音楽のすすめ 第2章 第17話 再びニューヨークに(’86-1)


(補足)
 赤字:2007年に新たに書いた部分
 黒字:1986年の日記からの引用

(2007年の加筆部分)以下は先に書いた1985年のニューヨーク訪問に続く1986年の再訪の時の記録です。相変わらずオーディオや音楽論議が多く、これだけ見ていると一体私は何をしにニューヨークに行っているんだ?、という疑問を持たれても不思議ではありません。それは記録はとってあっても、このコラムからは仕事の部分を注意深く取り除いて書いたからです。実際、仕事の端々が顔を覗かしていますが、それでも大半はカットしてあるため、異様な印象を与えたかも知れません。この舞台設定の出だしはやや分かりにくいかも知れません。でもここを通過すれば、あとはスムースにオーディオや音楽の話に移行できますよ。


(以下は1986年より収録)第3話ではKが私、GlはYYY機構の副所長、Keは同`PPP部長、C、Jn、KM、PO、FE、JF、Bo、Wlは同機構の友人、H夫人はニューヨーク大学の、Hpはイリノイ大学の教授。日本勢ではAMはGGG機構の、MMはZZZ大学の、SS氏はXXX機構の同業者です。





4/15(火)
彼等はたくましいと言うか、図々しいというか、表現に困る。入国審査が長蛇の列だったのだが、始め僕は先頭から10人目ぐらいだったのに、ふと気がつくと最後から10番目ぐらいになっている。かの国の人は1人でも知り合いがいると、その回りに10人でも20人でもまとまって割り込むからだ。仲間意識が旺盛なようだ。香港発のその飛行機はまるで難民船だった。空港の外は折から降り出した雨模様。Careyバスでグランド・セントラル駅まで直行するか、それとも空港バスと地下鉄のエアポート・エクスプレスを乗り継いでロックフェラー・センターまで行くか迷う。少しでもホテルに近い後者のルートを選ぶ。案の定、コンシェルリ・ホテルは小さな構えの安ホテルだった。

4/16(水)
9時半ごろYYY機構に到着。Keは去年と同じく、長い廊下の奥から手を大きく上げて迎えに出てくれた。彼は直線的な人だと思う。例によってHが出て来て挨拶をする。Hは相変わらずPOTのデータ整理に追われていると言う。
K「今回はKeから情報を搾り出すために来たんです」
Ke「おおH、もし僕の部屋から悲鳴が聞こえたら助けに来てくれ」
皆で笑いだす。僕は新しい原稿を簡約して説明し、これを国際雑誌に出す価値ありや否やという肝心の質問をする。
Ke「もちろん投稿すべきさ。この仕事は全く他に類のないという意味でユニークなんだから」
K「ひとつ問題なのはHP誌は投稿してから印刷されるまで1年近くかかるでしょう?もう少し早い方がいいんだけれど。だってKeは引退するんでしょう?編集局から何か行って来た時に相談する相手がいるうちに出したいんですよ」
Ke「早いという点では英国のRD誌が早いよ。あれはGlが評議員をやっているしね」
しかし世界中で読まれるという点ではHPに勝るものはない、ということでやはりそれに投稿することで合意した。あとはいよいよMD過程を考慮したモデル計算に入りたいから適当な参考文献を紹介してほしいと頼む。Keはすぐに彼自身が何かのセミナーのために作ったテキストと、Hが昔まとめた文献を自らコピーして呉れる。さらに、ESSデータが欲しいとリクエストした。驚いた。そのあとしばらくKeの部屋の電灯が消えていたので、何か他用があって外出したな、と思っていたら違うのだ。彼は僕のリクエストを聞くや否や、あの豪雨の中を歩いてニューヨーク大学まで行き、コンピュータを走らせ、その結果をプリントして持ち帰って来たのだ。だからこそ、親切にしがいがあることを見せる必要がある。きちんと証拠を残すことである。それが何より報いたことになる。

JG君には、彼が世話役をやっているTTT比較プロジェクトのために僕が出したばかりのデータを手渡す。
JG「自分で運んで来た人なんて初めてだよ。飛脚と言うところか」
K「ひとつ気になることがあるんだけどね。今回は君はTTTをそこいらに置きっ放しにしてたんじゃないの?前回のアイダホとかラスベガスの時の値とは全然違うぜ。値が低すぎる気がする。ひょっとしたら僕はTTTの校正法に間違いでもあったかと思って、念のために自分で作った校正曲線を持って来たんだよ」
JG「いや、ちっともおかしくない。あれはニューヨークの沖合にある軍用の土地に置いたんだ。値が低いのはもっともなんだ。僕が興味を持っているのは、皆の値がどれくらいバラつくかという点なんだ」
彼は僕をKMの部屋に連れて行き、壁にかかった地図で場所を説明してくれる。
JG「じゃ、これで公式に君のデータは僕に手渡されたことになるんだね?」
K「そう。あとは君の責任だよ」

KMとは午後にディスカッションする予約がしてあったので、彼の部屋でしばし過ごす。まずはKeに渡したのと同じ僕の新しい報告書を説明する。
K「Hにも頼んであるんだけどね。これは僕の計算と君の実測との比較がポイントになっているのだから、ともかく目を通して欲しいんだ。3分の1は君に負っていると思うので、もし君が望むなら著者に連名で入れてもいいよ」
KM「有り難いけど、実際は全部君が書いたものだし、それに僕の名前がつ付くのはどうも気が引けるな。やりもしないのに名前を連ねるのは、やはりまずいよ」
こういう言葉は日本人仲間にも聞かせたいな。
KM「でも、こんなに計算が進んでしまうと、僕の実測も頑張らないとね。今やここは世界一詳しく調べられたと言えるんじゃない?実測も計算も揃っているんだから。もしKeが僕にここをこういう風に測って欲しいというリクエストがあるんなら、喜んでやってあげるよ。お互いに情報を交換すればいいだろう。いや本当に、僕も実測を進めなくては!」

PC女史、Bo、そしてJF氏とも会う。JF氏は君にあげるものがある、と言って何とデッカのマークV(E)カートリッジをプレゼントして呉れた。昨年、僕はデッカのカートリッジが好きだと言っていたのを覚えていたのだろう。実は日本を出る前日に、プレーヤーからシュアーV15-typeIII HEを取り外し、昔使いこんだ針のちびたデッカのカートリッジを復活してみたのだ。それで聴いたクナッパーツブッシュ指揮のワーグナーは素晴らしかった。デッカの真価を再確認したばかりだったのである。
JF「いつか一緒にタワーレコードに行こうよ」
と誘ってくれる。

夜7時にミルフォード・ホテルに行き、4日ぶりに日本人仲間と対面。日本のGGG機構から米国OOO機構に留学中のAMと、日本のZZ大学のMM氏の両名と、日本のXXX機構のSS氏はミルフォードに泊まっていた。SS氏は今日は食べる事に専念しようと言ったが、AM氏はテネシー州からニューヨークにはめったに出て来れないから、と言ってミュージカル見物に出かけて行った。スマートな方法だと思う。残りの3人でタイムズ・スクエアのブリュー・バーカーで食事する。SS氏はレアのステーキ(MM氏は何だったか忘れた)、僕はチリ。そう言えば別の日に「フレーム・ステーク」にも入ったが中南米風の味付けで牛肉が台無しだった。やはり安くステーキを食べたかったら塩味の「タッズ・ステーク」が良い。僕はほうれん草のサラダも摂ったが、生のままのほうれん草にクルトンをのせ、粉チーズを振りかけただけの代物で、まるで鶏にでもなったような気分だ。

4/17(木)
MM、SS両氏をピックアップするため、朝8時にミルフォード・ホテルに行く。YYY機構に行くのにタクシーをと言われたが、無理矢理に地下鉄IRT1番線に乗せる。YYY機構の入り口で尋ねたら今日のD機構/E機構共催のワークショップには外国人が40人も来るそうだ。一応D機構とE機構が世話人になっているものの、参加者の顔ぶれを見てこれはOECDのメンバーなんだ、と気が付く。つまりアメリカ、カナダ、EC諸国と日本で構成される。参加費10ドルを払って、用意されていたネームプレートを胸につける。"D機構/E機構Round Table"と銘打ってある。コーヒーとドーナツが用意してあったので、まずはドーナツを一つ平らげる。イリノイ大学教授のHp博士の司会でアメリカから出されたトピックスの検討から始まった。少人数のワークショップでは姓でなく、ファースト・ネームで呼び合う。

Cは昨日までハーバード大学で講義するため3日間留守をしていたのだそうだが、今朝再会した。昼休みにPPP部に戻ったら、C、Hとランチに行こうということになった。雨天だから近所にしようということで、ハドソン街のサンドイッチ・ショップに行く。
K「ありゃ、これは前に座ったのと同じテーブルだせ」
C「凄い記憶力だね。少しは変えた方がいいか?」
Cが言うには、ワークショップを覗いてみたが、どうも話が肝心のところに行き着かなくてイライラしたという。いっそ自分でコメントしたらどうだ、と言ったところ、いいや優雅にほほえんで、黙って座っている方がよかろう、などと答える。これは日本勢に対する皮肉か?

午後のセッションでH夫人のコメントの言葉尻をうまく捕まえ、僕自身が長広舌をふるう。例によって途中でジョークを混ぜて一同を笑わす。ヨーロッパから来た人たちの英語はアクセントはおかしくても、滑らかな点では見事なものだ。つまりは僕が一番下手なのだろうから、ジョークでチェックする必要があったのだ。お向かいのデンマーク代表がしきりにうなずいていたから、意味は通じているのだろう。その時の座長はWlだったから、彼が紹介した「K」という僕のニックネームで呼ばれることになる。これで仲間入りできたわけだ。おかしかったのは、それを見てCがコメントを始めたことだ。

その日のセッション終了後、PPP部の僕の部屋に戻って、資料を役に立つものと、役にたたないものに分類していると、廊下でCがやってきて、明日の夕方自分の家に泊まりに来いと言う。よろこんで受ける事にする。僕は色々なことから解放されて楽しく寛大になる。再び夜7時にミルフォード・ホテルに日本の2人を迎えに行って、マジェスティック劇場の向いにあるレストランへ誘う。映画スター、ミュージカル・スターの似顔絵が壁一面に飾られている。テーブル・カバーのちゃんと掛かっている正式のレストランで食事するなんて、本当に久しぶりだけど、今はひたすら楽しい。食前酒にシェリーを頼み、子牛のカツレツにチーズをあえたものをメインディッシュにし、巨大なサラダとスープをとる。数多くのナイフやフォークを使うフルコースなんて夢みたいだ。今までの3回のニューヨーク旅行の中では最も豊かな気分でいる。

4/18(金)
朝8時にミルフォード・ホテルに迎えに行く。ハワード・ジョンソンのカフェテリアで朝食を取ってYYY機構に着いたのは9時5分位だった。E機構の代表がE機構プログラムを解説し始めたところだった。このDiという演者には昨日E機構の資料をリクエストしたばかりだったのである。何であれ、欲しければ自分で頼まなければならない。相手の方から気を利かす、なんてのはアメリカではあてにしない方がいい。僕の席は昨日の場所が開けてあった。スウエーデン代表が僕の2人左に居て、しばしば発言する度に一座の視線が集まるものだから、その付近で舟漕ぎをする人は目につく。E機構セッションの最後のコメンテータは僕自身だった。座長氏が「あと1人!」と発言を募った時、カナダ代表が誰よりも早く手を上げたのだが、一瞬遅れて挙げた僕をみて「あと2人!」と訂正してくれたのである。

昼食はWl、Cその他1ダースと一緒にキャナル・ストリート近く、ブルーム通り脇の風変わりなレストランに出かける。ビール工場だったのをレストランに改造した所。混んでいたため、全員がまとまって座る訳にはいかず、従って3グループに分かれて座るようにHp教授が指示する。僕は2階に昇って先ほどの座長Diおよび合衆国代表が先着で座っていたところにWlと一緒に席を取った。僕はブラット・ブルストとビールを注文する。たっぷり1時間半の食事のあと、Cの先導で一同YYY機構に戻る。信号を無視して道路を渡り、これがニューヨーク流さ、と言う。僕は今夜に備えてホテルの用を済ますために郵便局のところで一同といったん別れる。YYY機構に戻った時は日本のSS氏は既に帰ったあと、MM氏は丁度帰ろうとしているところだった。それではお元気で、ということで最終的に僕だけが残ることになった。

自分の部屋でRDTのテキストに目を通していたら、Cが4時半過ぎに出ようと言いにきた。続いてHも覗きに来た。
H「今回のワークショップをどう思ったの?」
K「面白かったけれど、ただ一つ不満があるね。どうしても出席者は非物理事象を無視する傾向があると思う。もっと非物理的側面にも注意をしないと本当の所は分からないと思うよ」
H「ひとつの理由は、あの人たちの大半は官僚なのさ。彼等は値さえ得られればいいので、それが科学的に意味があるかどうかなんて2の次なんだよ」

そこへWlが現れたので、Hは僕の不平を伝える。Wlはおどけて「ワオッ」と顔をしかめて見せて、その点は承知していると言う。
W「いずれECがセミナーを開くからね。1987年にリスボンで」
H「ポルトガルかい?何でまたポルトガルで?」
W「ECに新規加盟したことに意味があるのさ」
H「K、発表の用意をしておいた方がいいんじゃない?」
5時近くに、Wl、Hに挨拶をしてからCと一緒に出て、クリストファー・ストリート駅まで急ぐ。ホボケン駅から75セント。そう言えば市内の地下鉄も去年の70セントから値上がりして1ドルになっていた。7年前の2倍である。

(続く)


<<第16話へ  第18話へ>>
音楽のすすめに戻る