第8話 パ−ムスプリングス会議:食欲と関係する部分

(補足)
 赤字:今回新たに書いた文章
 黒字:過去の文章からの引用


今度は一転して米国西海岸です。昔「パームスプリングスの週末」というトロイ・ドナヒュー主演の青春映画がありました。あれをTVでやっていたから録画して見たのですが、何ともとりとめのない映画でした。ただ本当だ、と思えたのはプールの存在ですね。パームスプリングスにはプールが相応しい。でもあれを維持する為に、電力会社は風力発電等に努力をしているように見えました。近所の山並みにそって風力発電機が沢山見えるのですよ。街そのものは砂漠の真ん中にある田舎町です。どうしてこんな所に町があるのか、と疑いも出て来ますが、米国人は人の余り住んでいない所に家を建てるのが趣味みたいです。でもロサンジェルスからここへ行こうとすると大変です。車なしには生活できないのです。私はタクシーで行きましたが、ガソリン代の安い米国でも実費180ドルかかりました。町中が紫色の花に満ちています。それだけ見れば申し分ないのですが。

ここでは近隣のロマリンダ大学でワークショップが開催されたのですが、ロマリンダの特徴はそこが米国の特殊な宗教に支配された町だってことです。コーヒーもダメ、アルコールなど全く問題外という厳しいところ。これと関連して思い出すのは、近所のユタ州がモルモン教の本拠地であり、彼等もまた色々と戒律を持っていることです。砂漠のあるところって色々宗教戒律があるのですね。昼食時に何で皆は果物ジュースばかり飲むんだろう、と思ったのですが、その秘密が分かりました。でも実際にはセクレタリアートの方で、コーヒーをこっそり運んでいましたし、それを分けて貰いました。

ここでのんびりと暮らせたらいいな、と思ったのも事実。生活感が無いのです、時間はゆったり流れていきます。楽器は何が、とか演奏家は誰がとか、オーディオ装置はどうとかいう議論はしても仕方がないと感じました。人生そのものを見直す場所っていう感じです。あの開放的な所だったら、放っておいてもJBLの音になるんじゃないでしょうか。ここで初めて、タンノイの湿っぽい音は、相応しくないという気がしました。それにこういう気候ではワーグナーを聴こうという気にならないんじゃなかろうか。気候は音楽の好み、オーディオの好みを支配するかも知れないと思いました。

フォルテ マーク

(下記は1998年より収録)
5月13日(水)
ロサンジェルスに着いてから、タクシーでパームスプリングスまで行く事にした。タクシーは高く、180ドルもした。紫の花が多かったがあれはリラだろうか。ホテルにチェック・インして屋上から眺め、写真を撮った。お土産屋とコーヒー・ショップは空いていた。ミニ・バーからノン・アルコール・ビールを2本とったが、意外に美味しかった。さらにミニ・バーからシュヴェップスを1本取る。パワー・ブレックファーストをとったらイチゴの付いたもので甘い。要するにソーセージなのだが。午後は殆ど寝て過ごす。プールがあったが、泳いでいたのは子供と女性だけ。近所であったコンピュータ・ショウを見に行ったら、入場料が5ドルだった。そこから出る時、再入場のための星マークを手に付けてくれる。生活感の無い街。パティオは予約で一杯だった。そこのスペイン・レストランで赤ワイン(アルコールなのに!)を飲む。またシーザー・サラダ、おいしいソーセージの味がするスパイシー・ミートローフの赤ワイン煮。お勧めはシーザー・サラダで、黒胡椒がかかっている。スペイン風というのは、何となく食べているとドン・ジョヴァンニを思い出させる。同業者にはまだ逢っていない。ワインのお代わりをする。ラズベリーのシャーベットとコーヒーを食す。

5月14日(木)
パームスプリングスの近くにある、会場のロマリンダ大学で米国のMRRに逢う。またセクレタリーのPS嬢はすぐに分かった。また日本のRR機構のYGY夫妻とアルゼンチンのVASにも逢う。左に米国BDWが陣取っており、座長は同じく米国Smgだった。僕は自分の講演で5回笑わせることに成功した。あとでBDWに逢ったら、褒めてくれた。VASからも。ここでは(1)我々の装置の説明、(2)生物屋はデータを待つのみで、そのデータの中味に関しては楽天的であること、(3)ネズミの目の隈は何故ついたか、(4)シャンパンを飲むのは誰か、(5)物理屋は生物屋を皮肉な目で眺めていること、という趣旨の話をした。終了後オリエンタル・ルームでVASと再会。

5月15日(金)
昼食は日本のRR機構のYGY、ドイツのKIF、ブルガリアのDAV、ロシアのPVらと。ここの特徴として、コーヒー等はない。この街はThe Seventh day Adventistsとか言う土曜日をメインとするキリスト教再降臨派が牛耳っているため、コーヒーとかアルコールとかはダメだそうだ。アップル・サイダーを飲む。料理は地中海式をうたっていたが、何か中近東風。即ちシュシュカバブとかである。夕食はドイツ勢のRZ、TY、CUT、PSN、BDWなどと一緒だった。リンゴを食す。さらにホテルに戻って、RZ、CUT、BDWらと屋外でビールを飲む(但しビールはノン・アルコール・ビール)。

5月16日(土)
まずドイツのRZからワークショップの報告があったが、昨日よりは眠くない。昼食はホウレンソウと豆のピザ。ドイツのRZ、米国のSPS、ブルガリアのDAVと一緒だった。SPSは日本に行きたいという。RZはロンドンで寿司を食べると言っていたが、日本で寿司屋に連れて行くと約束。11月に案内すると約束。SPSはドイツ系だということが分かった。道理でRZとドイツ語でしゃべっていたもの。僕がスタシノプーロスというギリシャ人の書いたマリア・カラスの伝記を読んだよ、と告げたら、その著者は自分の親戚だ、と答えが返ってきた。こっそり受付で、本物のコーヒーを貰う。秘書のPSさん、有り難う。

米国のSmgは自分のテーブル近く、ロシアのPVの隣に座った。そして米国のCHA。僕は3度も宇宙に行ってきた女性宇宙飛行士EBRと一緒にツーショット写真に収まる。ここで12種類の質問をしたが、テキパキ答えてくれた。料理はサーモンと白ワイン。ロマリンダ大学のNEL教授夫妻がお隣り。娘のKCHを連れていたが、NELが目を細めて可愛がっているのを見た。今小学校2年生で、美術が好きだそうだが、パンばかり食べていた。

今日は物理の話だけだったので、僕は前から3列目に陣取る。日本のOT、YAY両教授は生物系なので最後列に。アルゼンチンVASが僕にユーザーズ・ミーティングに出る気があるかと尋ねた。VASは僕に聞きたいことが山ほどある、と言う。米国Smgより当会議の本体部分の閉会の挨拶あり。日本のYAY、OT氏と省庁合併の話をした。ブレークのあと、ユーザーズ・ミーティング。始まる前にNELが僕に何かしゃべってくれと言ってきた。そこで先頭バッターを飛び入りで勤める。ホテルに戻り、夕方6時半にNPM大学のOT教授がネクタイをして現れ、スペイン庭で白ワインを楽しむ。またシャンパンを取る。シーザー・サラダ、シュリンプ・フライ。夜10時まで話して楽しんだ。翌日は大変なスケジュールが待っているぞ。

(次回から4回分は1995年、ニューヨークで実験のため、大勢の日本人と一緒だった時の記録の一部です)

フォルテ マーク

米国西海岸のパームスプリングスの風景。バスの中からガラス越し撮ったのでややボケている
米国西海岸のパームスプリングスの風景。バスの中からガラス越し撮ったのでややボケている。



 
皆様
いつも読んで頂いてありがとうございます。当コラム「音楽のすすめ」では、全体の枠組みをまず示し、その細部を膨らませるという方法を取りました。ただ、この方法では何時でも、コトが起きてから時間が経って、過去の事件の集大成がなければいけません。

それが通用しない場合があります。それはリアルタイムの、その時の印象を残したい場合です。ここでは現在の情報をそのまま書く欄を用意することにしました。特に手紙は、コンピュータに残って居る限りそれを尊重しました。大橋様からの薦めで、やはりこれらの内容を留めておこうと決心しました。色々と考えた末、「雑記帳」という名前のその他Appendix扱いとすることにしたいと思います。

私自身がずっと悩んで来たことですが、それを大橋様のひと言で決心した、というのが真相です。「音楽のすすめ」は長大なものになってきましたが、そこで最も愛着があるのは、やはり最初の第1章「声楽編」です。もし第1章を終えた時に、そこで打ち切っていたら、それで全て終了していたでしょうが、もう少し伸ばして見ようか、と色気を見せたのがコトの始まり。新しい構成は下記の通りです。
     第1章 声楽編
     第2章 NY再会編
     第3章 飲食物との関係編(単独旅行編、団体旅行編)
     第4章 文学編
     第5章 声楽以外編(ピアノ編、最初の渡米録、最後の渡欧録)
     雑記帳 ありのまま編
第4章の内容の詳細はまだ未定ですが、方針は決まっています。今書いている第3章が終わり次第、その中身を明らかに記す予定です。また「雑記帳」は随時、飛び入りで書きますが、もし特に何も無ければ、予定通り第4章、第5章と書きつないで行く予定です。
千葉のF高

従って次回は、第3章の続きと、雑記帳の第1回目となります。但し雑記帳は、毎回はありません。
 



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