第1話 音楽と食べ物の関係

(補足)
 赤字:今回新たに書いた文章
 黒字:過去の文章からの引用

私の好むのは脂こってりの西洋料理、時として中華料理です。和風旅館に泊まると必ず出てくるのが刺身ですが、あれも一回なら良いけれど、毎日続くとウンザリします。日本中何処に行っても一様なマグロの刺身、また何処に行っても名前こそ違え、本質的に同じナベ料理。また最近多くなったのは刺身、ナベに加えて、鰻の蒲焼きと小さなステーキが付いて来るのですが、あれ余り頂けません。統一感が無いというか、ゴッタ混ぜになって胃袋がびっくりしてしまう。むしろ統一感のために、京風なら京風に統一した方が良いんじゃなかろうか、と思ったりします。その代わり、そういう料理に飽きた人のために、別のシェフに頼めるとか、別の料理群を用意するのが望ましい。ただ、そうすると厖大な経費が掛かりますから、非現実的な値段になってしまいます。要するに幾らまでなら支払えるか、支払う用意があるか、に尽きるのですね。誤解を避ける為に付け加えますが、カツオの刺身とかトロの刺身は、美味しいものは本当に美味しいと思います。ただ、白状しますと、銀色の鱗がギラギラ光るような魚を目前にしますと、たじろいでしまいます。

経営側の都合を考えるなら、不特定多数に支持される料理になるのも当然です。その結果が上記のようなゴッタ混ぜ風料理か、あるいは何処に行っても●や○になるのだろうと解釈できます。面白いのは和風旅館の板長は殆ど和風料理の、それも魚料理の達人ですし、ペンションでは洋風が得意です。ホテルの場合はもう少し自由度が広がります。で、思うのですが、もし和風旅館に延々と3週間も延泊を続けた場合、毎日上記のような刺身とナベ料理が出されるのでしょうか。基本的に多くの場合は、あまり長く泊まることが無いのだろうと、想像しています。だから短期決戦を挑み、恐らく、多くのお客様に喜ばれる刺身とナベ料理になるのだろうと想像しています。ナベ料理では多くの場合、各人が勝手に調味することになりますが、ある意味ではシェフがさぼっている気がしないでもない。だから、これは経済問題なのですよ。勿論京風旅館の堂々たる所ではナベと言えども、シェフが最善のタイミングを見計ってサービスして呉れます。カウンタで食べる天ぷらを思い出して下さい。あれは典型的な例ですね。ああいう所で、途中で他の料理を間に挿んで食べるのは全く邪道だろうと思います。せっかく順番を考えて出してくれるので、それを尊重しましょう。他の料理を途中で注文するのは失礼にならないだろうか、と考えてしまいます。一度、京都「炭屋」クラスの旅館に泊まってみたいな。

幸か不幸か、私はあまり延泊しないし、おまけに選ぶ旅館やホテルも格安専門。だからあまり気を使う必要がありません。ただ極論するなら、大概の場合、余り魚は好みでありません。魚臭さがどうしても付きまとうから。立派なシェフの手に掛かれば、決して臭うことは無い、と言われますし、それは分かるのですが、それでも魚に全面的に味を御任せできるほど魚好きではありません。できるだけ、魚臭ささを消したものなら、積極的に魚料理を食べます。実際そういう経験があります。気が付いたのは、そういう経験は殆どの場合、欧州で食べた魚料理の場合です。フランス料理のコッテリしたソースの掛かったもので、臭うはずもありません。多くの西欧料理では(例外があるかも知れません)、骨を処理する必要が無い。私は不器用で、箸を上手く使えないので、上品に魚をむしれないという隠れた理由(最大の理由はこれ!)もあります。一度食卓に乗ったら、全て食べられる、というのが理想です。目をつむっても食べられるという保証が欲しい。西欧料理の店ではシーフード・プラッターを好んで注文します。味が好きで、しかも骨まで処理する必要が無いからです。

西欧料理では様々な香草を使いますね。あれを長い間うさん臭く、思っておりましたが、最近自分でも料理を始めて(本当にビギナーです)から香草の意味が分かり始めました。香草は実際よく効くのですよ。また必要な香草抜きの場合とでは、味が全く別ものになります。という訳で我が家の冷蔵庫内には各種の香草類が随分増えました。香草を使用するのは古くなった材料しか使えなかったのが原因だろうと言われていますが、うなずけます。日本みたいに新鮮な魚介類をいつでも手に入れられないから。ローズマリーなんて香草は、それが墓場の近くに生えていた草だということを思い出す必要もありそうです。シェークスピアの「ハムレット」ではオフィーリアがこの草に触れていますね。また長らく、フランスやドイツ辺りに居たローマ軍の食料の多くは、ニシンだったという点も思い出しましょう。必要は発明の母です。しかもそれらの国の軍隊が魚に頼ったのはホンの最近まで(20世紀初め)。

トマス・マンの小説「ブデンブローク家の人々」を読みますと、あそこで「血の付いた鯉料理」というのが出て来ます。ああいう箇所を読むと、マンは本当に鯉が好きなんだな、と思うところ。ジャガイモとニシンの組み合せとか、現在の北ドイツで見られるという料理には、まだ港に海のニオイが付きまといます。ドイツでは鰻を食べますが、その食べ方は日本とは全く違い、あれ程甘くない。イタリアやスペイン、ポルトガルでは、日本みたいにタコやイカも食べますね。でもイタリア料理ではオリーブ油が全てに超越しています。あれはオリーブ油の料理です。ギリシャ料理も同じ。やはりフランス料理が登場してから、ソースで食べれば、と言うことになったのかも知れません。世界中から香草が手に入り、材料が手に入るようになったため、フランス料理は大改革を促されたと思います。現在ではフランス料理が最も大きな顔をしていますが、始めからそうでは無かったのでしょう。そもそも現在あるようなナイフとかフォークの使用だって、イタリアからメディチ家の姫君がお嫁入り道具の中に入れて持って来るまで、フランスには存在しなかったということを思い出して下さい。それまでフランスでは食べ物は素手で食べたのでしょうか。イタリアがフランスに対して持っている潜在的優越感も宜なるかな、です。現在フランス人が持っている世界一はここに、と言わんばかりの優越感の由来は、後から追いついたもの故の、コンプレックスに満ちた感覚なのかも知れません。日本が中国に対して抱く感覚に似ている。古い材料しか手に入りにくかった為に、ああいう香草とソースに頼った、人手を掛けた料理が発達したところ、それがフランスです。

お隣の英国はもっと単純です。フランスみたいな食欲に乏しいためではなく、むしろ世界を相手にしていつでも食べたいものを調達できたからです。いつでも手に入るなら、苦労して料理法を覚えたり、加工法を工夫する必要もありませんし。また英国料理の代表はロースト・ビーフとキドニー・パイでしょうが、フィッシュ・アンド・チップスも有名です。いずれも現在でもよく食べられていますが、後者は日本人の間では大層評判が悪い。でも私自身はフィッシュ・アンド・チップスが大好きです。目をつぶっても全て食べられる、という私のフィロソフィーを満足しますし。それに油で揚げた為か、魚臭さが極めて弱いため。

これが米国に渡りますと、殆ど人手を加えることを省いたようなビーフ・ステーキ(タマネギと一緒に焼かれるシャリアピン・ステーキは日本の国産品であって、正当派米国流は塩だけです)と、マクドナルドに代表されるようなハンバーグ・ステーキ。私はこれらが嫌いではありませんが、現在では余り食べません。マクドナルドを考えるなら、あそこに挟まれるピクルスが大好きです。実際ピクルスのないハンバーガーなんて考えられない。日本ではどうもピクルスをチョッピリ、ホンのおざなりだけ入れているような気がします。それぞれの国情を考えて、と言うことでしょうか。私自身はピクルスが大好きなので残念です。私は正直言って、米国で出されるようなステーキは大きすぎてやや苦手。あの半分の大きさで良い。むしろフランス料理で出てくるような小ぶりなソースのタップリ掛かった白身魚が好みです。これを書いていてそれに気づきました。もしそれ以外を考えるなら、むしろソーセージの世界が大好きです。高校生のころから、ベーコンが好きでしたが(毎日ベーコン・エッグが食べられたら最高!なんて思っていたくらいです)、この頃ベーコン特有の煙のような臭みが弱くなりましたね。食べ物からどんどんある種のクセが消えて行くのは本当に残念です。私はこういうのものは煙や香草をタップリ聴かせたのが好きです。ハムは殆ど皆同じ味ですが、ソーセージの方は、まだ色々な味わいがあります。香草を閉じ込めたような味、コレが好きです。しかし、ソーセージが好きで、卵焼きが好きなんて、まるでお子様料理好みですね、と言われそう。卵焼きが好きというのは本当で、寿司屋では必ず玉子焼をとります。たとえ回転寿しでも同様。

珍味の中では、あるパーティでハンガリー産のフォアグラを出したことがあるのですが、あまり売れ行きが良くなかった。ほんのチョッとですが、血の気配がしたせいかも。でもあれを熱々のトーストに塗って食べると大層美味しい。海外でお気に入りはヴイーナー・シュニッツエル。これも本当は仔牛で作るものですが、始めはそうでしたが、今はシュヴァイン・シュニッツエル(仔牛の代わりに豚肉を使うもの)が多い。でもあれば必ずこれを食します。これを赤ワインと一緒に食べると最高!ビールでも良いのですが腹が膨れそう。ヴイーナーなんて言いますが、ウイーンに限らず、なんとインドネシアのバリ島でも食べたことがあります。少し肉が厚すぎた気がしますが。

そしてロシア料理の世界もありますね。友人達とお茶の水の「バラライカ」という店(残念ながら今は閉店)、また渋谷のロゴスキーという店等に行ったことがありますが、ボルシチ等の料理は全く抵抗ありませんでした。まるで日本料理の味わいだと思ったからです。肉そのものと言えるシュラスコと称するブラジル料理。これを実際に味合うまでに長い時間が掛かりました。そして「デリー」という上野のカレー専門店。あそこで最も辛い「インド・カレー(ビーフ)」は大変ですが、「ベンガル・カレー(シュリンプ)」は辛みもほどほどで美味しい。さあどうだ、と言わんばかりのインド人店員の顔と、グラス一杯の水しか呉れないので気をつけましょう。さらに韓国からの来客を連れて銀座の「ジャルダン」に行ってムール貝を食べたことがあります。複数回行った稀な例。正直言うとその時は所持金が心配で、余り食べられませんでした。ムール貝は日本の磯海岸にゴロゴロしている貝の仲間ですが、あそこまで料理した人は立派。でも最近ジャルダンは閉店してしまいました。学生時代はお金が無いから、と思っていたら卒業後はさらに輪をかけて金欠病になりました。我々のグループの最後の言葉、いずれMAXIMへ行こうよ!とは何時実現する話やら。

学生時代に、東京に初めてできたピザの店にも早速皆と出掛けました。そういう店ではペーパー・ナプキンも置かない、ということを事前に聞いていましたが本当にそうでした。でも、やっぱりナプキン位は欲しいな!東京に初めてマクドナルドの店が出来た時も、良く覚えております。三越銀座店の一角に出来たそこで食すハンバーガーの、何とも言えない味わい。もっと古い時代、1957年晴海の見本市会場で初めてコーラというものを飲みました。でもアルコールが入っているかも知れないな、と勝手に考えて、頭をふりふり飲んだ(アルコールだったら記憶力も弱まるだろう、と疑ったため)中学生でした。学生時代に友人達と毎週のようにあちこちの料理を食べ歩き、デザートを探し回りました。その目的は「最も乳脂肪の多いアイスクリーム」を探すこと。銀座資生堂が有力候補でした。このアイスクリームへのこだわりは、むかし山口県岩国市の親戚が買いに連れて行って呉れた米軍キャンプのブルーシールのアイスクリームに、国産品にないフレーバーを感じ、それに狂喜したのがきっかけでした。要するに私は色々な味覚に好奇心を持っていたのですが、実は慣れていないから何でも珍しく、何でも美味しく思えたのです。

中華料理の世界はチョッと違います。これは私が産まれたのが台湾だから、ということが効いているかもしれません。私は数ヶ月だけ戦前の生まれなんですが(戦前というと少し不思議な気分)、1年半後に日本に帰ってきました。両親は現地で台湾料理に慣れ親しんでいました。油炒めなどを作っていると、ご近所の奥様に油をよくお使いですね、なんて言われました。実際中華料理はあらゆる点で美味しいと思います。これは毎日でも食べられそう。格安チェーン店に「バーミアン」というのがありますね。あれは良く食べに寄ります。中国では魚介類を生では食べませんね。どんなに弱火でも必ず火を通します。一番日本料理に近いのは湖南料理と言われますが、どこでも火を通します。うんと遠い土地にある、四川料理とか北京料理は味が濃いと言いますがそれらも美味しい。とにかく椅子とベッドの他は、全ての4ツ足を食べてしまうのが中国。

和風料理の世界に触れなければなりません。和風料理に興味ないように書きましたが、これは決して嫌いではないのです。和風料理というより、家庭料理が好きです。ナベ物なら、すき焼きが大好き。またさつま汁とか、けんちん汁、筑前煮といった煮物が大好き。またタケノコや、レンコン料理なら何でも好き。ふろふき大根、きんぴら牛蒡、各種の新しい漬け物、また巻き寿司やいなり寿司も大好物です。大根のみそ汁、玉子入りのみそ汁、またそれらを白飯と一緒にして作るオジヤも好き。要するにジャコの浮いた魚汁でなければ大概は大好物です。幕の内弁当も好きですが、あそこに鮭を焼いたものを同居させることもないのになあ、と思っています。鮭自体には別に抵抗はありません。学生時代から、駅弁大会をやる、というデパートの広告を見つけると、日曜日でもそれを買いに出掛けたものです。

肉を好むくらいタフな人種だったら、好んで聴く音楽もまたタフな音楽だろう、と期待したくなりますね。実際、西欧の大仕掛けの管弦楽や声楽、それも延々と続く大曲を聴くと、やはり肉でも食べなきゃ体が持たないよ、と言いたくなります。お茶漬けサラサラ、で済むとは思えない。でも日本人も諦めたら体力負け! 頑張りましょう! 少なくともワーグナーをよく聴く、と言った責任を取るためにも。

(以下は飲み物関係を記します)

フォルテ マーク

ブラジルでシェラスコの焼き肉を切り分けているところ。
ブラジルでシェラスコの焼き肉を切り分けているところ。




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