第13話 JFAの欧州訪問記(1/4)―ビジネス・ランチ

(補足)
 赤字:今回新たに書いた文章
 黒字:過去の文章からの引用


(下記は2008年の加筆)
私は一般的なテクニカルタームの通訳として、JFAから依頼を受けて、欧州訪問団に付いて行ったことがあります。約20年以上前の1987年の記録が残っていたので、それをご紹介しましょう。その際に書いたものをコンパクト化したものです。色々な考え方があることが分かります。人名等はできるだけ記号化し、場所も分からないようになっています。オリジナル全体の約3分の2の長さをここに紹介します。

まず北欧ノルウエーに行きました。夏でしたし、白夜で夜は10時頃まで明るい様子でした。でも昼間、海の光景などを見たのですがやはり暗い。どんよりと曇った天気。波は余り無いのですがこういう所で暮らすとなると、とにかく太陽が欲しい、太陽のある所へ行こう、と太陽ばかり考えるようになります。そこでは音楽もまた明るいもの、明るさを装った音楽が欲しくなります。どこかに暗さを秘めた、すっきりしない天気と気候。スカンディナビアに暗さを秘めた民話が多いのも無理駆らぬところ。フィンランドのトウオネラの白鳥、ノルウェーのペールギュント、はたまた童話ではデンマークのアンデルセンの雪の女王、等々。グリークが作曲したという作曲小屋にはスタンウエイのピアノがありました。例のピアノ協奏曲が出来たとき、おずおずとワーグナーに献呈したというエピソードも、いかに自信がなかったかを示していると思います。あの気候では、ああなりそう。


フォルテ マーク

(下記は1987年の記述)
6月23日(火)
ガトウィック空港ではヴィレッジ・インという喫茶室みたいな所でおなじみのビター(ビール)とサンドウィッチをつまむ。本当を言うと胃袋はもう目一杯に満タンだったから何も欲しくなかった。ウィンブルドンのテニスの中継をやっていた。ガトウィック空港から乗り込んだノルウエーのスタバンゲル行きのスカンジナビア航空の機内でも、再びローストビーフとぶ厚いスモーク・サーモンが出た。パンは半分残してしまった。頭痛が心配だったので今度はアルコールは一切断わる。小さな機体なので椅子の幅が狭く、右隣にいた二人連れのノルウェー人達は自らの巨体を持て余している。機内の音楽放送のパンフレットには英語と並んで日本語で「クラシック」とか「オペラ」とか分類してある。そこに「ビルギット・ニルソン編集による」などと注釈が付いているのを見て思わず笑ってしまう。強烈な西日が窓から差し込む。今日は夏至だそうだ。ロイヤル・ホテルとアトランティック・ホテル(元々同じホテルだったのが最近分裂した)の問題を解決して。ようやくホテルのルーム・キーを手に入れた時はもう真夜中を過ぎていた。

6月24日(水)   
朝4時頃から目がさめてしまう。シャワーを浴び、身支度をして窓から外の風景を見ながらこの日記を書く。ホテルの前には大きな池があってその向こう側に木造2・3階建ての小綺麗な人家が並び、石造りの教会の尖塔があちこちに見えるというところなぞ、全く絵葉書のような景色。この部屋の家具・装飾も全くの北欧調だ。訪問先では施設の管理人の自宅がバカンス中で空いていたので、それを借りてコーヒー・タイムとなる。思いきり大きなガラス窓が三方にあって日差しを全面的に取り入れるようになっている。もちろんガラス窓は全部二重になっていて気密性はいい。木材の感触と平面と直線を多用するところは日本の感覚に近く、ゴテゴテしないシンプルな空間になっている。例の北欧家具"イケア"のイメージそのままと言える。

試験場で見たのだが鱒の方が荒々しく、鮭はおとなしい。ノルウェー産の鮭は値段が高く、スモーク・サーモンとしてオランダに輸出されると1kgあたり9,000円になるというから日本の2倍だ。スタバンゲルから再び飛行機で20分ほど飛んでベルゲンに着く。ノルゲ・ホテル。夕方になって大変な人数の日本人団体客がノルゲ・ホテルにやってきた。定年を過ぎた年齢層が多いが、ホテル内のギフト・ショップで群がるように買物をしている。我々の中ではMH氏が、ひとに頼まれたとかでAhaのレコードのことを知りたがっていた。ガイドのKMIさんが言うにはAhaというのはノルウェーの3人組の男の子のロック・グループだそうだ。少し前に日本から20人ほどの女の子達がそれを聴きにやってきて、ノルウェーの町から町へ公演のあとを追って移動し、時には興奮の余り失神騒ぎを起こし、それが済むとノルウェーのセーターをまとめ買いして、地元の新聞に大きく報道されたそうだ。「それじゃセーターの在庫が無くなったでしょう」と誰かが言うと、「いいえ、彼女達はお金に限りがありますもの。中年の御婦人たちですわよ、買い占めるのは。一人10着も買うそうですわ」とKMIさんは言う。凄いな!

6月25日(木)
仕事のあとで乗ったベルゲン発のフィヨルド観光船「ホワイト・レディ」はドイツ人観光客で一杯だった。黄色いセーターを着たノルウェー人のガイドがひとり、英語とドイツ語を交互に用いて観光案内をやり、その合間にもう一人の助手と一緒にスープを作ったりコーヒーを運んだり大忙しで働いている。全部で40人ぐらいの観光客。フィヨルドは思ったほどの断崖絶壁ではなく、ゆったりとした瀬戸内海みたいな広がりを持っている。波がほとんど無い。今日は下着を2枚重ねて着て、長袖のワイシャツとブレザーにしているのだが、もう1枚セーターとコートが欲しいところだ。Ig団長氏は当初より風邪気味で熱まであったらしいが、ノルゲ・ホテルで女物(サイズの問題で)のセーターを買ってそれを着込んでいた。そばにドイツ人の老夫婦がいて、向こうから話しかけてきたのをきっかけに僕は彼らのテーブルに入れて貰い、歓談する。音楽好きらしく、スピーカーから流れる軽くアレンジされたクラシックのBGMに合わせて指揮者のごとく腕を振っている。北欧の音楽が好きなのだと言う。デッキで互いに記念写真を撮った。HJe夫妻といってブレーメンに住んでいるという。ブレーメンに来たら自宅へ来いと電話番号まで教えてくれた。

30分だけショッピングの時間を持つ。その後バスに乗り、10世紀に建てられた最古の木造教会を経て作曲家グリークの住んで居た屋敷を訪れた。余り大きな家ではないが、まとまりの良い快適そうなところだった。居間にあったピアノはスタンウェイ。家そのものは崖の上にあるのだが、その少し下の方にグリークが作曲活動に専念した作曲小屋があり、さらに海のそばまで降りて行くとグリーク夫妻の墓がある。このあたりから眺める北大西洋の景色は素晴らしい。僕が中学でテニス・クラブに入っていた頃、夕方4時50分になるとグリークのペールギュント組曲より「朝」が放送されて下校を促されていたため、この音楽には強い記憶が残っている。墓の向こうに見える海は、北欧のどんよりした色彩だった。

そのままベルゲン空港に向かう。イギリス行きの飛行機の出発は1時間程延びた。係官達はぎりぎりまで戻って来ず、長蛇の列ができてしまった。「北欧の労働者だなあ」と日本人仲間が苦笑する。ガトウィック空港からはタクシーをつかまえてケンジントンのタラ・ホテルへ。明朝はヒースロー空港から7時半発の飛行機に乗るためホテルは5時半出発。従って、ロビー集合は5時で、朝食抜き、というすごいスケジュールだ。また寝られないよ。

6月26日(金)
4時に起きて支度する。5時にモーニング・コールを受け、5時半にタクシーで出発。空港のカフェテリアでデニッシュ・ペイストリーとオレンジ・ジュースをかきこむ。英国航空でニューカッスルへ着いてみると、ここは何もないひっそりとした町だ。ここから専用バスに乗って、3時間半もかけてブリテン島を東から西へ横断、英国XN公社へ向かう。バスの通る道路の両側ははてしなく地平線まで続く緩かな丘陵で、美しく緑を成している。ようやく丘の向こうにアイルランド海が見えてきた頃、20分ほどティー・タイムをとるため道沿いのホテルのレストランに立ち寄る。この付近はスコットランドとの国境に近い。

緩やかな丘に囲まれたXN公社ではまず広報担当部長のGd氏の挨拶を受けた後、すぐに近くのホテルのレストランへおもむいてビジネス・ランチとなる。まずはラウンジで食前の飲物をとってから、ということになったので半パイントのビターを頼む。既にグラスをもったほかのグループの客達も大勢いた。我々のグループでは日本人達が椅子に座ってしまったのでイギリス人達も一人、二人とためらいつつ座り出す。本来こういう所では病人ででもなければ座ってはいけないのだ。当然、頑として座らないイギリス人もいる。僕はためらったが、Id団長氏が座りなさいよと言うので従う。

別室に移ってからのランチは、メロンとシャーベットを盛り合わせたものをアペタイザーとし、ハムの砂糖焼きに野菜を付け合わせたものをメイン・ディッシュとする。僕はGd氏とJon博士の間に挟まれる形で座り、主にJon博士と話す。Gd氏は通訳のHt夫人と向い合わせだったので二人で話がはずんでいる。施設内の会議室に戻ってからはまずJon博士の講演があった。結果的に質疑応答は僕一人がやる。すっかり予定の時間をオーバーしてしまう。DR施設の見学を取りやめ、最後のディスカッションの時間とビスケットを食べるパーティも削るはめになり、予定を立てた英国人側は残念そうな顔をしていた。ともかく定刻までにカーライル駅に行かないと今日中にチェスターへ行き着けないのだ。先を急ぐのもやむを得ない。

6月27日(土)
久しぶりにゆっくり起きた。玄関からちょっと表に出てみると遠くにチェスターの市街地が望める。玄関ロビーには変わったタイル細工の壁飾りがあったが、一目でヘンリー八世の絵姿だとわかった。朝8時に食堂へ行って朝食。予定を少し変更してチェスターの町中を40分ほど散歩して楽しむことにした。今日は週末で行事は無いし、ロンドン行きの飛行機に間に合いさえすれば良いからだ。チェスターは美しい町だ。まるでニュルンベルクなどドイツの町みたいな組木格子と白いしっくい壁を持つ家々が並ぶ。中央部は歩行者天国になっていて、大道芸人がピアノやバグ・パイプで路上絵を描いている(ピアノはトッカータとフーガ・ニ短調だった)。こんなに楽しい町でもっと長い時間過ごせたらいいのにな、と思う。ほかの仲間もこの町が最高に良かった、と受けた印象をもらす。古いローマ時代の城壁まで残っている。チェスターからはバスで相当な時間かけてマンチェスターまで行き、マンチェスター空港からシャトル便に乗る。マンチェスター空港は大混雑で、改装工事をやっていて足の踏み場もないほどの混乱ぶり。

ロンドンのヒースロー空港に戻ったら、Id団長の希望とSug氏の強い希望で今晩は日本料理だと言う。ハノーバー・スクエアのJALオフィスの向いにある「SAK」で食べることになった。地下鉄でオックスフォード・ストリートまで行く。「SAK」の予約時間まで小一時間あるのでその間に隣の「イギリス屋」(日本人の経営する日本人相手の高級土産屋)でショッピングでもと言うことになる。ハノーバー・スクエア界隈は日本人が多い。イギリス屋で、Tom氏はまっすぐにコート売り場へ行き、アクアスキュータムのコートをあれこれ試す。おかしかったのは彼はずっとそれをバーバリのコートだと信じていたことだ。しかも婦人物だった。結局彼は650ポンド(約15万円)のコートを買う。日本に持って来れば25万円ぐらいか。Sug氏は、と見ればカシミヤ100%のセーターを手にしていた。

地下売り場には食器や小物が色々あるのでMH氏に教えようと捜したら、彼は既に1階の売り場でタイピンやカフス・ボタンのセットを数個づつ、ネクタイを20本以上、その他をカゴ2つにぎっしり詰めて勘定を頼んでいるところだった。そしてMH氏は地下にも降りてウェッジウッドの食器フルセットを2ケースも注文し、日本に宅配を頼んだ。もっとも彼のクレジットカードは上限額が20万円のマスターカードで、既に制限をオーバーしていて、クレジットによる支払いを拒否される。この店での買物額は30万円を越えたそうだ。翌日は日曜だから銀行が閉まっていて大変でしょう、と慰めるつもりで言ったら、いいえ円の現金を沢山持っていますから、明日キャッシュで払います、という答えが返ってきた。後でMRA氏いわく「そりゃMHさんの所は御土産がたいへんですよ、あそこは」とうなづいていた。MH氏本人は「僕はしょっちゅう外国に来るわけにいかないから。女房には今夏のボーナスは無いと思え、と言ってきたんですよ」と言う。億ションに住むお金持ちのようだ。人物が大変いいのも育ちの良いためだろう。

「SAK」で食事中にId氏が皆に過去2回の視察団の話をしてくれた。それによると過去2回の視察団は地方のJFA支部の代表が多く参加していて、旅行の主旨もまずは皆さんにNX現場を見て貰う、ということだった。昔話の中で明らかにされたのだが、彼らは昔からのお金持ちなので、腹巻に100万円の札束を10個もひそませていたという。I県のJFA長が一番派手で、ショーケースに陳列してあるコハクのネックレス80本の束を何束も掴み取りして買占め、店の出納係を気絶させたという。その言い分は「S県のJFAなぞに負けてたまるか」というものだから凄い。ネクタイを数100本買った剛の者もいると言う。いやはや参った。


フォルテ マーク

ノルウェーの海岸。グリークの墓を少し下ったところから見た風景。1987年本人の撮影。
ノルウェーの海岸。グリークの墓を少し下ったところから見た風景。1987年本人の撮影。




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