第16話 JFAの欧州訪問記(4/4)―シェルブールの食事

(補足)
 赤字:今回新たに書いた文章
 黒字:過去の文章からの引用


(以下は2008年より収録)
これは港町シェルブールや、ラ・アーグでメイン・ディッシュを食べた時の話。いすれも美味しかったが、何せ量が多くて参りました。GDOさんとの会話で、ドビュッシーの「沈める寺」の話が出て来ますが、あれは面白いと思います。パリという名前もブルトン人の誇りの前には跪かざるを得ないのですね。ブルターニュはもともとケルト民族で、フランスとは異なるという話。例えばラヴェルの出身はスペイン国境近くの何処でしたっけ?メデアの作者、ルイージ・ケルビーニだって、もともとイタリア人なのがフランス人を永らく気取って、それからドイツに移住するという経歴ですね。フランス音楽の大家と呼ばれる人は、実はそれぞれどこかの移民かもしれない。ブルターニュは「トリスタンとイゾルデ」のトリスタンの誕生の地でもあります。ふと思い出したのですが、ワーグナーの上背を考えると、ワーグナーのご先祖はどこでしょうか。

ところで「沈める寺」を思い出しましょう。あの低弦を響かせる音楽は他にどんな表現法があったと言うのでしょう?まさにあれがぴったりです。それもブルターニュの海岸に立ってみると、かつてあった寺がここに沈んだ、というストーリーにゾクゾクします。前に色彩感の強調しすぎかも、と書きましたがピアノ音楽だったら許せます。それに「月の光」とか「西風の見たもの」とか、とにかくピアノ音楽そのものです。素晴らしい。昔、中学生時分にベートーベンの月光ソナタと、ドビュッシーの「月の光」を弾き比べを聴かせ、どちらに魅力がある?(第一章に出てくるHY先生) と問われたことを思い出します。その再生ではオーディオ装置としてはタップリした低音から高音まであくまで澄み通り、あくまで透明な音でなければなりません。そういう装置は時として声を聴くのに相応しくないのですが、それなら声を聴く装置とは別に用意しましょう。そう言いたくなる程魅力的です。


フォルテ マーク

(以下は1985年より収録)
7月5日(日)
今日は午前中フリーなので地下鉄に乗り、モンマルトルへ向かう。モンマルトルの丘の上にあるサクレ・クール寺院では日曜のミサをやっていたが、たった10人しか信者はおらず、あとは数10人の観光客。モンマルトルはかつての芸術家村とはほど遠く、飲み屋街になっていた。町全体に酒のすえた匂いがたちこめている。ケーブルカーもあったのだが、歩いてゆっくり階段を登り、寺院の前からパリを眺めおろす。このあたりは何となくパリの下町風だ。日曜日ではあるが八百屋、魚屋、パン屋とかカフェは開いていて生活臭がするのだ。モンマルトル墓地は一部工事中だったから上から覗いただけ。

ホテルに帰るとTom氏と会ったので一緒にラウンジでエスプレッソ・コーヒーを飲む。そのうちメンバー全員が集まったので、ラウンジの庭のテーブルに移ってソーダ水を飲む。11時に荷物を保管庫に預け、1泊分の小荷物だけ持って12時に一旦チェックアウト、タクシー2台に分乗してサン・ラザール駅方面に向かう。オペラ座近くのビストロに入って定食とワインを飲む。尤もらしい宮殿風の装飾が施されていて、見かけより内部は広く奥行きが深い。ただ天井がほどほどの高さしかないし全体に安普請だ。やはりこの地区に真に立派なレストランがあるはずがない。タバコ売りが駅弁売りみたいなケースを首にさげている。

1時間半ほどかけてゆっくり食事をしてサン・ラザール駅に行く。今日から再び通訳を担当するGDO嬢は、どうせ我々の列車は彼女の家のそばの駅を通るのだから、そこから乗って合流すると連絡してきた。駅は冷房がないため物凄く蒸し暑い。1等の待合室で待つことにする。その間にキオスクでマリア・カラスの顔写真が表紙になっていたディアパソン誌7・8月号を1冊買う。シェルブール行きの列車は3時に出発。パリ=シェルブール間のちょうど半分の位置にあるカン駅でGDO嬢と再会。シェルブール駅前は何もない閑散としたところだった。メルクール・ホテルはウィーンで泊まったホテルの系列のようだ。文字通り港の端にあり、窓の外は大西洋だ。南側が漁港、北側が大西洋航路やイギリスとの連絡船が発着する港になっている。クイーン・エリザベス2世号もここに泊まる。

ホテルの中2階のショーウィンドウに雨傘が3本あり、1本はイギリスのバーバリ、もう1本は聞いたことのないブランド、最後の1本が当地製で「正真正銘のシェルブール製」という銘が刻み込まれている。2本しかストックが無いと言うので僕が緑色のを1本、MH氏が黒いのを1本買った。1本300フラン。換算すれば7000円ちょっとだが、それよりもカトリーヌ・ドヌーヴの映画「シェルブールの雨傘」というところに意味がある。それに、あんなにかさばる品物を日本まで抱えて帰る手間を察して欲しいな。

夜7時半に一同が揃って港町のシーフード・レストランへ向かう。GDO嬢が予め予約の電話を入れておいたのだ。イギリスからついたばかりの若い男の子達がGDO嬢にユースホステルの場所を尋ねていたが、あまりに早口の英語のため、何度も聞き返してやっと通じる。GDO嬢は彼らの後ろ姿に向かって「そんなに早口じゃ誰にも分かりっこないわよ!」と英語で怒鳴っていた。夕日に映えるシェルブールの港は美しかった。レストランはざっくばらんな田舎の店だったが味は素晴らしく良かった。食前酒にはキールが良いと僕が主張したら他の人たちもそうする。GDO嬢はあとでカルバドスを飲まなくっちゃと言う。カルバドス、即ちリンゴ酒とイギリスのサイダーと比較する話になると、どうも同胞達との話が通じない。本物のイギリスのサイダーは大変アルコールの強いドブロクなんだ。美味しい生牡蛎やオマール、ムール貝、ウィンクル、蟹などのオードブルを食べ、白ワインに変えてからスズキのクリーム・ソースやエイ(ここではレイというようだ)のムニエルなどをとる。ダイエット中のTA氏だけは生ハムの盛り合わせですませていた。ワインは何種類も飲んだが、GDO嬢がいろいろとアドヴァイスしてくれた。彼女は「シェルブールの娘」と呼ばれている魚を是非試すように勧める。デザートはリンゴ酒をかけたリンゴのシャーベットとコーヒー。随分と沢山のワインを飲んだため頭がもうろうとする。シェルブールにこの次に来るのは、いつになるか分らないから、心ゆくまでフランスの港町の雰囲気を楽しむ。それにしてもスズキのクリーム・ソースは美味しく、皿に残ったソースをパンですくって食べてしまった。

7月6日(月)
朝、窓を開けた途端に教会の鐘の音やカモメの鳴き声が飛び込む。港町シェルブールの朝はどんよりと霞んでいた。約束の7時のモーニング・コールを受けるまでに全て準備を済ませてしまい、電話を受けるとすぐに部屋を飛び出して散歩としゃれこんだ。タクシー2台を呼び集めてまずLMN施設に向かう。ここの広報担当者も女性でJという。J嬢は美人だが余りエキスパートではないようだ。MRA氏は広島の地主(城を持っているとか)一族の一員だそうだ。「いずれ城を引き継ぐために帰らなければならないんですよ。」と言う。大金持ちの親戚がKY市の私立大学に多額の寄付をしているらしい。

GDO嬢は、LMN施設の隣にMEE機構があって、たいへん良い所だからその見学はお勧めだ、と言う。所長のGGE博士自らがスライドとオーバーヘッド・プロジェクターを使って大層熱っぽく講演してくれた。フランス海軍の大型コンピュータを用いて大掛かりなシミュレーションをやっていると言う(ここで英国側から発表されたものと、フランス側から今回発表された結果は正反対だった。それぞれ相手側に責任を押しつけている。またノルウェーやデンマークなどの観測船を利用してイギリス海峡や北海の海流調査も行っていると言う。GGE氏とは初対面だったが、本人を間近に見ると、自室に閉じこもって理論を探求するよりも、船に乗って荒々しい観測に精を出すのがなにより好き、という感じだ。爪が黒っぽくよごれている。船のロープに付いているグリースに違いない。NTBの前支所長だったSSM氏とは、つい最近モナコのIXX機構で会ったばかりだそうだ。油と海の施設特有の匂いがビルの中に漂っている。

GGE所長の主催で、J嬢を含めて午餐会があった。これが大変重たい料理だった。アントレから始まり、シーフード・サラダ、魚、肉、チーズ、ケーキ、フルーツ。アントレはトリュフの入ったフォアグラとスモーク・サーモン、チーズは羊乳で作ったもので、驚く程大ぶりな一切れがカリカリに焼いた薄いトーストの上に乗っている。これが凄く美味しかった。飲物も食前酒に白ワイン、魚肉に別の白ワイン、肉は赤ワイン、またコーヒー、アイスクリーム、と完全なフルコース。食後のコニャックまで勧められたがさすがに辞退した。まだ午後の仕事があるからだ。もう満腹もいいところで、胸の近くまで食べ物が詰まっているようだ。TA氏などは胸をさすり、ため息をつきながら喘ぎ喘ぎ食べていた。招待主を前にしては余り言えないが、2時間も延々と食べ続けるのも大変な重労働だと痛感した。

GDO嬢の先祖はブルターニュ出身のブルトン人だそうだ。「もっとも今はフランスに住んでいるけれどね」と言うのでおかしくなった。ブルターニュはフランスとは別だって言っている様なものだからだ。「ブルターニュ風」というのは田舎っぽいという意味らしい。そう言えばさっき会ったばかりのMEE機構のGGE氏もブルトン人だそうだが、彼等の上背が高くないのはケルト民族であるゆえか。そこで僕は持っているありったけの知識を絞って、パリ(Paris)はラテン語でParとIsに分解でき、それは「Isの町に匹敵する町」という意味だと、ドビュッシーのピアノ曲「沈める寺」にも描かれた海に沈んだ古代ブルターニュの都イスに触れたところ、GDO嬢は大層おもしろがった。そういう話は聞いたことが無いそうだ。

パリのサン・ラザール駅に着いたときはもう夜9時半ごろだった。普通なら最後の晩はフル・コースを食べるのだろうが、あの重たい昼食のせいで、今だに満腹で何も欲しくない。もう何処でも結構だから早く簡単に済ませて眠りたい、と思っていたらSug氏が今晩は日本食にしようと提案。オペラ通りの近くにある和食レストランへ急ぐ。どうやら、パリに最初に着いた晩にもSug氏達はここに来たようだ。ビールと揚げ豆腐と寿司をつまむ。これで公式行事は全て終了。

7月7日(火)
昨日の疲れで、今朝起床したときは7時を回っていた。大急ぎで身支度し、地下鉄でリュクサンブール公園へ行く。帰国便はTA氏の剛腕でビジネス・クラスの搭乗券を入手したので、来る時と違ってゆったり座る。帰国2カ月後に、XXX機構で僕が長年やって貰っている身体検査を受けた。その2週間後に「この夏ヨーロッパのどこかへ行きましたか?」と言う電話がかかって来た。「骨中BBC量が2倍に増えていますよ。何を食べたんです?」これには驚いた。僕は確かにチーズを多量に食べたけれど。

(次回は第3章の最終回です)


フォルテ マーク

フランスのシェルブール製の雨傘。紋章が縫い付けてある。取っ手には金属製の紋章リング。1987年本人の撮影。
フランスのシェルブール製の雨傘。紋章が縫い付けてある。
取っ手には金属製の紋章リング。1987年本人の撮影。




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