音楽のすすめ 第2章 第26話 ピーターと狼(’86-10)


(補足)
 赤字:2007年に新たに書いた部分
 黒字:1986年の日記からの引用

(2007年の加筆部分)ここで別の日の味わい。これだけ読むと、まるで私が勤務時間中にタワーレコードに行っているみたいですが、決してそういうことはありません。ここに記しましたが、CはJFには決してグリニッチ・ヴィレッジにある中古レコード店の情報をもらしません。またJFは自分だけがその店を知っていると勘違いしております。一方CはWlにはにこやかにその中古レコード店の情報を流しております。その理由というのが、Wlはアナログ専門の人間でCDを持っていないからだ、と申します。お互いに騙し合っているのですね。どこの世界にも、こういう種類のささやかな楽しみ事があるのですよ。全体の様子を知っているのは私だけ、という楽しくも嬉しい事態です。この中古レコード店は、丁度昔、代々木にあった「かっこう」みたいなこじんまりした規模の店です。そういえば「かっこう」の親分は、私が預けた500円の前払い金の始末を忘れて、店じまいしてしまいました。それはヴァルナイの演じるカラヤン指揮「ワルキューレ第3幕」のバイロイト盤でした。今ではそれはLPでなくCDで持っていますし、500円のことは楽しい思い出を作ってくれた費用だと思って勘弁しています。






(以下は1986年より収録)ここでKは私、C、Al、JB、Ir、Wlは同僚、MyはC夫人、KeはPPP部長、GlはYYY機構の副所長を表します。またTsは日本のGGG機構からYYY機構に来ていた人。







再びH製の計算機コード解読を続行。Keに呼ばれて彼の部屋で先日預けた原稿に関するコメントを貰う。ランチ・タイムは『秘書の日』のビジネス・ランチとしてソーホー地区のブルーム街近くにある例のレストランへ行く。Cが出席表を片手に人数を数える。今日は1階の長テーブルを全員が囲むように座った。僕は秘書とHの間に席をとったが、向かいにAlとJG、Irが並ぶ。右の端に座ったKeが部長として秘書嬢に謝意を述べ、各人勝手に注文する。秘書嬢はチリ、僕はマカロニ、お向かいの人達はラムのひき肉料理をとっていたが、しばらくしてAlが妙な顔をしていた。
Al「こりゃ何とも言い難い嫌な匂いがするよ」
Ir「私のは普通だけど」
Al「僕のだけ腐っているのかなあ。ちょっと匂いを嗅いでごらんよ」
皆でAlの皿を持ち回って匂いを確かめたところ、何となく生ゴミ風の匂いがする。結局Alは半分残してしまう。

半分がライトビール、残りがダークビールを飲みながらよもやま話に花を咲かす。秘書のHz嬢自らは大変おとなしい。アトランティック・シティの話しが出る。来週Hがラスベガスの会議へ行く事になっているのにかこつけて僕はAlにささやく。
K「Hはギャンブルが好きそうだと思わない?」
Al「思う、思う」
二人でニヤニヤ笑う。Hがコントラクト・ブリッジの名人だということは以前から知っていたからだ。本人に聞いてみると最近はブリッジをする機会は少ないそうだ。AlやIrとの話にHは右から割り込んだ。Kはオペラ狂だと紹介する。IrとHzがデザートに大きなアップル・パイを分けているのを見て僕は警告した。
K「Ir、あらゆるケーキの中でアップル・パイは最もカロリーが高いんだぜ」
Ir「知っているわ。ダイエットが必要ね」
と言いながらも、もう一つ食べられそうな顔をしている。

皆で歩いてYYY機構に戻る道すがら、道路の幅をこっそり歩数で測っていると、やっているな、とKeが笑う。3時頃、Cが僕の部屋にやってくる。何となくヒマそうに見えたので、椅子を勧めた。
C「僕は去年はDdで忙しかったけどね」
K「まあ、ごゆっくり。昨日BBB部に来ている中国人に挨拶してきたよ」
C「ああ、彼女に会ったのか」
K「ところでケーキを食べるかい?貰い物だけど」
C「中国人が焼いたの?」
K「いいやあ、PCさ。昨晩焼いてくれたんだって。保存剤も添加物も入っていないそうだよ」
C「何だって!PCのことかい?そりゃ君は幸せと言うべきだよ。だってPCは僕には一度もケーキを焼いてくれたことはないもの。ちょっとだけ呉れ」
実を言うと、何となく蒸しパン風のパサパサした感じがしたのだが、二人で食べてしまった。

K「この机の上にTsが残して行ったものが一杯あるだろ?これは僕が帰る時、始末しなくちゃならないな。何しろ日本語の雑誌まであるんだから」
C「そんなこと放っておけよ。新人にさせればいい。だって君の方が先輩なんだからな。足掛け3年ここに居たんだから大きな顔をしていていい。あとから来る新人は部屋の整理をするものだ。この机の上のものを読んだり、捨てたりすることから仕事は始まるのさ」
K「でも、これはガラクタに近いからね」
C「そんなこと言ったら、この棚の中を見てみろよ。これこそ本当のガラクタだぜ」
と言って作り付けの2つの棚の扉を開けて見せる。古い計測器の部品らしき物がゴチャゴチャになって詰まっていた。

C「実際こんなものを何に使うんだろうね。そもそもこの部屋は本来は居室用じゃないからね。混んで来たんで改造したけど」
K「それは知っている。昔GlがTTXの測定に使っていたんだろう?この部屋も悪くないけど、1つ問題があるとすれば、ヒーターが不十分なことじゃ無いかな」
C「寒い時はそこにあるポータブル・ヒーターを使うのさ。でも、その代わりこの部屋にはクーラーが付いているだろう?これは他の部屋には無いものだぜ。季節によって損得が違うんだから」
彼は部屋のコーナーにある電源ボックスをも指差して言う。
C「あれだって、ずっと使っていないんじゃない?そもそも、あの電源がまだ生きてるかどうかも分からない」
K「Keが引退したら部屋が空くだろう?誰かがそこへ移って、また空室が出来る。僕としては外国人のために常に一部屋用意しておいて欲しいね」
C「ああ。でも当分外国人の長期滞在の予定は無いな」
K「本当のことを言えば、こうもひっきりなしに外国人がやって来たんじゃ部屋のやりくりも大変なんだろう?でも、お客が大勢来ると言うことは、それだけ評判がいいという証拠だぜ。YYY機構に来ても得る物がないと思ったら、誰も来なくなるさ。こんなに大勢の客が外国から来るのはYYY機構にハクがあるためだと思うよ」
C「そうだろうな。でもね、ここに常時いると何でYYY機構がそんなに有名で、そんなにハクがあるのか、さっぱり実感がわかない」
K「昔から従者に英雄なし、って言うだろ?」
C「つまり、普段の生活ぶりを知っている者にとっては、偉い人も皆ありふれた人間だってことだろう?」

ホテルに帰るのに今日は6番街まで歩いてE列車に乗る。5番街で買物をしてから帰ろう、と思ったからだ。途中、ロックフェラー・センターにしばしたたずみ、アイス・スケート場を眺める。さすがにアイス・スケートはもうおしまいになっていて、次の催し物のための何か準備をしていた。お向かいのデパート、サックス・フィフス・アベニューへ飛び込み、幾つかのお土産を買う。思い出せば、昨年も同じ売り場で買ったわけだ。ためしに売り子嬢に尋ねてみたら、昨年はここには居なかった、と言っていた。サックスを出たすぐの路上で、カーネーションを一輪持った男が売りつけようとつきまとう。今宵のパーティにつけて行け、等と言う。その足で8番街で韓国人がやっている小さなデリカテッセンへ行き、ライン・ゴールド(ビール)2本とおつまみを買う。今夜はパーティじゃなくてTV見物なのだ。ニューヨーク最高のデパートの紙袋と安売りスーパーの貧相な紙袋を左右の手に持って歩くのはアンバランスの極み、という感じもするが、これもニューヨーク流のやり方に違いない。

4/25(金)
オレンジ・ジュースの缶を手に自分の部屋に入ると、早々にノースウエスト航空に電話する。帰国便の予約確認をするためだ。これが済んでホッとする。やがてHが現れたのを捉まえ、彼の呉れた計算コードについて思っていた点を質問した。プログラムそのものは正しかっただが、彼の解説文の方に誤りがあったことが判明する。即ち不等号の向きが逆になっていたのだ。

午前11時ごろ、Keがやって来て、今日か月曜日にランチを一緒にしたい、と申し出た。月曜の方が都合がいい、と答える。12時を過ぎるとすぐCがタワーレコードへ一緒に行こうと誘いに来る。
C「君はCDオンリーで。もはやLPは買わないのか?」
K「このところはCDばかり買っているなあ」
グリニッチ・ヴィレッジを歩きながら、途中でちょっと立ち寄ってみよう、と言う。
C「ここは中古のCDを売っているんだが、僕は週に一度は寄ることにしているんだ。普通は15ドルくらいするだろう?ここだと9ドルなんだよ。こんなに安い品が手に入ることはJFには教えていないんだ。その代わり、Wlには伝えてある。だってWlはCDプレーヤーを持っていないからね」
笑い出す。自分のために良い品を確保するためには、これくらいの知恵は必要か。

C「何かめぼしい品はあるか?」
K「そうだなあ、『火の鳥』があったけど。このグルベローヴァのアリア集はLPで持っているしね」
そのうちCはカルロス・クライバー指揮のブラームスの第4交響曲のCDを持って来る。
C「K、君はこのCDは良いと言っていたよね」
K「ああ、素晴らしいと思う」
C「よし、これを買うことにする。チェスターの店より少し高い値札がついているけど、この店の方が実際の割引率は高いんだ」

それでおしまいかと思っていたら、まだあとがあった。
C「K、ここに『ピーターと狼』があるけど、君の子供達はこういうの好きか?」
K「時々聴くよ」
C「よし、これを君の子供達にプレゼントする。いいか、これは君へのプレゼントじゃないぞ。君の子供達にだよ」
あとで包装して月曜日に渡すと言う。Myが何かを付け加える予定だそうだ。目的地のタワーレコードへ向かいつつ、笑いながら言う。
C「あのブラームスは君が勧めていたから買ったんだぞ。もしあれが良くなかったら、月曜日に文句を言うからね」

(続く)


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