音楽のすすめ 第2章 第4話 チェスターの会話('85-4)


(補足)
 赤字:2007年に新たに書いた部分
 黒字:1985年の日記からの引用

(2007年の加筆部分)ニューヨークで開かれる演奏会に触れるには、やはり余り遠くない所に住む必要があります。昔プリンストンのMr&Ms夫妻に聞いた話ですが、彼等はメット終演後に車を飛ばして帰ってきたことがあると言っていました。プリンストンとニューヨークでは何100kmも離れていますから、やはり住む場所によって影響を受けます。ニューヨークの郊外に住むのが精一杯でしょう。そしてここで、C&My夫妻はその典型ともいう場所に新住居を定めました。日常的にニューヨークに出勤しますから、そこで最新の情報は入手できるし、普段は田舎暮らしを楽しめるし、と踏んだようです。その結果を報告します。

列車はチェスターに向かって一直線。C&My夫妻はニューヨークでに住んでいた頃は、ブルックリン区のプロスペクト・パーク・ウエストという所の、立派なアパートに住んでしました。ブルックリンというと危険な所、と思いたくなりますが、こことブルックリン・ハイツは別で、実に瀟酒な雰囲気を持っている所です。私は家族と一緒にブルックリン植物園という所に行ったことがありますが、その帰りにふと思いついて、Cの家に電話を掛けて訪問したことがあります。その時Myは不在でしたが、Cが相手をしてくれました。あまり広くない家でしたが、それでも玄関ホールにはクリスタルのシャンデリアがぶら下がっていましたし、日本に持ってくれば結構な住まいという他ありません。実はもっと前に、年越しパーティに招待されてここに行っているのですが、日本とは全く違う雰囲気に圧倒されました。帰りに我々のアパートにもどうぞ、と声を掛けたのですが、そしてCのI willという答えに戦々恐々としたものです。こういう交流こそ欲しいもので、友情を成立させる重要な要素なんですね。私が紹介して以来、YYY機構に行った人が3人いますが、それぞれ立派な生活をしていたようです。私は金を持ち出して、金を掛けてまで高いアパートに住もう、という気は無かったのですが、それで良かったと思います。ある人は年間300万円も持ち出しだったそうです。米国人達にとっては、自宅へ招待するのが最大の歓待の表現。言葉の問題ではないようです。私の英語も当初、果たして通じているのかと思いましたが、それはそれ、住んでいる間に少し慣れました。慣れは恐ろしい。とにかく喋りまくりました。

少しお金のあるニューヨーカー達は、郊外に家を持ちたがります。ニュージャージー州は格好のターゲット。あとロングアイランド島の奥のカウンティ(郡)とかもあります。あるいは島暮らしと言って、スタッテン・アイランド暮らし。うんとお金のあるニューヨーカー達はマンハッタン区の5番街のマンション暮らしをします。ロックフェラー家とか、メロン家とか。そしてお金の無い貧乏なニューヨーカー達は、クイーンズ区、ブルックリン区そしてブロンクス区に住みます。区内暮らしをしていることが、文句無くニューヨーカーと呼ばれる最低条件ですが、実に様々な生活形態があります。C&My夫妻は今や上昇流に乗っている時ですから、それに相応しい所に住まいを求めて行ったのですね。彼等の家の敷地面積は、大昔の関白藤原道隆の屋敷の約4倍あり、一方左大臣藤原冬嗣の屋敷の約4分の1倍です(安田政彦「平安京のニオイ」吉川弘文館、東京2007年より)。いやはや。


(以下は1985年より収録)ここでKが私自身、Cは米国の友人、Myはその夫人、またMr&Mrs夫妻はプリンストン最銃の同僚、Haは私の妻を表します。



(4月5日の続き)
C「ところで今度の旅行で君は一日あたり幾ら貰っているの?」
K「一日あたり100ドルだよ」
C「ギリギリだね、ニューヨークでは」
K「ホテルが最低ランクでね。一日58ドルなんだ」
My「もっと安い所もあるでしょうに」
K「でも日本から予約できるのは限られているからね」
My「何というホテル?」
K「センチュリー・パラマウント。劇場街なんだもんでうるさい所なんだ」
C「観測なんかでネバダ州へ行く時、我々はいったい幾ら貰う思う?一日あたりたったの50ドルだよ。TTT種の人達と同じなんだから」
と嘆く。一般の出張ならネバダ州とテキサス州では旅費が2倍違うと言う。RRR種の人は飛行機で行けるが、TTT種の人は車を運転して行くはめになるそうだ。ところが観測だと、同じになるのが不満だと言う。日本ではRRR自らがTTTのような機器調整や、その運搬までやらなければならないのに。それに比べれば米国はまだ恵まれている。日本で2つの職種が分離するのはいつだろう?

職業上の話に少し飽きて、皆窓の外へ目を向ける。
My「K、風景が変わったのに気がついて?ニュージャージーをどう思う?」
K「うん。実に牧歌的だね」
C「チェスターに引っ越す前に色々考えたけれど、結局ニューヨークの郊外ではニューヨークと余り変らない、と思ったんだ。移るなら思い切り田舎に行かなくちゃ、と思って選んだんだよ」
K「でも君たち車を持っていなかっただろうに。どうやって探したの?」
C「レンタ・カーを借りて回ったのさ」
My「でも私はチェスターは2回しか行ってないわよ」
K「Wlも言っていたけれど、どうみてもC&My夫妻は都会派だから田舎住まいなんて思いがけないことだって」
C「ニューヨールは好きだよ。Myもニューヨークは好きで、少なくともチェスターでお勤めをするなんて柄ではない。だから職場はニューヨークに持ち、その代わり、住まいは思い切り田舎に行って対照的な生活をするのが良いと思ったんだ。中途半端な郊外じゃそうならない」
My「近所の人が驚いていたわよ。毎日ニューヨークへお勤めですかって」

僕はMyの方に顔を向けて
K「仕事の方はどう?」
My「今日はうんとくたびれたわ。偉い人たちの前で講演したのよ」
K「そういうのはよくやるの?」
My「1年に何遍か。シカゴまで行ってすることもあるわよ」
K「Myさんも偉いんだな」
C「そのために彼女に高い授業料を払って学校に行かせたんだもの」
特に尋ねなかったが、ここで言う学校とは恐らくは経営学の大学院のことであろう。アメリカで最も顔が聞くと言う。

K「ところでねえ、My。君はどうやって細身に保つのに成功しているの?」
My「成功しているなんて冗談いわないで。困っているんだから。」
彼女の首から上は無理矢理に細くしたように見えるが、確かに腰とお腹は丸くなっている気がする。
My「それよりあなたの奥さんは?Haは大変小さい人だったという記憶があるわ」
本人が聞いたらどう思うだろう。
C「Myは痩せてなんかいないさ」
とCが言ったとたん、Myさんが反撃する。
My「自分はどうなの?このおなか!」
実際C君は全く太鼓腹になってしまったのだ。今や大きな中華ナベを裏返しにしたみたいな腹をしている。

グラッドストーン駅が近くなると進行方向右側に池が見えてきた。グラッドストーン駅はこの鉄道の終点に当たるが、古めかしい田舎風の駅だった。駅前が駐車場になっていて、そこにC&My夫妻の車も置いてある。
C「ほら、見てご覧。マツダだぜ」
K「おやおや。以前は確かホンダを買うつもりじゃなかったの?」
C「そうそう、君に相談に行ったことがあるよね」
彼らが前の籍に、僕は後ろの籍に収まる。
C「こんな風にキイ一つで全部の窓を開け閉めできるなんて、日本車でしかできない芸当だよ」

車で15分ぐらい走ると、もう街並は消えて山林のような風景となる。牧場のような草地や果樹園を通り抜けると葉の落ちた背の高い林の向こうに2階建ての家が見える。
C「ほれ、あれが我が家だよ」
外壁の全面が杉の皮みたいなもので覆われた造りである。自動車はそのままガジージの中に入ってしまう。ガレージは2台収容できるようになっているが、今は1台しか無い。ガレージのシャッターは車の中から無線コントロールで開け閉めできる仕掛けになっている。雨の日は外出から帰ってきても、濡れなくて済む訳だ。ガレージから居間へそのままドアで続いている。天井が民芸風とでも言うのか簡単でない構造をしている。窓辺には鉢植えの観葉植物が色々と並べられ、正面には古いマントルピースがあって、重たそうな火かき棒が銅のバケツに入っている。壁にはいわゆるアートポスターが幾つか飾られ、全体に随分色々と飾り立てたな、という気がする。ただ、部屋が十分に広いため、せせこましくない。

C「ほら、ブルックリンのアパートで使っていたJBLのスピーカーをここに置いたんだ」
以前、自分で気に入っていると言っていたJBLのスピーカーが鴨居の高さより高い壁面に据え付けてあった。丁度その中間にテレビが置いてある。
C「つまりJBLは今やTV用のスピーカーになっちゃったわけさ」
TVはソニー製だが、その下にあるビデオ・デッキはJVC(日本ビクター)だった。
My「K、家の中を案内するわ」
Myがあちこち連れて歩く。その間、Cは自分の書斎でご自慢のステレオを鳴らし始めた。僕のワーグナー好きを知ってだろう「ニュルンベルクの名歌手」の前奏曲である。それをバックグラウンド・ミュージックとして聞きながら家の中を歩き回る。最初に見たのは家族用の部屋で、いわゆるファミリールームと呼ばれる部屋である。他の家でもそうだが、およそ客間にはテレビは置かないものである。もっと奥の方に別の客間があって、そちらはピカピカにレイアウトされ、美しいキャンドル・スタンドやレースで飾られている。マントルピースも遥かに立派なものである。

荷物を置くために2階に登った。
My「ここがあなたの寝室よ」
と開けられた部屋は15畳ぐらいであろうか。真中に敷かれたセクション・カーペットの上にベッドが置かれ、窓辺はフリルのついたカーテンが掛かっている。右側に本棚があってベッドの頭側にランプが2つある以外はがらんとした感じ。Myさんは
My「この花はKのために」
と言って、庭から切ってきたレンギョウをベッドのそばの花瓶にいけた。続けて彼らの寝室を見せてくれたが、ブルックリンのアパートで見たことのある天蓋のついたベッドにが据え付けられている。床の上には籐で編んだ大きなカゴがあって、その中にセーターなどの衣類が収まっている。つまりグラビア雑誌になどによく載っている写真と同じ光景なのだ。反対側の奥の部屋へ案内されるとここにもベッドはあるのだが、これはMy夫人の仕事部屋だと言う。壁に据え付け型の製図台があり、レールを滑らせて折り曲げると壁面に張り付く格好になっている。

My「これは私が見つけた買ったの。製図は私の趣味でね。家の中のレイアウトを色々描くのが楽しみで」
K「これはうらやましい。製図は商売みたいなもので、こういうのがあったらいいと思うよ」
My「65ドルで買えるわよ」
今までに製作した例を見せてくれたが、ブルックリンのアパート時代の作品らしい。グランド・ピアノが置かれた格好になっている。そう言えば6年前Cが、義母(Myの)がピアノを呉れるかも知れない等と言っていたから、その準備だったんだろう。結局は現在までピアノは入手していないようだ。
My「K、これ覚えていて?」
と棚に飾られたものを見せられて思い出した。6年前にHaがMyの為に作った紙人形がまだ取ってあったのである。隣のバスルームの化粧台には、以前プレゼントした七宝焼きの飾り皿が小物入れとして置いてあった。本人が来ると分かっていたから、わざわざ目立つ所に並べたのかも知れない。続いて地下室へ降りると、植物の種子を保存したり、苗を栽培する部屋があり、また客間の下の部分はガランとした大きな空間になっていて、卓球台が置いてある。
My「時々カCとピンポンするのよ」
K「それはいい。一緒にやってみたものだ。YYY機構でピンポンは、できなくなったそうだから」
(続く)

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