音楽のすすめ 第2章 第30話 C&My夫妻(’86-14)


(補足)
 赤字:2007年に新たに書いた部分
 黒字:1986年の日記からの引用

(2007年の加筆部分)大学時代、教室の面々と一緒にどこかの店に行った時、カクテルを初めて飲みました。「まだ飲んだことが無いって?」と大柄だったKd助手に言われ、続けて「そういう人はまずエンゼル・キッスが良いよ」とエンゼル・キッスを入れた杯を渡されたことがあります。味は余り印象に残っていないし、また飲みたいとも思えなかった品です。大学正門の真ん前のバーに、教授と2人きりで一緒に行ったこともあります。その時はもっとここに居ても良いよ、と言われたのですが早々に失礼しました。要するに学生時代の私は飲めないクチでしたから。大学院時代にも相変わらずで、友人をMITに送る会などをフグ料理店で開いたあと、これから2次会だけど、Kはどうせ帰るだろ?と言われても、特にどうとも思わずいつもの通り、帰途についたのです。頑なにアルコールを拒絶したのは、未成年者は飲むこと禁、というオキテを、解禁の年齢を過ぎてもなお金科玉条にしていたため。大学の新入生歓迎会でも先輩達の折角のビールも断ってしまう始末。これは書けば長い話になりますが、ここでは略。

このアルコール嫌いがいつの頃からか崩れてしまったのですね。これはミステリーです。苦いビールが美味しく思えたのは友人達と豊島園のプールに行った時で、その帰り道に大ジョッキを飲み干したのがコトの始まり。またワインも当初白ワインだったのが、たちまち濃厚なフルボディの赤ワイン党になってしまいました(白は普通は安いのですが、最高級品の白は逆に飛んでもなく高い)。ブラジルのホテルでは私のワイン好きは最高潮に達し、一人なのに1本で足らず2本目を追加注文してしまった事もあります。米国でもよく赤ワインを飲みました。甘すぎず、辛いもの(渋いもの)が好きでした。アルコールが飲めない人、というのも残念なことだ、と思うに至りました。そして現役時代の私の部屋には冷蔵庫があり、その中に常にシャンパンが冷やしてありました。アメリカ人が重要な仕事で来た時には、仕事の完成をそれで乾杯しました。アメリカ人だけでなく、ロシア人からウオッカを、ブルガリア人からワインを基にしたドブロクを、同様にイタリア人からもグラッパを貰うとか、そういう種類の酒瓶が沢山集まったものです。勿論一部は皆で即飲みましたよ。アメリカ人から貰ったアイスワインも即、丸ごと一本飲んじゃったし。でも中心はやはり赤ワイン。メドックだマルゴーだと騒いで。マルゴーというのは日本の宮中晩餐会でも出るそうですね。今年(2007年)YH夫妻と一緒に我が家に御見えになったSgさんから、マルゴーを1本プレゼントされました。

いつだったかフランスを徘徊した時に、ワインを買ってきましたが、いつの間にか消費してしまいました。友人からも、確かお好きでしたね、とワインをプレゼントして貰ったりもしました。ところが2000年頃、私は病気になってしまい、アルコールを禁じられました。ワインも今は夢。ワインの名前は懐かしく響くけれど、実はもはや味も忘れてしまったようです。飲む気が起きない。ただ夏の熱い盛りにビールを飲みたいと思うことは、しばしばありますが、全て医者の指示まち。これが実に待ち遠しい!






(以下は1986年より収録)ここでKは僕自身、Cは友人、Myはその夫人、Haは僕の妻を、Kdは日本の大学の助手(当時)、ITはXXX機構の知人、YHとSgは大学時代からの友人を表します。







きらめくようなメイン・ホールの右側の低い階段を数段昇り、さらに右側に回り込んだところにバーがある。なるほどピアノが置いてある。ボーイが案内したところに席を取るとすぐにウエイトレスが注文を取りに来る。Myはジン・トニックみたいなもの、Cはマンハッタン、僕は即座にアレクサンダーを注文した。
K「Myは今日はどうだったの?」
My「ポリティックスとストラテジーでいささかくたびれたわ。あれこれ頑張らなくちゃならなくて」
K「まあ、たまにはストラテジーも横に置いてさ、リラックスしなさいな」

アレクサンダーが運ばれて来た時、Cが尋ねる。
C「それはアレクサンダー・ブランデーみたいに見えるけど。僕の母が好きだったもので良く知っているんだ」
My「私の母もそれは好きだったの」
K「それじゃ、アレクサンダーってのは女性好みのカクテルなの?」
二人はうなずく。
K「それを注文したのはまずかったかな。今後気を付けなくちゃ。そう言えば随分甘い感じだなあ」
そんな必要はない、ただ多くの女性が好むカクテルだと言うだけだ、と言う。
C「それは甘い味のためさ」
でもこのカクテルは美味しいと思う。ヴァニラを砕いたような粉末の風味が何とも甘ったるく、心地よい。
My「とにかく乾杯ね。私達の友情のために!」
C「そして来年もまた来て貰えますように!」

Myは直ぐに小包みを取り出して僕に渡す。
My「これは私のプレゼントなの。Kが知っているものよ」
その大きさと感触から察しがついた。
K「ひょっとして、これは例のファブリック?」
My「そう!あれはKも好きだって言ったでしょ?」
K「これで我々は同じパターンの布地を共有するわけだ」
My「そうよ」
K「あの布はもう縫ったのかい?」
My「まだだわ」
チェスターのガレージ・セールで買った布地の一巻を呉れたのである。あの時、大小2巻を買っていたのを思い出した。始めから1巻は呉れるつもりだったのだ。
My「そして、これはHaにプレゼントよ」
K「それじゃこの箱は開けないでとっておこうか」
C「Myが巧く開けるから、ちょっと見てご覧よ」
Myがそっと開けて見せてくれたのは、グッチの小さなガマ口だった。どおりでCはグッチの紙袋を下げていたのだ。
K「おやおや、凄いものを貰っちゃったな。Haに代わって有り難うを言わせて貰うよ」
C「そして、これは例のコンパクト・ディスク。Kはもう知っているが」
My「Kの子供達にね」
包装紙と細いリボンでつつんだCDを受け取る。

My「Kはニューヨークで疲れた?」
K「この一週間は夜も昼も忙しかったからね。一週間の間にオペラを2つ、バレエを1つ、それにミュージカルを1つ」
My「オペラは何?」
K「『カルメン』と、『アルジェのイタリア女』。バレエはニューヨーク・シティ・バレエ」
C「何のバレエ?」
K「ニューヨーク・シティ・バレエ」
C「いや、何のバレエかって(Which ballet?)」
(昔、アパートメント・ハウスとアパートメントの区別がよく分からなくて、Which apartment?という問いに対して意味の取り違えをしたのを思い出す)
K「バレエの演目のことかい?4つあったんだ。グリンカのワルツ・ファンタジーと誰かのタランテラ」
C「タランテラ?それで残りは?4つあったんだろ?」
K「プロコフィエフの、ええと題名が思い出せないんだが。日本語の題は知っているんだけど(放蕩息子)。英語では、ええとprodical sonだっけ?」
C「わかった。その通り。Prodigal sonさ。その曲は知っているよ。あとはストラビンスキーかい?」
K「あとは誰かの現代音楽だったけど小品集」

Myの方を見て
K「『コーラス・ライン』も見たんだ」
C「Kは映画の方も日本で見たんだって」
My「映画版の方はまだ見ていないわ」
K「ああいうの大好きだよ。競争的雰囲気で常にテンションがかかった状態。ところで、とうとうウオルドーフ・アストリアに来ちゃった、という所だな。ここは天皇も泊まったし」
C「天皇と言えばプリンス・ヒロも来ただろう。天皇は幾つなの?」
K「85位かな」
C「その後はプリンス・ヒロか?」
K「いいや。もう一人。エドワード7世みたいに時世は短いだろうよ。あのお妃の方は大金持ちの民間人なんだが」
C「でも君は日本には大金持ちはいないって言っていたじゃないか」
K「ああ、とてつもない大金持ちはいない。詳しく言えば彼女は粉屋の主人の娘なんだが、宮廷で幸せかどうかは知らない。宮廷が、新しい血を欲しがっただけかも知れないし」

C「Myはこのホテルに来週また来るんだ。彼女が大学院に通っていたコロンビア大学のベネフィット・パーティがあるんだよ」
My「完全な正式パーティなの。150ドルも払って」
C「高いよ」
My「それでも安くして貰ったのよ。本当は400ドルなんだから」

(続く)


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