音楽のすすめ 第2章 第10話 オーディオ仲間(’85-10)


(補足)
 赤字:2007年に新たに書いた部分
 黒字:1985年の日記からの引用

(2007年の加筆部分)ここでは私が職場で逢った色々な友人たちの日常の姿をご紹介します。やや仕事よりの話ですが、下記のような雰囲気でした。そこでオーディオの話をすることができたわけです。またここで強調したいのは、友情というのは絶え間ない努力の成果として築くものだ、と言う点。私はニューヨークでそれを味わいました。それはこの時より古い1979年の秋のこと。帰国日が迫り、いよいよ成果を英文で打たなければならなくなりました。自分のアパートへ持ち帰って打ち続けるためには、小型のタイプライターが必須になります。今だったらコンピュータを持てば良いことになりますし、そのプリントは職場ですれば済むのですが、当時はまだ個人用のコンピュータの時代ではありませんでした。紙とか文房具類は職場で自由に調達できましたが、タイプライターはありません。そこで勤め先よりさらに南にあるキャナル・ストリートにある店で、安い品を一つ買いました。これにはCの協力を得て、店を見つけたのです。現金払い。ご承知のことと思いますが、米国ではスーパー等で決算をする際に最初に聴かれるのは「現金か、それともクレジットか」ですね。いつも現金でした。理由は簡単で、当時私はクレジットカードを持っていなかったのです。それは社会的位置の低さを意味しましたが、どうしようもありません。勿論銀行小切手帳は持っていましたが、それで払うのは家賃と、子供の幼稚園の費用だけでした。

さてそのタイプライターを持って帰る時に、Cは「代わりに持ってやろうか」と尋ねたのです。「なぜ?」と問うたところ、「君があえいでいるからさ」と答えられました。実際あれは重かった。そして秘書に、打ち出して、誤りを発見したら打ち直して欲しいと頼みましたが、本当は頼んではいけなかったようです。それでも秘書は出来る範囲でやりましょうと答えて、やって呉れました。当時私は貧乏生活を強いられていたので、大層な買物だったことに違いありません。お昼はいつもランチ持参でしたが、Keが突然部屋に入って来て、「あ、すまん」と言って出ていったことも何度かあります。Hが口火を切りました「K、あのタイプライターの仕事はもう終わっただろうし、もし要らなければ、自分に売ってくれないか。」と申し出たのです。Hは「あれは随分良い品のようだし、自分の妹への誕生日プレゼントにぴったりだと思っていたんだよ」と言って、結局買値の9割で買って呉れました。9割なんて決してあり得ないことです。一度でも使えば、半分以下の値段になるのが相場。ですからこれは周辺の人々が気を使ってくれたに違いありません。Hは僕に、自尊心を傷つけないように「僕は前に日本に招かれてNNN大学で世話になったことがある。あの時のお礼をしたいんだ」と申します。涙が出そうになりました。200数十ドルという現金がどれほど価値あるかは、当時の我々の生活ぶりを知っていれば分かることです。もう少し前の1978年には、ニューヨークでは牛乳ストライキというのがありました。店頭から牛乳が消えたのです。その時、同僚のKMが私の部屋に現れて「K、君のとこの赤ん坊も牛乳が要るだろう?いまYYY機構では何とか牛乳を手に入れることができるんだよ。君がもし必要なら」と申し出て呉れたのです。それでは、と私は1本(1ガロン)だけ頼みました。1ガロンなんて余りに少量でしたが、実は所持金が心配だったため。これが、1978—79年の姿でした。

(以下は1985年より収録)ここでKは私、H夫人は米国ニューヨーク大学教授、Hは友人、KeはPPP部長、GlはYYY機構副所長、そしてJGとAd、PC、FE、BA、KM はYYY機構における同僚、そして引用として、Hyは昔のYYY機構所長、Boが昔いたYYY機構の同僚を表します。またMZは日本の義兄。



4/8(月)
Hy氏の夫人であるH夫人に2度目の電話を掛けたら今度は通じた。今週はいつでも会えると言われたが、金曜の午後3時—4時を予約した。相談の内容は何かと尋ねられたので、XXX調査について情報を得たい、と述べた。彼女は米国審議会のXXX委員会の委員長なのである。無駄な表敬訪問でなく、実質的な討論をしようという意思が互いはっきりした。実はHが金曜の晩にディナーに招待して呉れていたので、気にはなったのだが、それまでにはYYY機構に戻れるだろうと楽観した。ただしH氏にはその点を念を押して置いた。不安がらせてはいけない。一方、僕が講演するはずのYYY機構セミナーは金曜の午前中と決まった。あれこれ忙しい日となりそうだ。

Hにニューヨーク大学への行き方を尋ねたら、事務棚から地図を出してきてくれた。Cがそばに居たのだが、郵便物を積み上げたコーナーにKe発送の大きな封筒があったのを指差した。発送人の住所氏名はYYY機構のコンピュータに登録されていて、そのまま自動的にタイプされるのだが、そこに”Dd Ke”と書いてあった。Cは
C「ほら、コンピュータが既に間違えて登録しているんだから!」
と言ってHの顔を見る。Hも軽い笑いを浮かべる。Cは自分が目下書いている最中だから、他人の称号にも神経質になっていると見える。一方のHは何をやっても要領が良く、今風に軽いのだ。いつでも深刻そうには見えない。でも実に頭の切れる人だと思う。

コピーに行った途中、ふと廊下の突き当たりにある所長室に人影がみえたので近づいてみるとGl女史が在室だった。向こうでも気がついていて右手を大きく振って合図してくれる。丁度電話中だったのだ。
Gl「ちょっとあとでね」
と小声で告げられた。コピーの用事を済ませて再度所長室を訪問。手みやげの西陣織を渡す。握手した感触は柔らかいが、随分小さい手だな、と思った。以前、彼女の髪は長く伸ばしたままだったが、今はゆるくパーマをかけて肩にやっとかかる程度にしている。
K「髪型を変えられましたね。若く見えますよ」
Gl「前はダランとしてましたものね。でも白髪が増えちゃって。ほら、この通りよ」
こうしてあらためて正面から見ると結構年配なんだな、と思う。6年前にYYY機構から日本のXXX機構に書いた手紙に「Glはチャーミングだが若いのか、年を取っているのか分からない。あるいは30歳台半ばとも見えるし、ひょっとすると50代かなとも思えるし」という内容があったのだ。フランスの侯爵の血を引くのだそうだ。
K「随分、忙しくなったでしょう。仕事の内容が変っちゃったんでしょうね」
Gl「全然別の仕事よ。でも楽しんでいるのよ」
K「もう以前の仕事をする時間的余裕はなさそう」
Gl「それは無理よ」
大変生き生きとしていた。

今日はJGの部屋に押し掛けた。PPP部きっての若々しいダンディーだった彼も今やお腹が出て、眼鏡を使用していた。相変わらず人当たりが良く、グルになってふざけることのできる男である。以前は最も新参だったため、いわばGlの下働きのような仕事をしていたのだが、彼女が副所長になって以来、残されたルーチン的な仕事を一人で切り盛りしていると言う。
K「そんなに頻繁じゃ、準備やら後始末で大変でしょう。かなりの負担じゃないの?」
JG「でも1ヶ月に2〜3日程度で済むから」
K「僕なんか3ヶ月に一度費やすだけだけでウンザリしているのに」
JGの場合はそれを本職として受け入れている節があって、余り抵抗を感じて居ないらしい。
JG「SDSのようなものは、将来扱う問題として考えているけど、何と言っても人手不足だからな」

彼の若さを考え、これに対して僕は特にコメントしなかったけど、言いたいことがある。JG君、もし君が一本立ちしていくつもりなら、TTという一個の計測道具のおもりをしているだけじゃダメだ。はやい話が君のお師匠さんだったGlはTTXデータから、ZXZを見つけた。それで彼女はDdを取った。その手伝いとなる手作業をJG君はせっせとやってきたわけだ(非常にクールな言い方をすれば、Glは君の手を利用して自分の成果を得た。使い捨てにされないためには自らの計画を練りたまえ)。

昼頃、Cがふらっと僕の部屋にやってきた。
C「この間、サミット駅での乗り継ぎはうまく行ったのかい?」
K「ああ、何も問題はなかったよ。あのまま33丁目まで行ったんだよ。ほら、ギンブルズの前の」
C「知っている。あとは何か変ったことはなかったの?」
K「フラッシングに行って昔のお隣さんに逢ってきた」

昼休みにグリニッチ・ヴィレッジの散歩に出かけた。6番街まで出ると、以前は通ったことのない小道を抜けてワシントン広場へ出た。天候が急に悪くなったら急いで戻った方がいいかな、と一瞬迷っている内にシャワーになってしまった。ズブ濡れになってしまい、そこらにあるアパートの入り口のテントにしばしたたずむ。少し小降りになったころ、クリストファー・ストリートと交差するところにある教会風の図書館の位置に出た。昔なじみのグリニッチ・ヴィレッジを歩き、昔から知っているペット屋のイヌや猫を覗く。そのお向かいにあったマクドナルドは姿を消していた。

午後はAEE部のAdを再度たずねた以外は、自室で主として金曜の講演会の準備にいそしむ。途中でJFの部屋へ寄り、写真をとらせてくれと頼む。彼は実験用マスクをかぶっておどけて見せる。
JF「Cのステレオはどうだった?」
K「良かったけど、ちょっと堅い音があってね」
JF「ふうん」
オーディオ・ファイルの仲間としてライバル意識を燃やしたな。ついでに英国のオーディオ雑誌のハイファイニュースを2冊貸してくれた。ワルター指揮の「大地の歌」のCDの評があったので日本のMZ家のために写し取る。

夕方、買物が済んだあとは軽い気分で、今度はさらに北側にあるJALオフィスへ向う。JALもよくこんな一等地にオフィスを持てたものだと思う。帰国便の予約確認のためである。案の定、名前が間違って入力されていたことが判明、こんなトラブルが帰国直前に起きたら本気で心配しなくてはならなかっただろう。何でも早めに準備しておくものだ。

4/9(火)
午前中、コンピュータ・ルームへPC女史を尋ねる。彼女は大張り切りで最新の機器を誇らしげに説明する。
PC「全部入れ替わったわよ。今のはディジタル製なの。昔はIBMだったでしょ」
K「レンタル?それとも買い取り?」
PC「買い取りよ。でもまだ未完成でね」
K「買い取りとレンタルとどちらが有利かは分からないけど。だってコンピュータは日進月歩でしょ。いま最新型でも2〜3年も経てば旧型に転落するから」
PC「日本ではどうしているの?メーカーはどこ?」
K「YYY機構ではレンタルです。NEC/東芝で」
PC「NEC製は多いわね。ここのはディジタルにしてから以前のIBM/360の20倍も計算が早くなったの」

彼女はCが言う所の「怠け者JK」を呼んで引き合わせた。ともかく、このコンピュータ・ルームは随分とすっきり整理された感じだ。以前の楽屋裏みたいなゴチャゴチャした感じが一掃されている。これなら大量の学生アルバイトを雇わなくても済むだろう。でも、あの元気一杯だったBA嬢の姿が消えたのは寂しい。
PC「カード入力装置も残してはあるけど、ほれこの通り誰も使わないわ。今のところターミナルが37台か40台あるんだけど、みな自分の部屋からリモート・コントロールしているの。Cが一番多く使っているわよ」
以前はFS、Bo、そして僕の3人が大口利用者の代表だった。その頃はCは余りコンピュータを使っているようには見えなかった。やはり本人が言う通り、仕事の中心を移したのだろう。

K「コンピュータについてはXXX機構ではBMM関係の人たちの同意が得られなくて。BMMとかCMMの立場から見るとコンピュータは高級電卓程度にしか見えないらしい。下手をすればマニアのおもちゃとでも思っている節があります、あれが数値実験のための装置だってことが分かって貰えないんですね。試験管の中で反応を起こさせる代わりに、コンピュータの磁気素子の間で数値的に反応を起こしているんだってことを、分かってくれないんです。彼らは実験しか眼中になくて、理論なんて思いもつかないんです。BMMやCMM系の人達に共通の傾向です。AMMの人は理論を理解してくれますけどね」
PC「そういう問題の一番いい解決法は、文句を言う人たちを巻き込んじゃうことよ。一旦コンピュータに抱き込まれたら、きっとそれからは離れられなくなっちゃうわよ」

彼女は自信あり気だった、昔カードパンチャーが置いてあった場所にはターミナルが2台置かれている。Jnがデモンストレーション用のスペースシャトルの画面を出してくれた。
ついでに僕の部屋の近くの廊下の壁に貼ってあるTTXの説明用ポスターを撮影する。もちろん作者たるJG君に断ってからである。彼はこれをプロに頼んで製図して貰ったのだそうだ。
K「これを描いたソフトウエアは”イラストレータ”かい?」
JG「いや、”アーティスト”だ」
TTXの作動原理を漫画風に描いたものである。YYY機構では会議で使ったポスター類はそのまま展示して、来客に見せるのだそうだ。
(続く)


<<第9話へ  第11話へ>>
音楽のすすめに戻る