第15話 JFAの欧州訪問記(3/4)―韓国料理店の食事

(補足)
 赤字:今回新たに書いた文章
 黒字:過去の文章からの引用


(下記は2008年に加筆した部分)
ウイーン暮らしをしている日本人の中には、現地生活を楽しみまくっている人もいますが、他方では自分の地位保全に全力投球する人もいます。ヒトに迷惑をかけない限り、どちらでも構いません。ウイーンのオーディオってR.シュトラウスやJ.シュトラウスの音楽を最も楽しく、美しく鳴らすようなものでは、と感じました。つまり純オーディオ的な音では無いのかも知れないと思った次第。あれだけ街中に音楽があれば、しかも楽しめるんだから、それもどうでも良いのでしょう。日本みたいに、さあ今晩は音楽を聴くぞ!と居住いを正すのは、日常の音楽生活が貧弱な証拠かも知れない。

ウイーンからパリに渡りましたが、フランスの音楽って少し不可思議です。フランス音楽って一口に言うと何なのでしょう?ベートーベンのように万人の心を掴んだ作曲家は、フランス人では少数に絞られるような気がします。またフランス人はブラームスが嫌いとか。あくまで明るい、何処までも明るい伽藍に構築する音楽。度肝を抜くような音でなく、あくまでもの静かに、穏やかに迫る音楽。ワーグナーやベートーベンのように必死になって、髪振り乱して指揮棒を振るのでなく、ひっそりとラモーやリュリが響く雰囲気。ベルリオーズはチョッと除きますが(私の耳にはややワーグナーの亜流っぽい)、ドビュッシーやラヴェルの音の特殊な、神秘的な音色。ああいう色彩感の表現でフランス音楽はドイツ音楽(そしてイタリア音楽も)と決定的な違いがあるのでは無いでしょうか。

でもワーグナーもパリで認められたからこそ、あれだけ欧州を席巻したのですね。ワーグナーの音楽とフランス音楽ってまるで油と水みたいに思えますが、あれで結構旨く行ったのですから不思議。では席巻以前にマイアベーアやアレヴィの音楽みたいなのがどうして流行ったのでしょうか?今日では誰も聴かない「ユダヤの女」(アレヴィのオペラ)なのに。それに例えばパリのガルニエ(オペラ座)では、バレエが大切なものとして扱われ、その余った時間にオペラをやっただけ、という説等々。実は私自身よく分かっていないのです。フランス人とドイツ人は、人種としては同じゲルマン民族なのに、あれ程まで違うのは?やはり「氏より育ち」でしょうか。それにここで最も気になる点として、どういうオーディオ装置がフランス音楽の再生に向いているのでしょうか。色々考えてしまいます。


フォルテ マーク

(下記は1987年から収録)
7月2日(木)
ウイーンの目的地ではNPAから出向中のNSg氏が出迎えに出てくれた。そのあとXNXビルへ。ゆったりした造りで、何もかもきちんと整理されている。廊下に物を置いたりしないところがいい。日本の大学や機構はその点どうしようもなく汚い。ちょっとでも空いたスペースがあると実験機器などを置いてしまうからだ。ここでは床にカーペットが敷かれ、壁はピカピカに磨きあげられ、専門職員には個室が与えられるのでうらやましい。各自の居室の隣にはドア続きの部屋があり、専用の秘書が控えているのだ。つまり秘書もまた自分の城を持っていて、ボスと同じ部屋で年中顔を突き合わせているわけではない。MH氏も個室はいいなとつぶやく。各個室の外窓の面積に職員としての格付けが反映されていると言う。BXS事務総長(スウェーデン)は出張中なのでNML総長代行(マレーシア)を儀礼訪問する。彼の秘書は目下コンピュータ・コースの講習会に行っているとかで不在なのでNML氏自らお茶のサービスをする。

続いてINS部長のROS博士(アメリカ)と会ってその部屋で質疑応答を行う。その場では日本のXS庁STANS局から出向中のAM氏が通訳を勤めた。3番目にはIXXX広報部長のYOS氏を訪れ、IXXX機構の説明を受けた。YOS氏はNXK出身のジャーナリストで30年もその分野にあった人。喋る時は目が天井を向いており、縦板に水を流すような調子で自信満々に話す。秘書との応対を見ていると、少しみせびらかしをやっているのかな。国際機関の広報の仕事をするには、それくらいでないと勤まらないのかも知れない。「 私はNXKに10何年居りまして、国際報道で幹部スタッフ待遇にはなったものの部長にしてくれなかった。別に私が部長になりたかったわけではありませんが、それでそこをやめましてIQOに何年、WQOに何年、何何に何年いて、次第に報道から遠ざかってしまいました。何年前にIXXXの部長のポストが空いていると聞いてここへ来たわけです」と言う。

昼はYOS氏の招待で日本人だけのビジネス・ランチがある。YOS部長は「いやあ席次を決めるのにいろいろ考えましたよ。これは私の招待です」と言う。JXOから出張中のSTE氏とEMXのTST公使も参加した。僕は先程通訳を勤めたAM氏の左に座り、ウィーン暮しについて雑談。AM氏は「要は食べ物ですよ。ウィーンの食い物はまずいですからな。私は鰻が好きなんですがここには鰻がない。」と言う。「でもドイツでは鰻を薫製にしたのがあるじゃないですか」「あれは全然日本の鰻とは違うんですよ。おおぶり過ぎてね。ほら成田空港に鰻の真空パックを売っているでしょう、あれが好きなんですよ。あれを鍋で煮て食うんです」

パリのオルリー空港に着いたのは夜8時半ごろだったが、まるで午後3時半と言っても通用するほど明るい。パリにおける宿であるシュフラン・ラトール・ホテルにチェック・インした時は既に9時半をまわっていた。僕はカメラだけ持って大急ぎで近所のエッフェル塔へ行き、42フラン払って頂上部の展望台へ急ぐ。東京にあるタワーが悲しいまでに貧相な模造品だと痛感。夕闇のもとでも眼下に広がるパリはやはり美しい。ロンドンやウィーンとはまた味が違い、パリを世界の都と呼ぶのも、むべなるかな、と思う。

7月3日(金)
朝7時半ごろ起き、サン・ラザール駅近くにあるコンコルド・ホテルのロビーへ行く。これからノルマンディのパリュエルへ行ってから通訳をするGDU嬢との待ち合わせ。1日の通訳料が12万円だという。MRA氏はGDO嬢にシュフラン・ラトール・ホテルまで来てくれるように頼んだらしいのだが、GDO嬢いわく、私はガイドでも訪問客でもないからあなた方のホテルまで行く義務はなく、列車に乗るサン・ラザール駅でお待ちする、と言われたとMRA氏は不機嫌な顔をしている。いかにもフランス人らしいフランス人だと思うが、プロフェッショナルとしてのお手並み拝見といこう。GDO嬢はおそらく40代入り口。フランス国内で日本語の勉強をしたあと日本に2年づつ2回留学して経済学を学び、A新聞社に勤務したという。

女性の広報担当者が英語版の映画をフランス語で説明し、それをGDO嬢が日本語にして伝える。GDO嬢の腕前はたいしたものだった。これだけ実力があれば今朝の彼女の主張は通るだろう。もっとも後でMRA氏にそう言ったら、いやそれほど良くない、もっと安くて旨いのがいるよ、と言う。ディエップの駅に戻ったのは夕方6時頃。ある人によれば「フランス人って余り外国人に親切とは言いがたいでしょう? でも彼らに言わせるとフランスは1度だって外国人にフランスへ来るように宣伝したことはない。勝手に来たんだから自分の責任で行動すべきで、フランス人側の世話なんか期待する方が甘いって言ってます。あれはフランスは自給自足して、自分達だけでも食べていける、という自信があるからでしょうね」だと。

パリのサン・ラザール駅に帰着するとそのまま、駅前のシーフード・レストランに入る。これはMB機構の招待ということでSA氏のおごり。うわさに聞くウィンクルや蛤、牡蛎、蟹、ロブスターなどの盛り合わせを前菜にし、フィレステーキのメイン・ディッシュとした。飲物は始めビールで乾杯し、あとは白のハウス・ワイン。ここも、あらためて周りを見渡すと日本人が多い。新婚さん3組6人が同じテーブルを囲っているが、あんなにいて、お互いに目移りしないかしらん。ホテルに戻ったのは夜11時半ごろ。

7月4日(土)
今日は当初予定されていたヴェルサイユ宮殿の観光は取りやめて、みなフリー。僕は食事後SA氏とルーアン見物に出かけることにし、10時半にサン・ラザール駅前で待ち合わせることにし、それまで勝手に行動することにした。ビル・ハケイム駅から乗ってシャルル・ドゴール(エトワール駅)で下車。地上に出たら凱旋門の真横。シャンゼリゼーは両わきそれぞれの歩道が車道と同じくらいの幅があってゆったりとしている。緑の木陰を歩いていると何処と無く、花の香りがただよい、「花の都」と呼ばれるわけがわかる気がする。途中でマドレーヌ寺院に立ち寄ってみた。折しも少年合唱隊が練習している最中で、指揮者が隊の配置をいろいろ変えては響きの効果を試している。オルガンの豊かで深々とした低音に支えられ、中高音が柔らかく融けあった響きは、実際鳥肌がたつほどの美しいもの。エコーがつき、十分に混ざり合った響きはオーディオ的な感覚で言えば決してハイファイではない。ある種の癖がある響きだ。しかし、ここで聴いているのは再生音ではなく、まぎれもない実演の音だ。逆に言えばオーディオ・マニアがハイ・フィデリティにしびれる音なぞは現場の音じゃない? このマドレーヌ寺院の音を聴いてすぐ思い浮かべたスピーカーは、英国セレッション社のディットン66だが、オーディオ的に言えば面白い錯覚だと思う。

サン・ラザール駅前にSA氏が既に待っていた。1等車の往復切符を買ってルーアンに出発。今度はコンパートメント列車だった。車中、SA氏は10年にわたるイタリア生活の話をしてくれる。ローマ・オペラの貧弱さとか、それでもイタリアが好きとか、話がはずむ。SA氏は仕事でずっとローマで暮らしていたのだ。ルーアンはもちろんジャンヌ・ダークの処刑場としても有名なのでバーナード・ショーの戯曲「聖ジョウン」も話題になる。ルーアンは古い部分と新しい部分に2分された町で全体で30万人が住む。古い方の町は中世の臭いがあっていかにも由緒ありげ。あいにく午後2時までは教会も商店も昼休みなので、その間に近所のレストランで昼食をとる。トリ料理と肉料理をそれぞれとり、ビールを2本ずつ飲む。

大聖堂の中はかなりくたびれた感じだった。ステンド・グラスの一部がぬけたところがある。そのあとジャンヌ・ダークが火あぶりになった広場へ向かう。この広場へ通じる道路は一種の観光道路になっているらしく沢山のレストランや土産物店が並ぶ。広場にはモダーンなオブジェみたいな博物館が建っている。よくよく眺めると、中世の騎士が被った甲と槍を象徴的に表しているようだ。大急ぎで駅に戻り、パリ行きの列車に飛び乗る。途中でなにか故障があって、列車は2回ほど止まってしまい、結果的に30分遅れて帰着。「フランスの国鉄は正確だと思っていたのに、そうでもないんだなあ」とSA氏は感想をもらす。

オペラ通りをぶらぶらと散歩すると確かに「日本人通り」の異名がうなづける。ノートルダム寺院の内部はかなりすすけた感じで、ロンドンのウェストミンスター寺院やセント・ポール寺院と比べても、内部の貫禄でかなり差をつけられている。イギリスのものは王室行事につかわれる現役の寺なのに、フランスの方はそういう主がいないためか、などと思ってしまう。

ホテルのラウンジではSug氏とTom氏がヴェルサイユから帰ってきてソーダ水を飲んでいるところだった。彼らに呼ばれて僕もレモネードを飲む。そのうちMIT商事の人やEMXの人たちがやってくる。EMXのアッタシェはどこかで見たような顔だった。2年ぐらい前に練馬のレストラン「KRA」であったパーティで、その翌日パリへ出発するという人に会ったことがあるが、その人は今此処に居るアタッシェと良く似ている気がするが。今日はAP業界からあいさつに来たらしい若い女性がペコペコ頭を下げていた。皆がリドへ出かけた後、ツア・コンダクターのTA氏と近所の韓国料理店へ焼き肉を食べに行く。太り気味のTA氏は余り食べてはいけないと言いながらも、精力的に食べている。彼の話を聞いていると要するに彼は生粋のたたき上げで、必死に働いて金を貯めているようだ。ぬくぬくと暮らすぼんぼんよりはこの生き方の方が僕には好ましく思える。ふと気が付くと隣のテーブルに日本人家族みたいなグループがやってきて食事を始めたが、思いがけない会話が聞こえた。若い娘が「今日、JFAの会長とか言う人と会ったの。今度一緒に食事したいなんて言うのよ。女の子と食事するのが好きなんですって」と日本語で話し始めたのだ。横目でみて驚いた。あれは先ほどホテルでペコペコ頭を下げていた女性だ。そのうち突然言葉が日本語から韓国語に変わったのだ。それ以後の彼らの会話に2度と日本語は使われなかった。それにしても今日歩いたパリの街並みはなんと美しかったことだろう。


フォルテ マーク

フランスのルーアンの町中の風景。1987年本人の撮影。
フランスのルーアンの町中の風景。1987年本人の撮影。




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