音楽のすすめ 第2章 第24話 コーラス・ラインの切符を買う(’86-8)


(補足)
 赤字:2007年に新たに書いた部分
 黒字:1986年の日記からの引用

(2007年の加筆部分)ここではどんな仕事話をしたかを伺い知ることができます。もう一つの重要な仕事だったWlとの話合いが済みました。これも大変な仕事なんですが、Wlその他の人々は楽しんでいるようでした。

ここではミュージカル「コーラス・ライン」の切符を買ったことが記されています。実はこの「コーラス・ライン」は日本に居る時に、休暇を取って映画館に見に行きました。だから予め下調べは出来ていた訳です。サクセス・ストーリーとは言い切れなくても、色々な人が登場します。舞台裏を描くという意味ではありそうな話ですし、また何となく別のミュージカル「42番街」を思わせるようなスジも見られますが、これはこれで好きです。






(以下は1986年より収録)ここでKは僕、Jo、MIK、PC、Wl、H、C、Irは同僚。GlはYYY機構の副所長、SVはECの人、を表します。







4/22(火)
やや寝過ごしてしまった。起き抜けにシャワーを浴びて目をさます。今日は雨。YYY機構の入り口でIrに会う。まずJGの部屋へ行って、きのう見せて貰うのを忘れていた、TTX用装置を見せて貰う。このオーブンは一度には100本のTTXしか処理できないのだが、それを3回繰り返して300本こなすと言う。そのために真鍮で特別に作ったホールダーを見せて呉れた。

時分の部屋に戻ったとたん、Joが通りかかりに寄って行く。
Jo「ここがあなたのオフィスというわけ?」
K「仮そめにね。君も新人なんだろう?MIKの後釜か?」
Jo「そう。MIKはELE部へ移っちゃった」
K「どうしてだろうね」
Jo「彼は前は学生だったからね。フルタイムで働くならELE部の方が収入も多いから」
K「君は?」
Jo「僕は学校を出たばかり。フルタイムだからここにずっと居るよ」

前任のMKにはエレベータの中で会ったが、彼は今のボスも良い人だし、幸せだと言っていた。コンピュータ室のPC女史の訪問も受ける。
P「K、あなたが日本に帰る日を正確に知りたいんだけど」
K「来週の火曜の朝、ニューヨークを発ちます。月曜日までここに来ますけど」
P「日中、ずっとここに居る?」
K「ええ」
P「それじゃあとでね」
どうやら彼女は何か腹案があると見える。

Hはこの日の内に約束のものを持って来て呉れた。
H「君の原稿をみたけど、もうあれでいいんじゃない?君は別のテーマも探したいって言っていたけど、それはいい考えだと思うよ」
H氏はKe氏と少々違って、極めて実際的な人であるから、必要以上の精度をあげる努力など求めないのだ。僕の昔の先生だったTT氏に似ている。その点KeはTOW氏並みに細かい。
H「僕はむしろKにはTRXの専門家になって欲しいと思っている。僕はもう12年も前にその方面をやめちゃったし。もし君があとをついで呉れると言うなら、僕の持っている計算コードは全部譲ってあげる」
K「それじゃ少し時間を下さい。考えてみます」
どうやらKeの本当のブレーンはHだったようだ。Hは誰もが認める通り、大変頭の切れる人だし、かつ要領のいい人なのだ。また事務や行政やマネジメントには関心が薄く、自分の仕事そのものが好きというタイプである。日本では彼の名は絶対的とも言える。そのHから後をまかす、と言われるのは大変名誉なことではある。
H「要るものは何でも譲るからね」

午後、Gl女史をやっと捉まえる。彼女は所長室を出たり入ったり大忙しの身であるため、めったに姿を見かけない。前年と同じく彼女は電話中であった。そして前と同じく電話を握ったまま大きく右手を振って、部屋に入れと合図する。
Gl「また会えたわね、K。あなたが一生懸命に働いた証拠よ」
K「僕も2年連続でグラントを取れるとは思っていませんでした」
彼女は日本の施設建設に関する人々の反応についてあれこれ質問を始めた。
K「ある人が面白いことを言っていました。なぜ日本人がXYZに対してアレルギーを持っているかと言うと、それはXYZは時間と共に減衰することはあっても、完全に消滅することはなく、永遠に残留するからだって言うんです。日本人はおはらいでもすれば過去は全て水に流す、つまり完全にきれいに生まれ変わることができると、と考えたがるんです。ところがXYZは永遠につづく。幾ら弱くなってもゼロにはならない。この永遠につづく、という点が日本人に嫌われるんだそうですよ」
Gl「でも世の中にはXYZ以外にも危険なものは一杯あるのに」
Glは昨年よりもさらに若々しく、かつ楽しそうに見えた。大張り切りで副所長を勤めているようだ。所長のヴォルショックが部屋に籠りがちの隠者だとすれば、随分対照的である。
Gl「今は研究所の運営で手一杯なの。TTXでJGを手伝ったりしたいけど、なかなかね。JGはまるで労働者(!)みたいに働いているわね」

Hがコンピュータを使って製図しようとしている所を覗く。側にCも座って見物している。Hは来週の会議のために図を描いているのである。オーバーヘッド・プロジェクター用の原図をTVスクリーン上で作図して印刷して取り出すのだが、カラーで出せるところが新しい。色々色彩を変えている。
K「いい機械だな。高いの?」
H「コンピュータ本体が高いんだよ。プリンターそのものは1500ドル程度だけど」
K「ずっと前からあったっけ?」
H「以前は製図は外注していたんだよ」
K「でも外注の製図ってなかなか巧く行かないでしょう?」
H「うん。色々注文をつけても思うようにならない」
K「僕は自分で製図するけどね。僕は図をキチンと作りたいんで、ものすごく丁寧にするんだ。まわりの人に言わせると僕は製図に時間を使いすぎると言うけどね」
HはCの方を振り返って笑う。どうやらCも僕と同じく製図に熱中するタチらしい。発表において、グラフは魔術みたいなもので、綺麗に描いてあるともっともらしく見えるし、いい加減に描いてあると、人々はなかなか信用しないものだ。だからこそ、図のトリックを最大に駆使すべきだと思っている。
H「文字の大きさとか配置だって、自分でやらないと効果をあげるのが難しいものね」
K「グラフのメモリの取り方だって、随分印象に影響を与えるでしょう?」
彼等も、演出効果の重要さはよく分かっているようだ。

窓の外を見てびっくりする。雪だ。風混じりの吹雪になってしまった。記録によれば5月の雪というのもあるそうだが。誰かが僕の部屋を通りすがりに「外をご覧よ、冬だよ!」と叫ぶ。

夕方、ホテルへ戻ってからタイムズ・スクエアへ出かけ、シューベルト劇場を覗いてみた。ミュージカル「コーラス・ライン」の混み具合を確かめたかったからである。安い16ドルの席が手に入ったので、急いでホテルに帰り、眼鏡を持参して劇場に舞い戻った。昨年、「42番街」を見たマジェスティック劇場に比べると随分小さく、薄汚れた感じもする。場内アナウンス用のスピーカーが無骨に天井からぶら下がっていたりして、見栄えは良くない。

しかし、『コーラス・ライン』は傑作だった。大変迫力がある。ダンスのオーディションの場面からいきなり始まるのも新鮮だ。オーケストラは舞台の下に隠れるように収まっていたが、当初はテープで音楽を流しているのかと誤解した。この世界一激しい競争社会であるニューヨークで契約を取り付けるためのオーディション、という設定が既に魅力的だ。ニューヨークはナアナアやマアマアで済む社会でない。甘ったれてはいけないのだ。だからこそ、いかに汚い、危険だ、暴力的だ、と言われながらも、この大都会は人を引きつけてやまない。指揮者の尾高忠明と黒柳徹子の対談でそんなことを言っている<第1章の第41話参照>。

5/23(水)
朝、僕の机の上に僕が忘れたコートが置いてあった。Cが持って来てくれたのだ。早速礼をいう。思いがけない雪のため庭がダメになったという。
C「チェスターはすっかり雪に覆われちゃったよ。花がせっかく咲いたのに。この間のお天気に比べたら信じ難いような変化だ」
K「そんな大雪で、車の運転は大丈夫なの?」
C「ちょっと困る時もあるね」
K「せっかくプールの水を掻い出したのに」

Wlの部屋に行き、NRRシンポジウムの話をする。
K「NRRについて決まったことを確認したいんです。いつ、どこで、なにをやるのか知りたい」
Wl「来年、9月の終わりか10月のはじめに、ポルトガルのリスボンでやる予定。会期は6日間で月曜日から土曜日まで。5月にプログラム委員会があって決定するはずになっている。そのあと広報が出ると思う。なにしろECのSV氏が最近になってようやく腰をあげたんだよ。ほら、この間ヨーロッパから電話が掛かって来ただろう?あれSVなんだよ」
K「取りあげるテーマの内容は?」
Wl「大体前回並みかな。色々考えたんだけど、結局大きな会合をやって専門外の人と交わる機会を持つのも意味があるだろう、ということになったんだ。何かオプションのセッションを開く可能性は残っているけれど。何かいいアイデアはあるかい?」
K「例えばNXYレベルの最新データを皆でもち寄ってマップを作る、あるいは更新するのはどうです?3年ほど前に、ECはNXYマップを作る作業をやっていると聞いたけど。せっかく世界中から人が集まるんだから最新のものを揃える良い機会でしょう?」
Wl「なるほど、それはいい考えだ。予めデータを持って来るようにリクエストしておけばいいわけだ」
K「もっとも、こういうのはUNの仕事でしょうけどね」
Wl「確かに。まとまったものをUNに出せばいいわけだ。考えておこう」
K「YYY機構からは誰が行くのかしら?」
Wl「まあ僕と、Ad、C、HあるいはKMかなあ。僕はワシントンからグラントを貰おうと思っているけどね」
K「1988年4月にはシドニーでYRRがあるでしょ?2年連続じゃ大変だな。WlはYRRに行くつもりですか?」
Wl「僕は以前にパリのYRRに行ったことがあるが、あれはなかなか良かった。でも、そのあとはエルサレムのも西ベルリンのも行かなかった。今度も多分行かないと思うよ。K、頼みたいけど、日本でNRRに出席見込みのある人、あるいは興味を持っている人の郵便リストを作って送ってくれ」
どうやらNRRとYRRは競合的関係になってきたようだ。

そこへIrが通りがかりに尋ねて行く。
Ir「Cから『秘書の日』について聞いている?」

(続く)


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