音楽のすすめ 第2章 第14話 グリニッチ・ヴィレッジの風(’85-14)


(補足)
 赤字:2007年に新たに書いた部分
 黒字:1985年の日記からの引用

(2007年の加筆部分)これは大仕事が終わりかけてホッとしている時の記録です。こういうのが最も楽しい時だと思います。親しい人達と一緒に楽しむ場面です。同席したのはHとC&My夫妻です。Hは不思議な容貌と、背が高いので、どこにいても分かります。Hは余りに高名ですし、現在YYY機構を退いて、米国RYZ審議会委員をやっています。ごく若い時代から有名人でしたが、大概の分野で通じるのです。私が7年前に最初にYYY機構に行った時は、Keがまだイタリア旅行中でしたので、Hが代わりに相手を務めてくれました。私本人に打ち明けてくれたのですが、彼は始め私のCV(履歴書)を見て、てっきり専門はGGGだろうと思っていたと言いました。ところが実際には私にとってGGGは耳学問に過ぎず、本当は別のところにあると分かったそうです。そうしたらHはEEE理論のコピーを呉れて、これを読み給え、ということで始まったのです。実に器用な人です。独身ですが、母親がフロリダに居て、時々見舞に行っていると聞きました。

彼に対するお礼をしたいと考えていましたが、彼は私と違ってオペラは趣味でないと申します。第1回目の帰国時には、もっとオーケストラ曲の方が好みだと分かっていましたので、彼にはエイブリー・フィッシャー・ホールにおけるマルタ・アルゲリッチ/ロリン・マゼール指揮クリーブランド交響楽団のピアノ・コンチェルトの切符を2枚プレゼントしました。米国では誰と行こうと2枚プレゼントするのが一般的だと考えたからです。H夫人というか、そのご主人のHy氏にはモーツアルトの歌劇「後宮からの逃走」の切符を2枚等。クラシック音楽が好みだと言う点は分かるのですが、その中身は余り話したことがありません。またHはコントラクト・ブリッジの策士で、よくやっていたよ、と周囲の人々に聞きました。彼のアパートに遊びに行ったことがありますが、ニューヨークの条例により、古くから住んでいる住民が優遇され、余り家賃を上げてはならないのだそうです。そしてHはグリニッチ・ヴィレッジのアパートに25年も住んでいたため、家賃はコレコレだと教えてくれました。ただし隣に誰が住んでいるか未だに知らないそうです。

毎日こういう楽しい空気で、楽しいことばかりあれば天国です。でも、浮き世ではそうは行きません。毎日浮き沈みしています。肝心なことは、もし沈んだ気分になった時、慰めてくれる家族が側に居ることです。それはこれより6年前にも実感しました。それがあれば鬼に金棒です!またH夫人とはその後もあちこちの会議で会いましたが、最後に会ったのは2年前で、日本のHOX市であった会議に現れ、私の発表を聞いてくれました。実のところ、私はそのプロシーディングスに投稿するのをためらっておりましたが、H夫人が一押ししてくれたので、書く気が起きたという曰くがあります。僕の作った図を気に入ってくれ、今後学生指導の際に使いたいと申し出てきました。彼女のクリスマス・カードには、仕事を辞めるなんてもったいない、と言ってくれていますが、私自身はもう限界だろうと思います。



(以下は1985年より収録)さあ、1985年のニューヨークに戻りましょう。ここでKは私、CとHはYYY機構の友人です。またWl、JM、JGはYYY機構の同僚、JMはPPP部の前部長、KeはBBB部の現部長を表します。



全く良い気分で33丁目の長い道路を歩いて、地下鉄1番線へ降りて行った。YYY機構に戻るともう5時直前だったから、半分以上の人々は帰宅した後だった。Hを安心させるために彼の部屋へちょっと顔を見せてから自分の部屋へ入った。Cがやって来て5時半頃まで待ってくれ、という。MyがYYY機構までやってくるから合流して出よう、と言うわけである。

H、C、My、そして僕の4人がまだ明るいヴァリック街を通ってグリニッチ・ヴィレッジへ向う。Hは何を食べようか、と尋ねる。
H「いろいろなレストランがあるからね。アメリカ料理でも、中華料理でも、メキシコ料理でも。メキシコ料理ってのはどう?今まで行ったことあるかい?」
K「いいや、まだない」
H「それじゃ、それに決めた。空席があるといいけどね」
歩きながらタワー・レコードのことを話す。
C「結局、何を買ったんだ?」
K「アストリッド・ヴァルナイのソロ・アルバムと、彼女の出た『エレクトラ』の実況録音盤だよ」
C「ヴァルナイなんて知らないな」
K「彼女はアメリカ人だせ。シンギング・アクトレスという類いのドラマティック・ソプラノさ。ワーグナーやマクベス夫人が得意の」
C「じゃ、レナータ・テバルディとは対象的なわけだ」
これはかつて彼等(あるいは一人が)テバルディ主演のプッチーニ「西部の娘」をメットで見たことを示唆する。

メキシカン・レストランはグリニッチ・アベニューとヴァリック・ストリートの交差する、シェルダン・スクエアの近くにある。かなり混んでいたが、まず、Hが偵察してから皆で入った。客の平均年齢が若く、騒がしい雰囲気だったが、もっと奥の方に少し静かなコーナーがあったので、そこに落ち着く。メニューを覗くとスペイン語で書かれているのでチンプンカンプンだ。顔色を見てCが説明してくれる。タコスとか何とか、要するに西洋お好み焼き、クレープみたいな感じのものである。イタリアならパスタの類いだろう。ただ材料がトウモロコシらしい。かなり辛いのを注文したのだが、メニューを棒読みしていたら、C&My夫妻がスペイン語の発音を直して呉れた。”L”をふたつ重ねたら”J”の発音になるとか。飲み物は全員ビールにした。どの料理にも豆がついている。実は僕は特に豆料理を注文しようとしたのだが、豆なんて何にでもついてくるから、やめておけ、と言われた。何でも米大陸では豆というのは安い食料の代表なのだそうだ。そういえば、西部劇の映画ではカウボーイ達は豆ばかり食べている。

僕とHが並んで座り、MyとCが向かい側に並ぶ。どう見てもおとなしいメンバーではないから、しゃべりヅメである。米国も日本も同じで、こういう際は本音がポンポン飛び出す。
My「どうして、いっそアメリカに就職しようとしないの?」
K「そう簡単ではないよ。第一、言葉の問題もあるし」
My「Kの言葉は通じるわよ。探せばニューヨークにポストがあると思う」
K「でもね、ここだけの話だけど」
とたんに3人が顔を寄せてくる。
K「決して離さないと思うよ」
My「それは私の場合と同じだわ。全く、私抜きじゃ能無しなんだから!」
K「それより、皆、日本へおいでよ。この間テレビの広告を見ていたら、往復でたったの740ドルだったよ」
C「たったのだって!それだけあればリン・ソンデックに投資したいのに。やはり日本は遠いよ」
K「でも、万一来れた時は連絡するのを忘れないでくれ。Hもね」
H「僕は前に日本に行っているからね。順番がなかなか回ってこないんだよ」
K「そういえばWlが今年NRR会議の世話役として日本に来れるかもしれないって言ったんだけど。僕はNRRを日本でやってもいい、と言ったんだけど、ただ編集委員会だけは英語国民の方がよかろう、と伝えたよ」
H「彼は編集委員をやるのが大好きなのさ」
K「でも公費で旅行できるならいいよね。去年のベルリンの会議なんか自費で行ったんだよ。休暇を取ってさ。公費でない限り出張扱いにならないんだよ。そのために数千ドルも払ったわけ」
C「自費とは驚いたな」
My「それは税金控除になるはずよ。職業経費として領収書を出せばいいんだわ。その数千ドルが戻ってくると思う」
K「税金控除の手続きは面倒だから。前に一度書類を取り寄せたことがあるんだけど、辞書みたいにブ厚くてさ。その代わり、自費で休暇として行く以上、旅行中はビジネスの世界から一切の干渉を断ち切ったよ。時間も金も自分で賄って、その上でビジネス上の注文だけつけられちゃ、かなわないからね」

デザートにアイスクリームを、ということになった。メニューに焼きアイスクリームというのがあったが、Cがおもしろがって注文した。僕もそれにしたつもりだったのに、焼いたのは一人分しか来ず、あとの人は普通のアイスクリームだった。Myがすぐに気がついて
My「あら、Kは焼きアイスクリームって言ったはずだのに」
C「おや、そうだったの?じゃ、僕のを少し食べてみるかい?」
K「気にしなくていいよ。またの機会もあるだろうし」
やはり、日本人は気が弱いのかな。Hがカードで支払いをやっているうちに、3人は玄関に。戸口は2重になっているのだが、その中間のスペースに地下へ降りる階段があって、そこがトイレになっている。

このまま帰るのはもったいない。今度はCが飲み物を御馳走するからカフェに行こう、と誘った。道路の反対側の、シェリダン・スクエアにあるコーヒーショップの路上のテーブルを4人で占領した。このような屋外にテーブルを配置した店はグリニッチ・ヴィレッジには沢山あるのだが、腰をかけたのは初めてである。こういう時に、すぐカクテルの名が浮かべば良いのだが、あまり酒類の名を知らないし、特に飲みたいものも無い。あえて言えばアレクサンダーを飲んでみたいのだが、どうも店の雰囲気が異なるようだ。Cはマティニを注文し、Myは得体の知れないもの、Hはまたもビールである。僕は結局アルコールはやめる、と言った。ウエイトレスにアイス・コーヒーを作れるか?と聞いたらちょっと首をかしげて、やってみます、と笑いながら言う。あとの3人も笑い出す。
C「アイス・コーヒーなんてシャレのつもり?」
僕には何のことか分からなかったが、彼らは一種のジョークを感じたらしい。英語がもう少し分かれば!

H「Kは覚えていないかしれないけど、いつかグリニッチ・ヴイレッジのバーで君がいろんなカクテルを飲んで目を廻したことがあるだろう?」
K「ああよく覚えているとも。イタリア人のバーでしょう?あの時、Hが駅まで送ってくれたんだよね」
H「君がフラフラしていたからな。JMに世話を頼まれたんだ」
K「あれ以来、外で飲む時は気をつけている」
1978年の暮れに、当時のPPP部長だったJM氏が僕をバーに連れて行って呉れたのである。PPP部の他の人達も大勢一緒だった。何が欲しいか、と聞かれた時、全くカクテルの知識がない、と白状したら、それじゃ始めはこれで、と渡されたのがウイスキー・サワーだった。それからドンドンと強いカクテルに進み、最後にブラック・ワシントンというのが出てきた。周りが一斉に注目したのを感じたが、ためらわずに飲んでしまったのだ。それを見て慌てたのは当のJMだった。
JM「僕だってこれを飲んだことはないぜ」
その前にはレバー・ペーストを少し食べただけだったから、たちまちアルコールが体中を回ったのが結末である。あの時はHもCも、そしてJGもいた。その後しばらくしてあったニューヨーク大学のパーティではウイスキー・サワーだけにした覚えがある。Keはマルガリータだった。

心地よい夜風に吹かれてグリニッチ・ヴィレッジの野外で寛ぐひとときは最高だった。
My「何かミュージカルを観た?」
K「『42番街』だけ」
C「42番街?ああ、あれか」
Cは一瞬ピンと来なかったようだが、ミュージカルの題名と気がついて、Myと一緒にメイン・テーマを小声で歌い出す。ともかく用事は全部すんだ。Wlとの打ち合わせも、H夫人との会見も、講演も、そして人に頼まれた諸々も。
K「ともかく今はいい気分だ。いろんな事が片付いたからね」
C「講演会が済んだから?」
K「いや、主としてH夫人に会うのが済んだからさ」
My「あらどうして?彼女は良い人よ」
K「もちろん。ただビジネスとして彼女に会ったのは初めてだったからさ。ニューヨークに来た用事が全部済んだんだ。今が一番幸せな気分だよ」
C「そりゃ、君の顔をみれば分かるよ。幸せそのものだもの」
Cがうなづく。
K「だから、今晩だったら何でもできそうな気がするよ」
H、C「気をつけろよ、そういう時は!」
HとCは口をそろえて警告する。

帰り道はC&My夫妻はクリストファー・ストリートからホボケン行きの地下鉄に乗ろうとしたが、Hがどうせなら自分のアパート近くの駅から乗った方が近いよ、と言って3人連れだってグリニッチ・ヴィレッジに向う。僕はシェリダン・スクエアで別れて1番線に乗ることにした。実を言うと、せっかくだから夜のグリニッチ・ヴィレッジを歩き回ろうか(有名なジャズ・スポット”ブルーノート”はここにある)、とも思ったのだが両人の警告を聞いて、おとなしくホテルに戻ることにした。夜9時頃である。彼等が自宅へ戻るのは12時近いであろう。僕の方はタイムズ・スクエアで降車してから、その辺りを30分ほど徘徊しただけでホテルに引っ込んだ。今回のニューヨーク旅行が成功したと実感したのはこの晩である。


(続く)


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