第17話 好きな音楽と好きな料理

(補足)
 赤字:今回新たに書いた文章



(2008年の記載)
最近は時々ですが、私自身が料理を作ります。料理は何かしら芸術に似ているんじゃないか、と思います。味が目的なんですが、組み合せや、順番や、はたまた味わいに対する各人の好み等を考えるとなると、中々奥が深い。例えば来客を楽しませるにはどうすれば良いか、どんな料理を好むだろうか、等々と考えを巡らすのは楽しい。昨年の半年間に200種以上の異なる料理を作りました。まだ好きでやっているだけですが、いつか同一種類の料理を繰り返す日も来るだろうと、楽天的に考えています。万人に好まれる料理なんて存在しないだろうし、また客が一人でなければ、全ての客を満足させる料理なんて無いでしょう。脂っこい料理を好むか、それともあっさり系料理を好むか、肉か魚か、は千差万別。

これはオーディオと同じですね。自分が好きなCDを掛けまくり、さあどうだ、と反応を計っていますが、客人にとっては、これは有難迷惑かもしれません。大体声楽を好む人の絶対数が少ないのですから。どんな音楽を良く聴くのか、どんな演奏家を好むのか、どんな指揮者が好きか、どんな録音が好きか等々。決して他人の趣味には立ち入ろうとは思いませんが、私自身は今のところ、脂ぎり唾が飛び散るような激しい歌唱を含むもの(近い声)、一方で分厚く壮大な大破滅を歌い上げるようなもの(遠い声)、が好きです。こういう好みが、これから如何に変貌するか分りません。前者を満足するためには、オーディオ装置は生々しさが求められますし、後者を満足するためには深々とした低音が求められます。そして、私は気分により両方とも大好きです。オーディオ機器の比較を試みようとしても、音の裁判官としては役に立たないことが多いのです。それも構わないだろうと思います。聴く音楽が「いにしえ」の録音で音が古く、雑音だらけの、聴衆から出る諸雑音もタップリ混じった実況盤が多いから当然ですよ。最新録音ばかり聴いているわけじゃありません。私は古い物(私の場合は1950年代が中心)の中から再発見に務めることが多いのですから。そういう古い録音に飽きる日が来ることがあれば、その時こそ最新録音で勝負、ということになるでしょう。

以上を考えて、このコラムをもう一度振り返ってみると、音楽の好みと料理の好みの間には何か相関がありそうです。鮮やかさを好む人なら、中華料理より和風料理、フランス料理よりイタリア料理でしょうか。純粋な響き、透った音、その味わいが忘れられない人の耳には、ゴチャゴチャした言葉の混じった声楽は耐え難い雑音に聞こえるに違いないのでは、と想像します。気分に左右されるのも本当です。たまたま、くたびれ切っている時だったら、ワーグナーなんて重ッ苦しいものと関わりたくない、と思ったり、お茶漬けを食べたいな、と思うのも当然です。ですからここでは、あくまで通常の体調の時、どういう料理を好むか、ということに限定して考えましょう。また持ち時間は無制限にある場合、というのもここの条件です。持ち時間が短すぎると、ワーグナーなんて飛んでもないことになるからです。そういう基準をクリアすれば、「トリスタンとイゾルデ」や「ニュルンベルクの名歌手」は間違いなく聴く候補ですし、「ノルマ」や「メデア」もまた候補です。一旦CDを掛け始めたら今度は止まらなくなります。

このように声楽なら何時間でも耐えられるのですが、ピアノ音楽はせいぜい2時間しか持ちません。飽きてしまうのです。その意味では本当のピアノ好きとは違うかも知れませんね。私にとってピアノは如何にチーチーパッパでも自分で弾いて楽しむべき対象です。また、どのジャンルの音楽でも、飽きてしまわないように、曲数も集中した方がいいのでは、と思います。古い話ですが、いつか「交響曲祭り」とでも言うような啓蒙音楽会がサントリーホールでありましたが、その晩のプログラムは満艦飾でした。ベートーベンの「運命」、シューベルトの「未完成」、ドボルザークの「新世界」と立て続けに聴きましたが、オシマイにはもう耳が麻痺してしまい、音楽自体を楽しもうという気が萎んでしまいました。ああいうのは「組み合せの妙」を考えてくれないかな。名曲も一曲なら素晴らしいのですが、立て続けではくたびれる、と勝手に思った次第。一般に(特に自分だけで聴く場合)、私は全身を耳にして聴くクセがあります。他人の耳にどう響くかでなく、自分本位な聴き方です。これは消耗が激しいので、終わった時はグターっとしてしまいます。

幾ら好きな料理でも、立て続けにその料理オンリーだったら飽きますね。私自身、刺身に関してそう言えます。もし一晩だけの刺身なら、美味しく頂けるのですが、それが次の晩も又次の晩もそうだとなると、これは参ったな、思うでしょう。最近の新聞によりますと、男性が食べたいおかずの第1位は刺身で、第5位は焼き魚だそうです(2008.3.4、金曜の朝日新聞)。私としてはタメイキの出るところ。勿論、これは私の個人的好みであり、他人に勧めるものでは全くないのですが、どこに行っても刺身が無いと御馳走でない、という態度だと困ったな、と思います。私はそれほど刺身クレージーではありません。ただしベーコンやソーセージだったら、一週間続いても可です。また私は声楽曲だったら5時間で6時間でも続けて聴いていられます。ですから音楽の好みと料理の好みには似た点があると申したのです。オペラのような長い曲に耐えられるのは、どこで肩の力を抜けば良いかを、長年の間(既に50年間を越えた!)に身に付けたため、ではないかと思います。

弦楽器だったらどうでしょうか。室内楽では余り長く続くと、私の耳はやはり飽きてしまう。また宗教音楽もまたしかり。クラリネットやオーボエやホルンの響きも同様です。弦楽多重奏曲やヴァイオリン曲も同様です。どんな楽器でも、余り長く続くと飽きるのです。私は本質的に楽器よりも人声が好きです。私がベートーベンの弦楽四重奏曲に大変興味があると「音楽のすすめ」第1章の最後に書きました。でも体が燃えるほど大好き、と書かなかったのは、これがあったため。それらの分野では、まだまだ私はビギナーです。もっと別の種類の音楽、歌謡曲とかポップス等にも同じことが言えそうです。実際、私が本当に歌謡曲が好きなのか、と言われると、聴く時間長によりけり、と答えます。約1時間が限度。ポップスも同じです。1時間までは体を揺さぶられるほど楽しいな、と思いますが、それ以上続くと生理的にウンザリしてしまう。私が何時間でも楽しめる音楽、それは激しく音程を上下する声楽ソロ(ベルカント・オペラ等)と、重厚かつ壮大な響きのある声楽曲(ワーグナー等)だという結論に至ったのです。私に取っては、あくまで歌謡曲やポップスは短時間楽しむ音楽です。「音楽のすすめ」第1章に書いた内容も、何時間までなら耳が耐えられるか、を考えると別のことが言えそうです。

私がベーコンやソーセージが好きということから、それらを好む人は声楽曲も好きなのでは、と勝手に思っております。逆に、刺身が好きな人は室内楽が好みの場合が多いのでは?中華料理が好みの場合は雑食性かも。ただ魚介類ではフライが好きと書きましたが、牡蠣だけは別です。これは絶対に生牡蠣がおいしい!当初は人の薦めでチリ・ソースを付けていましたが、今はレモンを掛けたのに限ると思います。また、シシャモの焼いたのも、頭からバリバリ野蛮に食べたい!これは私としては不思議ですね。またタラコも、焼きタラコは勿論のこと、明太子も大好きです。案外こういうものは生のままでも美味しい。望ましいのは、気取らず、美味しい物は美味しく、という態度で終始できる人かも知れない。どんな種類の音楽でも、好きな人は好きなので、それをどうこう言うつもりはありません。それに最初に念を押したように、これは体調が普通の場合の話ですから、例えば病気療養中だとか、不幸な事態に見舞われた場合とかは、ここで申した話は全く通じないだろうと思います。いずれにせよ、美味しいと思うものを食べ、しかも好きな音楽を聴けるというのは、幸せという他ありません。


フォルテ マーク


次に来るもの(予告)
第4章は少し横道に入り、文学好みの私が登場します。最近のニュースを見ると、猫も杓子も「これ」をとりあげ、風雲急を告げているようです。「これ」って何?それは次回までお待ち下さい。


フォルテ マーク

英国のオックスフォード大学(ベリオール・カレッジ)の食堂の風景。各国の王や貴族の絵の下で食べる。1992年本人の撮影。
英国のオックスフォード大学(ベリオール・カレッジ)の食堂の風景。
各国の王や貴族の絵の下で食べる。1992年本人の撮影。




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