第5話 ヴァハトブルク会議:食欲に関する部分

(補足)
 赤字:今回新たに書いた文章
 黒字:過去の文章からの引用


これはドイツ・ライン河のほとりにあるヴァハトブルクという小さな村で開かれたCOSNの会議に出席した時の記録です。私の商売換えは着々と進んでいて、この会議に出たことでほぼ達成しました。但し会議それ自体は手作りでしたし、出席した以上は座長等を振られた時は引き受けなければなりません。私もこの会議で飛び入りの座長をやりました。ライン河には特別な思いがあって、この時を遡ること15年前に、ライン河を見る為にわざわざ途中下車したことがあります(この時私は3週間の休暇旅行中)。ボッパールトという名前の保養地でした。有名な所なのに、何がある訳でなく、小さな駅です。またそこで何をした訳で無く、ひたすらベンチに座ってボンヤリと河オモテを眺めていまいた。ワーグナー「指輪」のジークフリートの旅はどこを遡ったんだろう、多分この辺りではないのか、等と考えながら。ライン河って、もう少し上流にはローレライの岩がありますが、余り凄い急流があるわけで無く、変化に富むとも思えない河でした。だからワーグナーって凄い想像力の持ち主だったんだな、という感想を持つに至ります。日本だったら江の川とか日野川といった山陰地方の川に思いを寄せ、そこからヤマタのオロチを想像するということです。針小棒大な想像力。この分野ではやはり欧州人が強い。ヤマタのオロチなんて日本の想像力も大したものなんですが、それを楽劇形式で残そうとはしなかったのですね。惜しい!

実際にライン河を眺めて思ったのは、これはピッコロ等の笛の音だと思ったことです。小さな音だけど、絶え間なく続くのです。こういう河で怖いのは、万一の大雨。そうなればイチコロです。付近は平野ですから、たちまちにして水に覆われます。ジークフリートとブリュンヒルデを焼いたあと、ライン河が大洪水を起こしますね。あれです。だから近景で楽しむというより、「指輪」などは遠景を楽しんだ方が良いのでは、という結論になります。そしてオーボエやホルンの音!これらを抜きにワーグナーを論じられません。現場を見てその意味が分かったような気がしました。普段あまり意識していないことを思い出させてくれた貴重な2時間でした。なお下記には食べ物の記事だけを並べたので、それとの相関は御想像下さい。

フォルテ マーク

(下記は1997年より収録)
3月4日(火)
7時から朝食に1階の食堂へ出る。日本のSW大学のDK、NPM 大学のOT両教授が食事中だった。今朝は僕もブレザーにネクタイ付きだったもので、OT教授はチラと見て「今日はきれいな格好ですな」と宣う。(昨日までは僕はジーンズ姿だった)ウエイトレスに紅茶を頼み、あとはビュッフェでチーズやハムをかき集める。ニワトリの縫いぐるみの横腹に手を突っ込むと茹で卵が取れる仕掛けになっている。ピーナツバターみたいなのをとったら、ベタベタして指が汚れた。そのうちCOR機構のTN氏も現われ、トーストとコーヒーのみ取る。彼はアレルギー体質で、魚貝類は全くだめ。海老、蟹、牡蛎などはおぞましいと言う。遅れて若いKOM氏と、SW大学のHHS助教授が現われた。HHS氏とはこれが初対面。食事後、OT氏はウエイトレスにコーヒーを運んで貰い、僕と二人で話す。

入り口で、世話人を務めるドイツASR機構のRZ博士が各人の名札をくれ、奥から2人目の席を取ったが、僕の右側にはスイスPSIのZR博士、左側にはフランスのJFB博士が座った。全部で26人程度。ドイツ12、日本6、フランス2、ロシア2、ベルギー1、スイス1、ブルガリア1、ハンガリー1、あとは交代でドイツ人の若い人が出入りする。

昼食は日本のTN氏、ドイツのMYR博士と3人で取る。食欲がないが、メニューには「食欲の無い方のためのコーナー」というのがあり、パスタを1皿だけ注文。今回の会議の特徴はアングロ・サクソンが皆無なことである。MYR氏に聞いてみたら、英国は国内事情で外に出られないのだろうと言う。元々ENS機構の中でも英国はそれほど熱心ではないようだ。幾つかの国立研究所や企業が協力している程度。米国からはNNSA機構のBDW博士が来るはずだったが、BDW本人が癌手術を受けたばかりで欠席したと言う。MYR氏の身長は座ると日本人と大差ないが、実際は随分長身の人だった。

ディナーは着席式で、僕の右はスイスのZR博士、左はロシアのPV博士だった。ZR氏は日本に来て実験をしたことがあるという。僕が今回公用旅券のため、帰りはパリで数時間も空港内で過ごさなければならないとボヤいたら、EU内の移動なら問題ないはずだよ、という。しかし帰国後にそれを検査のため提出しなければならず万一パスポート・コントロールで判を押されたら、また私用旅券は使えないことになっているし、等々と説明したら、まるでロシアだね、と言われた。赤ワインをお代わりしたが、ケーキは辞退したところ、ZR氏がどうして食べないのか?と尋ねるので、ダイエット中なので、と煙にまく。お開きは夜9時頃。食物は無料だが、飲み物は自己負担であり、お代わりすると、ボーイが飲んだ人のコースターにメモを書き込んで行く。ノンべえと下戸を区別できるのは合理的だと思う。まだ早いが、さすがにくたびれていて、時差を感じ出したので、今日もまた9時半に就寝。

3月5日(水)
夕方6時ごろになってようやくレセプション会場へ行こうということになった。会場は3階建て程度のビルで、その2階でビュッフェ式のディナーとなる。部屋の外のホールに色々な食物と飲み物が並べてあり、部屋ではテーブルに座って食べる。僕はドイツ人の若いスタッフの左隣、ベルギーのHX氏の向かい側に席をとる。COR機構のKOM氏もやってきて僕の左側に席を取った。

ベルギーのHX氏と話をしていて、彼がクラシック音楽ファンということが分かる。ヘンデル等のバロック音楽が好きだという。バッハの話も出たが、彼はブランデンブルク協奏曲が気に入っていて、中でもカール・リヒター指揮のものに愛着ありと言う。自分では何も楽器を演奏しないらしい。今回初めて音楽の話題が上って、楽しく時を過ごしたが、我々の話を聞いていたKOM氏は目を回していた。赤ワインと白ワインを交互に飲んだのだが、日本式に彼らも他人のグラスにワインを注ぎ足すのは意外。ベルギーの特殊なビールの話題も出たが、KOM氏推奨のビールを最後に飲んだあと気がついたら、ノン・アルコールと銘打ってあったので互いに驚く。デザート用にはチョコレート・ムースみたいなのを食べたが、僕を見てスイスのZR氏が、おやダイエットはやめたの?とからかう。またバスでホテルに戻り、KOM氏と一緒に地下のバーに行く。もう食事は出せず、飲み物だけですが、とボーイに念を押されたが、それで結構とピルス・ビールを注文。そこへTN氏も参加した。そのうちフランスのJFB氏らも現われる。

3月6日(木)
昨日ワインとビールのチャンポンで飲んだツケで、2日醉の症状が出た。ベッドから出るのがつらい。今日は朝食は止めようかとも思ったが、シャワーまで済ませると、少し楽になって結局食堂に降りた。OT、DK両教授が食事中だったが、僕はトマト、キュウリ、小さなパン2個、バター、ミルクのみ食べる。

宇宙飛行士の被ばくの多くはヴァン・アレン帯のせいだが、そのヴァン・アレン帯が発見されたのは1960年頃であり、それ以前は何を考えていたんだろう?という素朴な疑問を出したら、ヴァン・アレン帯は1960年に形成されたのさ、という笑い話が返ってきた。同じく、宇宙線強度の11年周期変動は太陽活動のせいだが、1700年以前は太陽活動が大人しくて黒点も観測されなかったこととの関連は、という疑問に対しては黒点は1700年に初めて形成されたと思えばいい、と言う。そこに秘書がハードコピー集を製本して届けてくれた。結構立派に見える。RZ、MYR氏らが挨拶に来て、今後のコンタクトを約束して皆とお別れ。

若いKOM氏は留学中の先輩と逢う約束があるからといって先に外に出ていったが、窓からその先輩の姿がチラと見えた。KOM氏はあの細い体で宇宙飛行士になるのを夢見て、COR機構に入ったそうだ。結局最初の審査では落選したそうだが、まだあきらめていないようだ。もし宇宙飛行士になったら、体中に穴を開けて各種センサーを埋め込むぞ、とか肺も一つ潰して測定器を入れなくちゃ、とか散々からかわれた。6時半ごろになって日本チームだけで再度村のレストランへ。遠い方のレストランに入ったが、基本的にはパブ風のつくり。ドイツ語のメニューしかないし、太ったウェイトレスもドイツ語しか解さず。そこで独会話の演習となる。狂牛病の祟りが続いていて、未だに肉料理は豚ばかり。またもやシュヴァイン・シュニッツエルを注文した。それも日本風のぶ厚いトンカツみたいなもの。ワインは赤にした。そこにロシア・チームが来店して後の座席に座る。右隣の仕切られたコーナーでは地元のドイツ人達がカード遊びに興じている。最近、少しアルコールに弱くなったと自覚している。たいして飲んでいないのに、醉いが回ってきて、少々頭痛がして気分が悪くなった。気分直しにアイスクリームを注文したところ、3月一杯はアイスクリームは置いていないなどと言う。やはり田舎だった。

3月7日(金)
会議終了後、SW大学のHHS助教授と一緒にタクシーでボン駅に向かったが、その運ちゃんが英語がダメだと言うので、仕方なく独会話演習30分という最長記録を作ってしまった。一緒にボンの町中を歩き回り、有名なベートーベン・ハウスの中も覗いた。そこでワーグナーの「ラインの黄金」にある「ラインの乙女」みたいな銅像と出会う。空港では、彼はKLMでアムステルダムに、そして僕はエール・フランスでパリへ向かう。そもそもドゴール空港では特定の航空会社が決まったカウンタを持っているわけではなく、時々刻々とカウンタが指定されて、そこに店開きするのだ。だから数時間後の便のカウンタなど見つかるわけがない。レストランはCターミナルのもので、ボルドーの赤の小瓶と、チーズ盛り合わせ、茹で卵とレタス、という組み合わせ。これを味わいながら日記をメモ。まだ時間はたっぷりある。そのうちターミナルにはジャルパック御一行様がウンカのごとく沸いて出てきた。若い女の子が多い。僕の左側はジャーナリストっぽかったが、僕はCOSN測定の用事があったので、それをしながら、これは仕事だと説明。とたんに、矢継早に質問攻めに逢う。やっぱりこの女性はどこかの回し者に違いない。COSN関連のことはもっと電波で宣伝してはどうですか、とか色々言われた。こちらも調子に乗って宇宙のビッグバンから、地球磁場の運命まで喋ってしまう。例によって帰国便も眠らず。

(次回は、1999年のブダペストへ話が飛びます)
フォルテ マーク

ドイツのライン川に夕日のかかる光景
ドイツのライン川に夕日のかかる光景。




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