音楽のすすめ 第2章 第3話 列車内の会話('85-3)


(補足)
 赤字:2007年に新たに書いた部分
 黒字:1985年の日記からの引用

(2007年の加筆部分)ニューヨークで音楽生活を楽しめるのは、それだけインフラストラクチャがあるからです。つまり仕事の終了時刻が厳格に5時です。むろん、これは職種によって違いますから、あくまで私の周辺では、と言う但し書き付きです。あるいは契約によって一週間に何時間働けばよいかが分かっていれば、それを活用できるからです。これは大切です。例え建前はどうであっても、現実にそうなっているか、それをサポート出来る体制かどうかが肝心です。YYY機構ではSecurityの問題がありますので、いつまでも所内に残られては厄介なのです。17時になるとピストルを持った警備員が回ってきて、もう勤務時間を過ぎたぞ、と警告します。これならスパッと止められますね。日本からYYY機構に行ったのは私が先頭バッターですが、そのあと何人もの人が行きました。ある人は夜型の生活を持ち込んで、皆が帰ったあとで作業を続けていた、あるいは作業を開始していたのを、偶然忘れものを取りに戻った人に見つかり、互いに若干の気まずさを覚えた、と言うことを聞かされました。日本との時差があるから、というのは全く言い訳にならないのです。何が時差だ、米国に居る間は米国人になるのが常識だ、と彼等は主張します。米国では米国流に徹すること、これが鉄則。代わりに、朝はうんと早くても構いません。殆どの人は8時に来ていますし、7時台に来る人もいます。要するに、夜型より朝型なんですよ!また殆どの音楽会、クラシックでもミュージカルでも、夜8時開始です。終了が遅くなりますが、実はニューヨークでは地下鉄は終夜運転です。これは凄く便利です。あとは本人の体力次第。明日の仕事に差し支えるという時は、行くのを止めればいいのですから。この激しい消耗戦に耐える為には、やはり必要なのは若さと体力ですね。

Cから意外な話しを聞いたのですが、これは前回のコラムに載せてあります(音楽の勧め<第41話 ミュージカルの冒険>)が、つまりベトナム戦争ですよ。徴兵制度が生きていた頃の話ですから、それを避けるための方策を探っていたのですね。必死です。そして生活しなくちゃ、という僕の方の要求もまた必死でした(当時僕は本当にやりたいことをやれない状態でした。それを乗越えるのに20年を要しました)。だからCとの間に共通項があります。趣味も共通で、時として音楽の好みの違いが目立ちますが、それでもまずまずの交遊関係が築かれました。


(以下は1985年より収録)第3話ではKが私、GlはYYY機構の副所長、KeはPPP部長、C、H、Jn(JK)、KM、Po、FE、JF、FISは同機構の友人、またHy氏は先代のYYY機構の統率者。H夫人はニューヨーク大学の教授。日本勢の中ではAMはGGG機構の、MMはNNN大学の、SSはXXX機構の同業者を表します。


4月5日(金)
午前中H氏から借りた資料のコピーで忙しかったが、一旦部屋に戻った時、Cが覗きに来る。
C「一緒に出ることにしたいんだけど、今日は他に何か予定はあるの?」
K「昼に一旦ホテルに帰ってすぐにここに戻るつもりだけど」
C「え、ホテルに戻るって?」
と妙な顔をする。すぐ戻るのだから心配ない、夕方には必ず一緒に出るから、と請け合った。ホテルに戻る本当の理由は、今晩ホテルを留守にするわけだから、その留守を悟られないように細工する必要がある、と思ったからだ。何と言ってもここはニューヨーク、プロの泥棒さんはゴマンと居るのだ。甘くみてはいけない。ベッドを直しに来るメイドだって疑わなければいけない。自分で自分を守る努力を絶えず払った上ならニューヨークはちっとも危険ではない。しかし、その努力を怠ると安全は全く保証されない。日本の都会と違うところはこの点だ。

昼休みにホテルの自室に戻り、バス・ルームに干してあった夕べの洗濯物を取り込み、新しい洗濯物を干して、ことさらゴミ袋にゴミを投げ込み、ベッドのシーツを乱しておく。このおぞましい小細工が必要だったことはあとで証明される。ある時、ホテルに戻ったらドアが開けられたままになっていたことがあるのだ。ホテルからYYY機構までわずか15分しかかからない。YYY機構ビルの一階にある郵便局で昨日書いた絵ハガキを日本に出すと同時に、郵便小包み用の段ボール箱を2ドルで買う。YYY機構で入手した資料を日本に送るためである。午後は再びコピーをとり、さらに今まで集めた情報を整理して帰国後の報告書に備える。また、来週の僕の講演会の原稿の準備をしていたら、あっと言う間に時間が経つ。

ニューヨーク大学のH夫人と会う約束を取り付けるため、まずH氏にH夫人(Hとは無関係)の電話番号を尋ねた。彼はBBB部のFIS嬢がH夫人の親友だから番号を知っているだろう、と言って探してくれたが、見つからず、別の所から情報が入った。H夫人の研究室では別の男性が現れ、夫人は月曜日まで留守だから、その時また掛けて欲しいと言われる。

4時ぐらいに再度Cが来て、4時半に出ようと言う。何となく、ここはフレックス・タイムが実施されているようだった。公には日本と同じく8:30-17:00が勤務時間だが、殆どの人は8時には来ているし、その代わり5時前に帰ってしまう。6年間にもその気配はあったが、今の方が度が進んだようだ。コンピュータを使う人は競争のため朝駆けをやる。Ke部長が張り切って朝7時半に出て来たらFEがもっと早くから出勤してコンピュータのメモリーを占領していたので不機嫌になった、という話もある。僕だってXXX機構のコンピュータを誰よりも早朝から占領して他のユーザーを閉め出しているものね。それくらいしないと大規模な計算はできないよ。

約束通り4時半に一緒に部屋を出た。エレベータに載る直前に
C「ちょっと待て。君の講演会についてGlと相談してくるから。君もできるだけ聴衆が多い方が良いだろう?」
といって所長室へ入っていったが、すぐに出てきた。留守中らしい。廊下を通りすがら「Happy Easter, everybody!」と声を掛けていく。
C「おかげで早く帰る口実ができちゃった」

ハドソン街から北に少し歩き、ハドソン河側に曲がったクリストファー・ストリートで地下に降りる。ハドソン街の河底を通る電車に載るのは初めてなのである。運賃が分からなくて一瞬戸惑っていると、Cがコインを入れて置くから、そのまま早くガードを通って進め、と言う。君のおごり?と聞いたら、いいや、うん、そうだとあいまいな答えが返ってきた。ホボケンに着く。Hy夫妻の住むマリーン・ヴュー・プラザのある所である。あとで考えるとこのたった一駅の運賃が1ドルもするのだから驚く。ホボケンから35マイル(56km)離れたグラッドストンへ向う列車のホームのすぐ側に、スーパーはあり、ビールでも買って行こうということになる。
C「ほら、キリン・ビールもあるよ」
K「でもアメリカまで来て日本のビールを飲むこともないだろう」
C「ぼくはハイネケンが好きなんだけどね」
とオランダ製を指して言う。僕も以前ハイネケンがお気に入りだった。ただし、ミラー等に比べると少し高価かな、という記憶がある。結局小瓶のハイネケンの半ダース入りのパックを買うことになったが、これは僕が払うと主張した。
C「でも君は我が家のお客だせ。なぜ?」
と妙な顔をしたものの、でも有り難うと受け取ってくれた。切符売り場でCは僕のために休日用の割引き往復切符があるかどうか尋ねてくれた。7ドルだった。

列車は既にホームに入っており、Cはキョロキョロしていたが、やっとその訳がわかった。つまりMyが同じ列車に乗っているのだ。C&My夫妻は毎朝同じ列車でニューヨークに出勤し、また夕方同じ列車で自宅に戻るのだ。あいさつを交わしたあと、久しぶりにMyを眺めると髪の毛の色がかなり変っているのに気づいた。額のあたりだけ白いのだ。白髪とも思えないから部分染めでもしているのだろうか。

相変わらずシャキシャキしていいて人慣れしている。彼女を窓側に座らせ、僕は通路側に陣取った。Cは太っているから向かい合わせに一人で席を占めた。3人でビールを飲みながら話が進む。約1時間半にわたりしゃべり続けるのだから、話題は盛りだくさんである。Cは今日の出来事をMyと僕に話す。
C「今日はコンピュータの委員会があったんだ。僕が委員なものでね。ところがJKの奴、本来彼の仕事だのに自分の仕事を何もしないんだ。彼は要するに全くの怠け者なんだよ。ひどいものだ」
K「JKってJnのこと?」
C「Jn?ああ。でも我々は彼のことをJKと呼ぶけどね。ともかく仕事なんか全くしない奴だから僕も腹を立てたんだ。そこで…」
K「そこで君はGlの所に行った訳か」
僕は笑いながら茶々を入れた。
C「その通り。Glは彼に命令できる立場だからね。命令されりゃ、やらざるを得まい」
K「彼はいつからYYY機構に居るんだい?」
そこにMyが割り込む。
My「100年も前からよ!」
ほら始まった。彼女は口さがないのだ。
C「君もJKに逢ったことはあるだろう?」
K「うん。計算プログラムの件で2-3回相談に行ったことがある」
C「それで用をなしたの?」
K「ああ、何だったか忘れたけど教えて貰ったよ」

車掌が検察に来た。細長い切符を半分に折り取り、それを座っている座席の背もたれの上の溝に差し込んで行く。そこに収まっている乗客は検札済みだという目印なのだろう。途中で席を変えることはできなくなるけれどスマートな方法ではある。次の話題はC自身の近況である。
C「僕は今Ddを書くための仕事をしているんだ」
K「確か前は君は実験的な仕事が多かったような気がするけど、今は違うみたいだね」
C「そう。少し前から、測定とか実験から手を引いて今までに貯めたデータ解析を始めたんだ。仕事の中心を移したんだよ」
K「団体は何に入っているの?」
C「3つ入っているけど、ARA会議がメインだよ。HPA会議もやっているが」
K「YYY機構の人々はあまりHPA会議には入っていないと思っていたけど」
C「以前はね。今は結構増えたよ」
K「YYY機構ではDdを取ると何か給料が増えるとか変化があるの?」
C「給料は変らないよ。給料をあげるには部長と個人交渉をしなくちゃ。点数表があってね、部長が認めた点によって俸給表を上げさせることができるのさ。交渉なしにはほんの少ししか変らないよ。その、ほんの少し変るというのも政府の方針で決まるんだから、増える方向とは限らないんだ」
My「いつかなんか一律に下がったこともあったわね」
K「本当か。それはひどい。日本じゃDdをとって2年以内にABC職かDEF職につくと俸給表が2号アップすることになっているよ」
C「そりゃ結構だ。でもアメリカは違う。第一ね、アメリカではDdを取るには大学院に在籍しなければとれない。ともかく高い授業料を払って大学院に籍を置いておかないとそれは不可能だんだ」
K「日本じゃRRDという制度もあるから、大学院に行かなくても論文一つでDdをとることも可能だが」
C「それはドイツと同じシステムだね」
K「すると君は今は大学院生というわけか」
C「そうさ。しかしこれが大変なんだよ。PPP部の他の連中はみなへばってあきらめてしまったんだ。Glが2年前にやっと修了してDdを取ったんだ。そのとたん、彼女は副所長だろう?普通の部長だって本当はDdなしではいられないはずなんだが、Keはそれ無しで部長になったものね」
K「え?彼はDdじゃないの?」
C「今、あの部にはDdはいないよ。HはMdをもっているけどね。Wlはあきらめちゃったし」
K「日本じゃHは当然Ddだと皆思っているよ」
C「そう。彼はもう十分に有名だし、今さらDdも必要ないのさ。でもDdじゃないよ!」
K「そう言えば日本の誰か(RRR機構出身のMO氏)がKeの次の部長は君かって言っていたよ」
それを聞いてCは目を丸くした。まんざら悪い気はしなかったようだ。

俸給表の話が続く。お互い似た者同士でやり易い。
K「日本じゃ8つの等級に分けてある。LLL職に限ればもう少し粗くて5つの等級にしてあるけれど。1等級がトップで5等級がビリ(改正前のもの。今は順が逆)。夫々の中で細かく分けてあるけどね。」
C「僕と大体同じだね。アメリカでは15等級に分けてあるけど、大雑把には5つくらいに分けられる。こちらは日本と逆で15等級がトップで1等級がラスト。最もこの1等級というのは掃除のおばさんとか運転手だけどね。ガードマンなんかこの範疇にも入らないんだ。僕は13等級なんだが、YYY機構ではGlがトップで15等級なんだ」

K「XXX機構じゃプロモーションのためには発表した書き物の数が問題になるんだ。質が大切だってことは当然なんだが、内容に立ち入って判断するのが面倒で、誰も質の判断を避けてしまう。結局量で決まってしまう。3等級の者が2等級になるには、オリジナルの発表が10編いるし、2等級から1等級になるには20編いるんだ。これはあくまで有資格になるって意味に過ぎないけどね。オリジナルの発表であって、筆頭著者であって、かつ英語で書いてあるのが1番強いんだ。プロシーディングとか解説など幾ら書いても評価されないよ」
C「つまり、純粋のレビュー・ジャーナル(審査員のあるところ)に載せないとダメってことか」
K「その通り。口頭発表なんか100回やったってダメさ。口頭発表は口頭発表に過ぎない。商業雑誌もダメ」
My「C、あんたそれだけの数を書いた?」
C「うん…、多分ね」
(続く)


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