音楽のすすめ 第2章 第15話 カーネギーホールで(’85-15)


(補足)
 赤字:2007年に新たに書いた部分
 黒字:1985年の日記からの引用

(2007年の加筆部分)今回の行動実績をご紹介します。ニューヨークにいるだけで、あちこち覗く機会が色々あるんですよ。ニューヨーク港の見物コースなんてありふれていますが、何回行っても楽しいところですね。ただし自由の女神のてっぺんまであった階段は、もう昔一度昇ったことがある、という記憶をイクスキュースにして、止めることにしました。ずっと以前にここに家族揃って来たことがありますが、あの時は階段がクルクル回転していたので、地面に降りた時、私は足が引きつってしまいましたし、下の娘(当時2歳)は目を回してヒックリ返ってしまいました。周囲を他の観光客の目が取り囲んだのを覚えています。でも9.11事件以来、ここのてっぺんまで昇れなくなくなりました。

ここに書いてありますが、スタンウエイのピアノは世界中にあります。どこのホールも、ヤマハは無くてもスタンウエイはある。アメリカでは家庭用縦型のスタンウエイなら5,000ドル(当時)で買えましたし、キンボル等は1,200ドル(当時)と安いかったんですよ。これは凄いことです。鋼鉄製の音。そもそも鋼鉄製のフレームを使ったのはこの社が最初なんです。木製のフレームでは音に迫力が乏しいかも。私が最後に見た国内のスタンウエイ展示会では、最安値のグランドで590万円でした。随分高いなと思いましたが、オーストリア製のベーゼンドルファーでも、ドイツ製のグロトリアンでも同様です。でも今日ではそれも遥かに値段が高くなっています。当時の日記を見ると、さあ、貯金しよう!と書いてありますが、もうその夢は消えました。第一、弾けないのにもったいないです。へばって当然。格安の中古品ならともかく。

さて、カーネギーホールで聞いたオルフェウス室内管弦楽団は当時売り出し中で、「指揮者のいないオーケストラ」というのがキャチフレーズでした。全体に年齢が若く、まだこれからという人達で構成。帰国後にある雑誌に紹介記事を見たのですが、日本公演もやったようです。当時カーネギーホールはまだ天井の反響板が取り外されていた段階にあり、反響板が復活したのはもっと後年です。ほどほどのサイズで、市内の繁華街近くにあるため、行くには便利です。日本にもこういう立地条件のホールがあればなあ、と思います。だって銀座4丁目にホールが建っているようなものですから。一時、壊すとか、維持するとか、議論が湧きましたが、ヴァイオリニストのアイザック・スターン等の努力で寄付金が集まり、無事に生きながらえています。余りに有名ですからね。米国人の金持ち達が、功なり名を遂げたあとで、こういう施設を建設したのは、そういう風土があるからだと思います。必ずしも彼等が芸術活動に燃えていたからというのでは無いでしょう。しかし結果的に、玉楼のような邸宅を建てるよりもこういう施設を建設して賢明だったと思います。現在博物館になっている旧カーネギー邸とか、フリック・コレクションとか、あるいはJFに紹介されたモルガンの旧邸とか、ああいう古い屋敷も今にして思えば残されて良かったと思います。日本も税制を若干、改善する余地があるかも知れません。肝心の音ですが、ウイーンのムジークフェラインザールと比べると、あれ程の深いブレンド感は無いが、もっと直裁的で良く透る音だと言えましょうか。どこの席でも良く聴こえますよ。




(以下は1985年より収録)ここでKが私を表します。W辺は前(「音楽のすすめ」の<さまよえるオランダ人の財宝>のコラム)にも登場した、日本からの友人。




4/13(土)
今日はお休みの日だから、買物をするなら今日のうちに、と思って朝早く外出した。まずリンカーン・センターへ行く。メットのギフトショップにあった絵皿を買うかどうか決心するためである。1枚が125ドルもする。「ワルキューレ」と「神々のたそがれ」が1枚ずつ飾ってあった。今まで何回もその前にたたずんで悩んだだが、今日決着をつけるつもりだった。しかし125ドルは高い! おまけに夕べ所持金を計算してみたのだが、ホテルの支払いはやはりアメックス・カードを使った方が安全かな、なんて考えたものだから、結局は絵皿は見送ってしまう。持ち帰る途中で割れてしまったらおしまいだし。

改めてメットへ行って、絵皿に最終的に引導を渡した。代わりにキャンデーを買う。それからセントラル・パークを散歩する。昔と同じくウオルター・スコットの像のそばを通って「モール」を奥まで歩く。汗をかいたため、のどが乾いたが、多分モールの突き当たりには飲み物を得る屋台があるだろうと思ったのである。ところが、やけに閑散としている。屋外ステージで、ラジカセのテープに会わせて1人で歌のメロディー怒鳴っている男がいたが、およそ賑わいとは言い難い。眉をすくめて、もっと奥にあるヴェスタの噴水へ行こうとしたら、あの地下トンネルが見当たらない。どうやらこの付近は改装工事中らしく、金網が巡らしてある。噴水池の淵には行けずにそのまま東へ向う。買物の予定もあるからコンサーバトリー・ポンドまでとする。

湖面を見ながら、ありゃ、これはロンドンのケンジントン公園にあるラウンド・ポンドそっくりだ、と言うことに気づく。人工池で丸く、浅く、ふちはコンクリート舗装してあって、ヨットの模型遊びが多い。昔何度も来た「不思議の国のアリス」の像の付近まで来て、向きをターンする。アイスクリームを売る店は相変わらずあった。大きな無線ヨットを抱えて行けに浮かべたグループがあったので、そのヨットが走り出すまで見て、公園内の動物園の方向へ向う。たいして珍しい動物が居る訳でないが、近道を通り抜けて59丁目近くの出口までまっすぐ進む。やっと屋台を見つける。出口付近ではジャズ・バンドが演奏中で、近くのベンチは色々な人々が鈴なりになって座っている。僕は屋台でシュシュカバブを買い、それを食べながらジャズを聞くことにした。こういう場合の常として金集めの帽子が回ってくる。日本だったら乞食行為と見なされるところだが、ここではありふれたこと。目の前ではどこのスーパーから持ち出したのかは分からないが、買物カートを引きずり、コーラの空き缶等を拾っては集めている。どうやら空き缶を回収すると売れるらしい。時々、まだ少量のこっている缶やビンの中身をストローで飲んでいる。ベンチにはいわゆるショッピング・バッグ・レディ達も座っているが、彼女達は必ずしも本当の貧乏人ではない。何万ドルも持ちながら、ジプシー風の生活を好んで自らの意志でやっている者も多いと聞く。僕の方がよほど貧乏だろう。シュシュカバブを買った時、ソーダ水もどうだと聞かれたがノーと答えたら妙な顔をしていた。節約しなくちゃ。

セントラル・パークを出てからはレキシントン街を目指して一路東へ歩く。ブルーミングデールズへ行って買物をしたかったからだ。ブルーミングデールズはさすがにメーシーズなどとは雰囲気が違う。日本以上に人件費を使っているようだ。エスカレータの降り口、通路のコーナー等、至るところにタキシードに身をつつんだ美少年のボーイ達が銀の盆を捧げて立っている。お客様に店内案内のパンフレットを渡すためだ。女性用品の売り場には当然、こってり化粧した女店員が10mおきに立っている。そしてものすごく混んでいる。アメリカのデパートなんて大したことない、日本のスーパー並みだ、なんて言う日本人旅行者はメーシーズしか知らないのだろう。

59丁目まで歩く。途中で前から確かめたかったスタンウエイのニューヨーク本社ビルを見る。ホロヴィッツが時々ここに現われるという。将来、我が家にグランド・ピアノを買うコトがあるとすれば、ニューヨーク・スタンウエイか、ハンブルク・スタンウエイか、はたまたベーゼンドルファーか、それともヤマハかねえ?それを右側に見ながらカーネギーホールへ。昨夜ベッドで色々考えたあげく、もし切符が手に入れば日曜の晩のコンサートに行こうと思ったからだ。この季節は余り大きな出し物が無いのは分かっていたが、今一度カーネギーホールの音を確かめてみたかった。昨年のムジークフェラインザールの素晴らしい響きが耳に残っているうちに。切符売り場で尋ねたら明晩は安いのがあるという。11ドルそこそこだったので1枚買う。オルフェウス室内楽団がモーツアルトのヴァイオリン協奏曲をやる。

その足でアメリカ街のラジオ・シティ・ホールへ。ここはまだ一度も入ったことがない。今日は中南米の歌手がギター片手に歌うらしいが、まだご縁はなさそうだ。1階左手のトイレだけ借りた。アイス・スケート・リンクはまだやっていた。日差しが暑く、のどが乾いたのでソフトクリームを買うことにした。そばにワゴン車が1台停まっていて、小学生みたいな兄妹が売りさばいている。安いはず、と思ったがとんでもない。コーン一つが何と3ドル!暴利だと思ったが暑さにはかなわない。考えてみたら、この辺りに集まる人達は大概は遠来の観光客だ。3ドルのソフトクリームを高いなどと言わない人達なのだ。それにしてもシタタカな子供達だよ、まったく。

再び立ち寄ったメーシーズの、色んな方向を向いた旧式のエスカレータを乗り継いで上階から1階に降りる。途中でカバンや男性用品を覗いてみたが今ひとつ魅力がない。時間はたっぷりあるから、33丁目からタイムズ・スクエアまで7番街を歩く事にした。朝から歩きづめだから、相当な距離を歩いたことになる。7番街はいわば東京の上野・浅草みたいな街だから、決して高級指向ではない。庶民の町並み。ペラペラの安物が多いのだが、これもニューヨークの一面に違いない。ニューヨークはお化けみたいな多面体都市だから一部だけを見ても誤解するだけだ。

4/14(日)
日曜日はたいていの店は閉まっているが、タイムス・スクエアみたいなお上りさん相手の街は例外的に開いている。今まで入ったことのないレストランを選び、ゆっくり朝食をとる。毎日YYY機構に通う時に店内を覗き込んで通り過ぎていたので、一度入ってみることにしたのである。ベーコン・オムレツを注文したが、大変なボリュームで、いかに卵焼き大好きの僕でもげんなりしてしまう。レストランに入るたびに思うのだが、アメリカでは(そして欧州でも)一人で飲み食いするのは都合が悪い。つまり殆どのテーブルは二人用だし、一人客と分かると、僅かにある一人用のテーブルに案内されてしまうが、それらは大概良くない場所にあるのだ。さもなければ、安レストランならカウンタに座るはめになる。つまり外食はパートナーを伴って一緒に取るのが当然とされているようだ。

バッテリー・パークへ言ってニューヨーク港を覗いて見ることに。昔、我が家の子供達を遊ばせた公園のワキにあるトイレで用を足し、フェリー乗り場付近に行く。全くフェリーに乗る気はなかったのだ。ただ海を眺めるために来た。しかしフェリーが出る合図をしているのを見ると腰が浮いてしまう。念のため自由の女神までの運賃表を覗き込んだら2ドルとある。これは安い!と思わず切符を買い、フェリーに飛び乗ってしまった。

リバティー島で下船する時には、返りの便の案内を英語、スペイン語、ドイツ語、フランス語、日本語の順でアナウンスする。これには驚いた。ついに日本語は観光地の公用語になってしまった(1985年)。路上で怪しげな男が今何時だ、と聞く。時計を見て教えたら、続けてプエルト・リコ人の女の子がいるからどうかと言い始めた。ダメ。そう言えば、時刻を尋ねるのは英語が通じるかどうかのチェックのようだ。他の時も言われた経験があるからだ。その時は自分とつきあってコーヒーでも飲め、と言われたのだがもちろん断った。ホテルのロビーをうろついていたら、伝言板のコーナーに「明日のメトロポリタン、"リゴレット"の切符を14ドルで売ります」と書いたビラが貼ってあった。ゲイル・ロビンソンのジルダ役で魅力的だったが、夜遅くなって、万一寝過ごして飛行機に遅れたら大変だから、と見送ってしまった。

カーネギーホールへは早目に出かけ、ホールの横にあるコーヒー・ショップで食事を取る。前にTTS大学のW辺氏が来た時(前の「音楽のすすめ」の<さまよえるオランダ人の財宝>のコラム)に一緒にここでコーヒーを飲んで以来である。お粗末な店だが、こういうのが嫌いな人は50m先のロシアン・ティールームへ行けば良い。カーネギーホールの斜め前には日本クラブがあって、大きなビルの、クラブの部分だけピンクに塗られている。歩道へは青いテントが張り出しているが。色の組み合わせが少し下品かな。

昼間のカーネギーホールは薄汚れた古い建物だが、コンサートの直前になると盛装した人々が付近にたむろして、もっともらしい雰囲気が出来上がる。大型の観光バスが横付けされて大製のお客が降りてくる光景にも出くわす。今日の出し物はオルフェウス室内楽団で、演目はモーツアルトのヴァイオリン協奏曲4番、ドヴォルザークのヴァイオリンとオーケストラの為のロマンス(Op-11)、ハイドンの交響曲53番、およびこのオーケストラのために作曲され、このオーケストラが初演したというバルコムの「オルフェのセレナーデ」。オルフェウス室内楽団というのは日本では殆ど無名だが、それでもアメリカのOpera News誌や日本の「音楽の友」などで何度か写真入りで紹介されている。平均年齢の若い、人種的にも混成部隊のグループ。日本人も何人かいるようだ。総員で20人ぐらいだろうか。

カーネギーホールは交通の激しい所にあるため、耳を澄ますとパトカーのサイレンが聴こえたりする。しかし音響効果は良く、ウイーンのムジークフェラインザールと比べたりさえしなければ、これはこれで魅力的な響きを持っている。そんなに巨大なホールではないから、小編成のオーケストラなど、ともかく音がよく透るのだ。僕の席は3階のバルコニーの、舞台へ向って左手の端に近いところ。客席を眺め渡すには便利なのだが、客の入りは7割というところか。バルコムのセレナーデというのは現代音楽。案の定、それが始まる前に帰ってしまう客も多い。僕の隣にいた親子連れも消えてしまった。実に自分の好みについて忠実なのだ。自分が興味の無い曲が始まるとサッサと消えてしまう。コンサートの終了時には運転手付きの黒塗りのリムジンが何台も並ぶ。これはメトロポリタン歌劇場(メット)でも同じである。


(続く)


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