第11話 皆と一緒のNY(3/4)―グリニッチ・ヴィレッジで

(補足)
 赤字:今回新たに書いた文章
 黒字:過去の文章からの引用


(これは2008年の加筆部分)
これは我々訪問団の方で招待したパーティの記録です。やはりこういうパーティが必要だと思います。米国人もそれぞれ忙しい中を参加して呉れましたし、感謝すべきは、むしろこちらです。こう言う機会にこそ、本当のところを互いに知る可能性が高いからです。またお願いすることがあったら、こういう機会にこそ、すべきなんです。互いに良い気分になっているのですから。別に値段が高い必要はありません。米国公務員は100ドルを越えると収賄として取り締まりの対象になることを承知している必要があります。ここでは協力関係を続けることで同意していますが、また私はそれを信じますが、もう私がこの分野に戻ることはないと思うので、後に残った人達が、自分達でうまく協力を引き出すことが大切だと思います。私はこの2年後にもう一度YYY機構を訪問していますが、そのあとは米国でも他機関、また欧州諸国を集中的に訪れました。このように招待パーティという行為も、計算されたものですから、かなりシビアな問題を含んでいます。但し、もっと個人的な付き合いの場合は別です。その場合は思い切り自分自身をさらけ出した方が良いと思います。

フォルテ マーク

(下記は1997年の記録)
11月21日(木)
夜は、ニューヨークの顔であるタイムズ・スクエアのど真ん中のレストランで食事することにした。チケット売り場の向かいにあるイタリア・レストランの2階である。ここは結構空いている。テーブル2ツに別れて座る。僕のグループはキャンティ・クラシコ・レゼルヴェ・ワインを注文したら、残念ながらレゼルヴェはありません、と言うので普通のキャンティにした。まだ少し若い感じのする赤ワイン。でも結構美味しいので、隣のグループのMM氏にグラスで差し上げて呉れとボーイに頼むと、「びっくりプレゼント」ですか、と聞く。大概のメンバーの選択したメイン・ディッシュはステーキだったが、僕はまたもチキンで済ませた。ステーキは量が凄いもの。でもいい味だったそうだ。KJM氏はなぜか、ボロネーゼにこだわりを見せた。食事と雰囲気にすっかり満足。

皆元気を回復したようなので、あらためてタイムズ・スクエアに遠征した。どこかで足を休める場所を探そうというので、ぐるりと回ったあと、エディソン・ホテルの1階にある小さなバーに案内した。満員だったがバーテンに頼んでカウンタに場所を作ってもらい、MM、II、ST、SD4名は座り、あとはカウンタに寄り掛かる。僕はMM氏に、こういう所ではモンゴメリ・クリフトのように焦点の定まらない目つきで格好をつけて寄り掛かるものです、と入れ智恵をした(実は演出家ゼッフィレルリの自伝を読んだばかりで、その中にそのような記述があったのを思い出したのである)。誰もサマにならない。そして皆にマティニとマンハッタンをおごる。ただII氏はバーボンの水割り、TI氏にはカウアミルクの方がいいと言うのでそれにした。マンハッタンは甘口だったが、お代わりも甘口のマルガリータに。

II氏の隣には髭の長い、西部劇のならず者みたいな男が座っており、II氏は適当に相手をする。男はニューヨークでは何もかも旨く行かないなどとこぼしていたから、ひょっとするとバワリー街(夢破れた者が吹き寄せられるようにして集まるという、グリニッチ・ヴィレッジの東側の街)の住人かも知れない。いつの間にかII氏はピアノの側に行って、弾きながら歌っていた歌手のマイクを奪って、自らスティービー・ワンダーの歌を歌っている。その代わり歌手嬢のテープを買ったという。このバーも結構楽しかった。ニューヨークには様々な顔があり、色々なことが経験できる。明日は早くYYY機構に行って荷造りしなければならないが、1時間もあれば済むだろうと考え、ゆっくり朝9時20分にロビーに集合せよ、とアナウンスする。SD氏は明日はYYY機構に行かず、そのまま帰国するので明朝のチェックアウトや空港行きは自分でやって欲しいと伝えた。深夜12時過ぎにホテルの自室に戻ってからノースウエスト航空に電話して、全員の帰国便のリコンファームをまとめて済ませる。ただFT氏の名前が無いと言われたので驚いて、FT氏の部屋に内線電話を掛けたところ、彼は日航で帰るのだという。ノースウエスト便より10分早くに出発するそうである。ほっとする。本当に僕は添乗員気分。

11月22日(金)
コーヒーを飲んでいるとKNT氏がチョコレート・クッキーを冷蔵庫から出して皆に差し出す。昨日も食べた残り物だが、誰も取らないから僕が食べた。こういうのも添乗員の仕事。MM氏が肩を叩くから何かと思ったら、後の本棚に"Style of music"というハードカバーの本があった。パラパラめくってみると音楽史の順に音楽のスタイルの変遷を解説したものだった。中にオペラ「夢遊病の女」が引用されていたから、MM氏にホラ、モルガン博物館に楽譜があったでしょ、と思い出して貰う。ブルックナーの項もある。ところでこれは誰の本かとKNTに聞いたら、Wlの本だという。道理で、6月のモントリオールでは音楽のスタイルの蘊蓄を披露していたのだ。でも余り読んでいないらしく、ほとんどのページが折れていない。Wlは部長時代の半分の広さの部屋に移ったので、納まり切れない私物を集会室に置いているわけだ。

今日は皆をビジネス・ランチに招待してあるが、候補店はマンハッタン・ブリューイング・カンパニー。85年の円卓会議のランチと、86年の「秘書の日」に、YYY機構の面々と行ったことがある。ビール工場そのままの中にレストランがある。ディナーは要予約だがランチは大丈夫だろうとタカをくくって、まだ予約していなかった。そこで今日は朝から4度も電話したのだが、何度かけても"Your number XXXX has been disconnected. No more information is available."とテープが繰り返すばかり。困った。正直にAdに事情を話す。彼は自分で電話帳を調べてくれたが、僕の掛けた番号に間違いはなかった。ますます困った。KNT氏、Cにも事情を話す。結局別のレストランに行こうということにした。Adはスペインかメキシコ料理はどうだね、と言われたのでそこで結構だと答える。お客の方が案内する妙な事態になった。Adが珍しく今日に限ってネクタイなぞ締めているのは、ランチとは言え招待客だからだろう。

5階のエレベータ前で皆を少し待たせ、副所長室に行ってHを呼び出す。H氏は奥の部屋でスタッフ会議中だったが、秘書に予約してあると告げると5分待てと言う。Hはすぐに出てきて合流。彼は常にフランクで付き合い易い。日本人以上にウエットなところもある。彼が言うにはマンハッタン・ブリューイング・カンパニーは潰れたんだという。何でもニューヨークはハヤリすたりの回転が速い。ブリーカー通りのスペイン料理店に入る。Ad自身がまず入って14人分の席を確認してくれた。時刻のせいもあってここは空いていた。余り大きい造りではないが親しみやすい店だと思う。席の配置を予め考えていなかったが、これは肝心な点だから頭を急回転させて正面中央にAd、その向かい側にMM氏、その右にH、Adの右側にKNT、左側にC、MM氏の左にTU氏、僕はHの右側と指定した。本当は一人おきに日米が混じった方がいいのだが、言葉の事情がある。端にしちゃってすみませんとXX氏にあやまる。

ともかく飲み物はどうしようかと考えていたら、ボーイがいっそピッチャーにサングリアを入れましょうか、と言う。それで結構。ただしHとCは赤ワインにした。メニューの左側にはスペイン料理、右側にメキシコ料理が並べてある。彼らは量加減を知っているのか小ぶりの料理を選ぶが、日本チームはまるでディナーみたいに盛大なものを注文した。僕はムール貝の煮込みがメイン。Hが苦笑して、これじゃ晩御飯は食べない方がいいよ、と言う。TU氏が何を頼んだか忘れたが、Cがどうせチーズ抜きのチーズバーガーだろ?とTU氏本人に向かって言っていたのを思い出す。どういう意味だろう?

せっかく副所長たるHの隣に座ったのだから、彼にII氏を紹介する。いわく彼は大変野心的で、才能があり、ニューヨークにぴったりの人物だと。また左端にいたST氏も紹介し、近々スタッフに加わる予定のSTA君を含め、最大3人の日本人をYYY機構に送りたいから、よろしく受け入れを頼む、と申し入れた。これこそ今回の僕の使命だろう。Hはうなづく。Hは副所長としての仕事と機器部長としての仕事の2つを掛け持ちで大変だと言うから、どちらが好きか、と聞いたら人を動かすのも面白いという。AdはRRP会議が来年ウィーンで開かれ、その次はアテネになる、とアナウンスした。彼の親戚筋の家の近くだという。これは便利だ、日本からも大勢の参加者が押し掛けるから注意しろ、と警告した。

僕は、これは日米協力の第一歩であって、これから本格的な協力体勢になることを理解して欲しいとスピーチをした。Adは日本の経済力をあてにしなければならないしね、と言うから、日本はもう斜陽期に入ったよ、と返す。皆さんの御親切のおかげでワークショップが成功したと述べたら、Cがそれは世話人が有能だからだよ、と御世辞を言ってくれる。皆がレストランを出るのを一人ずつ見送り、ホストの役割を果たす。かくして米国人5名と日本人9名の全員が出たあと、あらためてお別れの挨拶を交わして、YYY機構での実験はほぼ終了。あとは週末のお楽しみが残っています。


(次回は、Thanksgiving dayの大騒ぎ見聞録がメインです)
フォルテ マーク

マンハッタンのグリニッチ・ヴィレッジ近く
マンハッタンのグリニッチ・ヴィレッジ近く。ワシントン広場の凱旋門が見える。
1979年の撮影だが、雰囲気は今でも変らない。




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