音楽のすすめ 第2章 第29話 ウォルドーフ・アストリア・ホテル(’86-13)


(補足)
 赤字:2007年に新たに書いた部分
 黒字:1986年の日記からの引用

(2007年の加筆部分)何語であろうと、初めて人の前で公演する時の緊張感は凄いものです。Cの場合は私より3年も早かったのですが、それは英語を母国語としているから、少しは楽かなと思います。私は英語でやったのは1973年に京都国際会議場でしゃべった講演が初めてです。その時は余り意識せず、とにかく無事に終えることを願っていました。そのあとの会議では少しばかり邪念が混じり、「受けること」を意図しました。講演と言ってもこれらは短い講演で15分しか割り当てられません。現在では平均30分から1時間貰いますが、コレばかりは準備次第です。十分な準備をすれば何時間でも可能じゃ無いかとウヌボレています。一番長かったのは講義形式で話した時で、正味3時間もしゃべり続けました。しかも、その丸暗記を5年間もリバイスしつつ続けたのですよ。3時間分の原稿を暗記するなんて気違いザタですが、若い時代にはこなせました。

長丁場を乗越えるために、はたして自分の英語は通じているんだろうか、と思うのが自然ですから、どこかにジョークを混ぜておかなければなりません。今までジョークで最も成功した例は、漫画を書いて示した時です。後年、若い米国人が日本にやって来て、パームスプリングスで聞いた時の漫画は良かった、あれがあったから分ったし、自分もその道を選んだとお世辞を言われました。お世辞でも良いんです。自分にとって励みになれば!そして図表を用いる場合、全く同じ図表は避けることです。講演を引き受けた時、最初にすることは予想される聴衆の中に今まで自分の講演を聞いたことのある人が含まれるかどうか、をチェックすることです。居なければ構わないのですが、もし一人でも居たら、工夫が必要です。原則的に全く同じ図は用いません。どこか変更したり、読み易いグラフに換えるとか、別の視点から見た場合を描くとか、何らかの工夫をしなければなりません。どの回でも何か新しいものが無ければ自分がノリませんから。まず自分自身を煽る必要があります!

具体的な例として2006年秋にはTTT機構より依頼を受けて講演をしましたが、その話を受けた時、最初にしたのは今まで類似のテーマで講演したものを全てプリントアウトしました。そのプリントアウトの洪水を眺めながら、話を作って行きました。始めは飛んでもなく長いものですが、それを縮めて与えられた時間内に収まるようにし、さらに念を押すため、喋るような口語体の文を用意します。そして、その図を実際に用いて喋ってみます。当然長過ぎるはずですから、今度は時間との競争ですね。そうして時間内に収まったら、今度は図そのものの改善です。必ずやります。最終的に出来上がったら、あとは時計を見て声を出し、3分の1の時間でどこまで話が終わったか、半分までの時間でどこまで済んだか、等を体が覚えるまでやります。結局出来上がり25枚程度の図表を選ぶのですが、そのために費やした元の図表は、700枚にのぼりました。しかも全部カラー!この経費を確定申告で認めてくれないかな、とも思うのです(!)。尤も、これだけ準備して時間内に収めても、質疑応答という怪物が控えています。予想を越えて延々と質疑が続いた場合は、割り当て時間の倍も要することになります。そういう場合は、司会者の責任で終了させることになりますね。昨年の例はまさにそうでした。このように会議の舞台裏は常に大変です。






(以下は1986年より収録)ここでKは僕、Cは友人、Myはその夫人、PC、Jo, Hz、Al、Jn、Ad、Mcは同僚、KeはPPP部長、 H夫人はニューヨーク大学教授、Tsは日本のRRR機構の同僚、Haは僕の妻を表します。AVはECの人。







ランチから戻った時、僕の机の上にPC女史のメモが残してあったのだが、やがて本人が包みを抱えて現れた。
PC「これはあなたの家族へのプレゼントなの。ライラックという名のグリニッチ・ヴィレッジのチョコレート屋のものなんだけど。ちょっとした話があるの」
彼女に椅子を勧めると、彼女はメモ用紙に『New York Today』と書く。
PC「ちょっと前にこの店で日本のテレビ局がロケをしたの。チョコレートの製造を3時間掛けて録画したんですって。これを『New York Today』という日本の番組で放送するそうよ。それを伝えたくって」
テレビ局の名は分からないと言う。厚く礼を言い、番組のことも日本の友人たちに伝えると約束した。
PC「私も60歳ですものね。私はコンピュータのテクニシャンだし、物理学は分からないわ。でも、これからもあなたとはコンタクトを保ちたいと思うの」
K「日本へ来るようなことは無いんですか?」
PC「私の妹が横須賀にいるの。もう一人はシンガポール。いつか日本に行けるかもね」
Keも言っていたが、米国の公的な定年は70歳だが、役職にあると60とか65とかで退職すると言う。次にまた会えるだろうか。

夕方近くなって自分の荷物を整理しながら、フィルムが若干残っているのを思い出し、新入りの秘書のHz嬢と、同じく新入りのテクニシャンのJo君の写真を撮らせて貰う。Keが部長室から飛び出して来た。
Ke「Kのカメラで思い出したんだ。君の写真を撮らせて呉れ」
彼はシャツの胸ポケットから小型のオリンパスを取り出す。
Ke「これは小さいけれど。軽くて便利だよ。どこでも持って行けるしね」
K「僕は2年前にヨーロッパへ行った時、カメラを2台もって行ったんですよ。1つは普通の、もう1つはズームの付いたやつ。ところが、ズームは重いでしょ?あんなものを持って行くなんて愚かでしたよ」
Ke「分かる。僕もズームのカメラは持っているんだが、あれは確かに性能はいいんだが、その質量たるや」
彼は窓のブラインドを調節して光量を加減し、シャターを押す。僕も最後の1枚にKeの写真を収めた。
Ke「最後のフィルムを、僕の為に使ってくれて有り難う」

自分の部屋に戻ったとたん、今度はAlの訪問を受けた。
Al「この間のテレビでモーツアルトを見ましたか?」
K「『フィガロの結婚』だろう?ちょっと見たよ。先週もやっていたけど」
Al「あれ面白かったですね。僕はモーツアルトが好きなんです。あなたがオペラを好きと聞いたもので」
K「そうだったの?Cもモーツアルト好きなんだよ。よく言われていることだけど、モーツアルトの音楽は2種類のもので代表されるって。ひとつはオペラ、もうひとつはピアノ協奏曲。Cは後者だけに関心があるようだけど」
Al「僕は『魔笛』が好きなんです」
K「僕も大好き」
Al「スウエーデン映画の『魔笛』を見ましたか?」
K「残念ながらまだ見ていない。ベルイマン監督の映画だろう?」
Al「あれをお薦めしますよ」
K「ところで君は何か楽器はやるの?」
Al「ほんのちょっとだけピアノを。母がピアニストなんです」
K「それは凄いね! 君はそれで何を弾くの?」
Al「バッハです。パルティータとか小品集をゆっくり」
K「僕もたまにピアノを弾くけど、バッハは2つしか知らない。イタリア協奏曲の第3楽章とイギリス組曲2番と」
Alは目を輝かす。今まで彼と音楽の話をしたことはなかったので、互いに初耳だったのだ。次の機会にはさらに親しくなれるだろう。

4時半過ぎ、Keが部屋に入って来た。
Ke「僕は列車を捕まえるために、もう帰らなくちゃならない。K、元気でやるように。もう台風で家が痛んだり(2〜3年前に起きたことをクリスマス・カードで知らせた)、病気で入院したりすることが無いように祈るよ。将来に幸運がありますように」
Keは両手で僕の肩を抱いてお別れの言葉を言う。
K「有り難う」

5時直前にはJGが現れる。
JG「K、もう帰るわけだな。君がつつがなく旅ができますように。僕も8月まではここに居るが、その後はどうなるか分からない」
K「君に幸運がありますように」

5時に、新人Mkがウロウロしているのをつかまえた。
K「今日は君の部屋を占領していて悪かったな。もうすぐ空けるよ」
Mk「いや、一向に構わないけど」
K「君の本当の専門は何なの?」
Mk「XXXです」
K「それで今日の昼間はAdの所に居たわけ?」
Mk「ええ」
K「僕が去年ここに来たのはXXXについてAdの意見を貰うためだったんだよ。それとニューヨーク大学のH夫人の意見とね」
Mk「H夫人は僕の先生なんですよ。あそこに居たんです」
K「何だって?去年H夫人は自分の所の研究は学生パワーに頼っているんだって言ってたけど、あれは君のことだったの?」
Mk「そう、僕のことです」
Mkは胸を張る。
K「ちょっと僕の部屋(?)に来てくれない?」
Mkを部屋に呼び入れて、僕の名刺を渡す。
K「実はこれからCと約束があって、一緒に出かけなくちゃいけない。しかしこれからも連絡を取りたいから、名刺をあげよう。何かあった時、連絡して下さい」
Mk「是非そうします」

Cがさっきからチラチラと我々2人を眺めて居たのは知っていたが、この時になって僕の部屋に入ってきた。
K「Mk、この机の上のものは僕の前にいたTsが置いて行ったもので、僕には不要だ。もし君がいらないなら捨てて下さい」
Mkは笑い出す。Cは精一杯先輩顔をしてMkにあれこれ言う。
C「Kは前からこの書類の山を心配していたんだ。自分が出て行く時に始末していかなくちゃいけない、と思っているらしくてね。でもVAX(コンピュータ)の解説書なんかは君にも役立つだろうし、まず読んで見たらどうだ」
机の上には日本の雑誌も何冊かあったのだが、Cはパラパラめくってみて、要約文は英語だから少しは役に立つのでは、と言う。
K「グラフなんかも役に立つかも知れないね」
Cは戸棚の扉を開けて、中のガラクタをMkに説明する。
C「全くのジャンクだな」
部屋の外の戸棚の扉も開けてみせる。
C「僕はここに16年もいるんだが、知っている限り、この中身は一度も使ったことはないよ。もっと古い人達なら一体何に使ったか覚えているんだろうが」
使いもしない旧式のものを、使えるかもしれないという理由で、何十年も取っておくのは日本も米国も同じと見える。捨ててしまえ、と思う。

AVとアシスタントのMoに挨拶をして、PPP部の部屋をあとにする。
K「もしかしたら、次はウイーンで会えるかも知れませんね。あるいはまたニューヨークで」
C「PCにも挨拶したか?」
K「うん、彼女には今日2回も会ったよ」
BBB部のJFにも会う。彼はエレベータまで送って呉れた。

ヴァリック通りの斜め向かいのタバコ屋でCが買物をするのを待ち、地下鉄1番線で50丁目駅に向かう。地下鉄は異常と言えるほど混んでいた。
C「僕は長い間地下鉄に乗っていないからな。これは君が毎日使っている電車かい?」
K「僕は心配なんだが、いったい僕たち下車することが出来るのかしらね」
C「押しちゃえよ」
ともかく乗客をかき分けて、50丁目駅で下車した。Cはスイスイと歩き回って向かうべき方向を見いだす。Cは確か昼間はボロ服を着ていたのに、いつの間にか紺色のスーツに着替えている。社交用だろう。
C「実は今朝、歯医者に行ったものでね。この辺は歩いたばかりなんだよ」
K「マンハッタンの歯医者じゃ、さぞや高くつくんだろうね」
C「歯医者なんてどこでも高いさ」
K「歯医者って予約は要るの?」
C「一応ね。急患は別だが。僕は今朝電話したんだよ。まともに予約したら1週間待たされるもの」
K「でも歯医者通いで食事なんかは大丈夫かい?」
C「大丈夫だってば。夕べもステーキを食べられたんだから」
あとでCの通った歯医者というのを見て驚いた。5番街の角地、飛び切りの一等地にあって、金文字で名前を刻んだオフィスだったのである。

Myと約束した時間より20分も遅れているので、やや心配になる。歩きながら僕は小脇に抱えたカバンをCに見せる。
K「このカバンは僕の思い出の品なんだ。1973年、僕が初めて英語で発表した時のものだよ。ICA総会で」
Cはカバンに刻み込まれた文字を覗き込む。
C「いつの年だって?」
K「1973年」

47丁目とレキシントン・アベニューの角を少し回り込むとすぐに『初花』は見つかった。Myが戸口から出たばかりだった。
My「まだ誰もお客がいないのよ。食べるには早すぎるんだわ。私もう一軒の『初花』へ行った方が良いと思うわ」
C「My、君がこの店がいいって言ったんだよ。なぜ、今さら」
また二人の言い合いを始めたのを見て、僕は肩をすくめたが、事は大きくならず、まずはどこかでドリンクを飲もうという、Cの提案に飛びついた。
K「そりゃ良いアイデアだ」
My「ウオルドーフ・アストリア・ホテルはどう?」
正直言って僕は目をぎらつかせたに違いない。ウォルドーフ・アストリア、名前を聞いただけでよだれが出るようなホテルだったからだ。米国大統領専用の部屋が常時用意され、日本の天皇のニューヨーク訪問の際もここに泊まった。メトロポリタン・オペラ・ギルドの資金集めのパーティが開かれるのもここである。ニューヨーク最高のホテルの一つに違いない。
K「僕はまだ一度も足を踏み入れたことがない。ここへは良く来るの?」
C「Myは以前、この近くのオフィスに務めていたからさ」
My「中にピアノ・バーがあるの。この近くにはインター・コンチネンタルもあるけど」
K「インター・コンチネンタル・ホテルは世界中にあるね」
ベルリンのIRR会議でやった大パーティもインター・コンチネンタルだったのを覚えている。

途中Myに告げる。
K「昨日、フリック・コレクションに行って来たよ」
My「あら、あそこに行ったの?」
K「一番良かったのはカーペットが、モス・グリーンだったことさ。僕の好きな色だからね」
実は僕の着ていた服がその色だったのだ。ともかく彼等のあとについてウォルドーフ・アストリア・ホテルへ入る。昔、カーネギーホールへ初めて行った時、妻のHaは足の震える思いをしたそうだが、同じようなものだろう。Cは僕の左側に回り込み、耳元で囁く。
C「1970年、僕はFHP会議の時僕はこのホテルで初めて口頭発表したんだ。不安で神経質になっていたよ」
(続く)


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