音楽のすすめ 第2章 第5話 好きな音楽ジャンル('85-5)


(補足)
 赤字:2007年に新たに書いた部分
 黒字:1985年の日記からの引用

(2007年の加筆部分)ここでC&My夫妻の生活を少し覗いてみましょう。彼等は優雅な生活を楽しんでいるように見えます。また遠慮しながらも、ご近所に対して秘かな自信もあるらしいことが伺えます。

ここで「薔薇の騎士」が話題にのぼりますが、私に言わせれば「薔薇の騎士」はエンターテインメントの範囲内で最高だと思います。もっとほめたいのですが、音楽それ自身の性格を考えると、これをワーグナーやベルリーニと同じ土俵に載せるのはどうかな、というところです。ベートーベンに対してはもっと躊躇いが増幅されるでしょう。何も卑下することは無いのですが、「薔薇の騎士」の持つ娯楽性をいちいち説明しなければならないとすれば、面倒なのです。初めてオペラを観るひとが、「薔薇の騎士」にイカレタとなれば、大変なことです。色々試みたけれど、やはりあの曲はいいよ、というのが本当のところ。私自身も人様にお勧めする際は、これを意識しております。万一、これで退屈されては、元も子も無いのですからね。カラヤン盤でもよし、ベーム盤でもよし、またクライバー父盤でもクライバー息子盤でも良いのですが、それを受け入れることが可能という心証が得られない場合には、伏せておいた方が賢明ではないでしょうか。一旦これに参れば、あとはブクブクと沈むのみ。例えようもなく、素晴らしいのですが。

御本人が真面目一徹の朴念仁でしたら、やはり「薔薇の騎士」を推薦するのは遠慮した方が賢明かと思います。でもウイーン風の洒脱な空気を理解できる方が、出来ないよりも遥かに楽しさが増すと思いますよ。それに「薔薇の騎士」を聴くからと言って、決してベートーベンを聴かないわけじゃありません。しかし、そういう事を説明するのが面倒ならば、避けた方が良いかなと思います。私自身も昔だったら真剣な顔をして説得に勤めたと思いますが、今はもう少しクールに、もう少し賢くなったようです。

(以下は1985年より収録)ここでKが私自身、Cは米国の友人、Myはその夫人を表します。



(4月5日の続き)
今度はCが僕を外に連れ出した。母屋のそばに2階建ての大きな倉庫みたいのが建っていたが、これはまさに納屋だそうだ。外壁についた木製の階段を登って内部に入るとガランとした空間になっている。一応、カーペットやクッションやこまごました家具もあってこれだけでも暮らせるくらいだ。
C「お客が大勢遊びにきたら、ここでキャンプでもさせようと思ってね。随分費用を掛けて階段やら屋根の修理と電気工事をやらせたんだよ」
その建物の外には野外用の炉が2つあって、プロパンガスで料理できるようになっている。夏季の来客時に使うそうだ。側にはしだれ柳が枝を張っている。
C「もう少しあとになると咲くんだけどね」
と言う。

ついでに境界線を見せよう、と言って川の方向へ連れて行かれた。Cは途中でふと立ち止まって
C「おや、警告文がはがれている」
と言って、樹木に巻き付けてあったらしい紙片を拾った。
C「このあたりは野生の鹿がいるんでね。ハンター達が鉄砲を持って敷地に入ってくるのを避けるために、所有者のサイン入りの警告文を貼っておくんだ」

母屋の方へ戻ると再びMyが引き継いで案内をする。庭には何とプールまであるのだ。そう深いものではなく、腰くらいまでしか入れないだろうが、一応泳げる程度の大きさはある。但し今は枯葉が落ちるのを防ぐために大きな布のシートで、全面を覆っている。
My「去年、遊びにきた人が一人、このシートを破っちゃったのよ。枯葉が皆底へ沈んじゃったの。おかげで、それを除けるためにヘトヘトになったわよ」
K「これだけの水を入れるとなると、結構お金もかかるだろうね」
My「そう。1ガロン2セントでも全体ではね」
計算してみると、1回水を張るたびに数十ドルはかかる。家は大掛かりになるほど維持費が大変だ。プール脇には薔薇が植えてある。
My「あちこちに植え込みを作って行くつもりなの」
と言うが、色々聞いてみると庭師を雇うらしい。
My「前にそこの地下に埋めてある水道管が故障したことがあって大変だったわよ。大金をかけて直したの」
プールの脇に屋根のついた更衣所がある。男女別に仕切ってあるが
K「これだけ林に囲まれていれば近所から見えっこないでしょ?水着を着る必要も無いんじゃないの?」
と冗談を言うとCが割り込む。
C「でも僕は着るけどね」
My「私は着ないわよ」
だとさ。

その更衣室の外壁に「Prospect Park West」と大きな字で書いた金属の掲示板が貼付けてあるのを見つけた。
K「おや、どうしてこんな所に?」
とわざと意地悪く聞いてみた。
My「前に住んでいたアパートの側を歩いていたらね、それが風の強い日で、ふと見たらこの看板が落ちていたの」
K「それで急いで拾ってアパートに飛び込んだわけ?」
ウソつけ。プロスペクト公園から引きちぎって盗んできたに違いない。あの公園の付近はいい所だったよ。

ガレージの部分の外壁に赤い薔薇と白い薔薇のつるが伸びていた。
K「これもMyの植えたものかい?赤薔薇と白薔薇とどっちが好き?」
C「どっちも好きだけど」
K「君はランカスター党かヨーク党かって意味だよ」
C「ああそう言うことか。僕はどちらかと言うとヨーク家びいきだね。プランタジェネット家の正当な後過ぎはヨーク家だと思う。君は?」
K「僕はランカスター党だよ」

薔薇戦争の談義がしばし続いたあと、Cが飲み物をとりに家の中に入った間にMyが近所を歩いてみましょう、と言い出した。さっき歩いたばかりの林道の方向へ歩き、小川のほとりまで出る。何となく川の水が少し濁って見える。何かのせいで泡が出る様に見える。川の中の大きな岩に飛び移って周りを見渡す。
My「ここで夏の夕方、Cと2人でカクテルを飲んだりするの」
K「Cはこの辺で鹿を撃つハンターが居るって言ってたけど、でも鹿をとってどうするの?」
My「もちろん食べるのよ。でも私は狩は好きじゃないわ」
さらに下流の方へ歩いて行くと小さな橋が架かっていた。
My「この向こう側は国立公園になっていてハイカー達がくるの。公園の中では火を使えないけど、この付近ならできるの」
ハイカー達はときどき自分達の敷地の中まで入ってくるという。どこかにバスで来た団体が居るらしく、遠くに歓声が聞こえる。橋から水底を覗き込むと硬貨が落ちているのが見えた。
My「あれはハイカー達がおまじないに投げ込んだものよ」
K「トレビの泉ってところか?」
My「そうよ」
K「僕も投げ込んでおこう」
コイン入れから25セント硬貨を取り出したら、Myはそれを押しとどめ
My「もっと小さいのでいいわよ」
という。そこで1ペニーを2枚取り出し、彼女にも1枚渡し、トレビ風に後ろ向きに投げた。
My「何を願ったの?」
K「またここに来れますようにって」
My「あら私も、またここに来て貰えますようにって願ったのよ」

Myの話はつづく。
My「私はどうせだったら、徹底して田舎らしいところに住む方がいいと思うの。ニューヨークは好きだけど、仕事場と住む所はがらっと変えたいわ」
Cと同じことを言っている。この夫婦、どちらかが受け売り型なのだ。家の方向に戻る途中、Myは草むらの中の小道を指差して、あれは鹿が歩いてできた獣道だという。そのまま家の中に入らずに反対側の自動車道路の方へ抜けた。C&My家と隣接した土地は一人住まいの女性のものらしい。"隣のレディ"という表現を何度も聞いた。わざわざ英国からメイドを呼んで雇っているという。左側にはもっと開けた草地が広がっている。あとで聞いたところによると、彼らはクリスマス・ツリーを植え、アップルサイダーを作ることによって、その土地が農地であるという認定を受けているのだそうである。それによって税金を安く押さえられるのである。C&My家などはこの辺りでは小さな家であって、近所には何10倍も大きな敷地を持った家があると言う。果樹園のある家まで行ってUターンして戻ることにした。この道路は結構車が通る。お隣りとの境あたりまで戻ると遠くからCが飲み物の小ビンを手にして近づいてきた。

C「どこへ行ったかと思ったよ。随分探したぜ」
お隣りは牧場になっていて、馬を2頭放し飼いにしている。
My「ほら、見てご覧なさいよ。馬のくせに足でポーズを作っているわよ」
と言うから足元に注目すると、まるで人間みたいに気取って脚を交差させたまま、ビクとも動かない。そこに隣のメイドが馬の世話のために車でやってきたので、これ幸いと僕とCとMyの3人一緒のところでカメラのシャッターを切って貰った。うっかりASA50のセットのままASA400のフィルムを入れていたので、あとで見ると霞がかかったみたいになっている。

日がようやく傾いてきた。レンギョウが今を盛りに咲き誇っているので、その黄色の光の中で、また何枚かの写真をとった。今度はASAを直して。
C「ここの水は自家水道なんだ。井戸水をポンプで組んでいるんだよ」
K「停電なんかで困ったことはないの?」
C「前に一度そういうことがあった。冬でね、仕方がないから雪を集めて炉で溶かして水にしたんだ」
ともかく、このような田舎の一戸建ては維持が大変だろうと思う。庭が広すぎるし、Myは薔薇やクロッカスを植えたがるようだが、そのための整地は庭師を雇うらしいし。人件費の高いアメリカだから出費が思いやられる。
K「君たちは要するに金持ちなんだね」
C「いや、自分では中流だと思っている」
日本の自称「中流」が聞いたら目を伏せなければならないだろう。

C「ところでK、ディナーに出かけたいんだがモリス・タウンにはシーフードの店とステーキの店が一軒づつある。まあまあの味だが、君はどっちがいい?シーフードといってもスシはないけどね」
K「僕はアメリカに来た以上アメリカ料理を食べたい」
C「それじゃステーキか。ともかく電話して予約しておこう」
結局8時に予約がとれた。彼らが言うにはニューヨークまで通勤するような生活をしていると、家事を普通にすることは不可能で、いきおい食べるのは冷凍食品ばかり、ということになる。洗濯もシーツから何まで皆クリーニング屋に出す。だから庭の手入れも庭師、ということになるわけだ。2人分の収入がある一方で、出る方も多くなる。

平屋建てのレストランへ行ってまずシェリー酒を注文し、それを飲みながらメイン・ディッシュを相談した。おすすめは骨付きステーキかラム・ステーキということだが、僕が前者、Myはまったく別のものをとった。Cはカロリー制限でもしているのか小さなものを望んでいたが、運ばれてきたラム・ステーキの巨大さを見てギョッとしていた。食事をしながら随分話し込んだはずなのに、何をしゃべったか殆ど忘れてしまった。食欲を満たすのに夢中になって、頭の中のテープ・レコーダーのスイッチを入れるのを忘れたらしい。例えば教会の話をした覚えがある。日本に隠れキリシタンが居たこと、カトリック教会が再びやってきた時、隠れキリシタンの祖先たちが苦心してカモフラージュしたものが何であったかを、既に忘れていたこと、等を話した。一方、Cは自分達は実は教会に関心が薄くなってしまったと白状していた。ただ一つ良く覚えているのは音楽の話だ。

C「前に君が呉れた『薔薇の騎士』の切符さ、あれでメトロポリタンに言って以来、オペラハウスへは全く足を踏み入れていないんだ。僕は君ほどオペラ好きじゃないからな。君の所に『薔薇の騎士』のパンフレットを送っただろう?」
K「受け取った。でもね、僕が言うんだが、ほとんどのオペラは退屈だし、殆どのオペラ歌手は下手だよ。でも100に一つは本当に真剣で誠実なオペラがあるんだ。それにぶつからなくては本当のことは分からないよ」
C「例えばどんな曲だい?」
K「君も知っているように僕はワグネリアンだからね。ワーグナーのものは皆好きだが、イタリア物では『ノルマ』だね」
C「ブルックリンの図書館からパルシファルのレコードを借りたことがあるんだ。何というか有名な指揮者の。ところがまあ聴いているうちにウンザリしちゃって第1面が終わったら、もうあとを聴く気がしなくて返しちゃったよ」
K「何て馬鹿な!第2面にこそエッセンスがあるのに」
C「前にメトロポリタンで『西部の娘』を観たんだけど、西部劇をイタリア語でやられるとおかしくてね」
My「私は『トスカ』が好きだわ」
K「My、怒らないで聞いてくれるね?」
My「ええ」
K「『トスカ』は初心者に向いた曲なんだ。分かり易くて筋がはっきりしているからね。でもトスカの全ては誇張だよ。僕はあの曲をレコードで40回も聴いた後でそう悟ったよ」
C「でもオペラってみな誇張じゃないの?」
K「中にはまじめなものもあるさ。それにぶつかることが大切なんだ」
C「それじゃ『薔薇の騎士』をどう思っているの?」
K「あれは最高の娯楽だとおもう」
C「その通り。娯楽だと思うから楽しめるのさ。あの曲の第2幕がいいね。第3幕はきれいな2重唱や3重唱があるけと、少しゴタゴタしている。第1幕は苦手なんだ」
K「でも序曲なんか素敵じゃないか?」
C「ああ、あれはいいよ」
(続く)


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