音楽のすすめ 第2章 第1話 再開の時(ニューヨーク1985年)


(補足)
 赤字:2007年に新たに書いた部分
 黒字:1986年の日記からの引用


(2007年の加筆部分)これは1985年に、5年ぶりに米国を訪れた時の記録から、オーディオと音楽に関する話題を中心に集めたものです、実際には、日記自体はこの倍近くのページがあります。実際にあった会話ですが、職業に関わる話は注意深く除いてあります。また登場人物に迷惑が掛かるといけないと想い、仮名にしました。例えばジョンだったら、Jnという風に仮名になっています。CとかH、JFとかは以前のコラムと同一人物です。またKと書いてあるのが私本人です。


まずはオーディオと音楽の話を始める前に、いろいろな雰囲気、そのバックグラウンドがどんなものだったかを、を御覧に入れましょう。今回のコラムでは、現在の目で書いた部分を斜め字で、過去の日記から引用した所を普通の字体で書くことにしました。


私のニューヨーク生活は再び始まりました。常に変化し、留まらない、変動する街です。これを好むかどうかで、ニューヨーク好きか、それとも欧州都市を好むかに大別されるのかも知れません。これは年齢によって違います。ニューヨークはクラシック音楽を楽しむ為には恵まれていて、常に世界一を手に入れることが可能です。そういう覇気に満ちた、やる気満々な人々の集まり易い所。その代わり、そこに侵入してそこでノシて行くのは大変な苦労を強いられるでしょう。特にオペラの世界やカーネギーホールでの日替わりメニューでこなされる、これでもか、これでもか、という世界は息が詰まるよううな緊迫感に満ちています。世界一という代物に関心が無く、もっと落ち着いて楽しみたという人には、ウイーンやミュンヘンやロンドンのような街の方が合うと思います。それでは既に盛りを過ぎたような人達が、ゆったりと生活しています。「音楽のすすめ」の最後に記しましたが、私自身、1999年まで時折ニューヨークを訪れましたが、その最後までニューヨークが大好きでした。でも1999年から一気に欧州に魅せられて行きました。この頃からパリに6回連続行っております。私の場合は、エネルギー消費が激しいニューヨーク風にくたびれた、というのが本当かもしれません。もっと落ち着きたい、という希望の方が強くなりました。簡単に言えば、私が歳を取ったのですよ。若い人々には、元気な間にニューヨークの洗礼を浴びておくことをお勧めします。若ければあそこで野心的なプランを立て、それを実行して行けるでしょう。C&My夫妻の姿を見ると、益々それを再確認できると思います。どういう生活ぶりだったのでしょうか?


第1話では、Kが私、C、H、JF、Wlは米国YYY機構の同僚で、音楽仲間。同様にKe、Gl、KM、Ad、Ir、Alはそこの同僚で、JMは引退した同僚。日本勢ではMMはZZZ大学の、SSはXXX機構の、AMはGGG機構の同僚です。Avはフランス人だがIII機構の、Kyは英国NNN機構の同業者です。MyはCの夫人を表します。


4月2日(火)
5階の廊下を歩いていて、昔より明るくなったのに気づく(あとで聞いたら、昔は壁に緑色に塗ってあったのを、クリーム色に変えたのだった)。AAE部、BBB部と通り過ぎ、一番奥のPPP部へと近づくと、遠くからKeが右手を高くあげて近づいてくる。迎えに出てくれたのだ。ロビーには全員が立って待ち構えていてくれた。なんと嬉しいことだろう。一人づつ握手をし、再会を喜ぶ。以前はいなかった新人が2人。Ir嬢とAl氏である。Hがあの長身で立っているのを見てまず声をかけた。
K「ごきげんよう、H。もうYYY機構にはいないのかと思っていたよ。誰かが言っていたけれど、どこかの他に移ったとか…」
こう言ったとたん、他の者たちがH氏を責める。
全員「H、何か隠しているんじゃないの?」
Hは、飛んでもない、ずっとここに居るし、行く所が無いよ、と言う。

C「実を言うとね、Kが帰った後にAvが来て、昔Kが使っていた部屋にいるんだ」
Avは小柄なフランス人で、余り英語は達者とは思えない。目を合わせるとウインクする癖がある。あとで分かったことだが、1983年にイタリアのカプリ島で会議があった時にセクレタリを勤めたのが、このAvだったのである。彼の手紙のコピーがXXX機構の僕の机の中にあったのだ。
H「AvはWWW機構の派遣でワシントンに来たんだけど、ワシントンは彼をYYY機構に預けることにしたのさ。3年は居ることになっているんだ。今やこの部はフランス大使館と日本大使館に占領されたようなもんだ」
と笑いながら言う。

確かに常時外国人が滞在するようになっては、部屋のやりくりも大変だろうな、と思う。一番奥の部屋は以前Gl女史がTTX研究に使っていた部屋である。
H「Glは2年前に副所長になってこの部屋からは出て行ったんだよ。それにJMも居なくなったし」
K「それは知っている。ところでGlは今日は居ないの?」
H「彼女は今日はワシントンの会議に行っているんだ。来週にならないと現れないだろう」
K「Wl氏は?」
H「今週はワシントン詰め。15日の月曜日に帰ってくるはずだ」
それを聞いて僕は少し困った顔をした。
K「実はWlに話があるんです。例のNRR会議の内容についてXXX機構で相談してまとめたので、その結果を彼に伝えたいんです。以前にWlが日本に来た時にNRR会議のプランをまとめるように頼まれたので」
Ke「それはWlと直接話した方がいい。15日に彼と逢うしかないね。15日は君は何か外の用事はあるの?」
K「いいえ。特にありません」

ついでに僕が5年前にXXX機構で始めた例の計算が少し進歩したし、スライドも持ってきたので、皆の前で話す機会が欲しい、と申し出た。日本だったら、こういう申し出はずうずうしい感じを与えるだろうが、ここは米国である。自分で売り込まなくて誰が買ってくれよう。Ke部長はHとCに幹事をたのみ、いつか講演会を開催することになった。

奥の部屋の引き出しを開け、自分の持ち物を整理して入れていたら、Cが部屋に入って来た。
C「講演会のことだけど。来週の月曜と金曜とどっちがいい?」
K「月曜にしようか」
C「じゃ、手配しておくよ」
K「ところでC、BBB部のJFに逢いたいんだが、彼を見かけたか?」
C「今日、ランチタイムに逢ったから居ると思うよ。今、探しに行こうか?」
二人してBBB部の部屋に行ってみたがどの部屋にも見当たらない。
C「あした逢ったら言っておくよ」

そろそろホテルに戻りたい、と言ったら、そうだろう、時差がとれずに疲れているみたいだし、と言う。
C「だいたい、着いたとたんに、すぐ来るなんて大変なものだね。」
彼はエレベータまで送ってくれた。エレベータの降り口には来た時とは別のガードマンが居たが、彼も僕を覚えていてくれた。

4月3日(水)
46丁目とブロードウェイの交わる角にあるハワード・ジョンソンのカフェ・レストランで朝食をとる。混んでいたのでカウンターに座ったのだが、どうもこれはまずかったらしい。カウンターはチップは不要なのだが、フード・スタンプを持った人たちの専用になっているようだ。薄口のアメリカン・コーヒーを2杯飲み、スクランブル・エッグとソーセージとトースト。行きがけにタイムズ・スクエア駅に降りる直前のニューススタンドでニューヨーク・タイムズを買う。慣れとは恐ろしいものだ。5年間のブランクなんてあっと言う間に埋まってしまう。地下鉄の賑々しい落書きなぞ、空気みたいに感じてしまう。

昼休みになるとCが僕の部屋に現れた。ランチを食べに外に出ようと言う。YYY機構より少し北側、ハドソン街の西側にある小さなレストランへ連れていってくれた。グリニッチ・ヴィレッジの西端と言って良い所にある入り口をチラと見たら、一種の会員制のレストランで、メンバーと同伴でないと利用できない、と書いてあった。
C「僕は余り腹が空かないんだが、外に出る時はここへ来ることが多い」
彼はウエイトレスを呼び、いつものパストラミはあるか、と尋ね、パストラミ・サンドイッチを注文した。僕はハッシュドビーフのサンドイッチとサラダ。
C「ハッシュドビーフはいいと思うよ」とCはコメントする。
C「ところでビールはどう?ここに特別なのがあって僕の気に入りなんだが。飲んでみるかい?」
昼間からビールというのは少し気が引けるけど。
C「僕の新しい家に来ないか?君はプリンストンへ行くって言っていたから、その予定を知らないので都合が分からないけど。僕のプランでは今週か来週の金曜日の夕方に一緒に僕の家へ来れればいいと思っているんだけど」
K「つまり、君の家へ泊まるってことか。喜んで受けるよ。ただ今週はイースターだろう?せっかくの祝祭日を邪魔して悪いと思うけど」

結局、今週の方がいいということになり、ニュージャージーの新宅を訪問することになった。彼らがブルックリンのプロスペクト・パーク・ウエストの瀟洒なアパートを売ってニュージャージーに大きな家を買うらしいということはWlより聞いて知っていた。
K「新しい家はどう?」
C「うん、Myは今薔薇作りに凝っているんだよ。家のそばには小川があってね、こういう風に」
とペーパーナプキンの上に地図を描き始める。
C「この四角形の部分が僕の敷地でね、この部分の長さが400mぐらいかな。だいたい4エーカー(約16,000坪)あるんだ。Myがバンカーズ・トラストに勤めていることは知っているだろう?前はマンハッタン中央部に居たんだが、今はウォール街のオフィスに移ったんだよ」
K「そいつはすごい。張り切っているんだろうね」
C「ところが。ウォール・ストリートの連中というのは教養がないんだよ。彼らは何でもカネ、カネ、カネなんだ。質より量って感じで生活しているんだ。アッパータウンの方ではもう少しソフィスケートされた人種が多いんだけど」
K「そいつは知らなかった。ウォール・ストリートの人達っていうと、いつもパリっとしたダークスーツを着て、バリバリとビジネスをやっているだろ?ニューヨークと言えどもビジネスの本場ではああいうスタイルをするんだな、と思っていたよ」
C「彼らが一生懸命働いていることは事実なんだ。ただ彼らはビジネスしかないんだ。芸術だの文学だのってのは彼らには無縁だね」

Cはさらに続ける。
C「Myは最近スシにこっているんだ。ベニハナ・レストランというスシ・バーを知っているだろう?彼女はしょっちゅうあそこへ行ってはつまんでいる。5個ぐらいで12ドルかな。まあまあのランチになるよ。今度Myを呼び出して一緒に行ってみようよ」

昼食が済み、部屋に戻ってからCに尋ねてみる。
K「JFに逢ったかい?」
彼は忘れていたと言って僕と一緒にBBB部の方へ出かけた。JFは相変わらず大きな体と柔らかい笑顔で迎えてくれた。日本を出発する4日前に彼の手紙を受け取ったことを告げ、彼のために持ってきたコンパクト・ディスクを手渡した。
JF「さあ、何を貰うんだろうね?」
彼はおどけて目をつぶり、いないいないバーをするようにコンパクト・ディスクを眺める。
JF「マルタ・アルゲリッチのハイドン!」
K「もう持っているかも知れないけど、これは日本では新譜なんです。もし既に持っていたら、これはスペアのつもりで取っておいて下さい。」
これを選ぶに当たり、コンパクト・ディスクのプレスは殆どドイツ工場だが、発売元は日本が圧倒的なので、米国より日本でまず発売されると考えたのである。4日前に彼から受け取った手紙に、フェイズ・リニアー社のコンパクト・ディスク・プレーヤーを入手した、と書いてあったので、彼が喜びそうなものを幾つか考えたのだ。マーラーの交響曲4番も候補にあがったが、彼がユダヤ系らしいことから、余にわざとらしいから、と思ってハイドンのピアノ協奏曲にしたのである。幸い、彼はまだそれを持っていなかった。分かれ際に彼は、明日の午後自分の家に遊びにこないか、と言うので、喜んで行きますと答えた。明日は彼はお休みだそうだ。午後迎えに来るから待て、と言う。

午後はKMの部屋を訪問した。
K「1時間ほど邪魔していいかい?」と尋ね、彼がやってるサーベイについて、あれこれと質問した。彼は言う。
KM「つまり米国ではね、全国的なサーベイというのは無いんだよ。およそサーベイと名の着くものを連邦政府が嫌うんだ。EEE省という連邦政府機関に居る限り、ボランティアが勝手にやっている、という建前になっているんだ。州政府みたいな地方政府はサーベイを盛んにやっているよ。でも連邦政府はダメ」
K「それじゃ、サーベイに協力してくれた人に謝礼も出ないの?」
KM「出るもんか。完全に無報酬だよ。だから結局は職員の家とか、友人、知人のつてを頼ってやらせて貰んだ」
K「日本じゃ1軒あたり10ドルとか70ドル払うよ。電気代としてね」
KM「そりゃいいことだ。ところで日本は全国サーベイをする時は警察にでも頼むのかい?」
K「とんでもない。地方の組織にやって貰うのさ」
どうも日本がポリス・ステート(警察国家)だという誤解があるらしい。何年も前に別の米国人に同じことを言われた経験がある。津々浦々に交番があって、お巡りさんが各家庭の家族構成から、職業、学校名まで知っているのが不思議でならない、そういうのは不自然だと言うのである。実際、西ドイツでは国勢調査も実施できないと聞く。プライバシーに対して大変敏感なのである。

KMは彼自身が使用している装置を実際に操作してみせ、僕にも触らせてくれた。またサーベイを実施するにあたり、各家庭に依頼する文案や調査票のコピーもくれた。この種のサーベイは社会的反応の大きい影響を持つため、心理学を応用したきめの細かい人日が必要なのである。昨年イギリスのNNN機構のKy博士がXXX機構で講演するため日本に来た時、彼にNNN機構流のやり方を尋ねたのだが、彼から入手した英国製の手引きは実に行き届いた配慮と、細心の注意を払って用意されたものであった。英国といい、米国といい、これらのものを見ると日本のやり方は高圧的だと思い知らされてしまう。何か威丈高な態度が漂う。

米国連邦政府が社会的反応を恐れてサーベイを許さないため、KMのやっているサーベイはロングアイランドの中の十数軒に限定されているという。彼の装置は反応が速く、精密測定と称するものでも数分以下ですむ。これは米国流だ。日本のやり方はもっと神経質で、30分もかけて測定するので、確かに一つ一つのデータの精度は日本の方が上等である。ただし、時間と人手を食うため、サンプル数による誤差が大きく影響してしまう。逆にアメリカのデータは、一つ一つは精密さを欠くけれど、数多くのサンプルをとれるので平均操作によって誤差を小さく押さえることができる。果たしてどちらが賢明だろう?

KMはさらに僕をAAE部に連れて行き、Adに会わせた。この小柄なギリシャ系人は極めて精力的で、タテ板に水を流すように自分の教え、やり方を説明する。彼は今やっている計測に夢中なのである。
Ad「絶対、CCC方式がいいね。何と言っても安価に済む。この錫缶などたったの53セントだよ。」
彼のやり方ではCCCを詰めた缶を目的地に郵送し、4日後にはもう返送してもらうのだそうである。輸送中に平衡に達するはず、と言う。もちろん返送用の封筒に切手を貼ったものを同封しておくと言う。これは正直で良い話だ。日本で行われるこの種の調査は、郵送料などの経費が相手側に掛かることを無視している横着さがある。

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