音楽のすすめ 第2章 第6話 楽しき哉オーディオ('85-6)


(補足)
 赤字:2007年に新たに書いた部分
 黒字:1985年の日記からの引用

(2007年の加筆部分)さらにこの晩の会話はどんどん進みました。実際話し出すと楽しくて、メモも少ししか残っていないのです。ここで出てくるジェームス・ジョイスの「フィネガンス・ウエイク」ですが、この本はどう読んでも分かり難いので、これをいかに読むか、という点をテーマとして、本が一冊書かれていました。でもそういう本が沢山あっても、肝心なフィネガンス・ウエイクが見つからないので、困っていたのです。なぜ「フィネガンス・ウェイク」かと申しますと、大昔に読んだ評論記事に、丸谷才一氏が高校講師として働いていた時分に、生徒の中にメチャクチャに英語のできる生徒がいてチョッとでも間違えると目がキラッと光ったこと、その生徒は後のピアニスト高橋悠治だったこと、ある日、高橋が小脇に抱えていたのが「フィネガンス・ウェイク」だったので仰天した、という記載があったため。高校生で「フィネガンス・ウエイク」とは恐れ入りました。八重洲ブックセンターならあるだろうと思ったのです。ところが女店員の御自分で探せば、という素っ気ない答えに憤懣やるかたありません。丸善に行ってみたらやはり無かったものの、その一部分だけをみつけました。その内容がトリスタンとイゾルデを思わせるものだったので、ますます「フィネガンス・ウエイク」の神秘性が増した次第。実際ジョイスの本は難しくて、手に負えない点があります。それに話が暗く、何処まで行っても明るくならない霧の立ちこめた暗いダブリンの風景が目に浮かぶよう。アイルランドがイゾルデの故郷だと言うことをふと忘れてしまいそうです。ダブリン大学には陽気な同業者MARがいるのですが、誰でもああではないようです。MARはロンドンのXXXシンポジウムで同席しましたが、その時、彼は真っ赤なセーター姿でしたから、休み時間に「楽しい色ですね」と感想を述べたところ、「良いだろう?妻の手作りだよ」という答えが直ぐ返ってきました。すっと後に2005年に日本のSSS市でのシンポジウムでも彼の姿を見ましたが、そこで彼は僕の講演に対し、真っ先に手を挙げて発言しました。それはCOS発見に関わる話で、僕は冗談半分に、オーストリアのHXはCOSを発見したけど、彼は物理学者ではない、と言ったのでしたが、彼はいや彼こそ物理学者だよ、と諭すコメントを呉れました。

ここに出てくるダルキストのスピーカーは、形がまるでQUADの初代のESLそっくり。でも音は全く異なり、何というか硬い音で、ごつごつした感じでした(私の耳には)。ダンプが良いと言うのは分かりましたが、もっと潤いがあればな、という印象です。でも色々な形式のスピーカ?が次々と現れていたので、その中の一品と思っていました。他にも、一時騒がれたのですが、薄いリボン状フィルムのようなものを使用したものがありました。私はこれを選んだのはCの耳ではなく、Cのお兄さんだろうと想像しています。Cのお兄さんがそういうものを好んだのでは無いでしょうか。ボアンという緩やかな低音でなくて、バン!という低音が欲しい、ということ。つまりCが受け売り型だろうと思ったこと。でもスピーカ?は使い方次第でしょうから、今私が持っていれば、案外、使い続けていたかも知れません。でも当時の私の耳だと、そう言う音は好みではなかった、と言えます。


(以下は1985年より収録)引き続き、ここではKが私自身、Cは友人、Myはその夫人を表します。MARはダブリン大学教授、HXはオーストリア人のノーベル物理学賞受賞者を表します。



(4月5日の続き)
結局、音楽には娯楽としての性格と芸術としての性格があって、そのどちらを重んじるかによって、印象が異なるのであろう。
C「僕は以前はニューヨーク・フィルの定期演奏会員だったんだけど、余りひどい演奏にぶつかったので、予約会員の更新をやめちゃったんだよ。事務局からはどうして更新しないのかって問い合わせが来たけれど」
ズービン・メータが気に入らないらしい。
C「君は指揮者では誰が好きなの?」
K「一人と言うなら、もちろんフルトヴェングラーだけど」
C「どうして『もちろん』なんて言うんだい?」
K「やはり情感が合うのさ。あとはカイルベルトとクナッパーツブッシュ」
C「今回のニューヨーク滞在中は何か聴きに行くの?」
K「まだ何も決めてないし、切符も持っていない。大体、リンカーン・センターへまだ行っていないんだ。行く暇がないんだ。今はむしろブローウエイで『42番街』を観たいと思っている。前に来たときはミュージカルは何も観なかったからね」
C「ブロードウェイの切符を安く買う方法があるのは知っているかい?」
K「ああ知っているよ。でも3時にチケット・ブースが開くんだろう?でも、そんな時間に行けるはずないもの」
My「私は『キャッツ』を勧めるわ。あれ、絶対面白いわよ」

どうやら腹に詰め込んだ後、チェスターの家に戻ったのが10時頃だろうか。Cはクレジット・カードであのディナー代を払ったのだ。大変だなあ。
My「さあCが待ち構えているわよ。彼のオーディオ装置を聴いてあげて」
とMyにせかされ、Cの書斎に入る。ダルキストー10のスピーカーがセットされ、その正面中央に首もたれのついたリクライニング・チェアーが置いてある。この席が最上の席なのだろう。お客として僕がそこに座り、Cは横の椅子に。ブルックリンで観た時は彼の装置は普及品だった。アンプはレシーバーだったし。それをJBLで鳴らした音を覚えている。それを評して低音不足だと言ったものだ。しかしその時Cは、自分はひたすら高音を求めていると言った。そのころ彼のお兄さんがヤマハのA-2アンプを持ち、ダルキスとのスピーカーを使っていると言っていたのが、今やC自身がダルキストを買ったのだ。今までの様子から見ると、彼はお兄さんをいたく尊敬しているらしい。

さてCの現在のアンプはもはやレシーバーではない。プリ・アンプとメイン・アンプに分離したのだ。残念なことに、うっかりメーカーと型番を調べるのを忘れていしまった。プリ・アンプとメイン・アンプの間にはグラフィック・イコライザーまで挿入されている。カセット・デッキは2台になった。プレーヤーは日本製のラックスだってことはすぐ分かったが、これはラックスの中では最も安い普及品の部類だった。カートリッジはグラド(彼はグレイドと発音する)。

C「K、ちょっとイコライザーのテストをしてみたいんだ。これをOnにした時とOffにした時を比較してみてくれ。合図してくれたらその通りにOn-Offするから」
と言って自らはアンプ棚の側に寄り添う。ややデコボコした補正カーブにセットしてあるのが、ツマミの様子からわかったが、問題は音だ。僕の耳にはほとんど差は無いように思えたが、あえて言えばこっちの方だ、と言ったのを聴いてCは不思議そうに言う。
C「ふうん。イコライザーをOnにした方が良いんだね。実を言うと、このカーブはMyが気に入っているものなんだ。彼女はこれをOnにした方がいいって言う。彼女の耳は実際のところ、確かなんだよ」
K「グラフィック・イコライザーでもっと積極的に周波数補正はやらないのか」
C「いいや、それは部屋の響きを少し補正するにとどめている」

正面の壁にはラフマニノフのサインの入った手紙が額に入って飾ってある。この部屋は随分お金を掛けていると思う。椅子の後ろの本棚にふと目をやるとランゲンスハイツの英独・英独辞典のペーパーバック版があるのが見つかった。
K「これは僕が大学に入った時に買ったものと同じだ。そう言えば君はドイツ語ができるはずだったね。ミュンヘンに行っていたんだろう?」
C「どういたしまして。あのあともう一度ミュンヘンに行ったんだが、英語で通しちゃったよ」
K「前から思うんだけど英米人は言語の点ではスポイルされていると思うよ。外国語をやらない人が多くて、実際やらないで通せるんだから」
C「確かにね。僕はドイツ語もフランス語も少しは勉強したんだけど、身についていない」
K「僕も大学時代にはドイツ語は2つ目の言語だけれど、身についていないねえ」
C「それじゃドイツ語がメインで、そのあと英語を習ったわけ?」
とんでもない、と苦笑した。その程度の英語に聞こえているんだろう。だって彼らの言語に関する感覚はすごく鋭く、何でも急速に進歩するのだから。日本では中学校以来10年も英語を習うのが普通だと言ってもだれが信じてくれよう。どうしてこんなに差がつくのだろう。
K「本当のことを言うとね、大学では英語、ドイツ語の外にフランス語とラテン語までやったことになっているんだよ。だけど英語がこの程度、ドイツ語が簡単な買い物ができる程度で、あとはからきしダメ」
My「買い物ができりゃ立派だわよ」
C「僕は高校の時に2年間ラテン語を勉強したことがある」

アメリカ人がそんなに外国語を勉強したという話は余り聞いたことがない。Cは特殊な例だと思う。ヨーロッパ人がXXX機構に来た時、パーティの席などで、色々な話題を話すのには全く困らない。彼らは文芸で鍛えられているように見える。しかし今まで逢ったアメリカ人で文芸の話が続いた例は極めて稀だったと記憶している。失礼ながら、おめでたい程に無知じゃないかと思う。そう言う意味でお互いに遠慮なく話しができる人と知り合うのは嬉しい。かつてRRA会議であった韓国のLは同年輩だが、驚くほど僕と共通のバックグラウンドを持っていた。今まで逢った中で、日本人も外国人も含めて僕に最も近い人だった。Cはその次だと思う。そこで、我が家で問題の書『フィネガンス・ウエイク』(ジェームス・ジョイス)の話題を出した。
K「とにかく本文が見つからないんだ。解説書だの、それを読むための手引書だのは山盛りあるのに。ニューヨークに居るうちに本屋を探してみようと思う」
C「五番街にいい本屋があるよ」
彼が言うのはスクリプナーとは別の本屋だった。しかし結局はフィネガンス・ウエイクは見つからなかったのだ。ニューヨークの大きな本屋も日本の風潮と同じで、およそ売れない古典など並べなくなったのだ。ベストセラー物と、エッセイばかりだった。

さて問題のオーディオである。ダルキストの印象を聞かれたから、正直なところを率直に言った。
K「低音が抜けている。全体に音が固いし、鋭い。角のある音だ」
My「でも私は高音が好きよ」
C「皆、これを聴くと低音が無いっていうんだ。でも僕の趣味はあくまでクリアな高音にあって、低音は締まったものでなければならない。ボワワンと膨らんだ低音じゃ無くて、バン!という感じの切れのいい低音が好きなんだ。B&Wの妙な格好のスピーカーを知っているかい?あんなの買うのは金を捨てるようなものだよ。逆に言って、君はどういう音が好きなの?」
K「一口に言えば、グラマラスな音だよ」
C「つまり中音域が張っているということか」
K「僕の一番好きな楽器は人間の声だからね。声が魅力的に再現できなければ意味が無い」
C「僕にはそのグラマラスという意味がまだ良くわからないんだ。ロジャーズのスピーカーの音か?」
K「スピーカーの具体的な名前を挙げるなら、今まで一番好きだったのは英国のローラ・セレッションの『ディットン66』というスピーカーだ。柔らかいし、決して疲れない。アメリカ製ならハートレイ社の『コンサート・マスターIV』かな」
C「ハートレイは聴いたことがないな」
K「あるいは真空管アンプの音と言っても良い」
C「僕はトランジスタだね」

これは趣味の違いだから差が埋まるはずが無い。
K「日本じゃ、僕の周りでタンノイを買った人が多いんだよ」
彼はこの音に完全に満足している訳ではない、と言う。特にプレーヤーに問題があると思っているようで、次はプレーヤーをグレードアップしたいと言う。
C「僕はリン・ソンデックが欲しいんだ」
と英国製の高級プレーヤーの名を挙げる。
K「あれは色々オプションが要るんだろう?」
C「ああ、ヴァルハラとかニルバナとか。でもまず基本モデルとBASIK(カートリッジ)でいいんだ。あとでASAKだのITOKだの付ければ」
リン・ソンデックが日本のテクニクスのSP-10より優れているという噂は10年前から聞いていた。もしラックスやマイクロが無かったら僕もリン・ソンデックを欲しがったかも知れない。

C「レコード棚から好きなものを探して掛けてくれ」
と言うので隅から隅まで調べる。僕と同じくらいの枚数だが、ともかくレパートリーが広いのだ。モーツアルトからヤナーチェクまであるのだが、僕のコレクションとは全く違う種類のレコードだった。「カルミナ・ブラーナ」などはちょっと掛けてみようかと思ったが、それもダルキストのスピーカーでどう鳴るかという興味に過ぎず、音楽の面からすぐ手が伸びる演奏のものではない。ハスキルは良いけれどダルキストで聞くものとは思えない。その空気を察してか、気に入ったものが見つからないのか、と声を掛けられる。反対側の壁際の棚を観ていたらクラウディオ・アラウの弾いたショパンのピアノ協奏曲があった。このレコードはかつて日本のT家のタンノイで聴いて感心したことがある。アラウがあんなにショパンを巧く弾くとは予想して居なかったからである。これを聴いてみたいと言ったら、少し嫌な顔をした。彼の趣味ではなかったらしい。
C「ほれこの部分を聴いてご覧よ。こりゃ音楽じゃ無いよ。ガラクタだよ」
等と毒づく。彼が現在熱中しているモーツアルトを選ばなかったのが不満らしい。興奮気味の顔を眺めながら言い分を聴いた。嵐はすぐに収まったのでおもむろに自分の意見を言った。
K「こりゃ以前聴いたイメージとかなり違う。タンノイで聴いた時はもっと素晴らしかった」
考えようによっては、これは随分失礼なことを言ったわけだ。しかし、だ。彼は大切なイースターの週末に招待してくれたのだ。これが最大の歓待であることは明瞭だ。だからこそ、なまじ御世辞を並べて喜ばれるより本音を誠実に述べた方が、真の意味ではためになると判断したのである。僕はこのスピーカーについてはedgyだと言ったのだ。再生装置の不備のために音楽の印象まで左右されるのは恐ろしい。

K「なぜ僕がedgyな音を嫌うかと言うとね、C、僕のレパートリーは長い音楽ばかり。何時間もかかる曲だらけだ。もし30分ぐらいで済む曲しか聴かないんだったら、激しいアタックとか、切れ込みの際立った音で聴いた方がおもしろいに違いない。JBLみたいなシャープな音が向くだろう。でもねえ、そうい音で何時間も聴いてご覧よ。耳が麻痺してしまうよ。長時間聴くためにはそれにふさわしい柔らかい、刺激的でない音である必要があるんだよ。僕はそういう音を求めているし、それに慣れているから、このダルキストの音が好きになれないんだ」

ダルキストの鳴らすショパンは音が痩せていて、響きがと肉付きに乏しかったのだ。再び僕はグラマラスな音が好きだと繰り返した。
C「グラマラスねえ。要するに君はこの音が嫌いなんだね」
K「これが悪い音だとは言っていない。ただ、僕の好みとは違う」
JFの所のスピーカーではどうだったか、と聞くからKLHのコンデンサー・スピーカーは良かった、体を包み込むような音だ、と答えた。
K「彼の所でホルストの何とか言う管弦楽曲を聴いたんだけど、余り興味が持てなかったな」
C「ああ、『吹奏楽のための組曲』だろう?僕は良い曲だと思うよ。持っているから掛けてみよう」
再びあの曲を聴くはめになった。僕の印象は同じだ。KLHでつまらない曲がダルキストで面白くなるはずがない。色々な曲の話が続いたが、彼は比較的新しいもの好き、というか、珍しい曲を探してレパートリーをどんどん拡大して行くことに関心が集中しているらしい。ちょっと聴いてみて、ああこれは良い、とレパートリーに加えているようだ。彼のレコード・コレクションは、枚数は僕とほぼ同数でも、曲の数で言えば僕の5倍以上あるだろう。
(続く)


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