音楽のすすめ 第2章 第21話 ピアノ音楽(’86-5)


(補足)
 赤字:2007年に新たに書いた部分
 黒字:1986年の日記からの引用

(2007年の加筆部分)さらに色々な音楽をかけました。こういう経験も良いものだと思います。彼等の日常生活がどんなものか、一部だけですが覗けた気がします。ここでMyは自分が英国流にしつけられたことを強調していますね。米国人によく見られるコンプレックスではないでしょうか。大体に置いて米国人は英国が大好きなんですよ。発音もハーバード・アクセント。YYY機構のWlなぞ、明らかにハーバード・アクセントを強調していました。そしてその種のことをさらに強調するのは、もっと別の国が起源だった場合。コレは凄いものです。米国では、およそ博物館でも自宅でもそうですが、涙ぐましい程の欧州様式への憧れが感じられます。米国は歴史が浅いし、日本からみればたったの200年。この点を先日日本で開催された某国際シンポジウムのレセプションで強調したところ、米国勢は全く口をつぐんでおりました。最もギリシャ等の国々の方が、さあ仰る意味は分かるけどね、と言いたげな顔でした。でもオーディオを再生する為の部屋や建築を考えるなら、米国の方が遥かに良い条件にあると思いました。

LPが旨くかからない時は実にイライラするものです。とかく不機嫌になったりしますが、これを克服するには、過度にカートリッジを軽くしないことではないかと思います。確かに軽い方が軽快さとか雰囲気を旨く拾うだろうとは思うのですが、反面イライラしてしまったらおしまいです。それくらいなら、もう少重い針圧を掛けて安心して聴いてられるようにした方がマシだと、私は思います。私のカートリッジは針圧が2.5g要する英国デッカ・マークVや同マークVIIですが、その点まで考慮するとこれは素晴らしいカートリッジだと思うのです。シュアV-15typeIIIは扱いがどうあれ、大概のLPを鳴らしてくれるので重用しました。でもあまり特徴のある音ではありません。今はLPを余り掛けないし、余り掛けたく無いのですよ。様々なトラブルを調整しつつ聴くなんていう暇は、年を取った者には残されていないような気もするし。



(以下は1986年より収録)ここでKは僕自身、Cは友人、Myはその夫人を表します。


C「ところで今度はモーツアルトのピアノ協奏曲を聴こうか。ブレンデルの全集を買ったんだけど、まだ聴いてないんだ。皆ブレンデルは嫌いだと言うけど、僕は好き」
K「僕もブレンデルはいいと思うよ」
C「何番を聴きたい?」
K「24番を頼む」
Cはケースの中を覗き込んでいたが笑いながら言う。
C「2番じゃだめ?一番上にあるのが2番なんだよ」
K「よしよし、それにしよう」
そのうち針が傷を擦るような僅かなノイズが聞え出した。そのたびCは振り返って舌打ちする。
C「いまいましいレコードだ。新品だと言うのに何というノイズだ!」
Myが飛び込んで来て何事かときく。
C「このロクでもないレコードさ!」

K「前に持っていたラックスのプレーヤーはどうしたの?」
C「客間の方にしまってある。実はリン・ソンデックは33回転のLPしか掛からないだろう?EPを掛けることができない。そこでEPのために一時はリン・ソンデックとラックスを並べて置いたんだけど、どうせ殆どLPなんだから、と思ってラックスは仕舞い込んだ」

ここで音楽はマレイ・ペライアの弾くモーツアルトのピアノ協奏曲となる。Myがディナーの用意をしている間にCと二人で話し込む。
C「Keが引退したあとが問題だ。多分Wlが部長になるだろう」
K「君も立候補しちゃえよ」
C「立候補するつもりでいる。しかし想像するとやはりWlだろうな。Hもそうするだろう。Hは以前はそういう役割には全く興味がなかったんだが、今回は応募すると思う。そしてFEも」
K「FEだって?彼が後継者になる可能性があると思う?」
C「僕は思わない。でも何があるかわからないからね。前回だってKeが部長になったので皆びっくりしたんだ。あの時は僕はまだ経験が浅かったし、立候補しなかった」
K「でも今や16年も経験があり、かつDdも取ったんだから有利じゃないか。今YYY機構にはDdは何人いるの?」
C「10人かな。僕が10人目だと思う」
K「絶対有利ではないか」
WlもHもFEもDdを持っていないのだ。
C「しかしWlは今でこそワシントン詰めが多いとは言え、30年もの経験があるんだからね。しかも彼はすごく慎重に準備したんだよ。ワシントンに根城を作って、たとえYYY機構で失敗しても戻る場所があるように仕組んだんだ」
米国では昇任するためには、それを欲する本人が立候補しなければならない。立候補は自由である。黙っていたら、いつまでも同じ位置に留まる。
K「いずれにせよ君は立候補するわけだ」

My「用意できたわよ」
Myの呼ぶ声が聞こえた。食堂ではガラスのホヤのついたキャンドル・スタンドが2本、灯をともして待っていた。縦長の立派なテーブルだ。南側にMy、北側に僕、東側にCが座る。
K「こういう長いテーブルでは、夫婦は長い方向の両端に座るものと思っていたよ」
C「このテーブルは大きいし、それじゃ2人が離れ過ぎるからね。いつも我々はこの位置に座っているんだ」
メイン・ディッシュは例のロースト・ポークで、それにオリーブの入ったサラダをつけ合わせたもの。
まずはワインで乾杯した。

K「正直いうと、僕は何かテーブル・マナーに違反するんじゃないかと思うんだ。日本人は外国人の食卓に招かれるのは稀なので、皆神経質になってしまう。何か問題があったら遠慮せずに言ってくれ。頼む」
C「オーケー。でも君は何も間違ったことをしていないんだからね」
My「もしお客がアメリカ人で、かつ何かひどいマナー違反をしたら、何か思ったり、言ったりするでしょうけど、それは同じ文化のバックグラウンドを持っているはずだからよ。でも外国人は別の文化を持っているんだし、文句を言ったりしないわ。それにKは今まで何も違反をやっていないわ」
K「でも正直言ってよくわからないんだ。大雑把には知っていても、細かい事になるとさっぱり。例えば、塩を取ってくれと頼んで回してもらうだろう?用を済ませたあと、その塩を元に戻すか、それとも自分の側に置いてもいいものか」
My「そこに置いちゃっていいのよ」
K「あるいは食べ終わった時、ナイフとフォークを揃えて右側に置くことは知ってるけど、ナイフが内側か、フォークが内側か。またはナイフの刃は内向きか、フォークの背を上に向けるのか。誰も教えてくれないものね」

2人はあれこれ教えてくれたが、残念ながら半分はもう忘れてしまった。Myは自分は英国風にしつけられた、と言う。
C「食べるスピードも問題だぞ。例えばWlは僕のいい友人なんだが、ひとつだけ嫌いなところがある。彼は音楽をよく知っているし、いい友達だよ。ただ彼は食べるのが速いんだ。味わうためにちょと手を休めることをしないでガツガツむさぼる。あれはいやだね」
My「Cなんか肘をテーブルに乗せたりして食べるのよ。ゆゆしいマナー違反だわ」
Cはニタッと笑う。

My「マナーと言えば逆に聴きたいことがあるわ。私は日本のスシが好きでよく『初花』にランチにいくんだけど、あそこに大勢の日本人が来ているでしょう?彼等は割り箸を裂いたあと、こうやって擦り合わせるの。皆がやっているから私もまねをしていたんだけど、あれ作法なの?」
K「とんでもない。そういうのはマナー違反だよ」
My「あら、皆やっているから、擦るのがマナーと理解していたわ」
K「ニューヨークには何千人もの日本人の商社員が住んでいるけれど、大体ああいう所の人たちはデリカシーに乏しいんだよ。一種の野蛮人だから」
C「野蛮人?誰か僕のこと呼んだ?」
笑い出す。昨年も似たような話をしたはずだ。ウオール・ストリートの人達がソフィスティケイトされていない、と言ったのはCだった。

ロースト・ポークはかなり多量にあったのだが、最後に2切れ残った。
C「ロースト・ポークは2人じゃ多すぎるんで、3人でぴったりなんだよ。それも食べてしまってくれ」
My「残っても捨てるだけよ」
K「じゃ大きい方を」
グレーヴイー・ソースもたっぷりつけて平らげた。Cはついさっきは満腹だと言ったくせに、残った方の切れを食べてしまう。いずれにせよ、残すより平らげて呉れた方がいいに決まっている。中国で食べる中華料理は違うかもしれないが。

My「Kの子供たちは幾つになったの?」
K「一人は10で、もう一人は7つ」
My「一緒に連れてくれば良かったのに」
K「旅費が無いからね、でも円高のお蔭で得しているけどね。これは誤解しないで欲しいんだが、日本は決して豊かな国じゃない」
C「繁栄しているように見えるけど?」
K「蓄積量が違う。例えばイギリスが斜陽だって皆が言うけど、ハイド・パークとかケンジントン・パークを歩いてごらんよ。ものすごくクリーンだよ。よく手入れされてチリ一つない。あれに比べると日本の上野公園なんてゴミタメだね。セントラル・パークも汚いけどさ。日本の公園は汚いだけじゃなくて、いつも混んでいる。アメリカもイギリスも美術館は安いし、しばしば無料だ。そういう目に見えないもので日本は決定的に遅れている。イギリスは見かけ上貧乏だが、実は豊かなのだと思う」
My「でも、私ロンドンの大英博物館へ行ってみたんだけど、やはりイギリスは貧しいんだと思ったの。だってマグナ・カルタがそのまま置いてあるのよ。あれが米国だったら、もっと照明を当てるとか、見やすくレイアウトするとか工夫するわよ。でもイギリスではポンと置いてあるだけ」
K「いや、それこそ豊かさの象徴なのさ。もしマグナ・カルタが日本にあってごらんよ。そりゃあ厳重にきちんと管理するだろうよ。ガラスの箱の中に密封して、見張りをつけて、つまりは誰にも見せないようにしまい込んでしまうと思う。ロンドン塔にある巨大なカリナン・ダイヤだって置いてあるだけだろう?日本だったら金庫の奥深くしまい込んでしまうよ」
C「なるほど、それも一つの見方だね。つまり、さり気なく置いておける程、宝物はドッサリ持っているということも言えるし」
K「本当の豊かさの象徴は『社会の蓄積』だと思う。みかけの数字だけでは意味が無い。残念ながら日本はまだまだ貧しい。日本の生活水準はひどく低いと言うべきだ。日本では餓死ということは無い代わりに、大金持ちもいない。上から下まで殆ど差がない。ある意味では社会主義的な国なんだと思う。ただ、そういう言葉で表現しないだけだ」
My「テレビで日本の紹介番組を見たわ」

K「アメリカだって今は全盛を楽しんでいるわけだが、永久ではあるまい。パックス・ロマーナは500年続いたが、パックス・ブリタニカは100年だった。パックス・アメリカーナは50年位だろう」
C「次のチャンピオンはどこだろう?」
K「中国じゃないかな」
中国と聞いて意外そうな顔をした。
K「だって人口が多いだろう?オリンピックを考えてごらんよ。どの国でも同じ割合で足の速い人間がいるとすれば、人口が多い方ほど有利だもの。そういえばBBB部に中国人女性が来ているだろう?何でも中国ではグラントを与えるのに1万人から1人を選び出すのだそうだよ。従って彼女は大変なエリートなんだよ」

食後は彼等を手伝って皿を台所に運び、皿洗い機にかけたり、冷蔵庫にしまったりする。ナプキンは明日の朝の為にとっておくのだそうだ。
C「さて、映画でもみようか。飲み物はどうしよう?僕はウイスキーのオン・ザ・ロック。Kは?」
K「ワインにしよう」

Cが昼間買って来たコードでビデオ・デッキとテレビとオーディオ・アンプが結び直されていたが、まるでスパゲッティみたいにコングラがっている。3人して居間の椅子に座り、借りて来たビデオ・テープをかける。アメリカ人の家族がTVクイズ番組に当たり、ヨーロッパ旅行に出かけるというストーリーのコメディ。英王室に招かれてダイアナ妃にダンスを申し込まれたり、という夢を見ていて、実は風呂も共同浴室の安ホテルだったりする。イギリスでは自動車をぶつけても、保険金のために相手から逆に感謝されたり、パリではムーラン・ルージュでむっつり顔の日本人客が大勢で舞台を見つめていたり、イタリアでは珍奇なファッションの衣装を買い集めたりする。
My「何となく特徴をつかんでいるわね」
見終わってからMyが感想を述べる。
C「また明日という日もあることだし」
と言って、もう寝ることにした。

(続く)


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