第7話 ウイーン会議:食欲に関する部分

(補足)
 赤字:今回新たに書いた文章
 黒字:過去の文章からの引用


これは私がまだ商売を変えつつある時の記録です。ここは食べ物に関する記事を抜き書きしたもの。忙しい中でしたが、墓地に行ったり、ベートーベンが自殺を考えたというハイリゲンシュタットに行ったりしています。ウイーンは全く欧州です。ニューヨークとは全く異なります。全てが観光化されていますし、外国人の方が住む人達より数の上で目立ちます。日本人でも安心して行ける街。ただしウイーンには、元々志あった人が本来の目的を忘れてしまい、観光ガイドに転向してしまう例も多々見られます。

ウイーンでは何もベートーベンやブラームスばかりじゃないのです。国立オペラではワーグナーもやりますが、特に有名では無い。あれはウイーンフィルが有名だから、その為にこそワーグナーの聖地の一つに数えられているのに過ぎないと思います。むしろヨハン・シュトラウスやレハールの街と言うことも可能です。R.シュトラウスを受け入れられるかどうか、にも依存します。やや甘い音楽、そして砂糖が上に掛かったような味わい。それでもウイーンは魅力的です。甘さを出せる装置が欲しくなりますね。あまりrigidでなく、もう少しゆとりのある音。実際ウイーン製のオーディオ装置はそういう味わいが有るようです。AKGの製品なんか全くどうということ無い音なんですが、そもそもウイーンではオーディオ装置を競うという心が(あっても)寂く思えるのですよ。

でもウイーンの公園のベンチに座っているとワーグナーは少し重すぎるような気になってしまいます。モーツアルトだったら良いのですが。モーツアルトでは何が良いか、と言ってすぐに頭に浮かぶのはクラリネットと、フルートです。こういう木管楽器に惹かれるのは私だけでしょうか。やはりウイーンにトランペットとか金管楽器は相応しくないと思うし、私はモーツアルトのクラリネット5重奏曲やクラリネット協奏曲が大好きです。あれこそウイーン暮らしに、テーラーメイドで似合うのでは、と思います。

フォルテ マーク

(下記は1997年より収録)
4月12日(金)
途中ロンドンで降りる。コヴェント・ガーデン地区ではロック・ガーデンというレストランに入ってパストラミ・サンドイッチを食す。あとミラー・ドラフト。サラダはやめた。生ビールが冷え過ぎだ。今宵はR.シュトラウスの「アラベラ」。アラベラ役は最近世界を制覇した感のあるシェリル・スチューダーだったが、やや細目の良い声だった。幕間が30分と40分あり、初めの幕間休憩時間には赤ワインを飲む。あとの方ではシャンパン。12ポンドした。13年前に初めて見た時と比すと、観客の衣装が劣化したか。当日券を入手しての見物だから、回りの席の人(「いつもの席」を購入している定期会員達)から見ると、私の席には自分達の知らない人が座っていて、いつもと違うと思ったんじゃなかろうか。彼等の服装と、飛び交う会話からそれが読み取れる。正面の3列目、指揮者は目前だった。終わったのが夜10時55分ごろ。荷物をパックアップした。眠い。

4月13日(土)
ウイーンの国立オペラは、もう開演1時間まえ。今日は「トスカ」。ケルントナー通りに出て、結局はブリストル・ホテルのカフェに入った。ビール付きのサンドイッチ。それからオペラへ正面から入った。なかなか席が見つからず。案内書に記してある左と右を間違えたみたいだった。1階端のボックスの、内側の端だから、舞台は殆ど見えなかった。その代わり、オーケストラは良く見えた。新米らしいのが、シンバルのために出たり入ったり。14回たたく。良く透るマーラ・サンピエーリの声、ドヴォルスキーの声。ザンピエーリはなかなかドラマティクな表現をしていたと思う。おなじボックスに日本人の中年女性が一人いた。今夜の切符の当日買いは大変だったとか。何かホセ・カレラスの「おっかけ」をしているらしい。昨日それを聴いたという。この席は要するにPartial Viewだったのだ。見えなくて当然だ。2幕、3幕は立ち見をする。幕間にゼクト・オレンジとシュヴェップスのレモネードを飲む。外に出たら雪交じりだった。ホテルに戻ってバーでアイリッシュ・カフェを飲む。

4月14日(月)
8時半に食事に行こうと食堂を探していたら、ボーイに地下にあるレストランへ行けと指示された。黄色い食券の持ち主を区別したいようだった(個人客専用か)。シンケン(ハム)はいいが、ケーゼ(チーズ)はまずい。コーヒーはポットで貰う。ジュースはお代わりした。

ピルグリム通りから地下鉄Uバーンで、オペラ座に行き、そこから墓参りをする。歩いて71番Sバーンに乗り、中央墓地第2入り口で下車。驚くほど人が少ない。やっと見つけて一旦外に出て、花を4束買う。ベートーベン、モーツアルト、シューベルト、ブラームスに捧げるためである。中国人が3人やって来たのでシャッターを押して貰う。上記4人の楽聖達の横にグルックの墓を見つけた。それからオペラ座まで戻り、アルカディアで買い物。ケルントナー通りを歩いて、オリンピア・レストラン(Zipfer)で食事。前の席は日本人カップルだったから遠慮した。奥の席に行く。赤ワインとウイーナー・シュニッツエルを食す。ここでホーフブルクの会場を探した。ついでに買い物。一旦ホテルに戻り、コートを来てハイリゲンシュタットに行く。ここはホイリゲとかベートーベン・ハウスで有名である。教会があり、ベートーベンはそこの鐘の音がきこえなくて絶望したという。有名なハイリゲンシュタットの遺書の由来である。通りの名前をエロイカ・ガッセという。僕はそこの備え付けのノートに、「万感の想いを込めて」と書いた。ここには第3交響曲「英雄」の手書きの総譜が、ナポレオンの名前を消した表紙付きであった。「熱情ソナタ」の手書きの楽譜もある。失望せずに済んだ天才なんていない。人生は成功と不安の繰り返し!

ナッシュマルクトで下車して、トルコ・バザールの店をあさる。よくもまあ、こんなガラクタを揃えたものだ、と思う。ホテルに帰って入浴。それから今晩の出し物である「愛の妙薬」を見るために出かけた。10分前にロージェに入ると子ずれの若い女性を見て、ドイツ語で挨拶したら英語にしてくれ、という。フロリダから来たという。ネモリーノは市原太朗みたいな顔をしていた。アディーナ役のRustは若く、細く、声も青かった。舞台はまるでホイリゲみたい。昨日と違い、奥まで見えるが、完全ではない。また幕間にはシュヴェップスを、次の幕間にはシャンパンを飲む。シャンパン・フロート・グラスを片手に持って、鏡の間、コブランの間と歩くが、知り合いには逢わず。皆忙しすぎるのかな。ホテルでは、またバーに行く。赤ワインを飲む。ピアノが鳴っていたが、一曲毎に拍手をしなければならないのは面倒だ。

4月15日(火)
会議そのものは荘重なものだったが、開会式で、上階からファンファーレが聞こえた。急ぎAホールにいってSVT賞がBEN(スエーデン)に与えられたことを祝う。7人のトランペット奏者が鳴らす。ポスターのあと、コーヒーを飲んでいると、YYY機構の後輩HY、FURの両氏が来たので、またEDYセッションに戻った。友人達との昼食はハンガリー風グラーシュ(グヤーシュ)だった。

会場で米国のGl女史を見つけた。3時15分からD会場でミニ・プレゼンテーションがある。16-17時15分まで、ポスターセッションである。ユーゴ人につかまる。日本のTeさん不在で、代わりをつとめる羽目に。カナダ人の老人もいた。D会場のまとめのセッションあり。Glが座長だった。ここでFUR氏と一緒にブリストルのカフェに行く。HY、FUR、KROの各氏と一緒にアウグスティーナー・バーへ行く。ここでロゼと赤ワインを飲む。HY氏はオペラ・ハウスに向かう。それからシティ・ホールへ行く。GlをFUR氏に紹介した。レセプションの後で、KJM夫妻、FURともう一度アウグスティーナーへ行く。今度は白ワインを飲む。夜12時にホテルに戻った。

4月16日(水)
6時半に起床。満腹のため、ジュース3杯と洋ナシ程度。食後、またチョコレートを買おうとしたが、オーストリアでは何でも高いよ。

(次回は1999年、米国カリフォルニア州のパームスプリングスへ話が飛びます)


フォルテ マーク

オーストリアのハイリゲンシュタットの風景。遠方左側のベートーベン・ハウスに旗が垂れている。
オーストリアのハイリゲンシュタットの風景。遠方左側のベートーベン・ハウスに旗が垂れている。




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