音楽のすすめ 第2章 第18話 メリディアンのCDプレーヤー(’86-2)


(補足)
 赤字:2007年に新たに書いた部分
 黒字:1986年の日記からの引用

(2007年の加筆部分)これはニュージャージー州のホボケンにあるC&My夫妻の家に行く時の、列車内での会話です。CもMyも意気盛んでした。上昇運の真っ最中という感じで、当時のニューヨーカーにとっては理想的モデルだったでしょう。若く、有り余る才能と財産を築いて行く途中にあり、成功の見込み一杯でした。彼等もそれを自覚していて、精一杯気取っていました。僕はその余徳にあずかりました。




(以下は1986年より収録)ここでKは私、Cは友人、Myはその夫人を表す。




4月18日(金)
車中でCは突然言い出す。
C「実は昨年コンパクト・ディスク・プレーヤーを手に入れたんだ」
K「なんだ、君も買ったのか。僕も年末にフィリップス製の安いのを買ったけど」
C「僕がDdを提出したものでMyがクリスマス・プレゼントに買って呉れたんだ」
K「どこの製品だい?」
C「オリジナルはやはりフィリップスだが、少し手を加えたやつ」
K「メリディアンか?」
C「そう!」
K「メリディアン・プロか?」
C「いや、メリディアン・プロはものすごく高いからね。普通のメリディアンさ」
K「凄いねえ」
C「それに兄のVCがお祝いだって、念願のレコード・プレーヤーも買ってくれた」
K「リン・ソンデック?」
C「そう!」
Cは極上の笑顔を見せる。
K「それはフル装備のやつかい?」
C「ニルヴァナとかヴァルハラとかいう意味ならその通り。しかもティップ・トウまでつけてある。しかも兄貴はアサック(リン製のカートリッジ)まで呉れた」
K「もう君と話すのがイヤになったよ」
C「さらにオーディオ・リサーチ製のアンプも譲ってくれることになっている」
K「真空管式の?」
C「そう!」
K「君はスポイルされているよ。もう君と競争するのは止めた。なんて凄いんだろう」

ホボケン駅で
K「グラッドストーン駅までだったね?」
と尋ねてさっさと切符売り場へ入って行くと、いい記憶力をもっているね、という。
K「僕は何も自慢するものがないけれど、記憶力だけは確かなのさ」
ただし、2角窓口のうち、僕の並んだ方は遅々として進まず、Cが代わりに並んでくれた方で彼が立て替えて買ってくれた。5ドル75セント。
K「これ本当に5ドル75セントか?去年は7ドル以上したぜ」
C「いや、なんでこんなに安いのかわからない」
ちょっと待ってくれ、と言って彼は姿を消し、やがて日本製キリン・ビールの小瓶を幾つか抱えて戻ってきた。紙コップを3つ持っていたのだが、そのうちの1つが少し汚れているのを見て、交換するために再度姿を消す。

今度はMyと一緒に戻って来た。僕は立ち上がってMyを迎え、普通に握手をしようと手を出したが、Myはそれを振り払って抱きしめてくれたのである。ビールで乾杯して話がはずむ。
My「今日は大成功だったわ。ボスを説得するのに成功したの」
K「おめでとう」
My「うまく新しいオフィスを手に入れたの。イースト・リバーを見下ろせる部屋よ。C、あんたも見に来れるわよ」
C&My夫妻はすっかり満ち足りた顔をして並んで座っている。
My「これはストラテジー(戦略)なのよ。何でも戦略と政治学がものを言うの。今や皆が私の顔色を伺っているわよ」

My「CのDdを祝ってCDプレーヤーを買ってあげたの」
K「それは聞いた」
C「彼女は昨年すごいボーナスの獲得に成功したんだ。それで買ってくれたわけ」
K「Myが君を養っているみたいなものか」
Cはウフフと笑い出す。自分は薄給だからね、と言う。
C「Myはミンクも買ったんだ」
My「フルレングスのミンクのコートなの!とにかく去年は凄い年だったわ」
K「君たちはいま全盛時代ということか。うらやましいよ。でも覚えておけよ、何事も永遠には続かないんだから。ところでCは正確にはいつDdを取ったんだい?」
C「正式には1月30日。でも肝心の審査の合格は11月末だった」
K「セレモニーにはやはり帽子をかぶったり、ガウンを着たりするのか?」
C「そう。衣装の借り賃で20ドルも取られたよ。Myが言わなかったら、セレモニーには出なかっただろうけど」
M「Dd記念に家でパーティを開いたの。40人も呼んで」
MyがCの為に大パーティを開催したことは、JGやKMから既に聞いていた。

K「じゃあ、もう何もかもある訳だ。あと何が欲しいんだろう?」
My「Cは自分のオーディオルームを地下に作りたいそうよ。リン・ソンデックは気を使うわね。歩くたびに針が飛ぶの」
K「部屋の入り口に表示がいるんじゃないの。ただ今リン・ソンデック、ただ今CDプレーヤーってね。いっそ次にはスタンウエイのグランド・ピアノでも買ったらどうだ?」
My「いいえ。ベーゼンドルファーよ。ピアノは欲しいと思っているの」
K「それじゃベーゼンドルファーを手に入れたら、また知らせてくれ。日本には個人では10台くらいしか無いんだからね。XXX機構にも持っている人がいるけどね」

Cは自宅でXXX濃度の測定をやっていると言う。去年から大騒ぎになっているペンシルベニア州の高濃度地帯が自宅の近くまで伸びているのだと言う。あくまで好奇心で測定しているのだと言う。しかしMyは、仮に高濃度だということが分かったら、家屋の経済的価値が下がってしまう、と不平を言う。
My「今日のワークショップはどうだったの?」
C「何というか、官僚が多いね。Kに話したら自分でコメントしろって言うので今日やっちゃった」

チェスターの家ではまず庭のクロッカスとヒヤシンスの説明をして呉れる。しだれ桜が2分咲き位になっており、レンギョウは満開である。Cは排水ポンプを持ち出してプールに投げ込む。雨水がたまったのを掻い出すのである。
C「家を一軒持つとすることが多いよ。このところ雨が続いたからね」
My「Kのように家を買わないのはスマートだわよ。手入れが大変ですもの」
K「買わないのではない、買えないのだ。それに物事には何でも両面があるよ」
暗くなってから、50倍の天体望遠鏡を庭に持ち出し、北斗七星の折れ目の位置にある連星(Wlが見つけたという)や月を見る。これもDd記念で手に入れたのだという。Myはミンクを見せると言って2階に駆け上がっていく。やがて2階から、ゴージャスな気分を漂わせてゆったりと降りて来た。
K「こりゃブラック・グランマじゃないか。立派なものだ」
My「そうよ。ちょっと長目だけど気に入っているわ。初めて着ていった時はゾクゾクしたわよ。ふつう男と言うものは女性が毛皮を着た所を見るのが好きなものでしょう?ところがCは全然興味がないのよ」
K「Cもいっそ毛皮を着たらどうだ」
C「男物の毛皮なんてないさ」
いや、あるさ。

Myに言われてCはDdを製本したものを見せてくれる。C.V.Gとフルネームで書いてあるので彼のミドル・ネーム"V"の意味を初めて知った。父親の名前だという。3センチもの厚みがあり、金文字で表紙を飾った立派なものだった。僕のDdなんで製本しなかったし、今どこにあるのやら。第一ページには「父に捧ぐ」と書いてある。彼の経歴も記され、最後の行にはMyと1970年に結婚したことまで書いてある。提出先はニューヨーク大学の応用数学教室で、分類としては統計学になるそうだ。大変複雑な数式が延々と続いているのを見て、彼のバックグラウンドを考え直した。ただの計測屋じゃないようだ。

続いてMyが赤ワイン、Cがウイスキー、僕が白ワインを飲みながら、久しぶりでCのオーディオ装置を聴く。まずは僕がプレゼントしたウエストミンスター・レーベルのブラームスのクラリネット三重奏曲をかける。
C「リン・ソンデックはものすごく振動に敏感だからね。誰かが階段を昇ったり部屋の中を歩いたりすると、直ぐに揺れてしまう。そのうち床の補強工事をしなくちゃ」
彼はまるで漫画映画に出てくる泥棒猫みたいに、抜き足差し足忍び足、という風に手足を伸ばしたり縮めたりして歩く。
C「このレコードは古いけど随分いい音だと思うよ」
正直言うと僕の耳にはまだ刺激が強すぎる気がした。もう少し柔らかい響きにした方が好ましい。
C「変なレコードがあるんだよ。これが分かったら立派なものだ」
彼は別のレコードをかける。
K「何となくモーツアルトのオペラ風だけどね。歌詞がおかしい」
英語の歌詞がついている。
C「これはハイドン。僕はハイドンがオペラを書いたなんで知らなかったぜ。全然聴いたこと無かったもの」
K「20年も前にサザーランドがやったことがある。オルフェウスとエウリディーチェさ。オルフェウスものは沢山あるからね」
C「でもハイドンなんて、めったにやるものじゃないだろ?」

(続く)


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