音楽のすすめ 第2章 第22話 ダルキストとJBL(’86-6)


(補足)
 赤字:2007年に新たに書いた部分
 黒字:1986年の日記からの引用

(2007年の加筆部分)これは昨日の続きの一日です。牧歌的に見えますが、内情は色々なやりくり等で大変なようです。

Cと特に親しくなったわけを考えると、彼も私自身も貧しい環境で育ったからではなかろうか、と思います。Cが言っている通り、彼等は1ツの部屋に住み、セントラル・ヒーティングなんて夢の夢、というところからスタートしています。一方私の方も負けずに4畳半1ツの部屋に4人が住むという時代を経ていますから、同等です。そういう環境からスタートすると、オーディオでも何でも、とかく計画は雄大になりガチです。その欲望を押さえたのは、生活の他に余りお金を掛けられないという不自由さがあったため。そして買ったものに対する執着心と大事に扱うという姿勢。これらはオーディオに取って、大切なものですね。Cの方は当時日の出の勢いでしたから、家をこの上なく飾り立て、Myはそれを世間に披露することに一生懸命でした。ことさらに英国流を強調していたのは、その為と私は思います。

Myもまた米国内では貧しい階層の出ですが、いまや自分は他の家族メンバーとは違う、ということを強調します。毛皮にくるまったMyは幸せそのものに見えましたし、昼間から銀食器で歓待してくれたのも、その故と思います。普通なら、そういうデモンストレーションはしないと思います。でも私はC &Myの一生懸命につま先だった姿に、さもありなんという印象を持ちました。Cはもっと広い家に引っ越したいなんて言っていましたが、余り広くすると維持経費が天文学的になります。今にして思えば、Myの描いた理想の家は近所に住むジャクリーン・ケネディ(オナシス)の家なのではないか、と思う次第です。Cから聞いたのですが、あの辺りに住む富豪はヘリコプタ?でマンハッタンまで通うそうですから、それを追いかけるのは無理。桁のまた桁違いです。

私自身はやりたくてもどうにも動けないという状態でしたから、諦めが先攻していました。ただ外国に行った時、ああ広い家は良いな、とタメ息をついておりました。現在私が持っている家は親から相続したもので、あちこちに不満を持ちながらも、無いよりマシ、とひたすら開き直っております。どなた様もどうぞお出で下さい。それに私自身のオーディオも、これで満足しなくちゃバチが当たりそう、と言うところ。実際私の耳には殆ど十分です。







(以下は1986年より収録)ここでKは僕、Cは友人、Myはその夫人を表します。




4/20(日)
ゆっくり寝て9時頃に階下に降りて行くとCがコーヒーを入れているところだった。もう少し待て、と言う。日当たりの良い居間でCは窓を背に、僕は書斎の壁を背にして椅子に座り、家庭の事情を話す。
C「僕の両親は金持ちではない。Myも同じだ。僕の祖父はギリシャから渡ってきたんだ。母方はチェコスロヴァキアで。彼等はすごく貧乏な生活をしていたんだ。一つの部屋に大勢が寝泊まりして、セントラル・ヒーティングがなく、ストーブ一つで部屋を暖めていた。」
K「そんなことは驚くにはあたらない」
C「でもアメリカではセントラル・ヒーティングがあるのが当たり前だからね。それで初めは牛乳配達をやって生計をたてていたんだよ。一軒一軒配って歩いてさ」

Cの姓の響きはアングロ・サクソンとは違うと思っていたが、これで謎が解けた。Cの目の色は青系統だし、髪の毛の色も薄いが、上背がさほどない。183cm程度だろうか。ギリシャとか東欧出身なら分かる。しかしギリシャには多数のドイツ系住民がいるのだから、彼の容姿の中にドイツの匂いを感じても不思議はあるまい。実際彼の発音は子音が強く、以前からドイツ風だと思っていたし、彼にもそれを指摘したことがある。もっとも彼自身はドイツの血を否定した。

こういう話をして呉れたのは初めてだった。慣れ親しんだ証拠であろう。
K「僕も子供の時分に貧乏だったのは同じ。祖父の代に台湾に渡ってそこで両親は産まれたんだが、戦争に負けたので財産を全部無くしちゃったんだもの。僕はそれを取り返す義務を感じちゃって、高校生時分は恐ろしいような勉強をしたんだよ。日本では大学が人の運命を決めるようなところがあるのでね。両親は僕の為にはすごく準備をしていたと思う。例えば子供の時にピアノを習わせてくれたんだが、あの頃男の子でピアノを習うなんてのは稀だった。しかも金の無い時代にだよ。その点感謝しなければならない。もっとも家にピアノがなかったので大学院時代に自分で稼いだ金で買って練習を再開したんだけど」
C「僕の兄はピアノも巧く弾く。僕はコード奏法で簡単なものしか弾けない」

K「もっと打ち明けてしまえば、僕の父親は、子供のときに両親を亡くした孤児だったんだよ。だから猛烈に勉強したに違いない。彼が学校を卒業した時、肉親とかは誰もそこに居なかったんだよ」
しばらく沈黙が続く。こういう種類の話は初めてしたのだが、本当に親しくなれたのはこの日の会話以来だろう。

C「僕はDdを書き上げて、製本したものを父親にプレゼントするつもりだった。でも彼は病気になっちゃって。何とか間に合うと思ったんだけど。1ヶ月、間に合わなかった。昨年亡くなったんだ」
僕がびっくりする番だった。
K「それは気の毒なことを」
だからCのDdの第一ページに『父親に捧ぐ』、と書いてあったのだ。
K「僕の時、僕がDdの準備をしていることは両親も知っていたけれど、発表会の前夜に初めて、出来たことを告げた。でも最後の追い込みの時期に遠くに住んでいた祖父が亡くなった。葬式に行くかどうか悩んだんだけど、結局は行かなかった。Ddを貰ってからそれを持って墓参したけど」
C「そういう時の選択は難しいものだよ」

Cは窓を開ける前に屋内XXを採取したいと言う。Myは相変わらずXXXレベルを知りたくない様子だったが、Cはこのデータをもとにレポートを作りたいらしい。続いて、もう夏だから網戸をつけたい、と言うので居間と玄関の入り口の内側の扉(2重扉になっている)の上半分を網戸に交換するのを手伝う。居間の大型テレビは去年買ったと聞いていたが、これはステレオになっているのでJBLのスピーカーで音を出している。
C「日本じゃ2カ国語放送もやっているんだってね。テレビのステレオ放送に関しては日本の方が早かったね」
K「これだけスペースがあるんだから、衛星放送のパラボラ・アンテナでもつけたらいいんじゃないの?」
C「衛星放送用のアンテナは馬鹿デカイし、随分高価だ。近所でやっている人もいるけど、僕はそれよりもケーブル・テレビを入れたいと思っているんだ」
K「いずれにせよ金がかかる。僕はTVのマルチ放送用のチューナーの安物を1つ持っているんだ。実は3年前にAES賞という賞をとったんだ。その時メダルと一緒に若干の賞金を呉れたので、記念にチューナーを買ったんだよ」
C「おお、それはおめでとう。それでチューナーを持っているわけか。何のテーマで賞を取ったんだ?」
K「NRT」
もっともチューナーと言っても、半分おもちゃ風のものなんだが。むしろこの時同時に買った、山登りで使うような寝袋セット2個の方が印象に残っている。

Myが降りてくる前に朝食用のパンを買いに行こう、と言うことになる。途中、チェスターの観測ステーションを見せてくれる。
C「中に入れるといいけど、手続きが面倒だからね。ずっと向こうに白い建物があるだろう?あそこが観測所だよ。その側にあるワクがTTXの設置場所」
広い芝生のかなたを指差して言う。このあたり一帯はEEE省の所有地なのだそうだ。

チェスターのパン屋では焼きたてのクロワッサンを沢山買う。Myがクロワッサンが好きなのだそうだ。ケーキをプレゼントしようか、と聞いたが今は欲しくないと言う。ついで近所のカメラ屋に飛び込む。
C「僕は古いミノルタしか持っていないからね」
昔、ブルックリンのアパートでそのカメラを見た事がある。ズームのついたコンパクト・カメラだった。当時、カメラには興味ないと言っていた。
K「ミノルタは最近すごく売れているようだよ。今一番の売れ筋のようだ。前はニコンが代表だったけど」
C「全自動の一眼レフだろう?僕も考えているけどね。3番手は何だ?」
K「キャノンだろう。僕の義兄がコニカに勤めているけど」
C「おや、それじゃ君に頼めばコニカが安く手に入るのかな」
カメラ屋の親父にミノルタを出して貰い、あれこれいじってみていた。多分カメラも最高級品を買うのだろう。

帰り道、少し寄り道して行こう、と言う。
C「全く知らない所をドライブするのが好きなんだ。もっとも、この道はどこへ行くのか定かじゃないけれど」
日本で言えば普通の状態なのに、この道は凸凹して悪い道だとこぼす。側の林の中を野生の鹿が走り抜けるところを目撃した。途中で小さなトラックが不意に横切ろうとしたとき、Cは思わず悪態をつく(Fuck Christ!だと!)。こういう表現を実際に耳にしたのは初めてだった。
帰る道すがら途中の家々を批評して行く。
C「この当たりは50万ドルはするね。あそこの家は前に買う候補にしていた家なんだ。ほら、あそこも立派だろう?」
一軒一軒、それぞれの家の表情が違う。青ペンキを塗った家があったので、ああいう色は好きでない、と言ったら、彼は好きだと言う。
C「このあたりは全体としては大した住宅地じゃないんだ。勤め人が多くてね。牧場を持っていても趣味の程度だし。次に家を買う時は、あそこにあるような家にしたい」
K「また引っ越すつもり?」
C「できないとでも?僕だっていつまでもYYY機構に居るとは限らない。多分いるだろうけどさ。でもこの付近にだってエクソンとかATTがあるんだから、僕を雇ってくれるんじゃなかろうか」
K「君は数学や統計学ができるんだから、応用が効くだろう」
C「でも狭い範囲だからね。会社には役に立たないかも」
K「やはり君は大学で教えるべきだな。教える為には広いバックグラウンドが必要だが、その点は十分だろう?」
C「うん」

さらに途中でガレージセールの広告を見つけ、そこに乗り入れる。ガランとした倉庫みたいな建物の中でガラクタを売っている。紙幣を挟む札止めを眺めていたら、Cが買ってプレゼントして呉れた。
C「君がためらっている様子だったからさ。こういうものを持っていれば、日本で新しい話題ができるだろう?」
K「誰も持っている人はいないかしら」
C「こういう物は金持ちがドル札を束ねるのに使うんだけど、本当の大金持ちは現金なんか持ち歩かないだろうな」
K「日本の天皇が、今まで一番楽しい記憶はパリかどこかで、お金を払って自分で切符を買って電車に乗ったことだと言っていた」
C「そういう人たちは、自分じゃ金に触ったりしないものだろう」
もうひとつ犬の訓練用の呼笛を自分で払って買う。チェスが売りに出ていて、大変面白い人形だったから興味をそそられた。中世の騎士や姫君の焼き物の人形が駒になっているのだが、なんと歩兵が一つ無いのだと言う。売っている人はそんなものは何かで代用できます、と言うのだが、さすがに買うのはやめた。

家に帰るとMyが銀食器でお茶を入れてくれた。
My「この銀食器も去年買ったの。ちょっとこちらに来て」
と客間の飾り棚の方へ呼び、そこに並べた食器を見せてくれる。
My「全部バーゲンで買ったの。上手に買わないとね。居間のソファーだって、ガラス製のテーブルだって、皆バーゲンよ。椅子は何百ドルだったけど、これ本革ですものね。安いと言うべきよ」
昨年CとMyが争っていた品だろう。今年だって似たような争いをしていたのだ。
C「誰だって熱中する対象は違うんだから。僕がオーディオに熱中するのと、君が植物や家具に熱中するのと同じじゃないか。コンパクト・ディスクと絨毯だってどこが違う?」
My「そのコンパクト・ディスク・プレーヤーを買ってあげたのは誰?」

Myは皿洗い機を回しながら、これは調子が悪いとこぼす。
My「でも、これも去年買ったのよ。本当に去年は凄い年だったわ」
Cは窓の外を見て、はっとしたように飛び出す。
My「プールの水汲みがそろそろ終わるのよ。去年なんか水が無くなってシートまで吸っちゃったの。その時Cはどうしたと思う?私を金切り声でののしったのよ」
想像できることだ。
My「私達がいつも喧嘩をしているから、知らない人が見たらびっくりするでしょうね。あれで夫婦かって。醜態を見せているわ」
K「でも僕の面前でも争いを見せてくれるというのは、慣れている証拠だと思うし、別に気にしない。逆に、もし僕の前では澄ましてばかりいたら、どう思うだろう?」
My「私達が何か遠慮していることになるわね」

この家では書斎のダルキスト・スピーカーと居間のJBLのスピーカーが切り替えになっていて、両方とも鳴るようにもなっているので、僕は部屋を出入りして音質を比較してみた。
My「時々、甥たちが遊びに来るんだけれど、あのリン・ソンデックは振動に弱いでしょ。だから子供達には居間でビデオを見せておいて、我々は書斎にこもって扉を閉めてしまうの」
書斎の床はレンガ敷きなのに、その上を歩く振動が問題になるとすると、もうリン・ソンデックを我が家で使うことは無理だと思う。
K「日本ではリン・ソンデックはオーディオ愛好家というより音楽好きの人達が使っているよ。日本中で2,000台のリン・ソンデックがある」
C「オーディオ・ファイル達は何を使っているの?」
K「トーレンス」
C「それも立派なプレーヤーじゃないか」

近所でブルドーザーの音が聞こえてくる。
My「あれ、本当に困るわ。お向かいのアップル・サイダーを作ってる人が新しい家を家の前に新築しているの」
C「それで道路際に垣根なんか作っていたぞ。彼等は新しい帝国を作るつもりなんだ」
K「少なくとも日曜日には騒音を立てないでくれって申し出たら」
C「そうしたいところなんだが、まだ公式には隣人として挨拶していないんでね。最初の会話が苦情じゃまずいだろう」
実際、日曜日の静寂の中に工事の音は似合わない。
C「たくましい商売の人達だから」

やがて玄関工事の見積もりが2組現れるという電話を受けて狼狽していた。
C「2組が同じ時刻にぶつかるなんて。もう少し考えとけば良かったのに」
My「まさか同じ時刻になるとは思わなかったのよ」
K「一体、何を直そうっていうの?」
My「玄関の土台が痛んでいるから、あそこを石積みにするか、それともレンガ積みにするか迷っているの」
K「大体、あの玄関を誰が使うの?」
My「そう言えば誰も使わないわね」
笑いながら玄関の入り口を見に行く。
My「庭へ出る道がレンガでしょ。だから私はレンガ積みの方がいいという気がするんだけど」
K「レンガは痛むのが早いと思うよ」
My「ついでに、この玄関の入り口に円柱のついた屋根をつけたいわ。そうすると全体の見栄えがずっと良くなるでしょ。植民地スタイルになるわ」
やはり円柱のついた家というのは、ステイタス・シンボルらしい。

彼等が見積もりの相手をしている間、僕は庭でのんびり日光浴を楽しむ。レンギョウは満開だし、クロッカスもチューリップも芽をふいていて、しだれ桜はもう一歩というところまで、つぼみが膨らんでいる。これからの一ヶ月間が最良の季節だろう。リスが庭先の石材の隙間に巣を作っていて出入りしている。

(続く)


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