音楽のすすめ 第2章 第2話 JFのコンデンサー・スピーカ


(補足)
 赤字:2007年に新たに書いた部分
 黒字:1986年の日記からの引用

(2007年の加筆部分)コンデンサースピーカというと初代のQUADのESL、KLHモデル9、そして日本のスタックスの各種のものが有名です。僕自身は昭和63年、まだスタックスが昭和光音工業と名乗っていた時代から知っていました。その当時からスタックスの出す製品は常に最先端を行くものでしたし、その味わいを手に入れることに躍起になっていました。でも余りに有名なその製品も時代の波にのれず、ついに消滅してしまい、株式会社を解散し有限会社になって甦った、というストーリーを背負っています。僕自身はある時期に、これで決まった、これから貯金してスタックスのアンプを買うぞ、と決心したのです。そしてオーディオフェアではスタックスの人を捕まえて、プリアンプを買うつもりだと、宣言したことを覚えております。それは当時話題にあった音場再生の為のツマミ等を備えたものでしたが、ある時、昔そう言う製品模型があっただろう、と聞いたところ、あの計画は中断しました、という答えで、至極失望した覚えがあります。その後のスタックスは脇目も振らずに進み続け、DC1000とかいう型番のキロワット級のAクラスのパワーアンプを発売しましたが、当時からその運命に気をもませていました。結果的に僕自身は、今までスタックスの4種類のイヤースピーカ?のみを使っています。

今回は私がKLHモデル9という、コンデンサー・スピーカーを初めて聴いた時の記録です。JFという親しい友人が自宅に持っていました。彼と話す時は、互いの専門を問わないからか、ほっとするのです。Cとだったら競争心メラメラってこともありがちなのですが、JFにはそういう気を起こさせない、なにかほっとさせる雰囲気を持っていました。ですから、彼に対しては私も言いたい放題!今になってみると申し訳ない態度でした。YYY機構の前所長のHy氏もやさしい人でしたが、米国人の中に両人のようなタイプがいたことは貴重です。

ここではコンデンサー・スピーカ?に接した喜びが読み取れますね。また、聴かされたホルストの音楽に対する偏見に満ちております。あれは今聴き直してみないと何とも申し上げられません。またカラヤン盤「トスカ」が出て来ますが、これには苦笑しております。JFはこのあとKLHモデル9を売り払ってしまいました。惜しいことです。実際あれで聴いた音は今まで聴いた中で、屈指のものでした。但しJFの部屋の混乱ぶりを見て、リスニング・ルームを名乗るなら、コード類をもう少しキチンと整理しなくちゃ、と自省半分に感じました。Cはモデル9を聴いたことは無いと言っています。また当時は日本でCDが出始めて間がない頃で、LPと競争している時でした。この後で音楽を聴く環境は激変します。


第2話では、Kが私、JFが米国YYY機構の音楽仲間、HyはそのYYY機構の統括者だった人、AlはYYY機構への新入り、PCとFEは昔からのYYY機構の同僚です。


4月4日(木)
地下鉄はすっかり勘が戻った。ニューヨークに3日住めばニューヨーカー、というのは本当だ。部屋に一旦戻ってから今度はPPP部の新人のひとり、Alを尋ねた。彼は大変人当たりの柔らかい、腰の低い人物であった。
Al「僕はまだ学生です。大学院に籍を置いていて、いろんなことを勉強中です。今はCRで生じるNFを計算しています」
K「NFとはまた大変なものを」
Al「ええ、でも一次のものですから。来週あなたのCRの講演を聞かせて貰えるというので楽しみにしています」
と、まあ、適当にリップ・サービスをされてしまった。名前から判断するとスペイン系なのだろう。明らかに理論研究一筋という感じがする。何か書いたものがあったら別刷を一部欲しいとリクエストしたところ、まだ共著のものしかありませんが、と言ってYYY機構レポートになったものを呉れた。今度発表するそうだと言う。これからの人だろうと思う。僕が初めて発表をしたのは23歳の時だが、あの時は何も知らなかったもの。

午後、約束通りJF氏の部屋で待つことにした。廊下で偶然コンピュータ・ルームのPC女史と会う。
PC「あなた、ひょっとしてK?おやまあ、アハハハ…」
と笑い出す。
PC「あなたが前にケーキをプレゼントして呉れたでしょ?あれで胸にジーンと来たのよ。ちょとコンピュータ・ルームに寄って見ない?あなたが居なくなってから随分変ったのよ」
たまたま通りかかったFEも口を揃えて言う。
FE「以前とは一新してしまったよ。ちょっと見たら?」
K「でも今はJFと約束があるので別の日に見せて貰います」
と断った。

JF氏はほどなくやって来たが、ちょっと自分の部屋を覗いてから出たい、と言うので彼の部屋でしばし待つ。彼はブロンクスにある自分のアパートに行く前にどこかへ案内したい、と言う。昨日はブロンクス動物園はどうか、と言っていたが6年前に行ったことがある(雨天でウチの娘が翌日熱を出した)、と告げておいた。そうしたら今日は、36丁目にあるモルガン博物館へ連れて行く、と言う。ロックフェラーよりももう一つ古い時代の大富豪というイメージがあるが、小学生時代に読んだ物語に「マヤの秘宝」というのがあって、破産しかけた大富豪の名前がモルガンだったから、これと結びついてしまう。

グリニッチ・ヴィレッジを通り抜け、レキシントン・アヴェニューを通るバスに乗る。
JF「この辺りから道路に○丁目という番号がつくんだよ」
とJF氏はバスの窓越しに教える。バスは混んでいたので、空席ができた時は彼にまず座って貰い、その一つ後ろの窓際の席が開いた時に僕も座った。右隣りには膨らませた風船を持った太った男が座ってきた。一旦下車してからレキシントン・アヴェニューを歩きながら、JFにささやく。
K「レキシントン・アヴェニューって何かインティメイトな感じがするでしょう?昔からそう思っていたけれど」
JF「そう、ニューヨークの古き良き時代の下町ってところかな」
と彼はうなづく。西に2ブロック歩いてマディソン・アヴェニューへ曲がったところにモルガンの旧邸があった。規模はそれほど大きくはなく、5番街にあるカーネギーの旧邸と比べても小さ目だと思う。

入り口でコートとバッグを預け、入場料を払うのだが、これは彼がおごってくれた。有名な画家たち(ルーベンス、ヴァンダイク、フラゴナールなど)のクロッキーが展示されている部屋、油絵の部屋といったところを歩いて回っていたら、廊下でJFの親類らしい老婦人の2人連れに逢った。両者とも大変親しそうに頬ずりを交わしていたが、今日は遠来の友人を連れていると告げたところ、老婦人たちはまさか東洋人とは思わなかったらしく、眼で周りを探している様子だった。そこでJFは僕を紹介してくれた。

モルガン家の居間がそのまま保存されていたが、そこをJF氏は半分自慢げに説明する。
JF「すごいだろう?こんな部屋が欲しいよ」
と言う。
JF「大金持ち、資本主義者、強欲な事業家だったモルガンの遺物さ」
正直なところ、僕はこの部屋の趣味が余り良いとは思えなかった。一つ一つは確かに高価な家具と装飾に違いないが、全体の統一感が無いのだ。そこで正直に感想を述べた。
K「何となく、色々な時代の寄せ集めって言う感じがするけれど。中世のものから現代のものまでゴチャゴチャしていて」
JF「そうかなあ。これはみな中世だと思うけど。あそこにある電話機は別だとしても。君は中世はいつごろと思っているの?」
K「8世紀からせいぜい11世紀かな」
JF「僕には中世は10世紀から15世紀だけどね」

この辺は認識に差があるようだ。僕の目から見るとタンスとか小テーブルは明らかにアメリカ植民地のスタイルの匂いがあるし、天井やタペストリーはヨーロッパ近世、ある部分はイスラムの香りがする、という風にとれるのだ。僕には、どう見てもこれはアメリカの大富豪が一生懸命に金にあかして世界中からかきあつめたものの、本質的には成金趣味のような気がするのだ。日本の土地成金が楼閣のような家を建てたがるが、その内部装飾は下品としか言いようのないのに似ている。余りけなすのも悪いと思ったから一言付け加えた。
K「でも、こういう大きな部屋があればいいと思いますがね」

最後に見たのは図書室だった。ここには背の低いガラスの陳列棚ケースが並べてあって、その中に楽譜が沢山展示してある。それを覗き込んでみて驚いた。何と有名な楽曲の作曲家自筆の手書きのオリジナル楽譜が目白押しなのだ。モーツアルトが5歳の時に初めて作曲した交響曲、「フィガロの結婚」の一部、シューベルトの「冬の旅」、「白鳥の歌」、ピアノ曲では「即興曲」、グルックのオペラ「タウリスのイフィゲニア」、マーラーの「大地の歌」、3番、5番、9番の交響曲、ベルクの「ヴォツエック」、その他ベートーベンやハイドンの室内楽等々。これは見事なコレクションだ。大好きな「大地の歌」の楽譜を覗き込み、どの部分だろうかと頭の中でメロディーの再現を試みる。

ベートーベンの楽譜は乱暴とも言えるほど激しく記譜されているし、シューベルトのは丁寧だ。作曲家の性格が譜の書き方からよく伺える。同じ部屋の壁面にはラテン語で書いた色々なバイブルの古書が展示されているが、楽譜を見た興奮のあとでは大して興味を持てない。この部屋のためだけでもモルガン博物館を訪れる値打ちはあるだろう。不思議なことに日本で発行されているニューヨークの案内所にはこの博物館は載っていないのだ。いい穴場を教えて貰ったものだ。

モルガン博物館を出た後、マディソン・アヴェニューを通るバスに乗り、一路北へ向う。JFが言うにはマンハッタンに戻る帰りの便は5番街を通るのだそうだ。彼自身が通勤する時は、比較的安全なラッシュアワーには地下鉄を使って通うものの、乗客の少ない時間帯ではバスを利用するという。このバスは均一料金の90セントでは済まず、2ドルぐらいするようだ(彼が払ってくれたから金額が解らない)。

聖パトリック教会の裏側を走り、セントラルパークの東側を過ぎ、ハーレムを通り抜けていよいよブロンクスに入る。ブロンクス植物園とブロンクス動物園を分つ道路を少し入った所で降りた。WARINGアベニューにある彼の家に着く前に腹ごしらえをしようということになり、バス停の側の中華料理店に入った。
JF「ブロンクスはマンハッタンより家賃も安いからいいよ」
と彼は言う。中国系の店員が働いている。ジェリーは野菜炒め風のものを注文し、僕は酢豚風のものを取った。あとで思うと彼は多分ユダヤ系であるから、豚肉の入った料理を面前で注文したのはまずかったかな、と反省する。
JF「実を言うとね」
と彼は初めて聞く話を始めた。
JF「僕は今は結婚していないし(離婚したのである)、オーディオ装置はモノーラルなんだ。まだステレオは持っていないんだよ。始めに言っておかなくて悪かった」
へえ、と思う。今まで色々オーディオの話をしてきたのでステレオ装置なのが当然と思っていたからだ。また独身生活をしているからこそ、レストランで食べようということになったのも分かった。

WARINGアベニューの辺りは、何となく昔のフラッシングに似ている。ハーレムみたいに荒れているわけではないが、グリニッチ・ヴィレッジみたいに典雅なのとも異なる。生活している人たちの懐具合が反映されているのだろう。これはニューヨークの中でも中の下だと思う。彼にフラッシングに似ているね、と言ったらその通り、という答えが帰ってきた。でもこういう街並みは懐かしくて好きです、と僕は言った。彼のアパートの内部はまさにフラッシングにあった6年前の我々のアパートに似ている。ドアマンなど居るはずがない。

JF「一人暮らしだから部屋が散らかっていてびっくりするだろう?」
と彼は言うが、実際もう少し何とかなりそうなものを、という気がした。部屋の中には5種類くらいのスピーカーやアンプがあちこちに散らばり、レコードが床に積み上げてある。幾つかのスピーカーは手製らしい。配線も床をスパゲッティみたいにはっているし、ひょっとすると離婚の原因はオーディオに熱を上げ過ぎたせいではないか、という気がする。電気回路のメモが転がっているところを見ると、自分でアンプを組み立てることができるらしい。部屋の中央にはあの有名なKLH モデル9が立っていた。このスピーカーはコンデンサー・スピーカーの初期のものとして世界的に知られているもの。とうの昔にカタログから姿を消しているが、いわば幻のスピーカーとして伝説的である。当然、実物を見るのは僕は初めてだった。屏風みたいに真ん中で折れるようになっていて、その折り方で音の指向性をコントロールするようになっている。日本のスタックス社のコンデンサー・スピーカーと比べても、そうびっくりするほど大きい訳ではない。

JF「ともかくコンパクト・ディスクを掛けてみようよ」
と言って、僕のプレゼントしたアルゲリッチのハイドンをプレーヤーに乗せる。フェイズ・リニアー社製のコンパクト・ディスク・プレーヤーはディスクがタテ方向に回転するようになっている。肝心の音は大変人好きのする柔らかい音色を持っていた。ビロードのようにキメ細かく、体を包み込むような音だ。これは良い音だ、と思う。刺激的なところが全くない。コンデンサー・スピーカーは一般に低音が不足するという風説があるが、これだけ低音があれば何の不足があろう。しかしJF氏はこの低音では不満らしく、自製のスーパーウーファーのスイッチをオンにする。
JF「これを入れないと低音が足りないんだ」
K「そんなことないでしょう。このままでも十分出ていますよ」
JF「いや、不足だ」

正直な話をすると、彼の作ったスーパーウーファーの低音が余り良質の音ではなく、これを並列に入れて鳴らすと、KLHのせっかくの美音が台無しになっている気がしたのである。彼は気がついていないのかしら。とにかくKLH モデル9の音は聴く位置によってもころころと変るのだ。僕は大きな部屋(30畳くらいか)の中をあちこちと動き回って試聴した。最上の位置聴く時、このスピーカーの鳴らす音が今まで聴いた再生音のうち、最高の一つと断言したい。柔らかい音とは言ってもピアノの鋭いアタックはそのまま出てくる。いいや鋭すぎるくらいだ。これには彼も気がついたらしく、どうもこの録音はオン・マイクで録ったらしいね、と言う。ハイドンやモーツアルトを聴くためにはもう少し距離感がある録音がいい気がする。
JF「このKLHはね、低音のカット・オフが120Hzなんだよ。だからどうしてもスーパーウーファーをつけなければならないんだ」
と言う。僕は異論がある。120Hzと言うのは人間の聴感上、最もデリケートな振動数である。日本のオーディオマニアなら誰でも知っていることだ。その大切なところを「汚い音」のウーファーでつないでしまっては、全体が台無しになったらどうするのだろう?。

僕はそこで間接的な言い回しをした。、
K「40万の法則ってご存知ですか?低音のカット・オフと高音のカット・オフの振動数を掛けたものが40万になると聴感上、最も美しい音になるという法則です」
JF「それは理論的に言えるのかね?」
K「いいえ経験則です。もし高音を2万ヘルツまで出すつもりなら、低音は20ヘルツである必要があるわけです。しかし20ヘルツでなんて低音は出るはずが無いでしょう?それでも美音は出ますよね?」
JF「君の言っているのはクレデンザとか、そのような蓄音機のことかい?でも40万の法則なんてねえ」
疑わしそうな顔をしてみせる。僕が言いたかったのは、むやみに低音を(あるいは高温を)伸ばしても美しい音になる保証はないということだったのだ。つまり僕はハイファイの音でなく、美しい音を聴きたいのだよ。

JF「ところで、こちらのスピーカーを聴いてみるかい?」
と言って窓際にセットしてあったスピーカーを指した。日本製の(三菱だったか日立だったか忘れた)ユニットを用いて自分で組み立てたものらしい。ツィーターがチタンだとかアルミだとか言っていたが、肝心なのはその音である。どう思うかと聞かれたので、これは少しきつい音だからエージングが必要だと思う、と答えた。それじゃこちらのスピーカーはどうだ、と言って部屋の真ん中を占領していた人工衛星みなたいな形をしたスピーカーを鳴らした。この方がずっと柔らかい音だったので、この方が好きだと告げた。彼は不思議そうな顔をする。
JF「本当をいうと、僕はこのスピーカーをもう処分しようと思っていたんだよ。これもやはりコンデンサー・スピーカーなんだけれどね。一度、中を開けてみようと思っていたから、この際ふたを取ってみよう」
と言ってかなり無理してふたをこじ開けてしまった。20cm四方ぐらいのコンデンサー・スピーカー・ユニットが太陽電池みたいに球状に幾枚か取り付けてある。このスピーカーは耐入力が弱いらしく、少し大きい音になるとショートしてチリチリした雑音を出す。

もう少し長く聴いてみると、このスピーカーの音は余り上質でないことが分かる。JFがこれを捨ててしまいたい、と言った意味がわかる気もする。KLHを手に入れてしまえばもう不要だろう。僕がさっき、これの方が手製より良いと言ったものだから、彼は気を効かせたつもりで、君はオペラ好きだから「トスカ」を掛けてあげよう、と言う。レオンタイン・プライスの歌ったカラヤン盤のレコードだったが、どの部分を聴いてみたいか、と言うから第2幕の前半をリクエストした。それを聴いたあと、彼自身はここが好きだ、と言って第一幕のテ・デウムを掛ける。このあたりからこの音にやや飽きてきた。しかし畳み込むように、もっとおもしろい音楽があるよ、と言ってホルストの「吹奏楽のための組曲」というのを掛けてくれた。正直言うと、その時僕は眉毛が変な形になっていただろうと思う。うるさく、ひらめきに欠けた音楽のような気がしたからである。失礼ながら、これはオーディオのデモンストレーション・レコード見たいなものかも知れない。

礼儀としてにこやかに聴いてはいたものの、このレコードは早く終わってくれないかと頭の中で念じていた。JFは大変親切な人だし、親しい友人であるが、音楽の好みにはいささかの疑問を持ってしまったのだ。部屋の壁に娘さんの写真が飾ってあったし、途中で息子さんから電話が掛かってきたから、結婚していたことは分かる。ふと片隅にユダヤのマークを見つけたので、やはりユダヤ系だったんだなと思う。君のためにジュースを作ってあげよう、と言って出してくれたグレープ・フルーツのジュースを一杯飲み、クッキーの残っていたのをポケットに詰め込んで辞すことになった。バス停まで送ってくれたが、次のバスまで20分以上もあることが分かったので2人で近所を散歩することにした。
JF「実を言うと、このあたりは僕自身あまり歩き回ったことは無いんだよ」
と彼は言う。親切に回数券まで買って貰い、5番街経由のバスに乗って別れた。

せっかくだからロックフェラー・センター・ビルに登って夜景でも見て帰ろうかとも思ったが、結局通り過ぎてそのままホテルに戻った。翌日、もう一つの行事が控えていたからである。ホテルのギフトショップで絵はがきを買い、ホテル内のコーヒー・ショップでビールを飲みながら家族に手紙を書く。夜7時ごろである。


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