは亡くなり、その後は当然、遺産としてワーグナーの未亡人コジマのものになりました。コジマはそれを誇りにしていましたし、あのコジマが後生大事にしているんだから、触らぬ神にたたり無し、とワーグナー家以外の者が考えたとしても無理からぬところ。ところが1903年にメット支配人はこれをメットで上演してしまったのです。怒ったのはコジマ。メットに出た歌手やこれから出る歌手は、決してバイロイト音楽祭には招かない、と宣言しました。そして冷たい戦争がメットとコジマの間に続いたのです。今はそういう独占的権利の年限が切れたので誰が何処で歌っても勝手ですが、この種の問題は厄介ですね。

バイロイトに行くとヴァーンフリート館というワーグナー家の持ち家だったのが、現在博物館になって公開されています。もちろん戦災を受けて崩壊したはずだから、第2次世界大戦後に復興されたものです。そこの居間には「パルシファル」を試演したピアノが置いてありますが、それはコジマの父エマニュエル・リストが来た時に弾いたものだとか。今や一家族がこれらを維持できない時代なので、何でも公開されています。でもその方が良いと思うのですよ。庭に出ると、ひっそりとワーグナーとコジマの墓が並んでいます。ワーグナーって、古いようで、最近の話なんですね。特にこの「パルシファル」は。
【筆者注】コジマはエマニュエル・リストでなくフランツ・リストの娘です。(2007.1.9)
f
このオーディオ再生では徹底的に「遠い声」が必要ですね。そうでないとオーバーオールな満足は得られないのではないでしょうか。その場合「近い声」は不十分なだけでなく、音楽の本質を誤るかも知れません。演奏家の技術を楽しむのでなく、音楽全体を楽しみましょう。この期に及んでようやく僕は「遠い声」と「近い声」の違いがハッキリと分かりました。今までずっと「遠い声」、「近い声」って言っておりながら、今頃になって何を言っているんだ、というお叱りを受けるかもしれませんが、その点は頭を下げる他ありません。直感によって言葉使いを選んできました。論理的な区別でなく、あくまで直感だったのです。「遠い声」って、つまりオーケストラに焦点を当てた場合の音なんですね。「近い声」は歌手に焦点を当てた音。そうなるとオーケストラの技量と、歌手の技量のどちらがあなたにとって重要なのか、ということでどちらを選ぶかが決まって来ます。僕自身は大変困ったな、と思っています。ワーグナーも好き、ベルリーニも好き、モーツアルトも、ヴェルディも好きですから。
ワーグナー夫妻の墓
ヴァーンフリート館の裏庭にあるワーグナー夫妻の墓。上に乗せられているのは薔薇の花束。(著者の撮影による)


<<第34話へ イラスト 第36話へ>>
<<「音楽のすすめ」表紙へ
キット屋倶楽部のトップへ戻る