音楽のすすめ 第2章 第28話 ニューヨークは(’86-12)


(補足)
 赤字:2007年に新たに書いた部分
 黒字:1986年の日記からの引用

(2007年の加筆部分)音楽の話の持つ具体的なメリットは何でしょうか。それは音楽は世界共通語だってことです。アメリカでも、英語が出来なければ音楽も分からないというワケじゃありません。それはクラシック音楽の良い所です。若い人々にとっての、リズムを強調した音楽もそれが言えますね。どこに行っても分かる音楽の世界、これは完全に共通語の世界です。何も遠慮することはありません。好きなものは好き、気に入らなければそれを率直に伝えても問題は起きません。それでもし何か起きるようだったら、その友情にもう少し深みが必要だと思います。私はニューヨークに行って旨く溶け込めたのは音楽とオーディオという共通語があったからです。あの時ほど(78年)これらの趣味を持てたことに感謝したことはありません。YYY機構に音楽もオーディオも分かるヒトがいたという偶然が、私にとって旨く作用したのだと思います。我々の世界では、趣味なんて年取ってからやれば良い話だ、と乱暴な意見を述べるヒトもいますが、それはどうかな。全く趣味を持たないで、いつもいつも仕事一筋ってヒトもいるでしょうが、これは残念だな、と思います。少なくとも私の考えとは違います。死ぬまで仕事だけと言うより、石を愛でても、草花を愛でても構わないのですが、何か趣味を持ちたい。特に退職した後ならなおさらです。趣味は単なる暇つぶしではありません。趣味のために払う情熱と努力と金額も大きいはずです。

日本に居る時は、XXX機構で音楽の話も、オーディオの話もほどほどに留めていましたが、日頃からこれにはフラストレーションを感じていました。グッと我慢していて、ここに至って初めて公開したようなものです。私の場合は音楽とオーディオですが、日本の宴会ではそういう話題が出る雰囲気はなし。職業上の話と趣味の話では大きく違います。海外からの来客を交えたパーティの席しか音楽の話をする機会は無かったのですが、YYY機構では日常的に堂々とできたのですよ。

但しKeとは余り音楽の話をしたことはありません。もちろんオーディオの話もです。好きな領域が違うのはあって当然です。ここに記した話を良く見て下されば、Keと私は色々な話題を共有できた、というコトを分かって頂けると思います。Keは普段から衣服はまるでカウボーイ風、帽子もカウボーイ・ハットですし、靴はカウボーイ靴です。それが良く似合うのです。自然派ですね。ただKeの奥さんはそうでもなく、それをKeは不満だったようです。ここで出た話題、大東亜共栄圏とか中国の話もおもしろいでしょう?これはKeとのお別れの会食した時の記録です。Keとはまた別の分野で再会を果たしました。彼は直線的な人ですが、間違いなく、常に正直な人だと思います。






(以下は1986年より収録)ここでKは僕自身、Bはホテルのボーイ、C、FEは同僚、KeはYYY機構の部長を表します。







4/26(土)
ぐっすり寝て、起きたのは朝8時半ごろ。買物をするのは今日のうち、と考え一日に何度もホテルと外を往復。午前中まずリンカーン・センターへ行き、定期購読の雑誌用のファイラーその他を買い込み、ホテルまで運ぶ。近所のブロマイド屋にマリア・カラスのサイン入りのポートレートが出ていたが、値札がついていない。恐らく200ドルはするだろうと思う。あきらめよう。ロッテ・レーマンのが75ドルだった。カラスのは伝記本だって100ドルもするのだ。

続いてブルーミングデール・デパートへ。途中でスタンウエイ本社の窓を覗き込む。そのお隣りの毛皮屋ではダーク・ミンクの長いケープを5,000ドルで売っていた。昨年はブルーミングデールズでは何も買わなかったので、今年は何かを、と探し回る。ヴァレンティノの香水を大々的に宣伝していて、あちこちにボーイと女店員がスプレーを抱えてお客のリクエストに応じて無料でふきかけている。上の方の階ではインドをテーマにしていて、やたらとインド風が幅をきかせていた。戦利品を抱えたまま5番街の有名な玩具屋シュワルツを探検してみたが、あまりにも高価で、ぬいぐるみ1個が1万円(相当)もする。さすがティファニーの隣人だけの事はある。ショックを受けてもう一軒のデパート、ロード・アンド・テーラーを覗く。5番街を南下する道のりの長かったこと。くたくたになってホテルに置きに帰る。

今度はカメラを抱えてロックフェラー・センターへ。実は朝から雨が降っていたのだが、昼頃から急に晴れて来たのだ。このチャンスにロックフェラー・センター・ビルの屋上からマンハッタンを眺めようというわけだ。7年ぶりに摩天楼を見下ろす。マンハッタンはやはり凄い。まるでコンクリートの要塞みたいだ。人間が自然を征服するために建てた砦、とう感じがする。マンハッタン島全体が巨大な軍艦みたいに見える。ここのお土産屋には何の魅力もなくて退散、7番街のコーヒー・ショップでスペイン風オムレツを食べる。

体に残った元気をかき集めて、タイムズ・スクエアで子供用のパキスタン風Tシャツの安物を買う。お隣りの店では7年前から欲しかったマンハッタンのイラストを15ドルで買う。Hのアパートで初めて見て以来探していたのだが、グリニッチ・ヴィレッジでは額縁入りで65ドルもしていたのだ。これをホテルに置いてから、60丁目の本屋に行く。自分の為の鉱物カタログを2冊買い、お土産用の本を2冊、猫の表紙の白紙本、ついでにダイアナ妃の着せ替え人形セット(!)を見かけたので買った。その足でレッド・アップルというスーパー・マーケットに入って子供用にお菓子類を買う。

これらを抱えてホテルのフロントを通りかかったら、すっかり顔なじみになったボーイが笑う。
B「ニューヨークを買い尽くすつもりですか。今日は忙しそうですね」
K「もうひとつ行事が残っているんだ。今晩リンカーン・センターへ行かなくちゃ」
B「オペラですか」
K「バレエだよ」
本当にクタクタになった。一日の間に銀座と日本橋と秋葉原と神田を飛び歩くようなものだ。しかも足で歩いているのだ。

州立劇場でニューヨーク・シティ・バレエを見るのは7年ぶりである。出し物に若干の変更があり、グリンカの『幻想ワルツ』、プロコフィエフの『放蕩息子』(バレンシンが24歳の時にディアギレフのために振り付けた最後の作品だという)、グラスの小品集の他にゴチョークのタランテラ。タランテラは2つ目の出し物であり、日本からシティ・バレエに留学中の堀内完が出演した。バレエ・ニュース誌の表紙を飾った堀内はキビキビした鋭角的な踊りを見せ、盛大な拍手を浴びていた。一部からはスタンディング・オベイションを受けており、同胞として大変うれしい。1カ所だけ回転の後の静止の瞬間にグラッとしたが、なかなかよろしい。何となく中国風の『ケシの花』というスケートを思い出したが。あれでもう少し上背があったらと思う。何しろチビなのだ。プロコフィエフはちっとも面白くなかった。大柄な男性舞踏手が踊るのを見ていると、やはり堀内の体格はハンディキャップになるな、と感じる。

4/27(日)
昨日の疲れがたっぷり体に残っていて、起きたのは9時半だった。いや本当は8時半なんだ。今朝から夏時間なのである。窓の外を見ると天気予報と違ってまた雨が降りそうだ。急いで地下鉄に乗ってサウス・フェリーまで行く。修理の済んだ自由の女神像を見ようということだったのだが、残念ながら法律により6月の再開記念祝典まで閉鎖、と掲示してあった。スタッテン島行きのフェリーに乗って近くまで行く手はあるのだが、あえて引き返す。折から『Walk America』という歩け歩けの会の団体が何百人も続々バッテリー・パークに向かって集まって来るようだった。まるで日本の会社みたいにHanover Manufacturers' Trustとか何とか自社の旗を掲げて行進している。トリニティ教会、ウォ-ル・ストリートを通り過ぎ、東京銀行の隣を見ると確か昔あったモントリオール銀行が無くなっている。アメリカ・フランス・コープなんて看板が出ているが、名前が変わっただけだろうか、それとも?

ウールワース・ビル、シティ・ホールの横から、ふと思いついてブルックリン大橋を半ばまで渡ってみることにした。こんなに素敵な風景を、今まで見たことが無かったのだ。その代わり、昨日の続きだから足がくたびれた。地下鉄レキシントン線(6番)を捕まえ、68丁目で下車、パーク・アベニューを横断してフリック・コレクションへ行く。1時開館とあるので、しばしセントラル・パークで桜を見物。大富豪フリックの邸宅だったこの美術館は子供は入館禁止なので、昔は敬遠していたのだ。またコートや上着は着たままにするか、預けることを求められる。手に持ってはいけないのだ。つまり、家具・調度がそのまま置いてあるので、万一コートの裾が引っかかって高価な壷を割ったりしないためである。ゴヤ、レンブラントと進んでターナーの絵が目立つ。モルガン邸よりも上品な感じがする。それでもまだ欧州の模倣の匂いが残っている。アメリカ人はお金さえあれば、必死にヨーロッパを気取ろうとしているようだ。

ターナーの絵は皆同じみたいに見える。あまりリアリティが無いのだ。ここで気に入ったのは、絨毯や椅子が薄いモス・グリーンで統一されていることだ。上品な苔色で、これは僕も大好きな色である。今回の旅行でも僕の衣装は一環して緑系統で統一したのだ。シャツも靴下もネクタイもジャケットもスラックスも。フリック・コレクションで満足したので、もうカーネギーの旧邸とかメトロポリタン美術館まで行くのはやめにして、セントラル・パークの中に飛び込む。丸池をちょっと覗き、公園を東から西へ横断して、リンカーン・センターへ向かう。夏に野外オペラをやるシープ・メドウの回りには鉄のフェンスが巡らされていた。芝生の再生を図っているらしい。途中で何と今朝バッテリー・パークで出会った『Walk America』の連中が戻って来て大勢たむろしているのにぶつかる。もう古いんじゃないかと思うが、ローラー・ディスコにふけっている者も居る。

アリス・タリー・ホールでは今晩何かあるらしく、ダフ屋が待ち構えている。ニューヨークで入ったことのない唯一の有名なホールだが、今はどこも音楽会へ行く元気は無い。メットのオペラ・ショップでは上演記録の改訂版を買う。ホテルに戻る途中、例のマリア・カラスのサイン入りポートレートを飾っている店に思い切って入り、あれは幾らで売るんだ?と尋ねてみた。850ドルだと!これで最終的にあきらめがついた。ホテルに帰り着くとクタクタで、1時間もウトウト昼寝をしてしまう。TV13チャンネルではモーツアルトの『フィガロの結婚』、続いてBBC製作の『リア王』をやっていた。そういえば昨晩ちょっと見たら、日本の時代劇を韓国語放送がやっていて、全部韓国語に吹き替えてあるので何とも奇妙な感じがしたものだ。さすがに疲労を覚えたので、夕方からホテルにこもってこの日記を書く。

4/28(月)
昨夜の疲れを感じながら地下鉄に乗る。朝一番にハンガリーの血の入ったFE氏が挨拶にやってくる。
FE「君は言葉をよく使えると思うよ。ところで君はCOSNの測定にも関心があるのか」
K「ええ、もちろん」
FE「実は最近、COSNの新しい測定を終えたばかりなんだ。何かの機会に発表したいと思っている」
K「NRRシンポジウムはどうです?ザルツブルクじゃなくてリスボンでやるそうですよ。行く予定ですか?」
FE「なかなか外国行きのグラントはとれないからね。でも行けたら是非行って発表したい。ところで頼みたいことがあるんだが、日本の同僚たちがCOSNに関して文献を書いていたら、それを送ってくれないか。どこまで進んでいるのか知りたいんだ」
K「帰国後に送りましょう、でも日本語のものが多いと思うけど」
FE「でも図とか数表を見るだけでも少しは分かるだろう?」
K「確かに図表は国際言語だから」
FEはNRRに興味を示したが、シドニーのIRRは行けないだろうと言う。IRRの趣旨がFEのテーマと縁が薄いと思っているらしい。

Cがちょっと部屋を覗きに来て金曜日のマグネプラナーの印象を尋ねる。よそのスピーカーは気になるらしい。
C「今晩のことだけど、Myとは現地待ち合わせにしてもいいかい?はじめ、Myがここに来て一緒に行く予定だったが、やはり彼女は直接行く方が交通上の便がいいから」
K「もちろんOKさ。何時にここを出る?」
C「6時頃待ち合わせにしたい。1番線の地下鉄で出かけて50丁目からレキシントン・アベニューまで歩くのが一番簡単だと思うよ」
僕がC&My夫妻を招待した時(Myの希望で『初花』)、帰りの交通のために、車でニューヨークまで乗ってこようか、とも言っていたが、ミドル・マンハッタンには適当な駐車場がないので、やはり列車の時刻に合わせて行動することにしたのだ。

そこへKeが、今日からYYY機構職員になった新人Mkを連れてくる。Mkは僕が帰ったあとはこの部屋を使うことになっている。本来は僕の方が借家人なのだが、今日は構わないから使え、とMkは言ってくれる。彼は自分のカバン等を図書室に置いていた。昼頃までHの呉れたコンピュータ・コードの解読に務めたが、なかなかはかどらない。サブ・ルーチン・プログラムは何とか理解したが、メインプログラムが積み残しになってしまいそうだ。コンピュータ・プログラムというのは、何万という記号のうち、1つでも間違えると全部がオシャカになってしまうものだから、作る方も読む方も神経を疲労させる。せめてもの救いはそこで使われたコンピュータ言語がFORTRAN-IVだったことだ。他の言語だったら理解に苦しんだことだろう。外国人を相手に話す時、FORTRAN-IVを互いに知っているということは、共通の外国語を知っているようなものだ。そう言えばCかKMに、日本のコンピュータ言語は日本語か、と聞かれたことがある。ほとんど英語だと答えたら驚いた顔をしていた。英語を英米人のための言語だと思えば、何でも英語、外国語イコール英語という風潮はいまいましくもなる。ドイツ語だって中国語だってあるのに、という論法である。しかし、なに英語は国際語なんだ、たまたま英米人の言語と一致したんだ、と思ってしまえば気が楽になる。実際、英語という共通語を使わなかったら、インドネシア人やペルー人やフィンランド人とは話が出来なくなってしまう。

12時少し過ぎに約束どおりKeがやって来る。グリニッチ・ヴィレッジのしゃれたレストランへ行こうというのである。YYY機構からはかなり遠い所にあるのだが、歩きながら色々な話をして呉れる。
Ke「僕がYYY機構に入ったころはYYY機構はまだ米国XXA委員会のニューヨーク支所で、主たる仕事はよそから持ち込まれた試料の分析だった。明けても暮れても分析ばかり。わりに単純な仕事が多かったんだよ。大体YYY機構の本質は化学だと思う」
K「でも今じゃもっとソフィスティケートされた仕事が主流になったでしょう?」
Ke「その通り。今はもっと複雑で深遠なことまでこなすからね。何でもどんどん複雑になって行く」
彼は30年前、大学を卒業したばかりの頃を回想する。

Ke「でも、もうこんなペーパー・ワークはイヤになった。毎日毎日予算の折衝だの、会議だの、事務的な仕事ばかり。第一線にいれば学問上の楽しみが残るが、僕にはそれもままならない。だからいっそ思い切って引退することに決めたんだ。自分の人生をもっと広げたい」
K「引っ越すなら、まだ体力と気力のあるうちに引っ越せ、と言うでしょう?それと似ていますね。パワーのあるうちに移れば、新しい世界が開けるでしょうから」
Ke「そうだよ」
K「引退して自由になった最初の日には何をするつもりです?」
Ke「まずはあちこちドライブするだろう。しばらくしてから魚釣り、水泳、そして星の観察、庭いじり」
K「きっと、何をやろうかと迷っているうちに一日経ってしまいますよ」

レストランは屋内と中庭の両方に席があるのだが、中庭のテーブルを選ぶ。Keはカクテルを飲み、僕はライト・ビールを飲む。
K「つまりKeはニューヨークの最後の春を楽しんでいるわけだ」
Ke「そういうことになるね」
K「結局はどこに住むんです?」
Ke「アリゾナ、ニューメキシコ、ユタ、グランド・キャニオンのあたり。僕は西部が好きだから。まずは借りる家を探さなくちゃ。息子が今ハワイ大学で地球物理の研究をしているし、娘は20歳なのでしばらくは子供達の面倒をみなくちゃならない。何年か前に久しぶりに西部に帰ったんだが、夜になると窓の外にポツンと一つだけ灯が見えるんだ。妻はそれを見て怖いって言うんだ。馬鹿言うもんじゃない、もし町が近くにあったら、もっと怖い『人間』という動物が大勢いるんだ、って言ってやったよ」
K「近くに野獣は出るんですか、熊とか?」
Ke「出るでる。熊にアメリカ・ライオン」
K「毒蛇は?」
Ke「それも出る」
K「やはり一番危険な動物は人間かしらね。でも引退したら、もう時刻に縛られることはないのだから、例えば面白い本があったら、読みたいだけ読み続けることができますね。明け方まででも」
Ke「そうなんだ。好きな事を思い切り。もっとも余り難しい本に熱中する方じゃないけれど」

僕はミートローフを食べながら話題を色々変える。
K「一つだけ是非アメリカ人に分かって欲しいことがあるんです。日本は決して豊かな国じゃ無いんですよ。統計上の見かけの数字だけみると、日本はまるで欧米に伍しているみたいでしょう?事実は全く貧しいんです。日本は一生懸命背伸びして欧米に対処しているんですよ」
Ke「それは分かる。あの狭い国に米国の半分の人口を抱えて、資源は何も無いんだから。せっせと働いて貿易で稼ぐと言うのは理解できるよ。どんな国だって、理由があってやっているんだから。それに実際、日本製品は優秀だからね」
話が思わざる貿易問題へと進んでしまう。
Ke「日本製の自動車を考えてご覧。あらゆる点で日本製と米国製じゃこんなに大きな差があるよ」
と両手を大きく離してみせる。
Ke「だから米国で車を買おうとする時、日本製を買いたいって言うと商人は態度が大きくなるんだ。つまり、幾らでも買い手はいるんだから」

日本人の特性にまで話は進む。
K「日本は海に囲まれているし、何となく外国人を入れたがらない所があるけど、でも心底はそれほど意地悪じゃない。ただ外国人とつき合うのが余り巧くない。その点アメリカ人のオープンなところは実にいいですね」
Ke「英国人が日本人に一番似ていると思う。イギリスも海に囲まれているし。前にドイツに行った時に思ったんだけど、ドイツ人というのは皆僕みたいに背が高くて痩せていて、皆似ているな、と思ったわけ。均質なんだよ。ところがアメリカは背の高いのも低いのも、また太ったのも細いのも、ゴタ混ぜだからな。アメリカは開放的で無ければやって行けないんだよ」
K「時々東南アジアの人々がやってくるんだけど、察するところ彼等は本心では日本のことなんか気にしていないんですね。彼等はいつもロンドンの方を向いている。圧倒的にイギリス指向ですよ。彼等に手紙を書く時は英語のスペルまでイギリス風にしなくちゃならない。特にインド人なんか自分達はイギリス人だと思い違いしているように見えますよ」
Ke「アハハ、インド人はね」
K「やはり実力の問題があると思う。もし日本が本当に豊かで強力なら、アジアの人々も、もっと日本の方を向くでしょうし、日本語の勉強もして呉れるでしょうけど」
Ke「でもアジア共栄圏構想は破綻したんだろう?」
K「インドのことだけど、予測では21世紀にはインドの人口が中国を抜くそうですよ」
Ke「恐ろしいことだ。地球の陸地面積は決まっているんだから。そこにちゃんと住む為には、前に計算したことがあるんだが、年間の人口増加は2%以内に押さえないと、いけない」

デザートのイチゴのショート・ケーキとコーヒーを味わいながら、話題は職業上の問題に戻る。
Ke「もしKが欲しいと言うなら、僕の持っている資料は何でもあげるよ」
K「実は前からためらって居たんだけど、あのLUINKコード(ATCを扱うコンピュータ・プログラム)を欲しいって言ったら?」
Ke「あげるとも」
K「理論計算する人にとってコンピュータ・コードは命みたいなものでしょう?それを呉れというのは虫が良すぎると思って今まで黙ってました」
Ke「K、それは気にしないでいいよ。要は役立ってくれればいいんだ。誰かがあのコードを役立てて呉れるのなら、僕は本望だよ」
K「でも、僕は自分の目的のためにコードを改変するかもしれませんし、付け加えたり、削除したりするかも知れない」
Ke「全然かまわないよ」
K「何かレポートを書く際は、必ずKeの名前とプログラム名を引用するようにします」
Ke「それも、どうでもいい事だ。皆の為に役立ててくれ。あとで送るから」
K「それじゃ、2つのことをお願いします。1つはLUINKコードを送って貰うこと。もう一つはSMX時のCOSNスペクトルを計算して送って下さい。LUINKコードを貰ってから自分で計算してもいいのだけど、実際XXX機構のコンピュータで使えるようにするには、半年は待たなくちゃならないでしょうから。まずは結果を欲しいんです」
Keは全部約束して呉れた。YYY機構に戻る道すがら、途中にあった小さな教会を指差して言う。
Ke「あのかわいい教会は以前はずっと素敵だったよ。回りが木立でかこまれて。今やビルに埋没している。」
実際、うっかりするとビルの谷間で見落としてしまうような教会だった。Keが左利き用のハサミを買った時の話が続く。

午後、KMの部屋を覗く。
K「KM、一つ頼みたいことがある」
KM「何だい?」
K「いまYYY機構のお向かいのビル工事が進んでいるだろ?あれが完成した暁に再度YYY機構ビル内でCOSNを測定して貰えないか?」
KM「オーケー。実は僕もあのビルには関心があるんだ」
K「あの工事はどれくらい掛かるだろう?2年位かな」
KM「まあ一年だろうね」
K「来年の年末位かな。その時、忘れずに頼む」
KM「同じフロアの同じ場所で測定できるかどうかは保証できないけど、可能な限りの場所で必ずやってみるよ」

(続く)


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