第3話 モントリオール会議:食欲に関する部分

(補足)
 赤字:今回新たに書いた文章
 黒字:過去の文章からの引用


ここから何回分かの旅行記の抜粋で、旅行終了後にすぐ書いたものです。多くは10年以上昔の話で、その旅行記から、食べ物に関する部分だけを抜き出したもの。だから料理の話が多いのですが、グルメ・ツアーかと勘違いなきよう。最初の話はモントリオール会議ですが、私は商売を変えつつあった時期ですが、古い分野も若干含みます。ここは英仏両語が公用語で、半分ヨーロッパみたいな雰囲気があって落ち着いた町です。物価が安く、食料品は米国の80%程度。あまりオーディオの話題は出なかったのですが、多くの人々と再会しました。

フォルテ マーク

(下記は1995年より収録)
6月4日(日)
コンシェルジェに聞いて会場になっている地階のサロンに赴くと、入口で早速米国YYY機構のWlに会う。ビールでも飲もうよ、と誘われたので手続きを済せてから、と答えた。参加費を前納してなかったので受付で支払う。当初は現金で払おうと思っていたのだが、TCでも受け付けると言うので米国ドルのTCで350ドル払う。1ドル200円時代に買って、残ったままになってた忌々しいTCを消化してせいせいした。予稿集等を受け取ってWl氏と共にラウンジに向かう。ラウンジにはテキサス・オースチン大学のGS教授夫妻と、ワシントン州立大学のJms教授、ドイツのレーゲンスブルク大学のフォン・PBN教授が座っていて、我々も合流した。僕が専門を変える予定だと報告し、皆でカナダ国産ビールで乾杯。

簡単な歓迎レセプションのあと、夕食を食べに旧市街へ行こうよ、ということになり先程のメンバーで外へ出た。先着の人達は昨日から来ているらしく安いフランス料理店を知っていると言う。僕はGS夫人と並んで歩いたのだが、彼女はここのロブスターは安くていいと言う。くねくねと遠くまで歩いて旧市街地に入り、大道芸人たちが大騒ぎをしているあたりでレストランを探すことにした。イタリア料理とフランス料理が多く、僕自身はイタリア料理でも構わなかったのだが皆さんはフランス料理にこだわっているようだった。セントローレンス河に一番近い並びの、角から2軒目のレストランで、2階はうるさいから1階で、ということになった。ロブスターの半身とステーキのついた皿で16.5ドル。サラダ・バーがつく。ここでまたカナダ国産ビールとなった。大きなピッチャーに入れて皆で小分け。しかしWl氏は黒ビールが好きらしく、途中から切り替えていた。フォン・PBN教授はフォンの称号を持つ家柄のせいか誇り高いドイツ人という態度が見え隠れ。オニオン・スープがお好みのようだ。僕も注文したかったが、閉店までに間に合わなかった。11年前レーゲンスブルクに下車する予定だったのが、雨と疲労で取りやめてニュルンベルクへ直行したことを告げた。教授はレーゲンスブルクの有名な少年合唱団のことを話題に出す。

随分遠くに来てしまったから自分では帰り道を見つけられない、ついて行くしかないね、と冗談を言いながら中華街を通り抜けるルートでホテルに戻る。GS教授はこの集会の初期からのまとめ役として有名な人だけど、直接会話を交わしたのは今回が初めて。なかなか気さくで良い人だと思う。

6月5日(月)
本日の全講演終了後は歓迎レセプションがロビーで開かれた。たいしたものが出たわけではないが、こういう手作りのパーティもいいな。ここでニューヨークYYY機構のAdに逢ったので、早速つかまえた。Ad氏は有名人だが仕事一筋、技術一筋(Bolts-and-nuts oriented という)という感じのパーソナリティの持ち主で、教育だの、社交だの、また文芸なぞには殆ど興味のない人という印象を漂わせている。一般に工学系の人によくあるタイプ。

6月6日(火)
日本のXXX機構のSS夫妻が椅子に座っていたので、夕食に誘った。夫人の都合はどうですかと尋ねたら勿論OKさ、と喜々とした顔を見せた。そして日本のNNN大学のTI教授、マサチュセッツ工科大学に留学中のOGW等も同行。旧市街を見るとなかなか洒落た町並みだ。フランス料理店に行ったら開店したばかりというところでボーイやウェイトレスが入口に勢ぞろいして待っていた。我々が今晩最初の客じゃ無いの?とウェイトレスに冗談を言いながら奥の窓側のテーブルにして貰う。もっともらしくワイン・リストを頼み、アルサーチェというのを僕が選ぶ。SS、TT両名は飲めないのをすっかり忘れていたので彼等にオレンジ・ジュースを追加して頼んだら、残念ながら今夜はグレープフルーツ・ジュースしかありませんと言う。それでいい。アルサーチェを選んだわけは、ロッシーニの「セミラーミデ」に出てくる女声の男役の名前だからですよ、と皆に知ったかぶり。ソムリエと対決する試飲も僕の役割に。料理は安いが量が多く、満腹する。ワインの追加はブラック・プリンスにする。OGW氏はマサチュセッツ工科大学での生活ぶりを披露する。料理は皆が気に入ったようだ。

6月7日(水)
今回のシンポジウムはHp教授の「手作り」だし、あまり形式張っていない。従って4年前のザルツブルクの時みたいに市長の挨拶もないし、ファンファーレもない。いつの間にか飲み始め、淡々と食事をする感じだった。ラムのリブ・ステーキがメイン・ディッシュ。ワインは量が少ないのでは?晩餐会には出ます、と言っていたST氏はついに姿を現わさなかったが、家族の世話で目が回っているのだろう。丸テーブルが結婚披露宴みたいに配置してあるのだが、僕はKNT大学のKY氏の横に座ってもいいかと尋ねる。ふと見ると旧友イタリア人のTRI君が通ったのであいさつを交わしたが、彼はレセプションには出席せず、友人を探しているんだ、という。

ようやくパーティにつきもののスピーチが米国EEE省仲間から出る。そもそも会場の中央に予約席というコーナーがあったのはこのためだったのだ。まずお馴染みニューヨークYYY機構のKNT氏(先祖はノルウエー人だそうで、ヴァイキング王のクヌートの子孫か)がWlの業績を称え始める。Wlが引退したので、この会をそれを記念した会合にすると言うのである。Wlは確かにこのシンポジウムの最初期からの世話人の一人だし、ワシントン勤めの経験も長く著名人だからこういう機会を持たれたのだろう。持つべきは友!

6月8日(木)
A会場ではXXセッションが始まり、ザルツブルク大学のSHR教授の講演を聞いた。前回のシンポジウムの世話人だが、ほとんど会場にいなかったという噂の持ち主。美人とみれば片端から誘っていたと囁かれた張本人である。美声で歌うようにゆっくり話すので耳に心地良く、つい聞き惚れているうちに全部終わってしまう。昔に比べて簡単に何でも測定できるようになったが失った情報も多いというのが主旨だった。横顔を見ていたら羽賀研二に似ているのに気がつく。最終セッションの座長だったのに姿を見せなかったというから、また赤いオープンカーで、どこかに行ったんじゃなかろうか。

午後のセッションはサーベイの話ばかりなので昼前、日本のKJM、KY、OGW、TMT 4名と早々と抜け出す。イートン駅の地下にある巨大なレストラン街で昼食にする。各国料理店が並んでいるビュッフェ形式だった。皆また中華料理を取りそうだったが、僕はイタリア店からホウレン草入りチーズ・パイと、サラダを取る。テーブルを捜していたらOGW氏は米国風のパストラミ・サンドイッチを載せた盆を抱えて来た。米国で暮らしているとこういうのが好きになるんですよ、とボストン暮らし中のOGW氏は言う。

セッション終了後ロビーで日本のXXX機構のMM氏が、もし同行する気があれば今晩は日本のKAW大学のSG教授夫妻と一緒に日本料理店に行くから6時に集まれという。この会食にはSG教授夫妻のほか、MM、KJM、KY、TMT、OGW、と僕が参加。1920年代にブリュッセルで開かれたソルベイ会議のことが話題になった。アインシュタイン、キュリー夫人をはじめ今世紀の物理学の教科書に登場するほとんど全ての有名人が参加した同会議に比べれば、今回のシンポジウムの会場に爆弾が落ちてもたいして歴史は変わらないか、と言って(寂しく)笑い合う。

SG教授(名誉教授)は現役時代に学生の発表が終わるごとに酒宴を開いたという。今日はKKU嬢の発表が済んだためだ。僕は中国籍のKKU嬢にあなたの日本語は丁寧だから気持ちがいいと伝える。実際この頃あれほど丁寧な話し方のできる若い女性は少ないだろう。KJM氏はイートン百貨店で買い物をし、美術館にも行ったそうだ。他メンバーはマギル大学に。SG夫人は当初おとなしいと思ったが、結構話し好きだ。SG教授は恒例だからと言って、漢詩を作文して皆に見せ、諸君も作り給えと言う。まるで旧制高校のノリ。

6月9日(金)
今日の午前中だけがXXと無縁のセッションであり、COSNを取り上げる。僕の講演もここでやる。基調講演はYYY機構で僕の先生だったKe(現在は北アリゾナ大学教授)のCOSN全般の話だった。ものすごい早口で話すので、内容を知らない場合はついていけないだろう。超新星の爆発から始まって地上観測までをカバー。僕にとって最も重要な情報は、COSNに含まれる鉄イオンは結果的には余り影響しないだろうという点だった。誰かの質問に対する答えだった。この点は日本人研究者間でも議論があり、中でも生物系研究者は鉄を過大評価する傾向があるのだ。

このセッションの座長はWlで、僕の講演は4番目。Wlは僕を米国YYY機構卒業生として紹介した。ポインタがうまく作動せずボタンを探っていたら最前列に座っていたKeが「K、これを使え!」と自分の携帯型ポインタを持って飛んで来た。この講演は自覚する限りは予定の90%以上できたと思う。ジョークを2箇所に入れておいたが、最初のは不発で2つ目ので笑ってくれた。僕の次にもう一度Keの講演があったが、彼は気を利かせて半分の時間で済ませ、遅れた15分を取り返した。ロビーに出たらKJMが一番いい講演だったと言ってくれた(お世辞でも有り難う)。その後、レセプション・カウンタで待っていた世話人Hp教授に会いに行く。

モントリオールにはオペラハウスが無く、1シーズンに3ツ位の公演がある程度。東京も似たようなものだが(初台の新国立劇場はまだ建設中)、これから行くニューヨークとは大きな違いがある。ホテルのレセプションに戻って荷物をピックアップ。エレベータで玄関に降りてタクシー乗り場に行くと、AdとドイツのRGが一緒に待っている。Adは僕にも同車を勧め、料金も払ってくれた。そのかわり自分が日本に行った時は奢ってくれ、と言う。いずれも飛行機会社が違って、Adはデルタ航空、僕はエア・カナダ、ドイツ人のは忘れた。月曜日にニューヨークで会うことを約束し、ターミナル・カウンタで別れた。

(次回はニューヨークです)




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