第4話 ニューヨーク会議:食欲に関する部分

(補足)
 赤字:今回新たに書いた文章
 黒字:過去の文章からの引用


モントリオールの次にニューヨークに立ち寄りました。下記に土曜日と日曜日の日記だけ紹介します。改めて思うのですが、モントリオールは幾分欧州のような雰囲気でしたが、ニューヨークはさすがにニューヨーク!全てがアクティブで、全てがエネルギッシュ。この中で暮らしていると、せかされるようになって、聴く音楽にも影響しそう。余り落ち着いて音楽に没入するって感じではありません。東京には渋谷の「ライオン」、池袋の「白鳥」、お茶の水の「ウイーン」等、多くの喫茶店がありました。私自身は学生時代の後半にこれらに時折通いました。「ライオン」の最大のお目当てはスタックス製のコンデンサー・スピーカ?ESL-6ですが、ややストイックな雰囲気があって、お客様が萎縮していたかも知れません。つまりおしゃべりなんて飛んでもないこととされました。

この「ライオン」と少し違った雰囲気が「白鳥」にありました。ここではかなり自由におしゃべりができたのです。休みの日には同級生のYOから「いま『白鳥』に来ているんだけど、来ない?」と電話が掛かってきたものです。まるで「アジト」。こう言っても御若い方々には分からないでしょうから解説しますと、当時大学紛争の真っ最中だったので、争う学生達のたまり場を「アジト」と称したのです。私達は当時中途半端な身分でしたので、関係なくは無いが、学生達のように深刻ではなく、楽天的でした。いわゆる団塊の世代とはほんの少しだけ、ずれていたのです。私の独断で申すなら、我々も楽天的だったけれど、本当の団塊の世代の言うことは、輪を掛けて楽天的な気がしました。他方、団塊の世代を公然と嫌っていた浅Dの著作「構造と力」なども、済みませんが私にはアピールして来ない。閑話休題。

さて「白鳥」に行くと大概もう一人の友人、HSが居ました。彼は必ずバッハの管弦楽組曲第2番をリクエストしました(彼はフルートを吹いていて、ランパルよりニコレが好きと言う)。彼はフルートの先生から貰ったという、銀製のものを大事にしていましたが、大概はそれは彼の身の側には無かったのです。というのは殆どの時、フルートは質屋の倉の中でした。決して金遣いが粗くは無いのですが、常に貧乏でした。周辺の友人達から借りまくり、翌月の奨学金が入るとそれで返済するから、また不足が生じるというありさま。悪循環です。彼の手帳にはギッシリと借金の記録が記されていました。大学教養課程の時の自治会委員長だったと聞きます。純粋な理論しかやらない人でした。一昨年幕張メッセで会いましたが、本当に善人です。「ウイーン」の方は一番先に姿を消した。「ライオン」も「白鳥」も立地条件が悪く、少々猥雑な所にありました。「ライオン」のように黙って聴け!という雰囲気は日本に多いですね。ジャズ喫茶でもそう言う所があるでしょう?ややオタクっぽい人の集まるところ。

フォルテ マーク

(下記は1995年より収録)
6月9日(金)
ニューヨークでは、エディソン・ホテルの予約がうまく行っていなかったようで、しばし待たされる。なにしろ75ドルで泊まろうというのだから。珍しくボーイが荷物を運んでくれる。最近ボーイが出てきたホテルがあるかしら。相変らずこの町は汚いねと言ったら、ボーイは、でもニューヨークは大好きだと言う。ニューヨークには何でもある、世界中の金がニューヨークにある、と言う。同感だ。文字どおり世界中のチャンスがこの町にあるのだ。

チェックインしたらすぐにリンカーン・センターに向かう。まずステート・シアタを覗いたが、バレエの季節だがさほど興味のない出しもので、パス。メットは休みの季節で何もやっていない。例のギフト・ショップで日本未発売のビデオを幾つか物色して買う。テバルディ主演の「運命の力」、同じくテバルディのオムニバス集、レイラ・ジェンサーがコソットと組んだ「アイーダ」、アンナ・モッフォ主演の「ランメルムーアのルチア」、そしてビヴァリー・シルズ主演の「椿姫」のVHSテープ群。コソットがソプラノ・パートを歌ったCD。そしてモッフォ、シミオナートのサイン入りポートレイト。これらを入手。メットはアメリカン・バレエ・シアタの前宣伝をしていたが、プリンシパル・リストを見ると、かつて見た人で残っているのはシンシア・ハーヴェイだけ。エイブリー・フィッシャー・ホールでも何もやっていなかった。その足でカーネギー・ホールに行ったら、コメディー・ショウをやっていた。

6月10日(土)
朝食を食べにタイムズ・スクエアに出る。朝の街路は夜来のすえた匂いと、洗剤のような匂いがするが、この混乱と猥雑さを感じさせるところがニューヨークの魅力なのだ。イタリア系のSharroで朝食。リング・ドーナッツと卵、ベーコン、フルーツ・サラダ、7-upとグレープ・ジュース。やたらと咽が乾く。しかしジュースは多すぎ、バッグに詰めた。

町中ではローラー・スケートで走り回る人が多いが、70歳とも見えるお婆さんがタンクトップ姿にリュックを背負ってさっそうと走り回っているのに、だれもチラと振り向きもしない。皆が自分の目標に向かって必死で頑張っている町、それがニューヨークであり、見方によっては冷たいまでに他人の生き方に構わないのがニューヨーク流である。僕はそこに最大の魅力を感じる。パトリック教会の側にあった屋外カフェテラスで昼食をとる。ホテルのガーデン・レストランらしく、屋外とは言えタキシード姿のボーイが案内する。マンダリンズ・チキン・サラダとハイネケン・ビールを注文。サラダは巨大だった。予めボーイに量加減を尋ねておいたのだが、こんなに大きいとは思わなかった。イタリアかスペイン風の容貌をしたボーイだったが、もう1本ハイネケン・ビールを追加する羽目に。

その後マジェスティック劇場に行って「オペラ座の怪人」のマチネーの切符を買おうとしたら、日曜は休みだとか。仕方なく隣のシューバート劇場で「Crazy for you」の切符を40ドルで買う。バルコニー上方だから平土間は見えず、舞台だけ見える。幕間に地下トイレに行ったついでに、シャンパンを買って飲む。このミュージカルはタップが多い古典的なもので、全体にダンス優先で歌は上手くない。それでいいと思う。

6月11日(日)
結局プラザ・ホテルの側まで戻り、ヒスパニック・パレードをしばし見物。あの気取った5番街がヒスパニック(警官、消防夫等のスペイン語系)で埋め尽くされ、5番街の公用語はスペイン語となった。100万人いたと言っても信じよう。おかげでセントラル・パークはガラガラだ。人垣をかき分けてようやく5番街を脱出して7番街に。とあるカフェテリアに入って好物のコーンドビーフ・サンドウィッチを食べる。それとフルーツ・サラダ、ビール。そのサンドウィッチの巨大なこと。パンは普通なのだが厚さが10cmはあろうかという代物。よく数えたら、コーンビーフが16枚も重なっていた。必死でほうり込む。でもこういうの、大好き!

マジェスティック劇場で「オペラ座の怪人」の今晩の切符を67ドル75セントで買う。高いな。一旦ホテルに戻ったら、もの凄い数の団体が到着したところだった。再びタイムズ・スクエアに出たら雨が降り始めたので、方々で雨宿り。ブロードウェイと7番街の交差する所(三角形の島)にあるビルの3階にエレベータで昇り、イタリア料理レストランに入る。今日はビールはやめて赤いキャンティ・クラシコ・ワイン。それにエンジェル・ヘアというパスタ、イタリア・ソーセージとパンとアイスクリーム。パンはおいしかったが、エンジェル・ヘアは失敗。前にロックフェラー・センターで食べたのと同じパスタを避けるため、これにしたのだが、もう少し歯応えのある方がいい。全体に多すぎて満腹だ。

マジェスティック劇場には1時間前に行って雨やどり。この劇場に来たのは1985年の「42番街」以来だ。入場と同時にトイレに。ソプラノがオペラ風に歌いあげるが、全体に粗い。オペラとしては不徹底だし、ミュージカルとしてはダンス・シーンが乏しい。最後にほとんどの観客がスタンディング・オヴェイションで立ち上がっていたが、僕は頑固に座って過ごした。それほど感激しないもの。隣に若い日本人女性が座っていたので尋ねたらインター・コンチネンタル・ホテルに泊まっていると言う。それじゃお金持ちですね、と言ったら化粧品メーカーの研修旅行だとか。タイムズ・スクエアの角を回る時に近所の劇場の「くたばれヤンキース」の看板が目立った。ジュリー・ルイスの最終公演シリーズだという。すてきなマリオット・マーキーズ・ホテルを横目に、安っぽいエディソン・ホテルに戻った。

(次回は1997年のドイツのヴァハトブルクへ話が飛びます)
フォルテ マーク

NY市ブルックリンのコニーアイランドの食料スタンド
NY市ブルックリンのコニーアイランドの食料スタンド。こういう庶民的雰囲気はNYの特徴。
1979年:著者撮影




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