音楽のすすめ 第2章 第8話 再びマンハッタンにて('85-8)


(補足)
 赤字:2007年に新たに書いた部分
 黒字:1985年の日記からの引用

(2007年の加筆部分)C&My夫妻の車で、駅まで送ってもらい、マンハッタンに帰る所です。あるオーディオ店でCがカッカとなって店員とやり合う場面がありますが、懐かしく思い出します。近所にジャクリーン・オナシス夫人が住んでいたと。またここには私達が1978年に初めてニューヨークに来た時、アパートを初契約した所を再訪問した際の記録が出て来ます。当時は無我夢中でしたから、あらゆる欠点が目に入らず、とにかく契約にこぎ着けました。今だったらもう少し落ち着いて、アレコレ考えてから、となるのでしょうが、当時は赤ん坊を抱えていましたので、とにかく早く落ち着かなくては、と焦ったのです。でも良い人達に会えて良かったと思っております。その内容は第4章までお預け。

もし本当にここでオーディオを楽しみたいなら、郊外の一軒家というのは最適です。何と言っても敷地がより広いし、外部に対する防音壁なぞ必要がないからです。むしろ必要なのは家庭内の音に対してではないでしょうか。Cも言っていましたが、彼等の甥や姪達がやってきた時に一番気を使うと言っています。 床Cの家の床はレンガ敷きの硬いものでしたが、それでも振動には弱く、特にリン・ソンデックはそれが著しい。あらゆる雑念から解放されるには、別棟でも持たなければ無理でしょう。でもそうしたら、今度は家庭生活が破壊されます。ここではMyが協力的ですが、それは彼等に子供がいなかったからです。もしいたら、そうは問屋が降ろしませんね。思う存分オーディオを楽しみたい、と御思いのアナタ、それをよく考えましょう。家庭とオーディオのどちらが重要なのか、を常に天秤に掛けてみる必要がありそうです。マニアと呼ばれる人々は、ウッカリすると自分の大好きなオーディオの世界にのめり込んでしまう、という危険に晒されているのでは?常にそうしたい、でもこの世では夢、というのが現実だと思います。お城にでも住み、全ての雑用をメイド達がやってくれるのなら話は違いますが。

今までに雑誌で拝見した日本のオーディオ・マニアの家、そのリスニングルームを見ますと、タメイキが出るような素晴らしい機器に囲まれていますが、その生活を考えると大変なことです。あれだけの生活を維持するのは夢みたいです。でも孤独な生活は可哀想?とも思えるのですよ(ヒガミです)。それでも良いのダ、と頑張る人しかマニアを名乗ることは許されないのかも知れません。五味康祐氏(上野で御見かけした)も、高城重彌氏(オーディオ講座で見聞きしました。同僚の恩師)も、池田圭氏(上野でお隣に御見かけした)も、そして瀬川英樹氏(同僚の親戚筋)も含めて皆そう言う感じです。でも本人に取ってそれが幸せなら、それも構わないだろうと思って、それが叶わない自らの生活を慰めております。またその後始末も大変なことでは、と思うのです。最近高城家が売りに出ましたが、あのスタンウェイはとにかくも、コンクリート・ホーンはどうなるのやら。残った人が旨く使えるかどうか、が問題です。私自身のささやかな装置でも、家族は使いこなせるとは思えないし、もう少し簡易型の装置にいずれ切り替えなくてはなあ、と考えています。人世は有限ですから。本当に!

(以下は1985年より収録)ここではKが私、Cが音楽仲間、Myはその夫人を表します。



(4月6日の続き)
時刻表を調べ、2時の列車でニューヨークに戻ることにした。Cは家の防犯システムを説明する。ドアというドアの内側と外側の両方に警報装置がつけてあり、また窓ガラスを割って侵入する者があれば、ガラスの割れる音をマイクロフォンがキャッチして、警報が鳴るようになっていると言う。警報は地区の防犯センターに直結しており、どこの部分にどのように侵入したか分かる仕掛けになっているそうだ。その場合、電話線も切ることができるそうだ。
C「だって、犯人が自分で電話に出て、何でないから安心せよ、なんて言うことだってあり得るだろう?」
もちろん、この防犯システムは費用を払って契約しているのである。
C「金がかかるよ。でも昼間は二人とも留守だからこれが必要なんだよ」

グラッドストーン駅まで行く途中、モリス・タウンで幾つかの用事を済ますことになった。このあたりは小さなカウンティ(郡)が合併したのだそうである。合併しても行政機関は旧カウンティのものが、そのまま分散した格好で継続するのだそうだ。どういうメリットがあるのだろう。途中、富豪の家が並ぶあたりを見せてくれた。
C「あれは100万ドルもするんだよ。小さいので50万ドル」
K「庭は狭いと思うけどね」
C「造作が面白いだろう?あの辺りはジャクリーン・オナシスが住んでいるよ」
K「彼女はニューヨークのアパートに住んでいると思ったけど」
My「ニューヨークにも家はあるけど、ここにも家を持っているのよ」
彼等の話によると、この辺りの大金持ちはヘリコプターでマンハッタンに通うのだと言う。大企業の会長等が住むのだそうだ。大変な隣人達を持ったものだ。

モーリス・タウンでMyが洗濯物の山を抱えてクリーニング屋に入っている間にCと僕はオーディオ・ショップに入って、ひやかした。C家と同じダルキストー10があり、アリソンがあり、クオードがある。ラックスの最新アンプもあるし、特製の真空管アンプもあって、この小さな町としては不釣り合いな店と思える。Cはこの店は最高級品店ではない、と言っていたが、Cの好きなリン・ソンデックもある。後でCと店員がやり合っていると思ったら、出よう、と言って外に促された。車を運転しながら彼はカッカとしている。
C「だから、あの店は嫌いだ!自分が一番知っていると思っているんだから。どのスピーカーをお使いですか、って聞くからダルキストだと言ったんだよ。そしたら、あれはダメだってボロクソに言って別のを勧めるんだ。あの態度が我慢できない!」
僕はおかしくなった。昨夜、彼が一瞬こわばったのも同じだったか。案外のぼせ易いタチなんだな、と思う。
C「あの店員の奴、君にも何か言ったかい?」
とハンドルを握ったまま赤い顔で振り向く。気をつけてくれ。

町はずれの画廊に寄り、Myが注文してあった大きなイラストを受け取る。ありふれた田舎の風景画とかイラストばかり並んだ店だったが、受け取ったものは1つぐらいあってもいいと思える品だ。Cがクレジット・カードを渡すと、C読み取り器が無いのか女店員は電話を掛けてカード番号を確かめている。駅までの途中、カセット・テープを掛けてくれた。その響きの感じから、これは電子ピアノかと尋ねたら、普通のピアノだという。テープ録音上のミスがあるようだ。曲目はモーツァルトだったが、何となく、まるでクレーダーマンの弾く曲みたいに響く。

帰りの列車はホボケン直通でなく、サミット駅で乗り換えだから注意するように、サミット駅では同じホームで待っていればいいのだから、と何度も念を押された。列車が遠ざかるまで、二人で見送ってくれた。難なくホボケンへ、そしてさらに乗り換えてヘラルド・スクエアまで行って下車した。ヘラルド・スクエアでは以前コルベッツがあったビルはすっかり衣替えしてあった。お向かいのメイシーズへ入って7階のクリスタル製品売り場とおもちゃ売り場をのぞく。イースターにふさわしく、ウサギの飾り物でもないかと思ったのである。おかしいことに、その様なものは全くない。クリスタルの方は昔から欲しかったキャンドル・スタンドがバーゲンになっているが、残念ながらあまり上等なものではない。一応西独製の鉛24%ではあるが。全部見送って地下へ降りて食料品とお菓子、食器を眺める。相変わらず混んでいて、買うつもりのチョコレートも買わずに出てしまう。そのまま徒歩でタイムズ・スクエアに戻った。

バーガー・キングで腹を満たした後、休む間もなくすぐにリンカーン・センターへ行くことにした。本来なら(?)ニューヨーク到着後すぐに行くところだが、1週間遅れてしまった。タイムズ・スクエア駅から地下鉄1番線に乗り、66丁目で下車。あまり降りる人がいなくて、ガラガラのホームをあわてて走って最後部の階段へ向った。こういう空いた時が危ないんだ。相変わらず汚水臭い地下道をくぐり抜けてリンカーン・センターの地下道へ出る。この時気がついたのだが、昔地下鉄が発行していた週末の片道フリー券は廃止されたようだ。土曜の午後なのに何も呉れなかったもの。

まっすぐにメトロポリタン・オペラ・ハウスのエスカレータを昇ってボックス・オフィスを探した。たしかこのあたりは改築工事して模様替えされたと聞いていたが、昔のボックス・オフィスは相変わらずあった。ただし、この時は閉まっていて、その反対側のロビーの方に新しい窓口ができていて、その方が開いていた。今シーズンの出し物の一覧表を1枚ピックアップして調べると、『パルシファル』、『リゴレット』、『トスカ』、『ルル』の4曲が滞在中に上演されることが分かった。日本ではまず見ることのできない『ルル(ベルク)』も一案だが、1回だけのつもりだから安全策をとりたい。オリヴィア・スタップの『トスカ』があったので一旦はそれにしようかと思った。トスカは余り好みでないが、オリヴィア・スタップは日本でもレコードを通じて紹介されて、有名になっているから興味があった。窓口のおばさんに4月8日のトスカの切符は残っているか、と尋ねたら、あると言う。値段表を見たいんだが、と言ったら、入り口に貼ってあるから調べてこい、と言う。いくら探しても見つからず、気が変わった。
K「気が変わりました。『トスカ』はやめにして、4月11日のパルシファルが欲しい。70ドル以下はありますか?」
と尋ねると一枚渡してくれた。Sold Outのはずだったから、誰かがキャンセルしたものであろう。60ドルをアメリカン・エクスプレスで払う。

その足でメット・ギフト・ショップへ入る。以前よりずっと広く、奥深くなっている。あれも欲しい、これも欲しいと散々考えたあげく、英デッカのプロデューサーだったジョン・カルショウの自叙伝の続編と、観劇用のチョコレートを買う。これでプリンストンのMr&Ms家へのお土産もできた。さらにエイブリー・フィッシャー・ホールの地下にあるギフト・ショップでビヴァリー・シルズのレコード1枚と、キャンデーの箱を買う。両手いっぱいの獲物を抱えてくたくたになって7番街経由で歩いて帰った。途中で気がついたら、懐かしいアベイ・ヴィクトリア・ホテルは工事中だった。だから日本で最近発行されている案内書にこのホテルは抜けていたのだ。何とかプラザになるらしいが、ホテルは廃業するのだろうか。



4月7日(日)
前から考えていたのだが、この日曜日を利用して古巣フラッシングに行ってみることにした。タイムズ・スクエアから7番線に乗ってクイーンズへ向う。できるだけ外の景色を見たいので立ったまま行きたかったのだが、余りのガラガラ電車では目立ちすぎるので、北側を向く姿勢で座り、一つ一つ駅を確かめるようにして、キョロキョロしていた。各駅停車だったから小一時間かかる。シェア・スタジアムの先の湾がメドウ・パークに食い込んでいる所を特に注意して見た。終点のメイン・ストリート駅で何食わぬ顔で、いかにも慣れ切った風を装って階段を昇っていったが、内心は期待と懐かしさでドキドキしていたのである。訪れてみたい所が山ほどある。昔なじみの店に片端から入ってみたい。ただし残念なことに今日イースターの日曜日で殆どの商店は皆お休みだった。駅前のウールワースも、アレクサンダーもスターンズ(昔のガーツ)も。アパートから至近距離にあるDan's Supremeスーパーまで閉店中だった。中には開いている店もあるが、それは韓国系の店。何と韓国人が増えたのだろう。至る所、あらゆる場所に韓国人があふれている。逆に日本人の姿はもはや殆ど見当たらない。彼らは川向こうのFort Leeへ行ってしまったのだろうか。インド人の姿も減った。昔あったサリーの店も姿を消していた。以前ジーンズを買った店もなくなり、毛皮を安売りしていた店もない。Haのミンクのハーフコートを買ったPapa'sFurも消えた。イタリア系のGenoveseスーパーは昔のままだった。

角の文房具屋でニューヨーク・タイムズの日曜版(1ドル25セント)を買い、ユダヤ人がやっている薬局の角を曲がり、昔猫がショーウインドウの中で昼寝していたあたりの花屋を通ると、ここは教会のために営業中だった。花屋だけは日曜もイースターも無いようである。この辺りを歩きながら、昔よりもかなり道並みがきれいになったな、と思う。正直言ってブロンクスのWaring Avenueよりずっと小ぎれいだ。雑草は無くなり、歩道のデコボコは修理されてた。結構いい環境だったんだな、と思う。
(続く)


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